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墓無忍夢  作者: 地辻夜行
最終章 命繋ぐもの
40/43

(四十)

三十八話の前に三十九話を投稿してしまいました。話が繋がってないと感じられた方はご覧になっていただけると幸いです。

 乙霧は崖の前で悲鳴を聞いた。両脇を風魔衆の女たちにしっかりとかかえられ、身動きがとれない。

 乙霧の背後にいた女も含め、三人の女の風魔衆が不安げに顔を見合わせる。

「ご安心ください。犬に襲われただけでしょうから」

 彼女は安心できない言葉をさらりと言う。

「おそらく最後の抵抗でございましょう」

 乙霧のその言葉を合図に、森から逆鉾(さかほこ)が姿を見せる。後ろに続く風魔衆の一人が、八犬士と思わしき男を引きずり、ふたりが煎十郎と足を怪我したらしい仲間にそれぞれ肩を貸していた。

「最後で油断されたようでございますね」

「未熟者がおってな」

 彼女の皮肉に、彼が鼻をならす。

「それで、私達まで捕えた理由をお聞かせいただけますか、逆鉾様」

 気を失ったままの生野(いくの)以外が、逆鉾に目を向ける。風魔衆の目は、乙霧を殺した方がよいのではと訴えている。この女は小太郎の協力者。八犬士との争いに勝利したいま、生かしておいても利益はない。

 しかし、すでに勝利を確信している逆鉾は、目の前の美女も戦利品として加えられないかと欲をかきはじめる。なにせ若い頃は、力任せに北条に敵対する土地を急襲しては、殺したいだけ殺し、奪いたいだけ奪った男だ。欲しいものを手に入れるのは、勝者として当然の権利と考えている。生野をその場で殺さず連れてきたのも、呪言の力を欲したからだ。

「捕えた? それは誤解だ、乙霧殿。貴殿ならここまで来られるとは思ってはいたが、それは頭領を連れて来てのことだと思っておったのだ。ところが一緒におったのは煎十郎。もしも八犬士がそなたに近づき、破顔丸のように正気を失い襲いかかったら、煎十郎では貴殿を守りきれまい。そうなる前に保護したのだ

「煎十郎様に危害をくわえたのは?」

「煎十郎は頭領のお許しなくここまで来たようだから、軽い灸をすえただけのこと」

 彼女が煎十郎を連れてくることは、静馬から予測としてを聞かされていた彼は、余裕をもって答える。 

 乙霧が鼻白む。

「危険を伴う八犬士の討伐に、わざわざ女性の方を連れて来るなど、私への対策としか思えませんが」

「その三人は女と言えども、時雨と同様に乱波だ。手負いの八犬士を追うのに不足はない。山の奥に引きこもっている一夜と一緒にされては困る」

 彼女は納得した。考えてみれば、逆鉾は今の小太郎と同年代。三十年前の風魔による一夜の里襲撃に加わっていたとしても不思議はない。

 とにかくこの戒めを解かせようと、もう一度口をひらきかける。だが目の端に、地面に転がされていた生野の指が動いているのが映る。

 まずい。彼女そう思った時には遅かった。世界が突然白一色に染まる。目が熱い。周囲からも苦しむ声が聞こえ、乙霧は自由を取り戻す。目の熱さに耐えながら、頭だけを両腕で庇い、その場にうつ伏せる。

「くそっ! 何事だ!」

 逆鉾の怒声が聞こえる。続く複数の悲鳴。乙霧は最悪の事態にならないことだけを祈りながら、うつ伏せたままじっとする。誰かに体を何度か踏まれたが、声をあげずに堪えた。ただひたすらにじっとして視力の回復を待つ。

 金属同士が激しくぶつかり合う音がした頃になって、ようやく乙霧の視界が戻った。

 乙霧はなるべく体を動かさないように注意して周囲の状況を確認する。

 まず、目に入ったのは乙霧を押さえていた女衆の一人が血を流してぴくりとも動かぬ姿だ。そこから、そろりと首を動かすと、順に動かぬ肉となった風魔衆の姿が映る。

 荒い息遣いが聞こえ、乙霧は顔をあげる。逆鉾と生野だ。

 生野は片膝をつき、刀を地面に突き立て、空いている手で喉を押さえ荒い息をついている。対する逆鉾は、右手で顔の半分を押さえ、左手で忍刀をふり上げていた。

「やってくれたな、死にぞこないめ! だが、これで終いだ!」

 逆鉾が吠える。だが生野の頭に落とされたのは、白刃ではなかった。生野の頭を打ったのは、逆鉾の頭。胴体から離れた、逆鉾の頭。

 乙霧には、このことが自身にとって希望なのか絶望なのか、判断がつかない。

 なぜなら、倒れた逆鉾の身体の向こうで刀を鞘におさめていたのは、薄笑いを浮かべた静馬であったから。

「いやいや、まさか煎十郎と乙霧殿を残して全滅とは。八犬士、敵ながら見事」

 突如として現れた静馬に、生野は苦痛に顔を歪めつつも、大きく跳び退き、崖を背にして刀をかまえた。生野は気づいている。いま眼の前に現れたこの男は、いまは納刀しているにも関わらず、先程の壮年の男よりはるかに手強い相手であると。

「逆鉾殿は静馬殿がお斬りになったのではありませぬか」

 立ちあがりながら、乙霧が言う。彼に話しかけながらも、乙霧の目は自分と同じく立ちあがった煎十郎の姿を捉えていた。最悪の事態は免れたことを確認し、乙霧は胸を撫でおろす。

「老害を残していても、風魔のためにはならんからな」

 逆鉾の死体を一瞥することもなく冷たく言うと、静馬は生野を中心に円を描くように右回りで崖に向かって歩きだす。乙霧がいるのとは逆方向だ。生野は刀を構えたまま、彼の動きに合わせて身体の向きを変える。

 静馬が崖を右手に彼と向いあったところで立ち止まった。

「大陸には背水の陣と呼ばれる策があるそうな。己の退路を自ら断ち、実力以上のものを発揮する。精神論など馬鹿らしいとは思うが、もしもを考えねばな」

 彼の言葉に、生野は胸の内で無駄だと叫ぶ。八犬士は最初から追い込まれた状態でこの戦に臨んでいる。崖をせにしたのはお(あや)の命を奪った女に背後をとらせぬためだ。

 彼の胸中など知らず、静馬は立ち上がったばかりの煎十郎に声を飛ばす。

「煎十郎、動けるな。箱を置いてこちらに来い、そこらに落ちてる刀を拾ってな」

「え?」

 戸惑う煎十郎の身体を、静馬の叱責が打つ。

「ぐずぐずするな! こやつは八犬士の筆頭。お前がこやつの首を取り、一番手柄をあげれば、お前たちの意見も多少なりとも聞き入れられるやもしれん!」

 静馬の言葉が、自分と時雨を思いやってのものであることはわかる。だが彼が自分に討ち取らせようとしている相手が悪い。

「早く!」

 再度の叱責で、煎十郎は弾かれたように動きだす。背負っていた箱を置き、近くに落ちていた忍刀を拾い上げ、静馬に歩み寄る。

 彼は生野から眼を逸らさず、煎十郎に問う。

「それで、どうであった? この者はお前の知る者か?」

 静馬には詳しい事情を説明していなかったが、どうやら察していたらしい。

「はい。拙者の……友……です」

 煎十郎が生野を見つめながら、苦しげに言葉を吐き出す。

「そうか。また、ややこしい関係じゃが、万に一つが、千に一つくらいにはなるかのう」

 そう呟いたかと思うと、静馬は煎十郎の服の袖を引き、自身の前に立たせる。煎十郎はその拍子にせっかく拾った忍刀を取り落す。何をするのかと問い質す前に、彼が耳元で囁く。

「時雨はお前と地獄で夫婦になるのを望むとのことじゃ。すぐに追ってやれ」

 煎十郎が言葉の意味を理解するより早く、静馬は彼を右斜め前方へと強く突き押した。

「うわっ!」

 細見ながらも鍛え上げられた静馬と、見た目通り華奢な煎十郎。

 彼は抵抗することもできず、よろめきながら前に進み、そして崖へと足を踏み外した。

「煎十郎様!」

 声を上げたのは乙霧。動いたのは生野。

 煎十郎の手が崖から消えて行きそうなる直前、刀を投げ捨てた生野の手は、辛うじて友の手を掴みとる。

 なんとか掴んだが、彼は満身創痍。落下する煎十郎に引きずられ、地べたに這いずった生野の身体も、崖下へと持っていかれそうになる。それでも彼は、煎十郎の手を掴んだ手の力を弱めない。足を拡げ指を地面に突き立て、必死に耐える。小田原城で彼の戦いはすでに決着がついていた。まもなく消える自身の命と裏切ってしまった友の命。選ぶなら友の命。

「生野、手を放せ! お前まで落ちる!」

 すでに生野は返すための声を失っている。その彼がひそかに笑う。俺に任せろ。その顔は二人が出会った時、煎十郎が生野に初めて助けられた時に見たその時の顔だった。

「なにをなされるおつもりですか! いまその八犬士に手をだせば、煎十郎様が崖下に落ちてしまいます!」

 ゆったりとした足取りで、這いつくばった生野に近付いていた静馬を、乙霧がとがめる。

 静馬は足をとめ、乙霧に向き直った。

「うむ。戦に犠牲はつきものでござるな。残念だが仕方ない」

「な、なにを言われるのですか! 煎十郎様は私の婿として一夜に行くのです! 小太郎様との約定、風魔衆の貴方様が反故(ほご)にされる気か!」

「反故?」

 静馬は心底不思議そうな顔をする。

「おかしなことを言われる。貴殿が風魔衆から婿を連れて行くのは、この戦に勝利したあかつきでござろう? この男を殺さねば決着が尽きませぬ。そして煎十郎は風魔。戦にて命を落すこともありましょう。貴殿はこの戦が終わった後、ゆるりと婿を選ばれるがよい。生者から選ぶも死者から選ぶも貴殿の自由だ。もっとも、貴殿の身体が死者に対して疼くとは思えんがな」

 またもや薄く笑う静馬に、乙霧は絶句する。彼女の彼への評価は、頭も切れるし、腕も立つが、身内に甘い。だが、いまの静馬は違う。平然と味方の首を斬り飛ばし、弟のように可愛がってきた男を犠牲に勝利を得ようとしている。あまりの変わりようだ。

 乙霧は焦る。免れたと思っていた最悪の事態が、また目前に現れる。このままでは生野が殺され、煎十郎が崖下に落ちる。時間もない。本来であれば時間稼ぎと情報収集を兼ねて、静馬にいろいろと聞きたいところだが、彼らの体力がもたないだろう。今回の機会を逃せば、彼女は二度と運命を感じさせる相手には出会えない。乙霧は自由に里を出ることができない身なのだから。

 彼女はすでに事切れている女の風魔衆から忍刀を奪い取り、静馬に切っ先を向けた。

 静馬の笑いが深くなる。

「面白い。まさか一夜の方から風魔に敵対する道を選ばれるとはな」

 乙霧は答えない。追いつめられた彼女には、まだ見ぬ自身の美しい子供の姿しか見えていない。

「貴殿の体質ならば拙者から正気を奪い、その隙に命を絶つことができるやもしれん。ただ……」

 静馬が腰を落し、刀の柄に手をかける。

「拙者の技よりも早く、正気を奪えるかな?」

 そう言って、柄に手をかけたまま、乙霧ににじり寄る。

 このまま近づかれるのを待っていては駄目だと感じ、彼女は一か八か静馬目がけて駆ける。

 彼の技の間合いに入る直前、乙霧は忍刀を構えていた両腕を背中にまわし、まるで切ってくれんと言わんばかりに無防備な胸を突きだす。

 静馬は遠慮することなく刀を鞘から抜き放つと、乙霧の腰から右肩に駆けて刃を走らせる。

 乙霧の着物が斜めに裂けた。そこから噴き出たのは、赤き血ではない。茶色味がかった脂。乙霧が燃え尽きる前にお信磨の身体より採取した呪言の脂。

 着物の内側にしこんであったそれが、静馬の必殺の斬撃を鈍らせ、彼女の身体に衝撃を与えるだけに留めさせた。痛みに乙霧の顔が歪む。しかし足は鈍らず、構え直した忍刀が彼に刺さる。

 静馬は自分の懐に飛び込んだ彼女を見おろす。振り上げた刀を乙霧には振り下ろさず、地面に突き立てると柄から手を放し、刀がより深く刺さるのにもかまわず、彼女を抱き寄せた。

「なるほど。これは甘美な香りだ。一夜の男共が理性を手放したのも無理からぬことよな」

 鼻から胸いっぱいに乙霧の匂いを吸い込むと、彼女を突きはなす。倒れこんだ乙霧が驚きのあまり静馬を見やる。傷の痛みもあるのかもしれないが、一夜幻之丞にさえ理性を手放させた彼女の匂いに耐えてみせたのだ。なんと恐るべき胆力だろうか。

 自分を凝視する乙霧に、彼は懐から取り出した物を投げる。

「時雨の遺髪だ。貴殿が煎十郎を連れて行くのはもはや拙者にははばめぬ。せめて煎十郎が死を迎えた時は、時雨に返してやってもらいたい」

「……お約束いたします。でもなぜ……」

 こんな真似をしたのかを聞こうとして、乙霧はやめた。静馬の腕であれば、胸ではなく彼女の首をはね飛ばすこともできたであろうに、なぜそうしなかったかの疑問は残る。だが風魔を知らぬ乙霧では、彼を知らぬ彼女では、例え理由を聞いても理解できそうにない。

「やっと……俺も自由になれるか」

 静馬はその場に力なく座り込み、そのまま眠るように眼を閉じた。

「もういい! もういいってば、生野!」

 煎十郎の泣き叫ぶような訴えに、乙霧は我を取りもどす。立ち上がると袖から笛を取り出し、口に当てた。鶯の鳴き声のような音が辺りに響きわたる。

 乙霧は笛を袖にしまい、静馬が地面に突き立てた刀を抜き取ると、懸命に耐え続ける生野の背に向けて妖しく微笑んだ。

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