表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/9

第一章 赤子の目覚め


1 大きすぎる世界


 目を開いたとき、世界は自分の何十倍も大きかった。

 天井の梁は山の稜線のように遠く、窓の白い光は湯気みたいに揺れている。

 身体は思うように動かず、喉だけが勝手に声を上げる。泣くという行為が、これほど忙しいとは知らなかった。


「レオン。僕たちの子だ」

「よく来てくれたね」


 男の低い声と、女の柔らかな声。

 腕に抱かれ、頬をふわふわの布にこすりつける。胸の奥で、温かい流れがゆっくりとうごめいた。

 血流でも呼吸でもない。意識を向けると応える、不思議な“力”。


(……これは異質な力。エネルギーの一種。人が持つ、生得の貯蔵と流通)


 赤子の喉で泣き声を上げながら、僕は観察した。自分自身を。家を。ひとの声を。


 父はロウラン。日焼けした頬に笑い皺、手のひらは固く、剣の柄が似合いそうな骨格をしている。

 母はエリシア。指先の動きがやわらかく、歌うように台所を回る人。

 彼らの笑い声は、この世界でいちばん最初に僕が覚えた音の組み合わせだった。


     ◇


 昼はパンとスープの匂い、夕方は藁と土の匂い。

 裏庭には小さな畑。畝の間を鶏がつつき、どこからか子どもたちの笑い声が聞こえる。

 窓越しに風の動きを目で追うと、胸の奥の“脈動”が微かに増減するのが分かった。


(外界の変化に、内側が反応する。入力があるなら、きっと制御もできる)


 まだ言葉はうまく出ない。代わりに、沈黙のまま世界を測った。

 赤子の目は、よく見える。大人よりもずっと、まっすぐに。



---


2 器の話


 ある夜、父が暖炉の前で掌を上に向けた。

「見てろよ、レオン」

 短い詠唱。指先に豆粒の火が咲いた。母が小さく歓声を漏らす。


「これが魔法。人はみんな、生まれつき“器”を持っているの。魔力をためておく器」

 母は僕の頬に手を当てて微笑む。

「器が大きいほど、強い魔法が使えるの。……大きさは最初から決まっていて、変わらないのよ」


 父が言葉を継ぐ。

「貴族さまはだいたい器がでかい。だから、戦でも冒険でも頼りになるんだ」


(“変わらない”――本当に?)


 胸の奥の流れを、そっと動かしてみた。

 意識を指先へ滑らせると、皮膚の裏で小さく温度が上がる。

 火は生まれない。けれど、確かに“運べた”。


(流せるなら、貯め方も、減らし方も、変えられる)



---


3 初めての失敗


 眠れない夜があった。外では雨。屋根を打つリズムは規則的で、眠気よりも好奇心が勝った。

 布団の中で、僕は胸の器にたまった魔力を、指先までゆっくり送った。

 温かい。うまくいっている。なら、もう少し。


 もう少し。

 もう、少し――。


 世界がぐらりと傾き、黒が縁から溢れた。

 次に気づいたとき、朝の光が窓を白くしていた。母の顔がすぐそこにある。


「レオン、よかった……。昨日はずっと眠ってたのよ」


 父が額に手を置く。

「熱はない。疲れただけだな」


 胸の奥に耳を澄ます。器の中は、空っぽに近い。軽い、空洞の響き。

 内壁に、微細な“きしみ”の気配がある。


(……ひび?)


 昼前、再びそっと魔力を動かした。器は、音もなく満ちてくる。

 きしみは消え、代わりに内側が滑らかになっていた。

 流れは昨日より太く、明らかに器そのものが広くなっているのを感じた。


(使い切る→ひび→休息で修復→拡張。筋肉の超回復と同じだ)


 テーブルの端に置かれた木の匙が光を拾っている。僕はそれを見つめながら、心の内でうなずいた。


(検証できる。再現できる。――なら、法則だ)



---


4 遊びの顔をした訓練


 翌日から、僕は“遊び”に工夫を混ぜた。

 母が煮るミルクの鍋に、小さく手をかざす。ほんの少しだけ温度を均す。

 父が火打ち石で湿った火口をつけようとする時、周りの空気を乾かすつもりで魔力を指先へ。

 使いすぎない。器の底が見えたら止める。眠る。食べる。――そして、また少し使う。


「レオン、今日はよく寝たね」

「よく食べるようにもなったな」


 母は蜂蜜を薄く溶いた温い水をくれた。

 甘さが喉を通るたび、器に静かに魔力が戻ってくる感覚がある。


 夜、雨がやんだ。屋根の雫が時々、ぽとりと落ちる。

 僕は眠気に逆らわず、目を閉じる。内側で微かな“修復音”がする。

 翌朝、器はまた、ほんの少し広がっていた。


 繰り返すうちに、僕は自分のための小さなルールを作った。

 ――器が八割減ったら止める。

――食べる。眠る。泣きたい時は泣く(赤子は、泣くのが仕事)。


 父は時々、僕を肩車して村を一周してくれた。

 土の道、石積みの井戸、羊の群れ。目に映るものすべてが新しい。

「ほら、あそこがギルドの出張窓口だ」

 小さな木の掲示板に羊皮紙が留められ、人々が依頼を眺めている。

「父さんも昔は、そこから仕事を受けてたのよ」

 母が笑って袖を引く。「今は引退。ね?」

「お、おう」


 父の照れ笑いが面白くて、僕は赤子らしく笑った。

 笑うと、胸の器がよく育つ気がした。根拠はない。けれど、とても大事な“仮説”だった。



---


5 村の子どもたち


 歩けるようになると、庭で近所の子たちと遊ぶようになった。

 薬草屋の娘ミーナは、よく笑う。小さな花を髪に挿し、草むらの虫や匂いに詳しかった。

 臆病なトマは、僕の後ろに隠れてばかりいるが、逃げ足は速い。


「レオン、こっち!」

 ミーナが呼ぶ。

「どんぐりの王様見つけた!」

 トマは目を輝かせ、「ぼ、ぼくにも!」と手を伸ばす。


 僕はどんぐりを二つに分け、ひとつをトマに渡した。

「大事に持ってて。殻が割れないように」

「う、うん!」


 遊びの最中でも、僕は訓練を忘れない。

 転んだ膝に手をかざし、傷の周りの熱をほんのわずかに取る。

 泥水をかき分け、指先だけ乾いた空気にする。

 誰も気づかないくらいの小さな工夫。けれど、その小ささがちょうどいい。

 器は、静かに、確実に育つ。



---


6 父の昔語り


 夜。父が焚き火の前で椅子に座り、僕を膝に乗せる。

「昔な、北の峠でな。オーガの巣を見つけたんだ」

「オーガ?」

「でかい魔物だ。怒らせると厄介だし、頭は悪くない」


 父の話はいつも、危険の匂いと、最後に残る温かさを持っていた。

 仲間の名前を言うときの顔が好きだ。

 誰かを信じること、頼ること、助けること。

 僕は話の途中でうとうとしながら、胸の器の“底”を確かめる。

 まだ深くなる。まだ行ける。


「父さん」

 言葉にならない声を漏らすと、父が笑った。

「レオン。お前はいつか、俺の知らない遠くまで行くんだろうな」

 母が湯気の立つカップを運んでくる。

「遠くに行く前に、まずは毎日しっかり寝ること。ね?」


 僕は頷いて、母の指を握った。

 眠ることは、器の研究において最重要の“実験工程”だ。ここを怠ると、結果が出ない。



---


7 器の天井


 三度、季節が巡った。

 村の教会の鐘が涼しく響き、空気は高く澄んでいる。

 三歳の誕生日の少し前、僕はいつものように“器の中を減らし”、眠った。

 朝、胸の内側に耳を澄ます。

 ――広がらない。


(……来たか)


 器が硬く“定着”した感触。

 小さなひびはもう入らない。修復も起きない。

 代わりに、器はこれ以上ないほど滑らかで、重く、手応えがあった。

 底が、深い。

 平民の子どもの何十倍。――いや、大人の冒険者やりも大きく、

 村の噂に出てくる「名のある貴族」の魔力量。それを、はっきりと上回っているのが分かった。


 母が肩に布をかけてくれる。

「寒くない?」

「だいじょうぶ」

 幼児の舌でそう言うと、父が膝を叩いた。

「今日は肉を焼こう。三歳は盛大に祝うんだ」


 祝いの席。

 村の人々が集まり、パンとスープと、父の自慢の肉。

 ミーナが花の輪を編んで持ってきて、トマは緊張で声が裏返る。

「レ、レオン……おめでと」

「ありがとう」


 僕はかすかに笑って、胸の内側で“終わり”を受け入れた。

 もう器は広がらない。ならば、次は“使い方”だ。

 溢れさせず、必要な場所へ。熱で焦がすのではなく、温度差でやさしく包む。

 力の大きさを誇るのではなく、最小の出力で最大の結果を出す――それが、研究者の矜持だ。



---


8 内緒の計測


 三歳になった翌週、僕は内緒の“実験”をした。

 裏庭の樽に冷たい井戸水を満たし、母が洗濯を広げに出ている隙に、手のひらをそっと水面へ。

 器の一割――いや、八分目も使わない。

 水分子の動きを揃える気持ちで、ほんの少し“揺らぎ”を与える。

 五秒。十秒。二十秒――。


 水面に白い湯気が立ち、樽の底から泡がぽつぽつ上がってきた。

「レオン? 何してるの?」

 母の声。僕は慌てて手を引っ込める。

「おみず、あったかい」

 母が覗き込み、目を丸くした。

「……不思議ね。今朝は冷たかったのに」


 父が戻ってきて樽に手を突っ込む。

「ぬるいどころか、ちょっと熱いぞ」

 僕は肩をすくめ、どうにか子どもらしく笑った。

 父は眉をひそめ、すぐに笑い直す。

「まあいい。レオンが元気なら、それが一番だ」


(この“ぬるさ”で、僕の器の桁が分かる。いまの出力はごくわずか。……それでも、結果ははっきり出る)


 誇らない。騒がない。

 ただ一枚、心のノートに正の記号を増やす。



---


9 祈りと常識


 日曜。母に手を引かれて教会へ行く。

 石壁は冷たく、色ガラスに六つの色――火、水、風、土、光、闇。

 司祭は穏やかな声で言った。

「人は生まれつき“器”を授かり、その大きさは変わらぬ。神の配剤のままに、己を知るのだ」


 僕は黙って聞いた。

(この人は嘘をついているわけじゃない。知らないのだ。三歳までなら、器は広がる――誰も知らない事実を)


 祈りの列に並び、母の手を強く握る。

 母の指先は少し冷えていた。僕はこっそり、手のひらの内側を温める。

 ゆっくり、ゆっくり。誰にも気づかれない速度で。

 母の肩の力が抜け、微笑みが深くなる。


「ありがとう、レオン」

「なにが?」

「……内緒」


 秘密を共有した合図のように、母は目じりで笑った。

 秘密は、守るほど甘くなる。けれど、それは誰かを困らせない範囲でいい。



---


10 小さな危機


 春。

 村の外れで、野犬に似た小型の魔物が出た。

 鋭い鳴き声。羊が怖がって柵を飛び越え、子どもたちが泣き出す。

 父と男たちが駆け出し、棍棒や鍬を手に囲む。


 僕は母の腰にしがみつきながら、視線だけで状況を追った。

 危ない。……けれど僕が出る場面じゃない。

 父が足を滑らせ、短く顔をしかめた。

 膝を打ったな、と分かった。

 僕は母の手を引く。

「おうち。くすり」

「そうね。ミーナの家に寄って薬草を」


 家に戻る道すがら、僕は足を止めた。

 男たちの方角から、乾いた音。火打ち石の不調の音。

 草は湿っている。下手に火を使えば燃え広がる。

 僕は母の袖を握ったまま、そっと空気の“水分”に触れた。

 男たちと魔物の周辺――半径数歩だけ、露を落とし、土を湿らせる。

 ほんの少し。器の一滴。

 遠くで、火花がようやく生まれ、魔物が怯む声。

 父の怒鳴り声。仲間の笑い声。

 母が不思議そうに空を見上げた。

「風向き、変わった?」

「たぶん」


 その夜、父は笑って言った。

「上手くいった。草が燃えずに済んだ。運が良かったんだな」

 僕は頷き、スープを飲む。

(運じゃない。けれど――それでいい)



---


11 三歳の誓い


 三歳の誕生日の夜、家の庭に小さな灯りをいくつも並べた。

 父が剣の代わりに、細い木の棒を一本くれた。

「いつか本物を持つときまで、これで構えを覚えな」

 母は毛糸で編んだ手袋をくれた。

「冬も手が冷えないように」


 僕は木の棒を両手で持ち、足を半歩開く。

 棒を前に突き出すのではなく、心を前に出す気持ちで。

 器の内側で、力が静かに波紋を広げる。


(僕は、この魔力を、誰かを泣かせないために使う)


 焚き火の火がぱちりと爆ぜた。

 父の横顔、母の笑顔。

 この家の灯りが、僕の最初の研究室であり、世界への小さな窓だ。


 空を見上げる。星が多い。

 遠く、山の稜線の向こうに、黒い揺らぎがほんの一瞬見えた気がする。

 気のせいかもしれない。

 けれど、胸のどこかで、見えない波が確かに立っていた。


(行こう。観察し、考え、確かめ、記す。――僕はこの世界を学ぶ)



---


12 幼児の研究ノート(記憶の紙片)


・器は三歳まで拡張可能。方法:使い切る→休む→食べる→眠る。

・拡張の兆候:内壁の“きしみ”。修復後、流路の太さが増す。

・危険:連続“空っぽ”は禁止。意識が遠のき、母が泣く(重要)。

・現状:平民平均の数十倍。貴族の標準を大幅に超過。

・目標:魔力の運用法の最適化。最小出力で最大成果。冷やす・温める・乾かす・湿らす――生活のための魔法。

・信条:一、驕らない。二、隠さないが誇示しない。三、泣かせない。四、記憶する。



---


13 眠りの前に


 布団に潜り、母の歌を聞く。

 あの歌は古い子守唄で、村の子は皆、いつのまにか覚える。

 僕は目を閉じ、歌の拍に合わせて、器の表面をならす。

 今日も少し使い、よく食べ、よく眠る予定だ。


「レオン」

「ん」

「明日は市の日。パンを買いに行こうね」

「パン」

「甘いの、少しだけ」


 父が間の抜けた欠伸をして、母が笑う。

 いつも通りの音たちが、薄い布団の上に降り積もる。

 僕はその音を、ひとつひとつ、器の底に沈めていく。

 その沈黙の手触りが好きだった。


(世界は、まだ未完成だ。だから面白い)


 眠りが来る。

 この世界の最初の章は、ここまで。

 続きは明日。明日は、もっとよく見える。


 目を閉じる直前、胸の内側で、確かな脈が一度だけ強く打った。

 それは、合図のように思えた。


 ――おやすみ、レオン。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ