表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
墓無忍夢  作者: 地辻夜行
二章 八犬士と風魔相まみえ、火花と命散る
8/43

(八)

 三船山(みふねやま)近くに布陣していた里見軍に、無事に物資を届け終えた安兵衛は、生野たちと再び合流すべく、再び上総(かずさ)を抜け武蔵の国の海沿いを走っていた。

 三船山付近の里見家の陣に到着したのは昨日の昼前。荷車を四台も引いていたので、どうしたって目立つ。下手に隠れるより、発見されても相手が追いつけない速さで移動した方がよいと判断し、全力で石臼を回し続けた。実際、何度か北条の手勢と思われる者達と遭遇したが、荷車を引いているにも関わらず、騎馬に勝るとも劣らない速度で振り切る。呪いの力は消耗が激しい。最後はほとんど惰性だけで石臼を回し続けた。

 それにしても、自分は運がよかったと安兵衛は思う。

 まさか義弘本人にお目通りがかなうとは考えていなかった。

 そもそも、戦利品を里見家へ献上することは、あの場での思いつき。取り次いでもらう相手もいなかったから、生野には物資を陣の側に置いて来るだけでよいと指示されていた。

 彼としては、八犬士の手柄であることを吹聴してまわりたい。八犬士を堂々と名乗れる時期でないことがわかっているから、余計にそうしたい気持ちにかられる。

 だが安兵衛の思惑を裏切るように、現界を超えた肉体は休息を求め、陣へたどりつくなり気を失ってしまう。目覚めたとき、彼は(むしろ)の上で寝かされていた。その安兵衛の顔を、身分の高そうな武士が一人、覗き込む。武士は自ら里見義弘だと名乗り、他の者には(おおやけ)にできぬので人払いをしていると安兵衛に語る。

 安兵衛は血の気が引いていくのを感じ、慌てて平伏しようとしたが、この鉄の足では上手くいかない。もがく彼に、義弘はそのままでよいと暖かみのある言葉をかけてくれる。安兵衛が八犬士の一人であることを確認すると、物資を運んだ労をねぎらい、八犬士の現状での戦果を尋ねてきた。

 彼の話を聞き終えた義弘は言う。

「この戦に勝利すればわしの発言力は強まる。そうなれば、別働隊の進軍を阻み物資を奪ったこと、ならびに本拠である小田原を攪乱し、戦を有利に導いた功に報いることができるであろう」と。

 その言葉だけで彼は胸がいっぱいになり、涙を流して謝意を表す。

 八犬士。今では里見家の者でさえ知る者が少なくなったが、安房あわ里見氏の二代目里見成義(なりよし)のもとにつどい、神がかり的な活躍で、成義の安房支配の盤石化に一役買い、関東中にその名をとどろかせた剛の者たち。

 安兵衛たちは三代目の狂節を除き、五代目の八犬士にあたるが、初代たちの築いた栄光はすでに地に落ちていた。

 現在では八犬家の血を引く者は罪人として扱われる。

 狭い土地に、一軒の屋敷。八犬家に連なる者すべてがそこに押し込められ共同生活を強いられた。敷地の外に出ることを禁じられ、許されているのは、敷地内で生きることのみ。そして、新たに虐げられる者を生みだす。里見家が続く限りの飼い殺し。

 監視の目は常に光る。屋敷を出れば、柵で取り囲まれた敷地の外側にいる監視の者たちに、罵られ石を投げつけられ、敷地から外に出ようとすれば、すぐさま取り囲まれ袋叩きにされたうえで、敷地の中に投げ戻された。逆らおうものならば、死なないというだけの過酷な刑罰が待っている。だからといって、抵抗しなければ平穏に暮らせるというわけでもない。将来的に一族をまとめ、里見家に害をなしそうな才ある男子は間引かれ、美しい女子は監視役の慰み物として狙われる。

 それでも彼らはそこから脱出を試みることも、死を覚悟しての反抗を決行することもない。犬畜生よりもはるかに劣る扱いに、ただ耐えるばかり。

 しかしながら、彼らは子孫にまでこの境遇を味あわせることを望んではいない。この苦境をなんとか乗り越え、血を受け継ぐ者たちにまっとうな生活をさせてやりたいと、3代目、4代目は常々願っていた。

 そんな一族の願いを一身に背負い、初代たち以来、初めて身体に牡丹の痣を持って生まれた犬坂生野種智は、各家の代表者たちを引き連れ戦場に立ったのだ。

 義弘の「報いる」という言葉は安兵衛に希望をもたらす。

 このことを少しでも早く他の八犬士に伝えてやりたい。

 体力を回復し陣を出発し、下総(しもうさ)を抜け武蔵の国に入ると、気のはやる安兵衛の頭を冷やすかのように、雨がぱらついてきた。

 いったん雨をしのげそうな場所を見つけ、休憩をしようと安兵衛は判断する。本降りになってから探すのでは遅い。

 彼にに与えられた呪言(じゅごん)の力は雨に弱かった。安兵衛の身体が濡れていると呪言の力が脚から逃げ、身体全身を駆けめぐる。それこそ彼の心の臓の動きをとめてしまうほどに。

 安兵衛はいまも絶えず回し続けている石臼をあらためて見る。

 中央にささっている鉄芯には、糸のように細くした銅線が巻かれていた。吉乃が持っている石棒と同じ、二種類の石により作られたこの石臼を回すと、鉄芯に雷に似た微弱な力が生まれる。その微弱な力は銅の糸を伝い、両脚にはめ込まれたふたつの半珠に送られ、爆発的な力を生む。

 この半珠こそが、八犬士の切り札。

 呪言という名の力が込められたこの半珠は、石臼から送られてきた力を増幅させる。その増幅された力が、鉄足の内側のからくりを動かし、足の裏の車輪を高速回転させることで、安兵衛の爆発的な速力を生み出しているのだ。

 ただ、この力は鉄脚が濡れると水を伝って力が外側に逃げてしまう。だからといって、力が逃げにくい木製にしては強度的に弱く、生みだされる力に耐えきれずに壊れてしまう。さらに生身である上半身まで濡れていた場合、心臓にかかる負担が増す。それこそ、命が縮む程に。

 そもそも普通に使用しているだけでも命を削る。

 祖父が三日。父が六日。

 安兵衛と同じように自ら両脚を切断し、この鉄脚の力を使いはじめてから死ぬまでにかかった日数である。

 彼はこの力を使いはじめて今日で五日目。祖父よりは体力があるだろうが、父と比べてはどうか。

 まだ死ねない。義弘はああ言ってくれたが、八犬家を用いることは、義堯(よしたか)が強固に反対し続ける可能性が高い。八犬家としては義堯を黙らせられるだけの大きな手柄が必要だ。小田原を攻め落とし、犬江家の家督を継がせた弟の将来を明るいものにかえるのだと、安兵衛は自身に言い聞かせる。

 海辺から少し外れたところに、あばら家を見つけた。誰もいないことを確認し中に入ると、雨が屋根を強く叩く音が聞こえてきた。

 間一髪。

 雨では、あせって戻っても仕方がない。他の八犬士の呪いも雨に弱いものがある。あちらも雨があがるまでは無理には動くまい。

 安兵衛は雨の強さを見ようと壁板の隙間から外の様子をうかがう。

(なんだ、あやつらは?)

 彼の目に映ったのは、三十人ほどで相模方面へ走る集団だった。数もそうだが、驚くのはその速さ。安兵衛と違い、命を縮める呪いの力を使っているわけでもないだろうに、全員が常人よりはるかに速い。あっという間にその背中が小さくなっていく。

 安兵衛には、彼らの正体にひとつ心当たりがあった。

 風魔。氏政の曽祖父北条早雲(ほうじょうそううん)こと伊勢新九郎盛時いせしんくろうもりときの代から仕えていると聞く乱波(らっぱ)の集団だ。

 生野から事前にうけた説明では、小田原の前に彼らの里を急襲し無力化するということだったが、どうやら氏政の軍に同行していた者たちがいたらしい。訓練だけであれだけの速さで走ることのできる乱波。それがあんなに大勢。

「我、仁を貫くは、我が命を全うするが如く!」

 考えるよりも先に体が動いていた。安兵衛は戸をあけ放ち、雨が降っているにも関わらず、石臼を強く回して走りだす。

 降りしきる雨の中、前を走る男たちの背中がぐんぐんとせまる。最後尾を走る風魔衆が安兵衛に気づいた。だが、安兵衛はそれにはかまわず、彼の横を駆け抜ける。

「ぎゃ!」

 風魔衆が短い悲鳴をあげて倒れた。ふたり、三人と次々に倒れていく。だが四人目の横を通り抜けようとしたとき。

「跳べ!」

 静かでありながら、鋭い声があがったかと思うと、四人目が指示通り真上に跳ぶ。次の男も、その次も、遂には先頭を走る男まで、真上に跳んだ。

 安兵衛の奇襲の成果は三人。彼は風魔衆を抜き去ると、大きく弧を描いて彼らの正面に立ち塞がった。風魔衆の足がとまる。

「なに奴だ!」

「なんのまねだ!」

「殺されたいか!」

 風魔衆から即座にあがる声は、先頭にいた大きな金棒を背負った筋骨逞しい巨漢が片手をあげることでおさまった。男は獰猛な笑みを浮かべ、大地を揺るがさんとするような大声で吠える。

「いちいち狼狽えるでないわ、未熟者めらが! 相手が誰であろうと、思惑がなんであろうと、立ち塞がれば例外なく血祭りにあげるだけのことよ!」

 男の恫喝(どうかつ)は、安兵衛を警戒させ、他の風魔衆を振るい立たせるだけの力を持っていた。  

(だが、この男じゃない)

 彼の鉄脚の足首にあたる箇所から、雨と血に濡れた刃が、地面に対して水平にのびている。これが一昨日の夜といま男たちを地べたにはいつくばらせたものの正体。

 人が殺し合いの場において、注意をむけるのは相手の手である。こちらの命を刈り取ることを可能とする武具を扱うのが、基本的に手だからだ。しかも自分の視点と同じ高さの者が、正面から高速で接近してくれば、自分の足元にまで注意を払うのは至難の技である。

 安兵衛の鉄脚の刃は、まさに人間の意識の外をついたもので、彼はただ走り抜けるだけで多大な戦果をあげることが可能であった。

 だというのに、後方からの安兵衛の奇襲に対し、跳べと指示したものがいる。それも集団の前の方から。人が邪魔で彼が何をしているかなど見えなかったであろうに、冷静に的確に指示をだした者がいる。それは力強く吠えた、目の前の男ではない。

 彼は大きく息を吐くと、再び石臼をまわして走りだす。今度は先ほど通り抜けたのとは逆側に。

 正面から安兵衛と相対した風魔衆は、今度は誰一人として鉄脚の刃に引っかからなかった。刃の届く距離にいた者はことごとく見事に跳んでみせた。

 狙われる箇所がわかっていたとはいえ、見事な対応力、見事な反射神経である。

空座(からざ)!」 

 風魔衆の最後尾を抜けた安兵衛の耳がピクリと反応する。

 この声だ。先程の静かでありながら鋭き声。

「おう!」

 声に応えた男が、駆け抜けた安兵衛を追いかけ走り出す。なんとその男は生身の足でありながら、安兵衛に追いついてみせると背後から安兵衛を忍刀で斬りつける。

 安兵衛の右手が飛んだ。斬られたひょうしに体勢が崩れ、右足の刃が地面に当たり折れる。折れた刃は大地に跳ね返され、安兵衛を斬りつけた男の脇腹に深々と突き刺さった。

 安兵衛はなんとか片手で石臼を回し、体勢を立てなおす。風魔衆から少し距離をおいた位置で、再び旋回し風魔衆と向き合う。

 見れば刃が刺さり倒れた男に、先程の大将格の男が、金棒片手に走り寄っているところであった。

「がはは。でかしたぞ、空座!」

「お、おう。はがん―――」

「あとは儂らに任せて逝け」

言うが早いか、大将格の男は倒れていた男の頭を金棒で叩き砕く。

「……命があれば指導役くらいはさせれたものを」

 集団の中から零れた小さな呟きは、誰の耳に届くことなく宙に消える。

 大将格の男は安兵衛を見て笑った。

「どうだ、小僧。まだやるか? もう我らにとって、きさまは脅威にはならんぞ」

破顔丸はがんまる、油断するな。こやつ、おそらくお頭の書状にあった八犬士の一人であろう。まだ奥の手を隠しているやもしれん」

(ああ、この声だ。あいつか……)

集団の中から一人、破顔丸と呼ばれた男に歩みよる青年の姿を安兵衛はとらえた。色白ではあるが、知性も精悍さも持ち合わせているように見える美男である。

「よく見ろ、静馬(しずま)。あやつがあの速さで駆け抜けたのは、あの石臼を回していたがゆえであろう。片手ではろくにまわせまい。空座は詰めが甘かったが、最低限の仕事はしおったわ」

 安兵衛は自身の右手を見る。斬られた手首から血がとめどなく流れている。だがそれは命をすでに捨てている安兵衛にとってたいした問題ではない。その気になれば片手でも命尽きるまで全力で石臼を回すことはできる。

 問題は強さを増した雨である。

 鉄脚はすでに全体が濡れている。実はいまの安兵衛の速度は、昨日や一昨日と比べると、明らかに遅かった。鉄脚の動力部に流れなければいけない呪いの力が、鉄脚の外面にまで逃げてしまうのである。しかも、逃げた力の一部は水を伝って、安兵衛の生身の部分にまで流れてきていた。一昨日の夜と比べると三割は遅く感じるのに、心臓にかかる負担は倍に感じる。雨の影響がこんなにも大きいとは安兵衛の想像を超えていた。

(ここまでか)

 安兵衛は覚悟を決める。胸の内で生野(いくの)たちに謝り、そして願う。どうか自分の分まで、安房に残る家族の将来を救ってくれと。ここにいる風魔は全て倒すからと。

「我、仁を貫くは、我が命を全うするが如く!」

 呪文を唱えなおすと、二つの半珠の輝きがより一層増した。

 彼が片手で石臼を回す。今度は左右どちらにもいかぬ。風魔衆へと正面からまっすぐに。

 風魔衆から棒手裏剣が複数飛び、そのうちの二本が安兵衛の胸に刺さる。だが、そんなものでは止まらない。風魔に肉薄したところで、安兵衛は石臼から手を離し、安兵衛の鉄脚のつけ根に取り付けられた『仁』の半珠を右手首で、『如』の半珠を左手で強く押し込んだ。

 正面から安兵衛を打ち据えようと、金棒を振り上げていた破顔丸が、金棒を渾身の力で振り下ろしたが、金棒は地面に大きな穴を開けただけ。破顔丸の(すね)に持ち主をなくした鉄脚が勢いよくぶつかり、破顔丸はうめき声をあげながら倒れた。

 残りの風魔衆が空を見あげる。

 そこには安兵衛がいた。半珠から上の、生身だけと身軽になった彼が、空高く打ち上がっていたのである。

 安兵衛の足のつけ根から、何かが風魔衆の頭上に拡がりながら降った。風魔衆に降りそそいだのは網。ただの網ではない。糸のように細く加工した銅の網。倒れた破顔丸はもちろん他の風魔衆も人間が空に打ちあがるという予想外の出来事に、それをとっさにかわすことができなかった。ただ一人を除いて。

「うおおおお!」

 彼が力強く吠える。渾身の力で石臼をまわす。片手になりながらもこれまでで一番の回転の速さ。半珠がこれまでにないほど強く輝きだす。足のつけ根から火花が飛び散り、白い光がつけ根から伸びた銅線を伝い、風魔衆に降りそそいだ銅の網に到達する。

 絶叫が二十名以上の男たちの口から一斉におこった。男たちに降りそそぐ雨は、一瞬にして蒸発し、焦げ臭い煙と一つとなって、周囲を白く染めていく。

 石臼を回し続ける安兵衛が、背中から地面に落ちた。

 彼の息が詰まる。それでも石臼を回す左手は止まらない。呪言の力はびしょ濡れになった安兵衛にも容赦なく襲いかかる。毛穴、口、鼻、耳、肛門。彼の体の穴という穴から煙が空にむかって立ちのぼる。

 突然、石臼の回転が止まった。安兵衛が不思議そうに自分の左手を見る。左手はしっかりと石臼を回転させるための棒を握っていた。ただし彼の身体からは離れていたが。

「やれやれ、皆から離れて正解だったな」

 声の主、破顔丸から静馬と呼ばれた青年が、刀を振るい安兵衛の首を斬り飛ばす。

「たった一人に、三分の一はやられたか」

 銅の網を払いのけ立ちあがる者と、いまだにピクリとも動かず網の下にいる者を見比べながら、静馬は憂鬱(ゆううつ)そうに呟いた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ