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墓無忍夢  作者: 地辻夜行
五章 難攻不落の城に、呪いの牙が喰らいつく
33/43

(三十三)

 生野が風魔衆と争っている間に、日は完全に山のむこうへと沈み、闇の帳がおりていた。

 彼は草履を脱ぎ、置いておいた赤い石でできた歯の短い下駄に履き替え、二本の指し物を帯にさす。一本は里見家の家紋が描かれ、もう一本には八犬士推参の文字が書かれていた。

 生野は首に巻かれた黒い布を取り払い、指で宙に文字を描く。

『我、智を行使するは、我が命次代の生に捧げんが為』

 うなじの『智』の半珠が光を集めはじめ、喉の中に埋めこんだ小さな複数の反射鏡で光量と熱量を増幅させた光を、喉元の『生』の半珠から照射する。これが彼の呪い。なんの工夫もなく使えば、ただ目立つだけの呪言。

 彼は大きくふくらんだ布袋を背負い、足で盛り上がっている土をはらい、赤い石が姿をあらわす。生野は正面を見すえる。喉から発する光が、遠くにぼんやりと小田原城天守閣を映す。

 生野は小田原城を見すえながら、八風の頭をひと撫ですると、赤い石を跨ぐようにして右足を踏み出した。

 その右足は地面を踏む直前でとまる。彼が右足に力を入れるが、それでも足は地面につかない。

 生野は唇を噛みしめ、正面に頭を下げる。その想いは小田原城を越え、その向こうの森へと飛ぶ。

 吉乃(よしの)と小三治の二人は、命を散らしながらも、見事に使命を果たしてくれていた。

 顔をあげた彼は、今度は左足を前に出す。左足も地面につかない。しかも右足よりもわずではあるが、地面から離れている。

 そうして見えない道を確かめるようにして、慎重に一歩ずつ歩みを進めていく。

 生野の足は少しずつ地面から離れる高さを増し、確かに宙を歩いていた。

 吉乃が残した磁力の呪言が、小田原城に行くための道を造りだしたのである。

 異なる二ヶ所に埋められた呪いの磁力を持った二本の棒は、お互いを結んだ直線上に強い磁極を造りだした。その発生した磁極の上に、同じ磁極の石を置いてやると、その石は同じ磁極による反発力によってうく。二本の棒の呪言が重なる直線の中央に近づけば近づくほど反発力が強まる。そこを小田原城の本丸に合わせた。

 その効果は実験により実証済み。ただし、ここまでの長距離で試すのは初めてである。成功して良かったと生野は心から思う。これで誰一人とて無駄死ににはならない。

 いまごろは小田原城に忍びこんだお(あや)とお信磨(しま)が、本丸の屋根瓦に油をまくために死力を尽くしてくれている。

 呪言の力があるとはいえ、警戒の厳しい城に潜入して目的を果たすのは容易ではない。

 それでも無事でいてほしいと思う。たとえ呪言の力で残された時間が短かったとしてもだ。せめて彼女たちくらいは、自身の目で一族が解放されるのを見届けてほしいと願わずにはいられない。

 生野は慈愛に満ちた視線を背後にむける。赤い石の出っ張りの横に、八風がじっと座りこちらを見つめていた。

 これからは自由に生きてほしい。彼は胸の中で八風に別れをつげ正面に向き直る。

 一段、また一段と、見えない勝利への階段を慎重にのぼっていく。八風の遠吠えが背中に届くが、生野はもう二度と振り返らなかった。

 彼の歩く高さが平屋の建物の屋根の高さをこえたころ、人々が明かりに誘われる蛾のように、通りへと集まる。

 人が自ら光を出して宙を歩く。この不可思議な現象に小田原の人々は騒然となった。

 一昨日は、病で人が数人まとめて倒れたと騒ぎが起こり、昨日は昨日で町の一角に賊が現れる。しかも、噂では氏政が里見に敗れたらしいとも伝わってきていた。そこにきてのこの騒ぎ。

 小田原の住民の心がざわつく。

 生野の美しい姿は、光をまとい神々しくすらある。彼らの人々の目には、天が民を祝福する予兆にも見えれば、血塗られた戦を繰り返す北条に裁きがくだされる前兆のようにも感じられたであろう。

「見ろ。里見の旗だ!」

「八犬士だ! 里見の八犬士が攻めてきたぞ!」

 半珠が集める光によって照らされた背中の幟を見て、騒ぎたてる者がでてくる。

 住民の心にとどめをさすように、生野は背負った袋から紙の束を取り出し、歩みを進めながらそれをばらまく。

 そこには、ここ数日の八犬士と北条の争いと、これから小田原城が八犬士との戦いで炎上する旨が書かれていた。

 八犬家を出る前に準備したものであるから、戦いの内容は捏造した新生八犬士活躍の物語だが、宣伝にはこれぐらいが丁度よい。小田原城下町ともなれば、字が読める者も少なくはないはずだ。

 これは潜入しての破壊工作ではない。里見家と北条家の間の、正式な戦である。故に小田原城を攻め滅ぼす八犬士は、里見家の勝利の立派な戦功者。

 生野はこの認識を、八犬士への偏見を植え込まれた里見家ではなく、八犬士の歴史をほとんど知らない北条側に浸透させることで、外側から里見領内の世論を動かそうと考えた。

 義弘の予想外の采配で、図らずも八犬家の立場回復の道を掴みはしたが、義堯(よしたか)を筆頭に、反対する者は必ずでる。対外的に八犬士が大きな手柄をたてたのだと広まれば、反対派を黙らせるのに、少しは役立つであろう。

 姓をかえることで、八犬家を継ぐ者が、八犬士健在なりとできないのは、少しばかり残念に感じるが、いまは残される者のために、自由の獲得を少しでも確実なものにしなければならない。

 人々の不安と畏怖に満ちた視線に背中を押され、彼は三の丸の上空まで歩みを進める。

 右手に蓮池が、左手に大手門が見える。侍屋敷からも人が出てきて生野を見上げていたが、彼らは宙を歩く生野に手も足も出せない。

 生野は胸騒ぎを感じた。

 二の丸に到達しても、鉄砲や弓を持ち出してくるような者がいないことで不安が強くなる。

 お礼とお信磨のふたりが、北条に見つかってしまったのではないのかと考えたのだ。それで武具を持った者のほとんどが、本丸に向かってしまっているのではないかと。

 ふたりは見つかったとしても、目的を成し遂げようと奮戦するに違いない。特にお礼は、八犬家に戻った生野に、苦難を共にしていない奴に頼る気はないと、正面から堂々と言ってくるほどに気が強い。彼が使わないで欲しいと願っている、もうひとつの呪言の力を使うことを躊躇いはしないだろう。

 本丸へと続く門が見えたところで、彼は自身の不安が的中してしまったことを知る。

 堀を渡す橋の上、女がひとり、欄干に寄りかかっていたお礼を堀へと突き落す。

 生野は思わず身を乗り出しそうになり体勢を崩した。ぐらついた体を磁極の道から外れる寸前で、なんとか持ち直す。

 お礼を突き落した女が、こちらを見上げる。

 その視線を感じながら、生野はその場で深呼吸する。ぐらついてしまったのは、お礼のことに動揺したばかりではない。身体がかなりの熱を持ちはじめているからだ。

 光りを吸収し増幅させて放射する呪言。生野はこれを城下町から使い続けている。体に発生している熱量はかなりのものであろう。瞬間的に使用するだけでも水での冷却は必要なのだ。

 熱い息が口からこぼれる。いまは愛する者の死を悲しんでいる暇もない。涙さえ流れる前に蒸発する。

 大丈夫と自身に言い聞かせる。お礼とは地獄で夫婦になろうと誓いをかわした。小田原城が炎上するのを見届けたら、その炎に身を投げるのも悪くない。きっと彼女に渡した彼の分身が、ふたりの魂を引きあわせてくれるだろう。

 いっときの悲しみと苦しみを水がわりに飲み込んだ生野は、再び本丸へと歩きだす。だがこの磁極の道は、彼にとって茨の道であった。

 本丸を目前としたところで、風魔衆らしき男を道ずれに、屋根より転がり落ちるお信磨の姿を見る。屋根から離れた瞬間二人が炎に包まれた。一瞬だけお信磨と目があう。

 生野は音にならない声で叫ぶ。死に行く妹に声をかけてやりたくとも、それすらできない。呪言を受け入れた我が身を呪いたかった。

 指に歯を当て、軽く噛み切った。指先を天にかざす。滲んだ血が、赤い蒸気となって天へと上る。

 せめてこれが、一年ほどしか共に過ごさなかった男を、兄と慕ってくれた優しき妹を、天へと誘う道標になることを願う。

 生野は遂に眼下となった小田原城本丸をにらみつける。屋根の上には風魔衆らしき男たちが数人いた。本丸の周囲にも人が集まっている。彼らはなす術なく生野を見あげていた。

 彼は風魔衆が宙を歩いてきた自分に心を奪われている間に行動を起こす。彼らが冷静さを取り戻し、弓や鉄砲を持ち出してきては面倒だ。おそらくは生野が歩いている磁極の道に吸い寄せられ止まるではあろうが、もしもを考えない訳にはいかない。生野に失敗は許されないのだ。

 残っていた宣伝用の紙をばらまく。民衆への効果に比べれば、ささやかな効果しかなかろうが、やらないよりはまし。

 腰の二本の指し物を投げ捨て、両手を大きく広げる。特に意味のある行動ではない。だが、声を出せない彼にとって、相手に自分を意識させ目に焼き付けさせるには目立つ行動が必須。

 地に縛られた者たちの視線を十分に感じとり、生野は小太郎屋敷に火をつけた時にもちいた、黒い円錐状の筒を取りだす。

『生』の半珠を、お信磨が油を塗りつけたであろう本丸の屋根にしっかりと向きあわせる。

 屋根の上にいた風魔衆が、慌てた様子で屋根に開いていた穴の中へと飛び込んでいく。彼らは小太郎屋敷がどうなったかを知っている。生野がなにをしようとしているかに気づき、身の危険を感じて逃げたのだろう。

 黒い筒を光を発し続ける『生』の半珠にかぶせる。筒の先端から細い光が、誰もいなくなった屋根に注がれた。

 誰かがあっと声をあげる。光の当たった箇所から火の手が上がり、それはあっという間に本丸の屋根全体に広がっていく。

 勝った。

 お信磨の呪いである油についた火は、水をかけたとて消えはしない。対処としては燃える物を遠ざけるのが一番。だが階下であれば火のついた箇所を壊すこともできたかもしれないが、屋根からの出火でそれをやろうとすれば、屋根全体を引き剥がすか、建物全体を壊すかしなければなるまい。どちらにしろ、すぐにできることではない。小田原城の本丸の炎上は、もはや免れぬ事実となる

 はずであった。

 万感の思いで火を見つめていた生野の耳を、つんざく笛の音が襲った。

 生野が音の発生源を探す。彼の目が、先程お礼を堀へと突き落とした若い女の姿をとらえた。信じられぬほど整った顔立ちの女が、こちらを見上げて笑う。遅ればせながら、生野はあの女が昨夜暴漢に襲われているところを八風が救った女であることに気がついた。

 しかし生野がそちらに目を奪われたのは、ほんの一瞬のこと。信じられない現象が生野の前で起きる。

 屋根をおおっていた炎がふたつに割れた。ふたてに別れた炎は、屋根から滑り落ちていく。本丸のまわりに集まっていた侍たちが、落ちて来る炎に驚き、狼狽して逃げたり、その場に倒れこんだりしたが、炎は彼らの頭を飛び越え、地面へと落ちた。それでも炎は動くのをやめず、塀を乗り越え堀に落ちたところでようやく止まる。離れ離れになった屋根の炎は、本丸を挟んで反対側の堀で、それぞれ寂しそうに辺りを照らしていた。

 生野にはなにが起きたのか理解できない。彼は自分のだす光を受けて黒光りする屋根瓦を凝視する。次に笛を鳴らした女に視線を移そうとしたが、女はすでにそこから姿を消していた。

 生野の体が大きくかたむく。もはや体力の限界であった。ここまで身体を支えてきた精神が、目の前で呪言が破られたことで、ぽっきりと折れる。

 ついに彼の足が見えない磁極の道を踏みはずした。本丸の屋根に一度叩きつけられ、お信磨と同じように屋根を転がり、また宙へと放り出される。

 地面へと落ちる最中、彼の心は謝罪の思いでいっぱいであった。自分の愚かな策のために命を散らした七人への謝罪。呪いの力を使えるようにするために実験台となった家族への謝罪。呪いの力を得るために犠牲とした八海への謝罪。目的のために、聞かせてくれた話を利用してしまった友人への謝罪。

 謝罪、謝罪、謝罪。

 いったい自身はなんのために生まれてきたのか。

 思考がその疑問にぶつかった時、体が地面にぶつかる感触を感じた。

 地面と言うのは案外柔らかいのだなと思ったのを最後に、生野は意識を手放した。

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