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墓無忍夢  作者: 地辻夜行
最終章 命繋ぐもの
43/43

(四十三)

 近くで名を呼ばれた気がして、重い瞼を持ち上げた。それでもまだどこか夢見心地で、自分は死んだのではなかったかなどと、ぼんやりと考える。

「煎十郎殿! 煎十郎殿! 良かった……もう眼を覚まさないのではないかと……」

 小さな小屋の床板に寝せられていた煎十郎の顔に、冷たくて暖かいものが落ちた。

 それは涙、肩口にも届かぬほど髪が短くなった時雨(しぐれ)雨雫(あましずく)

「時雨……殿? 良かった。生きていらしたんですね」

 泣き笑いの時雨に支えてもらいながら、煎十郎は上体を起こす。

 少しずつ記憶が蘇ってくる。

 崖下へと転落しそうになった自分を、生野が助けてくれた。懐かしい自信に満ちた笑顔で励ましてくれた。

 そこに現れた乙霧の妖艶な笑み。笑顔のまま生野の手を静馬の刀で刺す。

 放される生野の手。

 乙霧の行動が理解できぬまま、自分は崖下へと落下し、川に落ちた。

 そこからの記憶がない。

「上流から流れてきた煎十郎殿を、なんとか川から引き上げまして、近くにあったこの小屋まで運んだのです。煎十郎殿は、丸一日眼を覚まされなかったのですよ」

 考えこむ煎十郎を見かねたのか、時雨がまくしたてるように説明する。

 小屋の中を見回してみれば、煎十郎と時雨の着物が干されていた。いまは二人とも薄衣一枚。

 あらためて互いを見やると、なんだか気恥ずかしくなり、二人そろって頬を染めて目をそらす。

「え、えと。時雨殿はそのどうしてその……川の側に?」

 煎十郎が問うと、時雨の顔つきが真剣なものに戻る。

「静馬兄様が、私にそこで待つように言ったのです。一日待っても何も流れてこぬか、死んだ煎十郎様が流れてきたのなら、私もそこで自害するはずでした」

 時雨の告白に煎十郎は眼を丸くする。

「でも! もし! もしも万が一、煎十郎様が生きて流れてきたならば……」

「きたならば?」

 再び二人が至近距離で見つめ合う。

「風魔の煎十郎と時雨を殺し、ただの煎十郎と時雨として生きよと」

 煎十郎は先程の、といっても一日前になるのだが、静馬の様子を思い浮かべる。確かに煎十郎が知る静馬らしくない行動ばかり。そもそも静馬は争いの苦手な自分を、極力戦闘には巻き込まぬよう、いつも配慮してくれていた。いくら人手が足りないからといって、戦闘になるかもしれない相手の捜索にかりだしたのがそもそもおかしい。

「まさか、すべてこの万が一にかけるために?」

 もちろん全てが静馬の計算通りにいったわけではないだろう。だが彼がこの結果に辿り着くのを願ってくれていたのだけは間違いない。

「静馬さん」

 あの後、静馬や生野がどうなったかはわからない。ただ、あの時の乙霧を思い出すと、ふたりとも生きてはいないのではと思う。

 彼らの生死を調べようと思えば、風魔の里に戻るのが一番良い。でも、戻ってはいけない気がする。あの時、どちらも自分のために行動してくれていた。戻ればきっとそれを台無しにする。ふたりの想いに応えたいという気持ちが、煎十郎に芽生える。

 煎十郎は眼を閉じ、これまでの人生を振り返る。風魔にもらわれて以降、風魔の為に、小太郎の命じるままに生きてきた彼に、ただの人としていきていけるのだろうか。

 いや、一度だけ、たった一度だけではあるが、風魔のためではなく、小太郎の命令でもなく、自分の心に従って行動したことがあった。

 煎十郎は眼を開き、時雨を見る。時雨はいまも真っ直ぐに煎十郎を見つめかえす。

 あの時、失いたくないと思った命は、いまも彼の隣でこうして輝いている。

 煎十郎は時雨の手に、自分の手を重ねた。

「東へ、いや北かな」

「え?」

 きょとんとする彼女に、彼は笑いかける。

「まだ、小田原から東や北へは、行ったことがないんですよ。静馬さん、私の見聞きしたことの話を聞くのが好きだって言ってました。大事な友も、たぶんそちらへは行ったことがないと思うんですよ。二人にまた会えるかはわかりませんが、いつか話を聞かせてあげたい」

 この世では二度と会えないかもしれないふたり。されど冥土への土産話にはなるかもしれない。

 どうせ土産話にするならば、ひとりよりも彼女と共につくりあげた話のほうが、きっと華があるであろう。

「ついて来ていただけませんか?」

 時雨はまた涙を流し、何度も何度も頷いてみせる。

「はい! はい! どこへだろうとお供いたします!」

 煎十郎の胸に顔をうずめてきた彼女を、彼はきつく抱き寄せた。

 それから数刻の時が流れ、二人は乾いた着物を着直して表へと出る。

 昨日から降り続けていた雨はつい先ほどやんでいた。

 二人が手を繋ぐ。それに呼応するように、雲間から太陽が顔を見せる。

「やあ、久しぶり」

 煎十郎は、雲間から差し込み顔を照らす光へ、懐かしき友に出会ったように、声をかけた。

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