10(ゼオンside)
仕事が一段落し、息をつく。紅茶の入ったカップを傾けて、休憩をしようかと考えていた時だった。息を切らせて執務室へ入ってきた家令に驚いた。
「……どうした。」
静かにそう問いただすと、息を整えていた家令が顔を上げる。その真っ青な顔に首を傾げた。
「……奥様が、居なくなりました。」
「……は?」
意味がわからず聞き返すと、焦った家令が説明し始めた。
「……今朝、起きてこられない奥様を確認しに部屋にいきましたら、これが。」
そう言って差し出された手紙を受け取る。
中を見ると、信じられないことが書いてあった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私は自由の身となり旅立つことをお許し下さい。
思えば三年。ろくに顔も合わせず、仕事をさせられ窮屈な毎日でした。
ですが、それも本日までです。
離婚の手続きは私の方でしておきます。どうか私の事は綺麗さっぱり忘れて、大人しく仕事が出来る方をお探しください。
ーーカイラ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「……なんなんだ、これは。」
皮肉のような文章から、彼女の生活がほんの少し分かる。俺はこんなことしろと言っていないと、家令を睨むが言われた言葉に息を呑んだ。
「奥様は既に離婚の手続きを済ませ、出ていかれました。」
****
俺が彼女を見かけたのは、今から9年前の14歳の頃だった。次期当主として学園に通っていた俺は、噂など興味はなかったが、そんな俺でも彼女の話は知っていた。
ーー家族に冷遇されているらしい。
ーー10歳で学園に入れられたのは、彼女の暗い性格が原因らしい。
信憑性のない噂を、幼い少女に向かって投げる周囲に、胸糞悪いと顔を顰めた。
俺ですら聞こえた噂を、彼女が知らないわけが無い。それでも彼女には、気にした様子は一切見えなかった。それが、俺には不思議に思えたことを覚えている。
彼女は賢かった。毅然とした態度で振る舞い、何も言われてもニコニコと躱す。バカにしたような周囲の視線を気にせず、何かを決意したような表情で前を向いていた。
そんな様子が美しいと感じていた。10歳の少女に思うことでは無いと分かっているが、それでも俺は無意識に彼女を目で追っていた。
学園を卒業してからも、俺は彼女を忘れることは出来ず、仕事をして過ごした。
そんなある日、彼女の父親が彼女の婚約者を探していると耳に入ってきた。15歳になった彼女は、儚げな容姿と努力を怠らない真面目な性格で、すぐに決まってしまうと慌てて婚約を申し入れた。
俺の爵位が彼女の家よりも高かったこともあり、すんなりと決まったことに安堵した。
それから婚姻の日まで、彼女の勉学の時間を邪魔しないようにと、会いたい気持ちをぐっと抑えていた。
婚姻当日、綺麗なライラック色の髪を結い、金の瞳で見上げてくる彼女に胸が高鳴った。俺はそれを隠すように、表情を引き締めることで精一杯だった。
その日の夜、初夜だったが、まだ16歳と幼い彼女に乱暴をしたくなくて、仕事部屋へ引き篭った。
それから、彼女の様子については詳しく報告書を書かせた。一目会ってしまえば、彼女への愛しさで自分が何をするか分からなかった。
だから、彼女が20歳になった頃に想いを告げ、一緒の時間を共有する予定だった。
そんな彼女からの初めての手紙が、離縁の報告だなんてと、俺は急いで席を立ち屋敷へ馬車を走らせた。
「おい。妻の部屋へ案内しろ。」
彼女につけたはずの侍女を呼び付け、震える手を掴み命令する。案内された部屋は薄暗くカビ臭い。
「……どういうことだ。……俺は、2階の日当たりのいい部屋へと指示しただろう。何故っ!?何故、こんなに何も無いんだっ!?」
部屋を見て周り、縮こまる侍女へ叫ぶ。
掃除もされているか分からない部屋は、俺が贈った筈の家具も、記念日毎のプレゼントであった、ドレスや宝飾品も一切見当たらない。
「落ち着いてください。」
家令に後ろから声をかけられ、イライラとしながら振り返る。
「これが落ち着けるか!?何故、彼女はいない!?……どうしてお前たちは、彼女がいないのに冷静でいるんだっ!?」
俺の言葉に一瞬怯んだ家令は、意を決したように口を開いた。
「……貴方様が冷遇されていたではありませんか。」
冷めたような目で俺を見る家令の言葉に、目の前が真っ暗になった。