表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/17

001[研究員脱走阻止/Jailbreak prevention]/1

 彼女――ハーミットには、とある記憶がある。

 その記憶の中では、彼女はそれなりの年齢の男性であった。そして、その身の周りには少なくとも人型兵器というものはなかった。それどころか、戦闘車用や戦闘ヘリはおろか拳銃といった銃火器すらも男性は手にしたことがなかった。ニュースとかで戦争や紛争などの情報を見る事はあれど、それとは無縁の生活をしており対岸の火事という認識を無意識に持っていた。男性の身の回りに限れば間違いなく平和であり、娯楽が豊富にあった。その中の一つに、とあるコンシューマーゲームがあった。

 それが、“ルート・ゼロ”。豊富な機体、美麗なグラフィック。そして何よりもダークな世界観でゲーマーたちを沼に突き落とした大ヒットメカアクションゲームだった。とある恒星の周りを公転する惑星を舞台としていて、その中でプレイヤーは一人のSGパイロットとなり、様々な陣営から世界の行く末を目撃する――というものである。ストーリーモードではマルチエンディングが採用されており、ゲーム中の様々な行動等によって分岐する。分岐の積み重ねによって、エンディングが変わる、というものだ。

 男性はそのゲームを深くやり込んだゲーマーの一人だった。度重なるアップデートで増え続けたエンディングの全ては自身の手でプレイし、その目で見た。中には複雑な分岐条件を特定し、攻略サイトにその情報を記載した事で一躍有名人になったりもする程のコアなゲーマーだ。オンライン対戦では世界ランキング一位になった事もある、コアなゲーマーの中でも上澄みと言えるゲーマーだった。

 そんなゲーマーの記憶では、ストーリーモードのストーリー内では“ハーミット”なるパイロットは登場していなかった。しかしながら、NPCと一対一で戦う事のできるコンテンツ、シミュレータの中には確かに“ハーミット”という名のパイロットが存在していたというのも記憶の片隅にはあった。

 ――つまり、“男性”はかつてやり込んでいたゲーム“ルート・ゼロ”の世界に、その登場人物に憑依転生を果たした、という訳だった。


 災暦四三年七月一五日。アルカナ機関居住区とある個室。

「本編がそろそろ始まる頃合、か」

 AA社の対NFU前線基地への強襲任務を終えてから、既に二ヶ月が経過しようかという頃。割り当てられた個室で端末の画面に映る日付を眺めながら、体型が露わになる黒いパイロットスーツを着た彼女はそう呟く。

 ゲーム“ルート・ゼロ”の世界においてまだ“清暦”という紀年法が用いられていた頃、些細な切欠から国同士が対立するようになり、それが結果として戦争状態へと突入した。そして、それはいつしか二か国間で済む問題ではなくなり、世界中を巻き込んだ世界大戦へと発展していった。そんな最中に起きた“大災害”――巨大隕石の落下とそれに連鎖して起きた大小様々な天災の数々。その結果、最も大きな被害としては惑星の南半球にあった一つ大陸には大きな穴――クレーターができ、その大陸を領土とする国そのものが一夜にして消滅するというものだった。他にも、いくつかの島国が海中に没したり、混乱に乗じた大国が小国を吸収したりと勢力図は大きく激変した。そのような爪痕を残した大災害を経て、新たに“災歴”と紀年法が改められて四○年近く。

 ハーミットの中の“男性”の記憶によれば、ストーリーモード本編には“NFU解放戦線”なる残党が登場していた。ベルクト社との戦いに敗れ、国外に逃げ延びた旧NFU政府及び軍上層部が“NFUの再興”を目的にベルクト社、AA社の双方に攻撃を仕掛ける無謀なテロリスト集団そのものだった。

 成り立ちからしてNFU解放戦線の戦力は極めて乏しく、ストーリーモード序盤に所謂チュートリアルの一環としてプレイヤーが蹴散らすというのがお決まりとなっている。ストーリーの中盤頃にはその名前を見る事すらもなくなるという位には、風前の灯火ともいっていい状態にあるのが容易に察せられるというものだった。何はともあれNFUが滅び、ベルクト社が旧NFU領全域を支配する事で、NFU解放戦線が実際に誕生し、実際にNFU解放戦線に関する任務も最近遂行した事から“ストーリー本編”の時間軸が迫ってきているというのをハーミットは感じていた。

「まあ、でも……関わる事もないか」

 しかしながら、“男性”だった頃に彼女が読んだ事のあるジャンル、転生モノなどのお決まりである本編への介入については、彼女は否定した。“男性”が誰よりもやり込んだという自負のあるゲーム、その本編の登場人物になったという事でストーリーモード本編に介入しようと彼女が一切思わなかった訳ではない。だが、“アルカナ機関”に所属する彼女には、そのような自由はないというのを彼女は学んでいた。

 アルカナ機関。世界中の如何なる組織にも与さず、SGに限らず様々な新技術についての研究を行っている研究機関。どの組織にも良い顔をする、という事で絶対的な味方こそ存在しないが、他組織を圧倒する技術力でその有用性を示し続けている。そして、ハーミットはそんな研究機関によって生み出された、SGの生体部品――強化人間だった。

 ストーリーモード中でも強化人間の存在は言及されており、少ない描写ながらもアルカナ機関の闇をゲーム内で垣間見る事はできたが、いざ自身がその当事者になろうとは、ハーミットも思っていなかった。そしてこの“ハーミット”という名前も単なる便宜上のものに過ぎないのを彼女は理解していた。より正確な彼女の名前は、“|A-SGLP-1-09《アルカナ機関製SG生体部品第一世代九系型》”である。

 ただ、明らかな型式番号で呼ぶのは文字数の都合上利便性に欠く上、外部の人間から不要な疑念を抱かせる事に繋がりかねない。そういう事情もあって対外的な体裁、作戦中の利便性からコールサイン、コードネームが用意された。それが、タロットカードの大アルカナ、その中にある“ハーミット(隠者)”。“フール(愚者)”を○番目とした場合の九番目にあたる。

 対外的には独立傭兵という事になっていても、実際にはアルカナ機関の保有する戦力の一つに過ぎない。また、ハーミットの身体はSGの操縦に最適化された関係上、身体能力――特に筋力――は低く設計されていた。SGから降りてしまえば無力。それが、彼女の現状だった。

 彼女がこの世界に生み出されてから既に四年は経過している。その中で、彼女はSGの操縦訓練ばかりを強いられてきた。訓練以外や出撃時を除いた時間では、口頭での指示を理解できるようにと言葉を教え込まれたものの、読み書きは不要とされて未だ無学。数字だけはSGの操縦においても必要だった為に学習の機会があったが、それ以外は何もない。――このような有様では、アルカナ機関から脱走しても、やれるのはSGの操縦位しかない。

 そんな彼女が私室で出来る事と言えば、ただぼんやりと日付と時刻を見る事位だった。基本的な読み書きができない以上、新聞やニュースを読む事もできない。意味もなく部屋に置いてある本を何気なく手にとっても、中身は一切読めない。話相手もいない。“男性”だった頃の言語を使う事は一切なく、脳内の言語も英語のような言語――“ルート・ゼロ”の舞台となっているこの惑星の国際共通語が自然になっていた。既にかつての言語を覚えていない、という事実は彼女の精神を大きく揺さぶり、そして平和な日常への回帰を諦めさせるに至っていた。

 そんな彼女の普段の様子はといえば、部屋の隅にあるベッドで寝てアラームで起きる。呼び出しがあればSGに乗り込む。何もなければ就寝時刻前にシャワールームへと呼び出され、身体を洗浄した後にベッドで寝る。それだけだった。

 何気なく鏡を見る。あまりにも整っていて人形のように見える顔、黒くて長い髪の毛、翡翠色の瞳。髪の毛が黒い事以外、“男性”との共通点は一切なかった。そもそも、髪質も違う事を考えれば一切共通点がないと言っても差し支えなかった。身長も一四○センチほどしかなければ、四肢は細くて頼りない。整った容姿に気分が高まったのは最初だけ、今となっては単なる“自身の身体”に過ぎず、何かを発散するような仕組みを、この身体は有していなかった。

 着用しているパイロットスーツは生地が身体に密着するものであり、体型が露わになる事もあって初めの頃は彼女も抵抗があったが、今となっては何も思う事は無い。このパイロットスーツがアルカナ機関の強化人間に唯一着用を許された衣服、というのが全てだった。他の選択肢がない以上は裸より真っ当であるし、何より生体部品というモノ扱いに慣れてしまえば、何も思わなくなるのは自然であった。アルカナ機関にいる以上その職員との接触も多少はあり、仮にその職員が新入りであればまだ人扱いに近いが、歴の長い職員になると明確に備品扱いをしているのを彼女は実際に感じていた。彼女が知る限りアルカナ機関には間違いなく、倫理観という三文字は存在していない。

 そのような日々の積み重ねによって、強化人間として、生体部品としての扱いに慣れてしまった現状、既に“男性”だった頃の外見も思い出す事すらできない。当時親しかった者の声も、顔も何もかもが思い出せない。少なくとも、“男性”からハーミットになる直前の時点では、両親は健在で友人も多くはないが少なからずいた――という所までは思い出せても、そこから先は思い出せない。少し前までは顔くらいは思い出せていた筈なのに、と彼女は自嘲する。

 そのような状態であっても、“ルート・ゼロ”というゲームの事だけは思い出せるのは、“男性”がそれほどまでやり込んだからか。はたまた、“ルート・ゼロ”での出来事と今の現実とが似ているから、忘れられないだけなのか。その理由を考えた事もあったが、それすら今はない。少しずつゲームの内容すらも忘却している今、何を覚えていて何を忘れているかを彼女は把握していない。

 そうして今日も諦めて、彼女は硬いベッドで横になる。寝心地は決して良くないが、悪くもない。そもそも、彼女はもうこの状態に慣れてしまっていた。そのような事でいちいち心が動く事もない。今日も普段と同じように一日が終わる。そう思いながら、彼女は目を閉じる。

 ハーミットはこの日出撃がなく、私室から出たのは身体を洗浄する為にシャワールームへ行ったのみ。食事については部屋の中に保管されている糧食を口にしたのみ。私室という名の独房から出る事は叶わず、出撃している間に補充されている糧食だけが彼女にとっての生命線だった。味についても決して良くはないのだが、大災害や大戦で疲弊した世界には糧食すら口にできない人々が大勢いる。その事を思えば、少なくとも衣食住で困らないだけまだマシかもしれない、とも彼女は考えている。――人として扱われない事を除けば。

 それはそれとして、七月一五日というのは、彼女にとっては少しだけ特別な意味のある日だった。“ルート・ゼロ”のストーリーモード、その最初の日付がそうなのである。プレイヤーキャラがどの陣営でのスタートを選ぶとしても、記念すべき一つ目の任務は必ず七月一五日になるという仕様があった。当時実装されていた全ての分岐を捉える為に、“男性”は幾度も“ルート・ゼロ”を四六時中プレイしていた。何度も繰り返しクリアする中で、七月一五日という数字はあっという間に記憶に刻まれたのだった。


 ――でも、自分にはもう関係ない。


 アルカナ機関に自身の全てを管理されている以上、彼女から“ルート・ゼロ”ストーリー本編へと介入しに行く事は不可能だ。脱走する事も考えはしたが、考えるだけ考えて不可能と諦めた。諦めてからも、ふと思い出した頃に再び考えて出したが、それでも諦めた。そうして、今となっては考える事すらもしない。そして、ストーリー本編が始まる日時となった以上、自身の知らない場所でストーリーが進み、何らかの結末を迎えるのだろう――という結論を出していた。

 考えるだけ無駄、と何か違う事でも考えようとしたその時だった。

『ハーミット。仕事の時間だ』

 そのような通信が入ったかと思えば、私室のドアロックが解除されたのを彼女は見た。ドアを開ければそこにはアサルトライフルを携えたアルカナ機関の人間が待ち構えていた。SGの生体部品である強化人間を確実にSGに搭乗させる為の兵士である。強化人間はあえて身体能力を低めに設計されている以上、兵士相手に強化人間が生身で逆らえる筈もない。ドアロックが解除される時、必ず兵士が目の前にいるという事実が、彼女に脱走の意志を喪失させたのだった。今となっては脱走するという選択肢を思い浮かぶ事すらなく、兵士を見ても一切動じずに自身の愛機へと向かうのみ。

 ハーミットの乗機であるSG“真迅”、そのカスタム機。アルカナ機関が“因幡重工”から購入した高速戦闘に特化したSGだった。“因幡重工”は名前から推察できる通り、日本モチーフの旧“菊花皇国”を治めている企業だが、どことなく職人集団なイメージを彼女は持っていた。

 端的に言ってしまえば、“量産には向かない”という一点に尽きる。高速戦闘に特化させるという事で、全体的に細身になるのは極めて自然な話である。だがやはり、関節部だけは頑丈にした、という一点が因幡重工の職人気質を存分に見せている。極限まで軽量化はしても、頑丈でないと困る箇所は頑丈にする。ピーキーな機体だというのに安全性も忘れないという点に関して、彼女は感心する他なかった。一人のゲーマーとして操作する分には何とも思わなかったものの、一人のパイロットとして実際に乗り込むとなれば、その判断には感謝せざるを得なかった。

 今日も愛機に、それを開発した因幡重工への感謝を心の内で呟きながら、彼女はコックピットに乗り込む。シートに座り、両足をペダルの上に乗せる。そして、コックピット後部から一本のコードを取り出して、自身の後頚部のやや下にそれを差し込んだ。

 機体と搭乗者を直接接続する。自身の身体を動かすような意識で機体を動かす事ができるようにする――というアルカナ機関の最新鋭技術の一つだった。この技術のテスト運用の為に、彼女は一度手術を受けていた。

 ただでさえSGに乗る為だけに設計された身体だというのに、更に身体の一部が機械に置き換えられたのだ。その手術を終えた時、既に色々諦めていたハーミットにとっても、より機械的になった自身の身体にショックを覚えたのを未だに彼女は思い出す。その度に、ため息をつく。まだ諦めきれていないのか、と自嘲しながら。

『ハーミット、聴こえるか』

 彼女がSGに乗り込み、機体と接続した事を確認したのか、タイミングよく通信が彼女のもとに届く。それを彼女は黙って聞く。

『今回の作戦を説明する。アルカナ機関の研究員が一人、生体部品を持ち出して脱走した。その追撃に出てもらう』

 生体部品――つまり、ハーミットのような強化人間の事だ。アルカナ機関において、このような事態は珍しいが、今まで一度もなかった事ではない。アルカナ機関の強化人間というのは、他企業にとっては喉から手が出る程欲しい代物だった。

 原則として、アルカナ機関としては、強化人間を“傭兵”として企業にはあくまでもその傭兵に依頼を出してもらう、という形式をとっている。その傭兵という戦力でも各企業には助かる存在ではあるものの企業としては、やはり自陣営の為だけに動く駒が欲しいというのが自然な話だった。強化人間の傭兵事業に限らず、SG関連技術においても他企業との繋がりの深いアルカナ機関は、常に内部に他企業の息のかかったものがいる。――それこそ今、強化人間を持ち出して他企業に売ろうとする研究員のように。

『対象は現在、格納庫にあった複座型のSG“雷閃”を強奪して脱出、南下している。予想される進路には大陸間貨物輸送ランチャー(ICTL)がある。乱暴な手段だが、これを使えば他企業の勢力圏の近くまであっという間だ。ハーミット、お前にやってもらうのは生体部品“フール”の回収と研究員の始末。あるいは、両名の排除だ』

 アルカナ機関としては、少なからず今回持ち出された強化人間“フール”にもそれなりの資金をかけている以上、回収できるなら回収したいという考えはあった。しかしながら、それ以上に他企業へ強化人間が直接持ち出される事態はなんとしても避けたいというのがあった。少なからず、強化人間を連れ出そうとしている時点で、今回の研究員は他企業との繋がりが明らかだ。どちらにせよ、研究員だけは仕留めろ、というのがハーミットに課せられた任務だった。

 施設の南方には、アルカナ機関と他陣営との物資輸送の際に用いられる超大型のカタパルトランチャー、ICTLがある。貨物をカタパルトに乗せて射出するというあまりにも乱暴な方法だが、災害や大戦の影響で高高度における電波状況の悪化に伴い空路輸送が現実的でなくなっていた。そういった都合もあって現在では長距離の物資輸送に限ればICTLが重宝されている。尤も、乱暴な手段である事には変わりない為、乱雑に扱っても問題のない頑丈なものを輸送する場合に限られていた。精密機器に関しては、時間がかかってしまう点には目を瞑る事にして陸路や海路輸送というのがこの世界の常識だった。

 何はともあれ、奪取されたSGで貨物コンテナの中に入られてカタパルトによって射出されるというのは、脱走を成功されるという事を示していた。ICTLの貨物コンテナの中に人が入る事及び友人で射出する事というのは想定されていないものの、SGに乗った状態であれば命を落とす事はないだろう。また、仮に命を落としたとしても、その亡骸から強化人間の身体データを入手する位は可能である。

 それにしても、とハーミットは少しだけ思案する。強奪したSGに二人乗りをしているという事を考えれば、アルカナ機関は既に強化人間の回収については最初から諦めているようにハーミットには感じられた。アルカナ機関にとって、強化人間は単なる“奪われる位なら壊さなきゃいけない貴重品”に過ぎない。つまり、いくらでも“替えが効く”という事である。その事を彼女は知っていてとっくに諦めてはいるものの、こうしてそういう事態が起きる度に彼女の心は絞めつけられる。“ハーミットもこれくらいの価値でしかない”という事実は、何年経っても慣れる事はない。

 ――もしも“男性”の記憶を持たぬ単なる生体部品だったなら、何も感じなかっただろうに。

 そんな風に自嘲するのが、彼女の精一杯だった。日々心を痛みながらも、このような備品としての日々を過ごすうちに“男性”の記憶はより希薄になっていく。喪失する記憶が最初からなければ、その事に恐怖する事すらなかっただろうに、とも。

『哨戒任務中の戦闘ヘリ、戦闘車両が現在足止めをしている。今から追いかければ真迅の足の速さなら間に合う筈だ。SG用のリニアカタパルトを用意してある。それを使って追いかけろ』

「了解」

 だが、そのような思いは表に出さない――いや、出せない。アルカナ機関の傭兵に、感情表現は不要な機能なのだから。ハーミットの表情筋は硬く、表情に感情が目に見える程現れる事はまずない。生み出された時点で様々な人間らしい機能を削ぎ落されているのが、強化人間というものだった。

 その事実にまた気分を害しながらも、彼女は乗機の点検を終える。二年程前にアルカナ機関から乗機として宛がわれてから、幾度もの出撃を重ねてきた愛機だ。幾ら彼女が考え事をしていたとしても、手が動作を覚えている。眼が確認しなければならない事を覚えている。異常はどこにもなく無事に愛機が起動する。真迅改の頭部バイザー奥のデュアルアイが赤く輝き、メインカメラからの情報がコックピット前方の画面に映り込み、そこにマップが表示された。アルカナ機関の方で用意されたマップであり、ICTLと現在逃走中のSGの位置がマーカーされている。

 それを見て、彼女は乗機の歩みを格納庫の端にあるSG用のリニアカタパルトへと向かう。真迅改が高速戦闘向きの機体であるとはいえ、同じく高速戦闘向きの“雷閃”を追いかけるには何かのアシストが必要不可欠だ。そして、そのアシストがこのリニアカタパルトだった。所定の位置に立つ事で、その足場がリニアモーターによって加速し、機体を射出するというもの。SGだけでは得られない加速力を少ない手間で得られる手法の一つだった。慣れた手つきで乗機をカタパルトにセットさせる。

『カタパルト準備完了。ユーハブコントロール。ハーミット、発進しろ』

 リニアカタパルトの操作権限がハーミットの手に渡る。乗機背面のメインブースタを点火させながら、リニアカタパルトを作動させると、周辺にいる作業員を退避させる為の警報音が鳴り響く。

「アイハブ。ハーミット、作戦を開始する」

 彼女がそう口にした直後、リニアカタパルトから真迅改とハーミットは射出された。


「SGがこっちに来るわ! 急いで貨物ランチャーに向かって!」

 一方その頃、IS-E38“雷閃”のコックピットでは、迫りくるハーミット――真迅改をレーダーで捉えていた。

 真迅改と同じく因幡重工製の“雷閃”は、機動性と索敵能力に特化した複座型の機体。前後に二つの座席があるコックピットには小柄で長い黒髪の子供――強化人間“フール”と茶髪の白衣姿の女性――研究員のシンシア・ウィンザーが乗り込んでいた。後部座席の画面には周辺マップが大きく表示され、そこへ一機のSGが一気に接近してきたのを、シンシアは見た。

 シンシアとて、脱走者がこれまでどのような目に遭ってきたかはよく知っていた。アルカナ機関の研究員として働いていれば、嫌でも耳に入る。親しい友人と思っていた研究員が、実は他企業のスパイだったなんて事は日常茶飯事。そして、その事を親友が亡くなって――アルカナ機関によって“処理”されてから知るのがいつもの事だった。

 メインカメラにその姿は映っていなくとも、この状況で追ってくるならアルカナ機関の最高戦力であるハーミットの真迅改がやって来たのだ、とシンシアは確信した。ハーミットの乗機である真迅改には索敵能力を阻害するステルス、ジャミングが装備されている。そのせいか、シンシアの見る画面に映るマップがやや乱れるが、そこまでだった。索敵能力に特化している機体というだけあって、SGに携行できる機器程度の妨害では崩されない。アルカナ機関の格納庫には他にも複座型SGはあったが、その中でもこの機体を選んだのは、ハーミットが追撃してくる事を、シンシアが想定していたからだった。

 そして、アルカナ機関の最高戦力が二人を追いかけてくるという事は少なくとも、彼女が”連れ出した”強化人間はアルカナ機関にとってそれだけ重要なもの――より正確に言えば、持ち出されるのは都合が悪いという事。物事は簡単に進む事はなく、生半可な覚悟では生き残れない事など、脱走する前からわかり切っていた。

 だがそれでも、シンシアは子供――フールを連れて外に出る事を決意した。生体部品としてではない、一人の人間として外に連れ出したいと。

 アルカナ機関から脱出したとしても、フールにはSGを動かす以外に生きる術はない。そのような事はフールの身体情報を把握しているシンシアには重々承知の事実であった。SGに搭乗する事を前提とした、SGの操縦者として最適化された身体能力。それはとてもじゃないが、一般社会で生き抜くための身体ではない。少なくとも、災暦という戦乱の世において、強化人間が衣食住に困らない職種があるとすればそれは間違いなくSGのパイロットだろう。だとしても、アルカナ機関にいるよりは、マシだろうとシンシアは信じていた。

 シンシア・ウィンザーはアルカナ機関の研究員だ。元々は義肢の研究者だったが、その技術力を買われてアルカナ機関に引き抜かれた。大災害や大戦、今現在も続いている企業同士の小競り合いによって、四肢を失う人々は珍しくない。そのような人々の為に精巧な義肢を作りたい、という意思を持ってアルカナ機関に入った筈だった。

 だが、彼女がアルカナ機関で任されていたのは、生体部品とされている強化人間の義肢だった。SGを操縦する為だけに生み出された強化人間たちの身体は、パイロットスーツを着用していなければSGの操縦にすら耐えられない程脆い。乗機が直撃を受けようものなら、その衝撃で四肢に何らかの異常が出る事は珍しくない。故に、SGを操縦するのに最適化された精巧かつ頑丈な義肢に予め取り替える事で、生体部品のメンテナンスを容易にしよう――というものだった。

 採算度外視の予算上限ナシで研究をできるという意味で、アルカナ機関は研究者、技術者にとっては極めて恵まれた環境だった。また、アルカナ機関の技術は(強化人間のような表向き発表できない生体部品関連のものを除けば)最終的には全世界に提供される。世界中の人々に従来よりもより精巧で頑丈な義肢を広めたいというシンシアにとっては、そういった面でも最適のように思えた。

 だが、強化人間を生体部品、モノとして扱い続けるという行為は、シンシアには耐えられなかった。SGに乗って出撃し、少しでも四肢にダメージが残ったら義肢と交換する。その義肢すらもダメになったら新たな義肢と交換する。その繰り返しの果てに義肢の技術進歩は早まったが、その分多くの強化人間をよりモノに近づけてしまったという事実が、シンシアの良心を痛めた。ただでさえ、SGの操縦に特化した身体だというのに、その四肢すらも人間本来のものではなく機械的なものに交換してしまう事。自分は強化人間をモノ扱いしている他の職員や技師とは違うと言い聞かせようにも、強化人間をよりモノに近づけているのは自身の作った義肢ではないか――という思いが、彼女に罪悪感を植え付けていた。

 この脱走はシンシアの自己満足に過ぎない。アルカナ機関にいる強化人間の中から“フール”を連れ出したのは、単に生み出された直後の比較的自然な状態に近い強化人間だったからに過ぎない。これまでの実績からそれなりの権限を得ていたシンシアは、フールの部屋のロックを解除し、そのまま連れ出して“雷閃”を奪取して逃走を図ったのだった。

 対するシンシアに連れられて雷閃のコックピットで操縦を担当しているフールには、脱走の意志はない。シンシアというアルカナ機関の研究員に命じられたから、SGに乗っているだけだ。――だが、生み出されてからまだ日が浅いという事もあって、アルカナ機関そのものへの忠誠心も芽生えていなかった。故に、シンシアの言う事を素直に聞いて、それを遂行しようと動いていた。

次話、001[研究員脱走阻止/Jailbreak prevention]/2

2025/01/21投稿予定

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ