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剣道の光 第三話 吉瀬門下の人々 「瓦林潔」 ~九州財界の立役者~

作者: 三野原明音

 九州電力社長を務めた瓦林潔氏はとにかく破格の人であった。


 彼が九電の社長であった時期は昭和四十二年から昭和四十九年のことであるから、今の世代の方はおそらく名前さえ聞いたことがないかもしれない。


 経歴を見ると誰もが驚く。

 九州国立博物館誘致と天神地下街の立ち上げ、九州テニス協会会長、福岡県海洋スポーツ協会初代会長、福岡中央霊園の開発、伊都ゴルフ倶楽部のコース設計、福岡市文化連盟の開設と初代会長の就任、と、引き受けた職とやり遂げた仕事を挙げればきりがない。

 まるで同じ名の人が何人もいたかのような活躍ぶりである。 

 また、氏は、プライベートでも書や絵画をはじめ小唄や囲碁など、趣味も多彩で、気取らない人柄で「財界のおやじ」として多くの政財界人に慕われた。


 そんな瓦林潔氏が幼少期から剣道に打ち込んでいたことはあまり知られていない。

 氏は田主丸に明治三十六(一九〇三)年に生まれ、小学四年生の時、十一歳で地元の津田一伝流の使い手であり社会活動家であった吉瀬善五郎が主催する田主丸剣友社に入門した。

 当時は竹刀に小さい体が追い付かず、振り回されて目が回ったものだ、と述懐されている。実力もなかなかなもので、のちに進学した朝倉中学でも福岡日日新聞(現在の西日本新聞)主催の夏の剣道大会に駒を進めた。

 後年、氏が語っているごとく、「(吉瀬翁の)珠玉の教えは、いまも私の胸中を離れない」と、吉瀬善五郎を慕う気持ちを終生持ち続けた。


「早朝から竹刀を振って、ここ(武徳館)では筑後人としての根性を培った」

 氏の中学生時代は、学友の評によれば、やんちゃで大親分の風格を感じさせるエピソードが残るが、そのような氏が義に厚く、同郷の人々を取り立てるのに熱心であったのは、このような幼い頃に打ち込んだ武道の影響があったのかもしれない。



 さて、瓦林氏が後世の我々に残したものといえば、やはり、九州国立博物館と天神地下街であろう。


 まず国博だが、明治32(1899)年に思想家の岡倉天心が九州にも国立博物館を、と提唱して以来、その後、誘致の機運は長らく高まりを見せなかった。

 しかし、昭和の高度成長期に入り、再びその運動は活発化し、昭和43(1968)年には国立九州博物館設置期成会会長に瓦林潔氏が就任。

 そして遂に平成17(2005)年10月、苦節百年、ようやく九州の夢が実現する。

 実に京都国立博物館が設立されてから108年ぶりの国博の新設であった。


 博物館の開設に当たっては、「日本文化の形成をアジア史的観点からとらえる」ことに主眼が置かれ、常設展示においても、ここ九州が古来より大陸の窓口であり、日本列島の中で先駆的に発展してきたことを思い起こさせる内容となっている。

 現在は年間来館者数が100万人を超え、誘致は太宰府市街や大宰府天満宮周辺の地域振興のみならず、都市観光のあり方にもインパクトを与えた。余談だが、元日から開館しているのも、天満宮と隣接しているこの博物館ならでは、である。



 ところで、瓦林氏のもう1つの功績が天神地下街の開設だ。

 福岡市民なら誰もが、この巨大な地下都市をたびたび訪れ、洗練されたそのデザインに魅了され、恩恵を受けてきたことだろう。


 昭和44(1969)年8月、天神ビルの別府誠之常勤監査役に九州電力社長の瓦林氏から、天神交差点下の地下開発への協力要請がはじめて為された。

 昭和47(1972)年1月に福岡地下街開発株式会社の社長に瓦林氏が就任すると、翌2月には建設工事を大林組、鹿島建設と間組の建築共同体が落札し、いよいよ5月から着工の運びとなる。

 その後、関係者の涙ぐましい努力によって、昭和51(1976)年9月、ついに天神地下街が開業。

 十九世紀南ヨーロッパの重厚な世界観をコンセプトに、暗めの照明の下、石畳の通路や唐草模様の天井がどこまでも続くさまは、まるで、日本にいながらにして海外の町並みを散歩しているかのようで、以来、観光資源がないと言われる福岡市の、大濠公園と並ぶ数少ない案内場所となった。


 地下街は今年で開業48周年。

 各店舗を劇場と見立てたことで、それぞれの店が出す個性やショーウインドーに並ぶ商品は、地上で見る以上に「ばえる」。

 この地下街が天神地区の地上のデパートやビルをつなぐある意味動脈となって、この地域の魅力や回遊性を高め、世界で類を見ないほどの徒歩圏内の商業施設の集積を生んでいることを忘れてはならないだろう。


 私は、地下街を歩くとき、もし、瓦林氏がいなかったら、この福岡の地下街も、他の都市と同様、特徴のないありきたりのものになっていたことだろう、と、ふと思う。


 さて、話しは田主丸に戻る。

 昭和四十六年七月、吉瀬門下の人々にとっての拠り所、田主丸武徳館が全焼した。関係者の失望は甚大であったが、ただちに再建のために全国各地の門弟が集結。町長その他の関係者と再建の協議に入った。

 幸いにもそのころ、田主丸の町長は四代連続で武徳館出身者であり、時の町長井上鉄五郎は五代目の町長として執務にあたっていた。話はとんとん拍子に進み、町議会の議決を経て二段歩の用地を買収。さらに当時で千五百万円の建築費の拠出が決定し、焼失からわずか二年後の昭和四十八年八月に新武徳館が誕生した。

 その後、この再建を機に、善五郎の銅像設立実行委員会が町長を委員長として立ち上げられたが、同委員会の顧問を瓦林氏が務めた。

 昭和五十一年十一月、胸像除幕式が盛大に執り行われる。撰文は高名な漢学者である宮崎来城先生。

 そして、篆額(題字)は瓦林潔その人である。

 また、瓦林氏は、昭和三十九年三月に設立された「剣道十段範士・中野宗助先生之碑」の建設委員としてもその名が石碑の台座に刻まれている。


 瓦林氏は九州・山口経済連合会会長、福岡商工会議所会頭なども務め、平成二(一九九〇)年二月逝去。享年八十八。


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引用・参考文献は以下の通りです。後記して感謝申し上げます。


福島正義, 『剣道の光』, 昭和46年4月発行

瓦林潔,『一源三流 瓦林潔伝』,福田利光,西日本新聞社,昭和55年4月10日発行

朝倉同窓会ホームページ,『瓦林潔略歴』,最終アクセス日,平成30年10月10日,URL http://www.itigen.net/05-jinnmyaku-kawarabayashi/05-jinnmyaku.bak.html

ふくおか先人金印記念館,『瓦林潔・天神地下街』,最終更新日,平成18年5月18日,

URL http://fukuoka-senjin.kinin.com/senjin/1397

小野浩志,萩原昭男,佐橋史直,『フクオカ流通戦争・地下街官民で育て40年・福岡市天神』,西日本新聞経済電子版,最終更新日,平成28年9月9日3時,

URL http://qbiz.jp/article/93794/1/

吉塚哲,『聞き書きシリーズ・元福岡シティ銀行頭取四島司氏,(56)財界の「おやじ」』,西日本新聞

九州テニス協会ホームページ,『協会のご案内』,最終アクセス日,平成31年1月8日,

URL http://www.k-tennis.jp/協会のご案内/

福岡県海洋スポーツ協会ホームページ,『協会案内』,最終アクセス日,平成31年1月8日,

URL http://www.kaiyosports-kyokai.or.jp/annai.html

福岡文化連盟ホームページ,『福岡文化連盟について』,最終アクセス日,平成31年1月8日,

URL http://www.fukuokabunren.jp/info

伊都ゴルフ倶楽部ホームページ,『倶楽部の歴史』,最終アクセス日,平成31年1月8日,

URL http://www.ito-gc.com/history.html

公益財団法人九州国立博物館振興財団ホームページ,『財団のあゆみ』,最終アクセス日,平成31年1月8日,

URL http://www.kyukoku.or.jp/ayumi/index.html

福岡地下街開発株式会社,天神地下街40年の歩み編集委員会,『天神地下街40年の歩み』, 平成28(2016)年9月発行




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