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私が、『カイラ・バーディン』として生を受けたのは、今から19年前。薄い紫の髪に金の瞳。儚げな容姿と違い、厳格で厳しいと言われた叔母に似た容姿の私は、家族に疎まれていた。
幼い頃は嫌われている理由が分からず、泣いて過ごしていたこともあった。愛される妹や弟を見て、やるせない気持ちになったのは、仕方の無いことだろう。
それが覆ったのは7歳の時。
その日、妹に呼び付けられ、「掃除が遅い」と雑巾を投げつけられ、衝撃を受けた。
雑巾を投げつけられたことに、では無い。
ーー電流のように走った記憶にだ。
ついその場で固まり、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。
「何しているの?」
その様子を訝しげに見る妹に、ハッとして雑巾を手に掃除を続けた。その間、先程見た記憶の整理を行い、自分の置かれた状況を見直した。
(私、冷遇されているのね。)
たった一瞬で流れ込んできた記憶は、別の世界で生きる私だった。
日本という国で『葉山未来』として生きた私は、医者という職業で、人を救うことに生きがいを感じていた。
忙しく働き、夜中に呼び出された日。手術が終わり、気が抜けていたようで寝不足だった私は、階段を踏み外してしまった。
両手が資料で塞がっていたために、手すりを掴むことが出来ず、そのまま転がり落ちたところで記憶が無い。おそらく、そのままカイラとして生まれ変わったのだろう。
大人の思考になった今、冷遇する家族の愛を求めることは無かった。適当に掃除を終え、部屋に戻った私はこの家を出たいと考えた。
貴族として生きたカイラでは難しかったが、未来としての記憶がある今は、家事なども難しくない。そうと決めた私は、その日から少しずつ準備を始めることにした。
元々無口だったカイラは、『未来』とよく似ている。そのせいか、思考の変化を誰にも気づかれることは無かった。
まずは手に職をつけなければと、私に出来る仕事があるか探った。
この世界には医者という職業は無い。魔法があり、治癒士と呼ばれる癒し手が、魔法で治癒を行う。治癒魔法は難しく、才能が必要らしい。そのため治癒代は高く、平民は時間をかけて魔法薬という薬で治す。
それを知った私は、魔法薬を自分で作ることが出来ないかと考えた。
寝静まった屋敷、図書室で薬草や治癒魔法の本を読み漁った。幸い、最低限の教育は与えられていたため、文字を読むことは出来た。
そうして分かったことは、私は治癒魔法の才能があったこと。そして、前世の医学の知識を活かせそうだということだ。
独学だったが、家族から折檻を受けることもあった私は、自分の怪我に実験したりしていた。
そうして得た知識を試して、3年経った頃。
厄介払いをするように、王立学園に入れられた。でも、今の私にはその方がありがたかった。10歳から通う貴族は少ない為、周りから少し浮いていたかもしれないが、必死に勉強する私に教師は丁寧に教えてくれた。
そしてその頃から、密かに魔法薬の研究を始めた。
特殊な怪我や大きな怪我に効く、性能のいい魔法薬を開発したかった。
今の魔法薬は薬草の調合の際に魔力を流す。その魔力を、治癒魔法の応用で属性を絞って流したら、と考えた。その思惑は合っていたようで、効能に少し差が出た。
その後は、効き目が大幅に変わる薬草があることも調べ、薬草の組み合わせを変えながら、5年かけて魔法薬を作りあげた。
いつ姿をくらませようかと考えていた時だった。
5年間、音沙汰のなかった家族からの手紙に眉を顰めた。
内容を確認すると、すぐに帰ってこいとのみ書いてある。事情を一切書かれない手紙に、不審に思いながらも渋々戻ると、開口一番に「喜べ」と言われる。
「お前の婚姻相手が決まった。1年後の学園卒業後、すぐに式を挙げることになる。準備しておけ。」
それだけ言った、私と似ていない父親は、もう興味無いというように相手の資料だけを残して、背を向けた。相手の資料を確認して、つい手の中の紙を握り締めてしまう。
(……相手は、侯爵。冷たい性格で仕事人間と有名な人じゃない。)
『ゼオン・カイネル侯爵子息』。侯爵家の嫡男である彼は、お茶会すらも仕事を理由に断ると、全く歩み寄りを見せない態度で有名だ。
(なにが、喜べ、よ。こんな時だけ娘扱いするなんて、反吐が出るわ。)
私は、読み終わった資料をバラバラにして、部屋に撒いておいた。実家を後にすると、学園の寮の自分の部屋で考える。
一生縛られる覚悟をした方がいいのかもしれない。
息苦しさにベッドに転がったまま、声を殺して泣いていた。このまま姿をくらませたかったが、18歳から成人となるこの国では、親の許可無しに未成年は国を出ることが出来ない。
誘拐などのための措置なのかもしれないが、今だけはその制度が疎ましくて仕方なかった。
なにか抜け道がないかと、婚姻について法律を見直した。それでも、何一つ手掛かりを見つけることは出来なかった。
1年経ち、迎えた結婚式当日。その日初めて会った美しい赤毛の男の横に立ち、婚姻の書類へ名前を書き記す。上辺だけの祝辞を受けながら、神の前で宣誓をする。
(こんな言葉だけの宣誓、なんの意味もないわ。)
めでたい席に似合わず、私の心は暗く曇ったままだったが、ヴェールで表情は見えなかっただろう。漆黒の瞳で冷たく見下ろされ、私に興味などないことがひと目でわかる。
薄いレースの下で、愛想笑いをしながら自由でありたいと願っていた。