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侯爵家での暮らしは、今までと変わらなかった。唯一変わったのは、侯爵家の人間として仕事が与えられたことだ。
初夜であった結婚式当日の夜。寝室に現れなかった夫にイライラとしていたが、後から思えばそれで良かったのかもしれない。
美しいと言われるゼオンの容姿には、微塵も魅力を感じない。それどころか、あの冷たい眼差しには嫌気がさす。
次期侯爵にないがしろにされた私は、使用人からも夫人として扱われることはなかった。
日当たりの悪い端の部屋を与えられ、仕事に取り組む日々。適当で冷めている食事を一人で取り、世話をするはずの侍女は私の宝飾品を盗っていく。気づいたら無くなっていたものは、1つや2つでは無い。
(どうせ私に似合うものでは無いのだし構わないわ。それに、今報告を上げてゼオンに構われるのはごめんだわ。)
夫であるゼオンは、仕事から帰ることはなく、王宮にある宿舎に寝泊まりしていると聞いた。家のことに関しては報告書を上げているのだと言われ、私についてもそんなものだろうと理解した。
(あの人は、仕事以外に大切なものなどないのでしょうね。)
初めから期待していなかったゼオンに呆れながら、私は内心喜んでいた。
ーー貴族は3年間お手付きがなく、後継ぎができなければ片方のサインのみで、離婚が成立する。
悪あがきとして過ごした1年で知っていた法律。
淡々と仕事をしながら、私の口は弧を描いた。
ばれないように、ゆっくりと準備を進めていく。実家から持ってきた荷物に、入れていた宝飾品を出かけたついでに売り払った。使用人は信用ができないために、部屋に隠し場所を細工した。
学園で手に入れていたアイテムバックを見て、ファンタジーの定番だと、浮かれていたことを思い出す。
学園で普通の魔法薬を作り、密かに売りに出していたお金を使って、性能がいいものを買ったのだ。そのおかげで、容量が多く思ったより物が入る。更に時間停止機能が着いていて、食料も入れることが出来る。必要になりそうなナイフや保存食、便利な魔道具を揃えた。
引き出しの奥に板を挟み、見た目ではわからない隠し場所に着々と準備をした。
19歳の誕生日。
朝から無表情を取り繕うのに苦労した。気を抜けば、馬鹿にしたような笑いが零れてしまいそうだったから。
私がこの日にしたのは、16歳の誕生日が婚姻を結んだ日だったからだ。18歳の時に出ていこうと考えたこともあったが、侯爵夫人として探されては堪らない。
ーー侯爵家はそれだけの力を持っているから。
確実に逃げたかった。婚姻を無効にして関わりを断てば、無関係の他人を探すことは侯爵家でも難しい。
いつも通りの仕事を終え、部屋に戻る。この時間からは、使用人が私の部屋へ来ることはない。翌朝起きてこない私を呼びに来るまで、私がいなくなっても気づくことはない。
用意していた荷物を持ち、着替えや必要なものをトランクへ詰める。
「はは。私がこんな事考えているなんて、思いもしないでしょうね。」
そう呟いて息をつくと、窓からトランクを外に放り投げる。3年間過ごした部屋は、足を踏み入れた時と何一つ変わらない。
「特に持っていくものもないわね。」
外歩き用のブーツを履いて窓に足をかける。アイテムバックが腰にあることを確認して、私は外に飛び出した。この日のために練習していた、髪色を変える魔法で目立たない暗めの茶色へ変える。ローブを着ると足早に屋敷の敷地から出た。
暗い夜道を歩き、まずは教会へ向かった。着いた教会で不思議そうにする司祭に
「宣誓を取り消しに来たの。」
というと、驚いた顔をした後に神像の前に案内された。3年前にも見た像は変わることなく、神聖な雰囲気でそこに立っている。司祭が用意してくれた用紙に、書きなれた名前を書いた。
「ありがとう。」
軽くなった心で、つい感謝の言葉が漏れた。
「……あなたのこれからに幸多からんことを。」
司祭の言葉に微笑み返すと、清々しい気持ちで教会を後にした。
人通りのない道からそれて、路地裏に入ると急いで着替えを済ます。女の一人旅は、危険が増すことを私は知っていた。だから、初めから男装して国を出ることに決めていたのだ。
綺麗に整えていた髪にナイフをあてて、勢いよく横に引いた。自分で手入れをしていたため完璧とは言えないが、これでも売ればかなりの金額にはなるだろう。括った髪を麻袋にしまい、髪を少し整える。
魔法を解いた髪は、月明かりを受けてキラキラと散っていった。
護身用に短剣を腰に下げてフードを被れば、ひと目で女だとバレることは無い。
隣国行きの辻馬車に乗り込み、壁にもたれて座った。お上品に見えないように、出来るだけ雑な姿勢を取ることを忘れない。
時間になり、がたがたと揺れる馬車が門に着くと、身分証の確認をされる。
私は身分証を持っていないため、成人したから旅をするのだと、予め考えていた設定を話す。
年齢と名前の確認のために、水晶のような魔道具に手をかざす。これで未成年でなければ、親の許可などなくとも国を出ることが出来る。
念の為顔を見せろと言われ、緊張しながらも、フードを取ってみせる。雑に切りそろえた髪を見ると、門番は何も不審には思わなかったようだ。
「流石に、貴族令嬢が髪を切るなんて、発想をするとは思わないはずだわ。これで私が国を出たことを、すぐに知ることなんて出来ないはず。」
貴族社会で鍛えられた表情筋が役に立つなんてと、自嘲するように笑ってしまう。
気分の高揚に直ぐに眠ることが出来ずに、その日は馬車の外を眺めながら夜風を感じていた。




