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墓無忍夢  作者: 地辻夜行
最終章 命繋ぐもの
39/43

(三十九)

「煎十郎様は、あの犬、いえあの犬が逃がした八犬士にお会いしたいのでございますね?」

 静馬達の乗る馬が走り去ると、相変わらずの距離を保ったまま、乙霧が煎十郎に問う。

「もしかしたら、友かもしれぬのです。拙者が南蛮の医術を学んだ府内で、共に過ごした」

 神妙な顔つきで煎十郎が言葉を漏らす。

「確かに八犬士に興味を示してはいましたが、本人がその血を引いているなんて一度も。だって彼らは決められた土地から一歩も出られないと行商さんは言っていたし。……だから確かめたいんです。彼なのかどうか」

「左様でございましたか。できれば風魔の方々より先に、煎十郎様を八犬士の元にお連れできればよいのですが……」

 叶わぬかもしれぬという言葉を言外に滲ませ、彼女は足跡が続く木々の向こうへと目をやる。

「行きましょう」

 強く言い放ったのは煎十郎だった。

 迷いが晴れた訳ではない。八海に瓜二つだった犬が背負った八犬士が、友である生野であるという保証もなければ、会ってどうしたいのかという答えも出ていない。

 一夜の婿になることが決まってはいても、煎十郎はまだ風魔である。頭領の命も受けずにこんなところまで来ることは、本来許されることではない。いくら静馬の口添えがあったとはいえ、静馬自身が小太郎に許可を得たわけではないのだ。咎められても煎十郎に返す言葉はない。

 それでも煎十郎は、逃げた八犬士に会いたかった。保障がなくとも、煎十郎の中では、すでに最後の八犬士は友人と重なっていた。

 友人と京で出会ってから府内でともに過ごした六年間、ずっと疑問に思っていたことはある。

 なぜ生野と自身が似ていると感じたのか。

 外見も内面も似ているとは言い難い。友人は誰が見ても美男子で、それを除いたとしても人を惹きつける魅力にあふれた男だ。日々逞しく成長し、知恵にも優れている。性格は明るく強気でありながら、他者に気配りもできる優しさを持ち合わせ、人の上に立つのが自然な男。それが煎十郎から見た友人だった。

 対して煎十郎の自己評価は高くない。容姿は甘く見ても並。風魔衆としての試験を落ちただけあって、運動能力は体力を除いて人より劣り、集中して学んだ医術や植物学に関しての知識に自信はあるものの、柔軟性がなく、学んだことを他に活かすなどということはできない。気弱で人見知りも激しかった。友人と仲よくなれたのも、正反対のような存在だからだろうと思っている。

 それなのに、二人は似ていると感じていた。不思議に思う。

 境遇が似てるのかとも考えたが、友人から聞いた話では、彼は天涯孤独。

 だが、その分彼は自由であった。生きる糧を得るために、その美貌を使う必要があったとはいえ、彼自身が選んだ道。己の外見を活かして生きると決めたのは彼。世話になる相手を選んだのも彼。煎十郎と府内に来ることを決めたのも、学ぶものを何にするかを決めたのも、八海を飼うと決めたのも、諸国を旅すると決めたのも彼自身。彼は自由に愛されているように煎十郎には見えていた。

 風魔衆にもらわれ、風魔の掟に従い、乱波の道を断念し、小太郎の命で医術を学び、小太郎の指示で里へと戻り、里のために学んだ医術の腕を振るい、そのうちに小太郎の決めた相手と結婚し子供をもうけ、その子供を風魔衆として里に差し出す。

 何度考えても、友人と生い立ちが似ていたりはしない。

 だが、もしも友人の生野が八犬士であったのならば、話に聞いた八犬家の未来のために命を捧げている八犬士の一人であったのならばどうだろうか。素性を隠してはいても、本人が隠しているつもりでも、言動からその立場が、生き方が滲み出てしまっていたのならば。

 煎十郎が、二人が似ているように感じたとしてもおかしくはない。生野が八犬士であると仮定すると、すべてが腑に落ちすっきりとしてくる。

「行きましょう」

 煎十郎はもう一度言った。

「最後の八犬士に会いたいのです。彼は友人ではないかもしれない。すでに風魔が討ち取っているかもしれない。それでも私は彼に会ってみたいのです。乙霧殿、お力をお貸しくださいませんか?」

 乙霧は煎十郎を正面から見つめ、真摯に頷く。

「はい。行きましょう、煎十郎様。わたしは煎十郎様のためにも、私自身のためにも、最後まで全力を尽くす所存にございます」

 二人は犬と人の足跡を確認しながら、慎重に森へとわけいる。あの犬が足跡の続く先で倒れているのなら、二人と同じように犬の足跡を追ったと思われる風魔衆によって、八犬士はすでに討ち取られているか、捕縛されているかしていよう。普通に考えれば足跡を追うだけでは風魔衆よりも先に犬の元へたどり着くことはできないのであるが、いまは他に頼るものもない。はやる気持ちを抑え、足跡を追跡するより他なかった。幸いだったのは、先に進んだ風魔衆が、犬の足跡が続く箇所の藪を切り払ったり、踏み折ったりしてくれたお蔭で、足跡を追うのが比較的容易であったことだろう。

 森の中は静かだった。雨がやんだいまは、風が枝を揺する音がするくらいで、生き物が住んでいるとは思われないほど森は息を潜めている。

 犬は相当奥まで入って行ったのだろう。足跡は続き、いまのところ争うような音も聞こえてこなければ、人が戻って来るような気配もない。黙して歩みを進める二人の耳に、やがて川の流れる音が聞こえてきた。ただ、近くでという感じではない。

「この辺りは、一夜の里の近くに雰囲気が似ております。もしかしたら崖が近くにあり、その下を川が流れているやもしれません」

 あたりの草木の様子から判断したのか、乙霧がそのようなことを言う。それから半時もかからずに、二人は乙霧の言ったような崖にでた。犬の足跡は崖の先端まで続いていたが、人の足跡はそこからばらばらに別れている。

「ここまで走り、崖の直前で力尽き、がけ下の川に転落した。風魔衆はそれぞれ別れて探索を続けている、ということでしょうか」

 乙霧は納得のいかない様子を隠すこともなく、その場で考えこむ。

 彼女が崖下を覗き込む様子を、煎十郎は黙って見ていた。いや、目は乙霧に向けられてはいたが、彼女を見てはいない。煎十郎が見ていたのは過去。府内にいた頃に見た懐かしき光景。

 生野と煎十郎が住まわせてもらっていた府内の商家の別宅に、八海がやってきたばかりのころ。連日で降っていた雨があがったある日、煎十郎は庭の見える一室で、生野が翻訳してくれた南蛮の医学書を読んでいた。生野は雨のせいでしばらく外出しなかった憂さを晴らすように、自己研鑚のためと称して府内の町に飛び出す。遊んでもらいたい盛りの八海は、それでもついてまわっては主人の迷惑になると理解しているらしく、特に紐で繋がれている訳でもないのに、庭で大人しく生野の帰りを待つ。ただ、退屈ではあったのだろう。縁側をしきりに歩き回っていた。

 その八海が不意に縁側から垣根までゆったりと進んだかと思うと、垣根の根元を掘り始める。

 その様子に気がついて本から顔をあげた煎十郎は、慌てて立ちあがった。八海が掘った穴から外に出ていってしまうのではと思いいたったのだ。

 その心配は杞憂に終わる。穴を掘りおえた八海は、首だけを曲げて後ろを確認し、器用にも自分がつけた足跡にぴったりと足を合わせて後ろにさがってみせた。そのやり方で縁側の前まで戻った八海は、そこから後ろ向きのまま縁側に跳び乗る。そして呆然と立ち尽くしていた煎十郎の前に右の前足をあげ一声鳴いた。どうやら、足を拭けということらしい。

 人はおろか犬にさえ逆らえない気弱な煎十郎は、八海の催促通りに、布を持ってきて四本の足すべてを丁寧に拭いてやり、さらには八海が最初に跳び乗り汚れた場所も拭いてやる。

 それを見届けると、八海はもう煎十郎には用がないと言わんばかりに背を向け、そのまま縁側を歩いてどこかに行ってしまった。

 残された煎十郎が読書を再開し、いつの間にか日が暮れたころ、出歩いていた生野が屋敷へと帰ってきた。

 彼は煎十郎の部屋を訪れ、八海を見ていないかとたずねる。

 読書を再開してから、一度も八海を見かけていない煎十郎はその通りに答えた。

 どこに行ったのだろうと、頭を掻いていた生野が、庭に目を向ける。庭の様子に気がつき、裸足のまま庭に飛び下り、すごい勢いで垣根へと走り寄った。

 そのとき、煎十郎は足に何か当たるのを感じた。下を見てみると、いつの間に来たのか八海が尻尾を嬉しそうに振り、煎十郎の足に当てていた。

 八海は足音を立てずに庭におりると、汚れるのも構わずに這いつくばり、八海が掘った穴から外を覗き見ていた生野の上に、のっそりとのしかかる。

 生野が驚いてくるりと身体の向きをかえて、八海を抱きしめた。

「この野郎!」

 そのまま泥だらけになってじゃれ合い始めた主従を、煎十郎は半ば呆れて、半ば羨ましく思って眺めていた。

 彼は過去の幻影を振り払うように首を大きく横に振る。すぐに後ろを振り返り、犬の足跡を辿って抜けてきた森へと急ぎ戻った。周囲の藪が深くなっているところで立ち止まり、辺りを見回す。生い茂る笹の中に、不自然に泥がついているものを見つけると、そちらの藪を掻き分け、奥へと入っていく。

「煎十郎様。いかがなされましたか?」

 遠くからの乙霧の声は聞こえてはいても、頭にまでは入らず藪の中を進み続ける。

 しばらく進んだところで、彼はとうとう見つけた。白く大きな犬が、倒れている人間に覆いかぶさっているのを。

 犬の頭の横から見えた人の顔を見て、煎十郎は息を呑む。その顔は間違いなく府内で共に暮らした友人生野のものであった。

 声をかけようとした彼の頭に衝撃が走る。その力に抗えず前のめりに倒れ、地面に突っ伏す。

「でかしたぞ、煎十郎。まさかお前が見つけてくれるとはな。おかげで面倒なことにならずに済む」

 喜びを抑えきれない逆鉾の声が、倒れた煎十郎の頭に響いた。

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