表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/12

第七章 旧水路の影

・任務掲示と潜入


 翌朝の学舎は、ざわめきに包まれていた。

 掲示板に貼られた羊皮紙には、こう記されている。


――実地演習・班別任務:旧水路八番水門。腐食と瓦解の危険あり。魔獣発生の兆候。原因調査および一次封鎖。


 僕たち五人――イリス、ルーク、ブラム、セレン、そして僕――が担当に選ばれていた。


「いきなり実地か……」

 ルークが肩の風袋を撫で、顔をしかめた。

「水路って湿気も匂いも最悪だろ? 風魔法使いには罰ゲームみたいなもんだ」


「でも、君がいなきゃ換気できないよ」

 僕は笑って言う。

「水路は細くて空気が滞るからね。風を動かせるのは安全確保に大事なんだ」


「……まあ、な」

 ぶっきらぼうに返しつつも、ルークの頬は少し緩んでいた。


 イリスは冷静に荷物を確認している。

 縄、楔、灯火の水晶、簡易の止血具。

「必要最小限ね。みんな、これでいい?」


 ブラムは黙って頷き、背中の盾を持ち直した。

 セレンは腰に並べた小瓶を指で弾いて、僕に小さな声で囁く。

「レオン、匂いの変化には敏いほうでしょ? 嫌な風が来たらすぐ教えて」


「うん。任せて」


 監督役のラース教官は、いつも通り表情を変えずに一言だけ告げた。

「無理をするな。命を残せ。それで評価は十分だ」


 僕たちは王都南の外縁にある旧水路へ向かった。



---


 市の端は活気のある市場とは一変して、道は荒れ、家々は傾き、皮なめし場の酸っぱい匂いが漂っていた。

 八番水門は錆で赤茶け、歪んだ扉の隙間からは冷たい空気が吸い込まれている。


「……風を感じる」

 僕はしゃがみ込み、掌を隙間にかざした。

 吸い込むような流れ。耳を澄ませば、奥から低い唸りが規則的に響いてくる。

「自然な流れじゃない。……呼吸みたいだ」


 イリスが眉をひそめる。

「崩落だけじゃなさそうね」


 ルークは渋々風を起こし、入口に逆流を作った。

「これで中の空気が多少マシになればいいがな。」


 ブラムが盾で入口を広げ、セレンが杖を確かめた。

 僕らは灯火を掲げ、旧水路の奥へと踏み入った。



---


 中は湿った石の匂いが充満していた。

 壁は黒ずみ、苔が点々と光を返す。天井は低く、太い根が石積みを割っている。

 靴底にザラつく砂、滴の音。すべてが不気味に響く。


「足並みを乱さないで」

 イリスが短く声を飛ばす。

 僕たちは黙って頷き、進んだ。


 第二棟に差しかかる手前で、僕は違和感に足を止めた。

 壁の割れ目に、黒い斑点が広がっている。丸く膨れた袋のようだ。


「……胞子嚢だ」

 セレンが低く囁く。

「魔性黴。破裂すれば目も喉も焼かれる」


 僕は喉を詰まらせるような刺激臭を感じながら、石壁に手を添えた。

 ここだけ湿度が異常に高い。連鎖的に胞子が広がる環境が揃っている。

「……少し待って」


 僕は小さく魔力を放ち、足元の石の“温度”を下げた。

 わずかに空気が冷え、壁の表面の湿気が凝り固まる。

 ぱち、と小さな音がして、胞子嚢の膨れが鈍った。


「温度を下げたの?」

 イリスが目を細める。

「うん。連鎖が進まないようにした。……今なら通れる」


 僕らは壁際を慎重に通り抜ける。

 その時――


「やあ、遅いじゃないか」


 背後から光が差し込み、声が響いた。

 派手な金具の制服に、鼻で笑う少年。

 侯爵家の三男、昼に道を割らせていたあの子だ。後ろに取り巻きが二人いる。


「課題は班ごとに違うはずよ」

 イリスの声は冷ややかだった。


「家の印章があれば十分だろう?」

 少年は杖をくるりと回し、誇らしげに笑う。

「闇に光を――それが正義だ」


「待っ――」


 イリスが止めるより早く、少年の杖から強い光が放たれた。

 空気を吸い込む水路に、炎が混ざる。


 ぱん、と。

 胞子嚢が爆ぜ、刺激臭の灰が広がった。


 同時に、奥からざわりと音が押し寄せる。

 石を擦る硬い音。無数の脚の音。


 ルークが顔を青ざめさせた。

「……何か来るぞ!」


 闇の奥で甲殻の列が揺れた。

 地潜り甲虫――硬い殻と顎を持つ群れ。


 僕は息を呑み、魔力を走らせる。



・圧縮の炎、凍結の罠


1 群れの襲来


 奥の闇から、ざざざざ、と無数の脚音が迫ってくる。

 灯火の明かりに浮かび上がったのは、甲殻で覆われた黒光りの虫たち。

 拳大のものから、大人の腰ほどもある巨体までが混じり合い、群れをなして蠢いていた。


「地潜り甲虫……! 数が多すぎる!」

 セレンが声を上げ、小瓶を握りしめた。

「火が効くはずよ、迎え撃って!」

 イリスが即座に号令をかける。


 ブラムが前に出て盾を構える。

 ルークは風を起こして前列の虫を押し返し、セレンは炎の魔法を放つ。

 光と熱が水路を揺らし、甲虫たちが甲高い音を立ててのたうった。


 だが、すぐに奥から次の群れが溢れ出す。

 光に誘われたのか、壁や天井にまで這い上がってくる。


「きりがない!」

 ルークが叫び、風を渦に変える。だが狭さが災いして、思うように勢いが出ない。


「もっと強い魔法を――」

 侯爵子息が杖を振り上げる。だが彼の火球は周囲の胞子嚢を次々に刺激し、空気はますます濁った。


「やめろ!」

 僕は叫んだ。だが彼は鼻で笑っただけだ。

---


2 圧縮の炎


 僕は喉を焼くような刺激臭の中、深く息を吸った。

 魔力の流れを意識し、周囲の空気を掴む。

 ――空気はただの空間ではない。圧縮することができる。押し固めれば、酸素は濃くなり、炎はさらに燃える。


 掌に灯した火は小さな赤い点にすぎなかった。

 けれど僕はその周りの空気を押し込み、ぎゅう、と圧をかける。

 火は細く針のように尖り、色を変え、青白く揺らめいた。


「……行け」


 僕は指先から放った。

 青い炎の針が前列の甲虫に突き刺さり、瞬間的に爆ぜた。

 通常の火球の数分の一の大きさなのに、殻ごと体内を焼き抜き、甲虫が黒煙を噴いて崩れた。


 イリスが目を見開く。

「……圧縮した?」

「ただ、押し込んだだけ。炎は空気が濃いほど燃えるんだ」

 僕は平然を装って言った。だが掌の痺れが、自分がどれほど危うい実験をしたかを物語っている。


「小さいのに……威力が段違いだ」

 ルークが唾を飲み込む。



---


3 凍結の罠


 だが群れは止まらない。

 天井から落ちてきた巨体の甲虫がブラムに迫り、盾がきしんだ。


「くそっ、持たない!」

「下がって!」


 僕は地面に手をついた。

 足元には溜まった水。湿気で濡れた石の上を薄く覆っている。

 ――水は分子が振動しているほど液体だ。振動を抑えれば、凍る。


 僕は魔力を流し込み、分子の振動を“抑える”イメージを描いた。

 ざり、と音がして、足元の水が一瞬にして薄氷に変わる。

 その冷気は周囲に広がり、巨体の甲虫の脚を滑らせた。


 がしゃん、と。

 虫はバランスを崩し、頭から壁に激突した。

 ルークがすかさず剣を叩き込み、甲殻を割る。


「……氷!?」

 セレンが驚愕の声を上げる。

「この湿気で一瞬に……」

「ちょっと冷やしただけ」

 僕は息を整えながら答えた。

「水は分子の振動が小さくなると温度が下がるんだ」


 イリスは僅かに口元を引き結んだ。

「……理屈は分からないけれど、確かに結果は出ているわね」



---


4 班の動揺


 侯爵子息は顔を赤くして叫んだ。

「ずるいぞ! そんな魔法、聞いたことがない!」

「別にずるくはない。ただ、やり方を工夫しただけだ」


 僕は視線を返さなかった。敵はまだ蠢いている。

 けれど周囲の仲間の目が、今までとは違う色を帯びているのを感じた。

 驚きと、畏怖と、わずかな希望。


 イリスが短く言い放つ。

「……続けるわよ。まだ奥が残ってる」


 僕らは再び陣形を整え、湿った闇の奥へと進んだ。



・共鳴の罠と決意


---


1 本巣の広間


 湿った石の通路を抜けた先、空間が一気に開けた。

 そこはかつての貯水広間。天井は高く、柱が林立し、中央には大きな水槽跡が口を開けている。

 だが今は水などなく、底には甲虫の死骸と黒い胞子が堆積していた。

 壁際には巨大な塊――胞子嚢の親玉が膨れ上がり、時折ぼこり、と息を吐くように震えている。


「……ここが巣か」

 イリスの声は硬い。

「数が多すぎる。燃やすにも空気が悪いわね」

 セレンは鼻を覆った。


 その時、ふいに耳鳴りが走った。

 ぎぃん、と。

 空間のどこかが震え、石壁が低く唸った。


「今の音……」

 僕は柱の影を見て、目を見開いた。

 そこに設置されていたのは、金属の枠に水晶を嵌め込んだ奇妙な装置だった。

 微かな魔力の波動を発し、空気を震わせている。


「魔道具?」

 セレンが眉を寄せた。

「共鳴させて……空気を揺らしている。だから胞子が膨張してたんだ」

 僕は低く呟いた。

「これを放っておけば、爆発的に胞子が弾ける」


 イリスの表情が険しくなる。

「つまり、誰かが仕掛けたということね」



---


2 群れの猛攻


 その瞬間、広間全体がざわついた。

 柱の影や天井から、さらに大きな甲虫がぞろぞろと姿を現す。

 今までの倍以上の数。殻は厚く、顎は岩を砕けそうなほど大きい。


「くっ……全員、陣形を!」

 イリスが叫び、ブラムが盾を構える。

 ルークが風を巻き、セレンが炎の魔法を放つ。


 炎と風切り音が響くが、効果は薄い。

 虫たちは怯まず迫り、ブラムの盾に激突した。

 金属が悲鳴を上げ、彼が膝をつく。


「持たない!」

「下がって!」


 僕は前に出た。

 装置の振動が耳に響く。

 これを止めなければ、胞子も虫も際限なく増える。



---


3 圧縮の一撃


 僕は右手を掲げ、小さな火を灯した。

 呼吸を整え、周囲の空気をさらに圧し固める。

 ――今度は一か所ではない。数本の柱の間にある空気を、まとめて押し縮めた。


 圧縮された空間に火を滑り込ませる。

 次の瞬間、青白い炎が一斉に膨れ上がり、甲虫の群れを呑み込んだ。


 轟、と。

 爆発音ではない。音を抑え込んだ、濃密な燃焼の唸り。

 甲虫の殻が焼け弾け、数匹が黒い塊となって崩れた。


「なっ……」

 ルークが目を剥く。

「一瞬で……こんな威力……!」

 イリスも思わず動きを止めた。


「大丈夫。空気を集中させただけ」

 僕は冷静を装った。

 だが掌は震え、熱で皮膚がじんじんと痺れている。



---


4 凍結の鎖


 それでも数はまだ多い。

 ブラムの盾を押し潰そうとする巨体の甲虫が、吠えるような音を立てて迫る。


 僕は再び地面に手をついた。

 床の湿気を感じ取り、魔力を流す。

 分子の振動を奪い、振動を小さく、さらに小さく。


 氷が走った。

 石の隙間に沿って、白い筋が一気に広がる。

 甲虫の足がそれに囚われ、がちりと固まった。


「今だ!」

 ルークが剣を叩き込み、セレンが炎魔法を放つ。

 氷に固定された虫は逃げられず砕け散った。


「……信じられない。子供が、こんな……」

 ブラムの声が震えていた。



---


5 装置の破壊


 まだ広間に振動が伝わる。

 魔道具の共鳴音が胞子を刺激し、親玉の嚢が今にも破裂しそうに膨れていた。


「装置を止めなきゃ!」

 僕は駆け出した。


 柱の根元に置かれた装置に手をかざし、魔力を流し込む。

 水晶の振動が逆流して耳を刺す。

 だが、物理は裏切らない。共鳴には逆位相がある。


 僕は逆の波を描いた。

 装置の振動読み取り、魔力で“逆向きの振動”を叩き込む。


 ぎぃん、と高音が跳ね、やがて装置はひび割れ、ぱりんと砕け散った。


 同時に、空気が静まり返った。

 親玉の胞子嚢は萎んでいく。



---


6 余韻


 広間には、倒れた虫の死骸と焦げた匂いだけが残った。

 仲間たちは一様に肩で息をし、僕を見つめていた。


「……何を、したの?」

 イリスの声は低い。

「少し……逆に振動させただけ。振動は重なれば消す事もできるんだ」

 僕は淡々と答えた。


 ルークが呆然と笑う。

「少しって……これ、子供がやる魔法じゃねえだろ」

 セレンも目を丸くしていた。

「こんなやり方、聞いたことない。誰に習ったの……?」


「誰にも」

 僕は小さく息を吐いた。

「ただ、現象を見て……考えただけ」


 沈黙が広がる。

 だが次の瞬間、イリスが短く言った。

「……いいわ。結果は出た。全員、生き残った」


 彼女の目は鋭いが、どこかに認める色があった。



---


7 決意


 地上へ戻る道のり、僕は心の中で自問していた。

 ――見せすぎたかもしれない。

 でも、仲間を守るためには仕方なかった。


 空を仰げば、夕暮れの光が赤く街を染めていた。

 この世界の空気、この世界の理。

 それを読み解けば、まだ無限に可能性がある。


(僕は――この世界の魔法を、物理の理と繋げる)


 心臓が静かに高鳴る。

 その鼓動は、誰も知らぬ新しい道の始まりを告げていた。



---



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ