第六章 王都の門、学び舎の影
・入城
王都は、地平に浮かぶ雲の塊みたいに大きかった。
近づくほど、壁は山に、塔は樹に見えた。石は新旧の層を縫い合わせたように積まれ、継ぎ目には鉛が走り、古い戦の痕をところどころに残している。人の手でできた地形――そう呼ぶほかない。
列は長い。荷馬車、騾馬、旅人、徴税台へ向かう商人たち。
門の前には、巨大な金属の輪が据えられていた。縁に六色の宝玉が等間隔に嵌め込まれ、くぐる人の“色”を測るという。
学識師が囁く。「都の“篩”だ。禁呪具と過剰反応を弾く。深呼吸して、普段通りに」
(普段通り――ね。普段がすでに“普段”じゃないんだけど)
列がじりじりと進む。門内からは市場の音が波のように押し寄せ、焼き菓子の匂いが胃の底をやさしく叩く。
僕は輪の機構を観察した。六つの宝玉はそれぞれ“窓”。通過する流れの偏りを増幅して色を返す。
ならば――偏りを作ってやればいい。六つすべてに細い道は通ったまま、ひとつだけ“楽”にする。土だ。最も無難で、騒がれにくい。
前の荷馬車が輪をくぐる。青がふわりとふくらみ、すぐ消えた。
番兵が手で合図する。「次!」
僕は輪へ一歩。胸の器に指を軽く触れる。
六つの窓に、同時に“細い圧”がかかる――それを感じるだけで、こちらからは何もしない。呼吸に合わせ、下腹に落としたまま、ごく浅く。
輪をくぐる瞬間、足裏から石へ抜けた重みの“比重”を、ほんの少しだけ増やす。
宝玉のひとつが、鈍い黄に短く灯って、消えた。土。
番兵が肩をすくめる。「はい、次」
学識師が視線だけで“よくやった”と告げた。僕は何も答えない。“普段通り”に、輪を離れた。
門の内側は、僕の知る世界の“密度”をいきなり上げたみたいだった。
大通りを埋める人、人、人。馬具の軋み、鐘の響き、織り物の色。香辛料と油と鉄が一度に鼻へ押し寄せる。
僕は歩幅を縮め、流れの“層”に身を合わせる。早い層は中央、遅い層は軒の影――第五章で学んだ街の歩き方がそのまま通じた。
「はぐれるなよ、レオン」
護衛の騎士が肩越しに声を投げる。
「うん」
そのときだった。前方の角から、人の波が逆流してきた。
叫び声。「下がれ! 樽だ、樽が!」
見ると、坂の上から荷車が一台、樽を積んだまま暴れ下りてくる。御者はいない。車輪が石畳で跳ね、樽がひとつ、またひとつ弾み、通りへ転がり出た。
人が散る。子どもが泣く。
荷車は、このまま大通りの中央を突っ切れば、先の露店に突っ込む。
(最小。最小で止める)
呼吸をひとつ。
荷車の右の車輪、軸受け――摩擦と空気の流れ。
僕は胸の器から糸を一本、右車輪の前へ落とした。
“乾かす”ではない。“湿らす”でもない。
空気の層ひとつ分、流れを遅らせる。
歯車の噛み合いのうち、たった一歯だけ重くするイメージ。
ガタン――荷車がわずかに傾く。
右車輪が石畳の段差に爪を引っかけ、速度が一度だけ落ちた。
その一拍で、僕はもう一度だけ“遅れ”を入れる。
荷車は勢いを失い、斜めにずれて、建物の壁に体当たり――と見せかけて、手前の藁山に突っ込んで止まった。
樽が転がってきて、僕の足元でごつんと止まる。中は空だ。音が軽い。
広場に、安堵と笑いが戻る。
御者が青ざめた顔で駆け下りてきて、何度も頭を下げた。
「すみません、すみません……!」
騎士が肩で息をしながら僕を見る。
学識師が目だけで小さく首を振った。
――やりすぎるな。目立つな。分かってる。
「さ、行こう。日が傾く」
学識師の声で、僕は樽から視線を外した。
王都の中心へ向かうにつれ、家々は高く、道は広くなる。
やがて、白い石の広場に出た。噴水の水が高く上がり、陽を砕いて飛沫が光を撒く。
広場の向こうに、尖塔が群れをなして立ち上がっていた。丸屋根、針のような塔、鱗のような屋根瓦。
その一角に、僕の目的地――学び舎の外郭壁がある。古い修道院を改築したのだろう、回廊のアーチが幾重にも連なり、塔には六色の旗が翻っていた。
「ここが、王都学舎・辺境支部の本舎だ」
学識師があごで示す。
「入学試補は三日後。今日は宿舎の手続きと、街の“位置”を覚える」
うなずいたその時、広場の一角から甲高い声が飛んだ。
「どけ、どけぇ! 貴族様のお通りだ!」
銀縁の飾りを付けた馬車が人波を割って進む。前を走る従僕が杖で道を叩き、子どもを追い払う。
先ほどの騒ぎで押し潰された露店の店主が、馬車のホイールに引っかかりそうになる。
僕は思わず半歩踏み出し――袖を掴まれた。騎士だ。
「出るな。相手が悪い」
学識師も、微笑を崩さず小声で囁く。
「王都では、権限と面子が先に歩く」
馬車の窓が開いた。
年の近い少年が、つやのある黒髪を指で払ってこちらを見る。
目が合う。
彼は退屈そうに口角をつり上げ、杖を指先でくるりと回した。
杖の先が、僕の胸の前の空間を、ほんの“なでる”。
空気の密度が一瞬だけ変わり、僕の髪がぴくりと逆立つ。
――小手調べ、か。
僕は何もしない。
ただ、杖先が撫でた空間の“縁”を、指でならすように滑らかにしてやる。衝撃は広がらず、そこで消える。
少年が眉を寄せる。
御者が鞭を鳴らし、馬車は去った。
周囲のざわめきが戻る。誰かが「侯爵家の三男坊だ」と囁いた。
学識師は肩をすくめた。
「王都には王都の“子ども”がいる。今のはそのひとりだ」
胸の器は静かだ。
怒りで熱くもならず、恐怖で縮みもせず、ただ深く在る。
(やってやれないことはない。――けれど、やるべき時は今日じゃない)
◆
学舎の受付棟は、白い石と暗木でできた涼しい建物だった。
床は磨き込まれ、窓から差し込む光が四角く並ぶ。
受付の書記が僕の名前を記し、羊皮紙を三枚渡す。寮の規則、試補の要項、学費免除の申請書――最後の紙に、学識師の印がすでに押されていた。
「君は“推薦扱い”だ」
学識師が囁く。
「だが、慢心するな。王都は“推薦された子ども”で満ちている」
寮の部屋は二人部屋だった。
扉を開けると、大きな鞄が先にひとつ置かれている。
しばらくして、革靴の音。
「やあ、君がレオン?」
背の高い少年が入ってきた。栗色の髪、笑うと片方のえくぼが深い。
「俺はルーク。商家の三男。風の適性だってさ」
「レオン。村の、出身」
「よろしく。――あ、堅苦しいのはやめにしない?」
彼はあっという間に距離を詰め、僕の荷を半分棚に乗せた。
「学舎は広いし、決まりも多い。けど、案外みんな“人”だから。困ったら言って」
すぐに、廊下からぞんざいなノックが響いた。
「新入りさんはどこかな?」
姿を見せたのは、金の髪を緩く結った少女。制服の着こなしはきりっと正しく、胸の徽章が誇らしげに光る。
「私はイリス。上級科の副級長。新入生への案内役よ」
彼女は僕の手を見る。
「手、きれいね。土を触ってるのに爪が割れてない」
「割れる前に削っていますので」
イリスが目を細める。「へえ。――ところで、さっき侯爵家の坊に当てられなかった?」
「見てました?」
「学舎の周りは全部、目。覚えておきなさい。ここでは“見せ方”ひとつで友も敵も変わるわ」
イリスは寮の規則を早口で説明し、最後に扉に鍵をかける方法を示した。
「前に火で焦がして壊した例があるから注意して」
「僕、光も火も、強くない」
「……そう。あなたの“色”は?」
「土」
イリスはほんの一瞬だけ目を伏せ、口元に微笑を作った。
「安定の土ね。なら、部屋の棚は任せたわ。傾きがあるから調整して」
「うん」
彼女が去ると、ルークが壁にもたれて笑った。
「ふー。彼女、怖いけど悪い人じゃないよ。貴族だけど、あんまり偉ぶらない」
「貴族、か」
「あー。ここは“貴族の子”も“学問の子”も混ざっている。だいたい揉めるがな。」
彼は肩をすくめる。
◆
夕刻、学舎の中庭で短いオリエンテーションがあった。
教務官が淡々と話し、試補の科目が読み上げられる。
「学理筆答、識見口頭、器量測定、属性実技」
ざわ――と列が揺れた。
“器量測定”。器の深さは幼少期で定まるのが常識。つまり、ここでは“定まった器”を量るだけだ。
僕は胸の器に軽く触れる。
深い。静か。まるで深海みたいに。
(“定まった”ね。――定められた、とは言ってない)
解散になり、人の波が散っていく。
学識師が回廊の影から現れ、僕だけに聞こえる声で言った。
「三日、短いようで長い。見よ、聞け、嗅げ。王都は情報が音のように漂っている。拾い上げるのは君の目だ」
「先生」
「ん?」
「僕が、どこまで“見せていいか”は」
「君が選べばよい。――ただし、“人を悲しませるな”」
学識師は目尻に笑い皺を寄せ、塔の影へ消えた。
中庭の噴水に夕陽が刺さり、六色の旗が静かに揺れる。
遠くの塔で鐘が鳴り、音が回廊をくぐって、遅れて僕の胸へ届いた。
器の底で、音がひとつ、響いて消える。
(明日は、街を歩こう。図書塔、錬金棟、試補の会場。)
風が、ほんの少し、土の匂いを運んできた。
王都にも土はある。誰かが耕し、誰かが踏み、誰かが倒れ、誰かが立ち上がる場所だ。
僕は指先で寮の鍵を回す。
カチ、と小さな音がして、扉が閉じた。
夜が、王都の上にゆっくり降りてくる。
灯りが一つ、二つ、塔の高みから地へ降り、蜘蛛の糸みたいに通りを繋いだ。
その光の網のどこかで、確かに新しい頁がめくられる気配がした。
僕は深く息を吸い、吐いた。
胸の器は静かに広く、まだ見ぬ明日に、波紋をつくらないまま備えていた。
入学試験と試験官たち
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1 試験塔へ
三日後の朝。
王都の空は透き通るような青で、塔の影が石畳を長く横切っていた。
学舎の中央にそびえる「試験塔」は、他の建物と違って白一色ではなく、六つの色石が壁面に組み込まれていた。光を受けて淡く輝き、あたかも塔そのものが“魔力の結晶”であるかのように見えた。
受験者たちが列をなし、塔の扉の前で名前を告げて中に入っていく。
緊張の匂いが漂う。衣擦れの音もいつもより大きく響いていた。
中には貴族の家紋を縫い込んだ上等な服を着る子、庶民らしい質素なチュニックの子もいる。
年齢は僕と同じくらいから、もう少し年上に見える者まで。皆、視線を逸らしつつも互いを意識していた。
「緊張してる?」
同室のルークが笑顔で僕の背中を軽く叩いた。
「ちょっと」
「俺も。けど、筆記ならなんとかなるかな。商人の家で帳簿漬けだからね」
ルークの笑顔に少し救われる。
受付で名前を告げると、水晶盤のような小さな石札を渡された。
そこには番号が刻まれている。受験番号。
札を握った瞬間、冷たい波が掌から腕に伝わり、胸の器がわずかに震えた。
(これは……“識別”か。番号札が持ち主の魔力を記録するんだな)
興味に目を細めつつ、塔の中へ足を踏み入れる。
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2 筆記試験
試験室は広間のように広く、机が整然と並んでいた。
天井からは魔石灯が吊るされ、光が一様に降り注ぐ。
黒衣を纏った試験官たちが、沈黙を強いていた。
「第一試補、学理筆答。開始」
試験用紙が配られ、僕は目を通す。
設問は基礎魔導理論――例えば「火属性はなぜ熱を生むのか」「風魔法で矢を加速させる原理は何か」など。
受験者の大半は、習った通りの答えを書くはずだ。「火は炎の精霊が宿るから」「風は精霊の加護により速さを増す」などと。
だが僕の頭には、別の言葉が浮かんでいた。
――熱は分子の運動。炎は酸素と燃料の化学反応。
――風の加速は圧力差による流体力学。
(さて……どこまで書いていいものか)
迷った末に、僕はこう記した。
「火属性の魔力は、対象物の分子運動を活性化させる作用を持つ。結果として熱が発生し、炎として視覚化される」
「風魔法による加速は、空気圧の勾配を作り出すことで対象に推進力を与える。この現象は“流れの差”として説明できる」
横目で他の子の答案を見ると、「精霊が力を貸すから」と一行で終えている者も多い。
僕の筆記は誰よりも長く、紙を埋め尽くしていた。
試験官が巡回してくる。僕の答案に目を留め、眉をひそめた。
けれど次の瞬間、彼は小さく口角を上げた。
――興味を持ったのだ。
試験時間が終わり、答案が回収される。
鉛のような緊張が解けた瞬間、胸の奥が少し熱くなった。
(書きすぎたかもしれない。でも……嘘は書いていない)
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3 識見口頭試験
次は小部屋での口頭試験だった。
試験官は三人。中年の男と、白髪の女、そして若い神官風の男。
机を挟んで座らされ、質問が始まった。
「レオン。魔力の器について知っているか」
「はい。生まれながらに定まり、一生変わらないとされているものです」
「その通り。では、なぜ変わらないと考えられている?」
「……それは、観測した限りでは“増えた者”がいないから、だと思います」
三人が顔を見合わせる。
白髪の女が目を細める。
「では、もし器を増やせるとしたら、どう説明する?」
喉が鳴った。けれど、逃げるつもりはなかった。
「器は“構造体”だと考えます。筋肉が鍛錬で太くなるように、使い方次第では広がる可能性があります」
沈黙が落ちる。
若い神官が冷ややかに笑った。
「詭弁だな。器は魂の大きさだ。鍛えて増えるなど、聞いたことがない」
「聞いたことがないからといって、不可能とは限りません」
中年の男試験官が手を上げて止めた。
「よい。ここまでで十分だ」
部屋を出た瞬間、心臓が高鳴っていることに気づいた。
(やはり言いすぎたか……でも、僕の中で“確か”なんだ)
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4 器量測定
広間に戻ると、床に大きな水晶盤が据えられていた。
中心に立つと、盤がその者の器を光で示すという。
順番に受験者が進み、光が強さを示す。
小さな器なら淡い輝き、大きければ鮮やかに。
「次、レオン」
名前を呼ばれ、僕は盤の上に立った。
胸の器に意識を合わせる。深く、静かに息を整える。
水晶盤が低く唸る。
光が淡く灯り、次第に強く――。
だがそこで止まらず、さらに強く、さらに深く。
盤全体が眩しく白光し、周囲の子が思わず目を覆った。
「な……!」
「計器が振り切れている!」
「馬鹿な、こんな値は……!」
試験官たちがざわつき、何人かは慌てて符を走らせる。
中年の男試験官が声を張り上げた。
「落ち着け! 故障かもしれん!」
だが白髪の女は、僕をじっと見つめていた。
「……この子、器を“拡張”している」
その言葉に、空気が凍った。
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5 属性実技
最後の試験は属性魔法の実技。
石壁に向かって自分の得意な魔法を放つ。
順番が来て、僕は土属性だと申告して立った。
掌をかざし、石壁の前の地面をわずかに盛り上げる。
柔らかな丘が生まれる。
試験官たちが頷く。
――それで終わるはずだった。
だがそのとき、意識の片隅から水の“流れ”が滲み出した。
丘の表面がしっとりと濡れ、草の芽が顔を覗かせる。
さらに風がさやさやと吹き、芽を揺らす。
「……複数属性?」
「馬鹿な、複数の適性など……!」
受験者たちの視線が突き刺さる。
若い神官が立ち上がり、冷たい声を放った。
「危険だ。この子は規律を乱す。学舎に入れるべきではない」
空気がざわめき、場が揺れた。
僕は拳を握る。
胸の器は、深く沈んだまま。
(危険……それでも僕は、この世界を知りたい。学びたい)
その時、試験官席の奥で誰かが手を上げた。
重い声が広間を満たす。
「――決定はまだ早い。結論は後日、評議で下す」
・学び舎での始まりと誓い
1 合否の発表
三日後。
学舎の鐘が朝を告げ、寮の廊下にざわめきが走った。
受験者たちは一様に緊張した顔をして、試験塔前の広場に集められる。
掲げられた羊皮紙には、名前がびっしりと記されていた。
合格者の名。
「ルーク・フェルマン……あった! やった!」
同室のルークが僕の肩を揺さぶり、少年のように飛び跳ねた。
「ほら、レオン! 君も探せ!」
僕は視線を走らせる。
“レオン・カルディナ”――そこにあった。
胸の奥がじんわりと温かくなる。
「……あった」
「でしょ? これで君も俺も学舎生だ!」
広場は歓喜と落胆で二分されていた。泣き崩れる子もいれば、友人同士で抱き合う者もいる。
だがその喧噪の中、ひときわ冷たい視線を感じた。
顔を上げると、例の神官風の試験官が人混みの向こうから僕を睨んでいた。
“危険だ”という言葉が再び脳裏に響く。
(……合格させてくれたのは、誰かの判断。だが、ここから先は自分で証明するしかない)
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2 学び舎の生活開始
その日から、学舎での生活が始まった。
午前は講義、午後は演習。
教壇に立つ教授たちは厳しく、同時に知識の泉でもあった。
「魔法は感情によって揺らぐ。怒りは出力を増すが、制御を失わせる」
「光と闇は表裏であり、同根の流れを持つ」
「魔力回路は身体に刻まれた“見えない管”だ」
僕は黒板の文字を写しながら、心の中で置き換えた。
――感情はエネルギー出力の増減係数。
――光と闇は波と粒の二重性。
――魔力回路は血管系のような伝導路。
知識がつながるたびに、胸の器が静かに震えた。
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3 仲間たちとの出会い
寮に戻ると、ルークが机に書類を広げていた。
「レオン、見てくれよ。俺たちの班分けだ」
羊皮紙には、学舎での演習班の名簿が書かれている。
――ルーク・フェルマン
――レオン・カルディナ
――イリス・ヴァルシュタイン
「イリスって、あの上級科の副級長?」
「そう。どうやら指導役として一緒に組まされるらしい」
ルークが目を丸くする。
「ってことは……俺たち、いきなり貴族と一緒か!」
そこへノックがあり、扉が開いた。
金の髪をきちんと結い上げたイリスが立っていた。
「予想通りの反応ね。庶民と貴族が同じ班になるのは珍しくない。大事なのは、互いをどう見るか」
彼女は机に名簿を置き、真剣な眼差しで僕を見る。
「……あなた、試験で器を揺らしたわね」
僕は言葉を失う。
「隠さなくていい。私は見ていた。普通じゃない。でも、それを“制御できるか”が問題」
「……できる」
「そう。なら証明してみなさい。班の仲間として」
イリスは短く告げて、去っていった。
背筋が自然と伸びた。彼女の言葉は重いが、信じようとしている響きがあった。
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4 夜の忠告
その夜。
寮の廊下を歩いていると、回廊の影から学識師が現れた。
「おや、レオン。今日はどうだった?」
「……いろいろと驚きました」
「だろうな」
彼は窓際に立ち、夜空を見上げる。星が王都の灯火に負けず、ちらちらと瞬いていた。
「君は特別だ。だが、特別は目を引く。目を引く者は、狙われる」
「狙われる……」
「だから、君自身で取捨選択をしろ。どこまで見せ、どこまで隠すか。どこで力を使い、どこで使わないか」
学識師の声は柔らかいが、奥に鋼の響きを含んでいた。
「君の知識は宝だ。だが、宝は晒せば奪われる」
言葉が胸に深く刺さる。
僕は唇を引き結んだ。
「……分かりました」
「うむ。その調子だ」
学識師は肩を叩き、塔の影へ消えた。
残された僕は夜風に吹かれながら、胸の器に耳を澄ませた。
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5 誓い
静かな寮の部屋。
窓から月明かりが差し込み、机の上に白い光を落としていた。
ルークは寝息を立てている。
僕は一人、窓辺に腰を下ろした。
(僕は、この学び舎で……いや、この世界で、必ず真理に辿り着く)
目を閉じる。
胸の器は深い海のように広がり、その底にはまだ無数の未知が眠っている。
物理学者だった自分が、この魔法の世界で再び“学ぶ者”として立っている。
未知に触れ、解き明かし、そして人の役に立つ。
(誰も泣かせない。そのために、力を使う。世界を知る。真理を照らす)
窓の外で鐘が鳴った。
その音は夜空に吸い込まれ、やがて僕の胸に静かに響いた。
僕は深く息を吸い、静かに吐いた。
――この世界で、必ず探求を果たす。
誓いは、夜の星々に吸い込まれていった。
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