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墓無忍夢  作者: 地辻夜行
五章 難攻不落の城に、呪いの牙が喰らいつく
32/43

(三十二)

 西の山々に日が隠れようといたころ、生野(いくの)は大荷物を背負いながらも、苦も無く小田原城下町へと入り込んでいた。

 城下町の警備がゆるかったわけではない。北条兵はもちろん、風魔と思しき者の姿も頻繁に目についた。

 そんな状況の中、目指す小田原城南東へと、誰にもとがめられることなくたどりつけたのは、八風(やつかぜ)の案内があればこそ。八風が自らの意志でついて来てくれたことに心から感謝せねばなるまい。どことなく誇らしげな顔で自分を見上げてくる八風の頭を、彼はしっかりと撫でてやる。

 小田原城下町。関東一の規模を誇る街であるだけに、この時刻になっても、出歩く人が多く活気がある。ただこれまで西国の大きな街を見てきた生野の目には、京や府内に比べて、いかにもみすぼらしく地味な町に映る。

 先導する八風の背中を見ながら、生野は府内にいた頃を思い出す。

 八風の母、八海に出会ったのが府内の街である。いまから六年ほど前のことだ。

 府内で過ごした月日は三年。

 この三年は、彼を外面的にも内面的にも魅力あふれる若者へと育てる。

 大きく生野に影響をおよぼしたのは京で助けた友人の存在であろう。

 決して強くはないが、明るく優しい気性の彼との共同生活は、幼き頃の生活で荒んだ生野の心を癒した。

 しかしながら、故郷の八犬家を救おうという思いが弱くなったわけではない。

 彼は友人とともに異国の医学を学ぶかたわら、異国の他の技術や道具も手にいれ、八犬家救済の役に立てようと考えた。

 だが、さきだつ物がない。京で世話になった家から黙って拝借してきた金はそれほど多くなく、人脈も友人を通したものしかない。

 結局、頼りとなったのは、京での生活とかわらず人並みはずれた美貌。

 日本人はもちろんだが、府内に訪れていた外国人にとって、異国の美少年は大金や貴重な技術を引き換えにするほどの価値があった。ひと月程度で日常会話程度の彼らの言葉を習得した知性も、彼らの寵愛を手にするのに大いに役立つ。

 八海に出会ったのは、知りあった南蛮商人の邸宅でのことだ。

 邸宅で彼の目にとまったのは邸宅の庭で飼われていた、呆れるほど大きく、見惚れるほど白い毛並みの犬。

 白い熊かと思った巨大な犬の後ろを、おぼつかない足取りで、ついて回る四つの白い毛玉のうちの一つが八海だった。

 南蛮人の住む国から南にくだったところにある山岳地域に住む犬の血を引いているとのこと。気性は大人しくて優しく、頭も良い。

 白い犬の一家は、生野に対しても友好的だった。同じ『犬』として親しみを抱いたのかもしれない。

 とくに八海は、親や兄弟とじゃれあうよりも、彼のそばにいることを好み、生野が商人の邸宅にたずねると、彼にまとわりついて片時も離れようとしなかった。

 その様子を半ば呆れて見ていた商人のすすめもあって、彼は彼女を譲り受けることにする。

 八海が成長するたびに青くなる友人の顔を思い出すと、いまでも吹き出しそうになってしまう。

 意識をいまに戻すと、八風が立ち止まってこちらを見あげる。

 どうやら思い出にひたっている間に、目的地に到着したようだ。八風の頭をもう一度撫で、労をねぎらう。

 目の前に拳大の大きさにわずかに地面が盛り上がった箇所があった。あそこに、吉乃が使用していた二本の呪いの石棒のうちの一本が埋められている。

 昨夜、小田原城の南東の、この路上に、お礼が埋めたのだ。小田原城を挟んで北西の森には、小三治と吉乃がもう一本を埋めたはず。二本を埋めた位置のちょうど真ん中に小田原城の本丸がある。

 吉乃と小三治、それと太助の三人は、昨夜のうちに、それぞれの役目を終えて、生野が身を隠していた小屋に戻って来る手はずであったが、三人とも朝まで待っても戻っては来なかった。

 近くまできて倒れてはいまいかと、ハ風をつれ小屋の周囲をあるきまわった、見つけたのは美しい女が一人、ならず者に襲われている姿だけ。

 吉乃と小三治が戻らぬので、昨日の首尾がどうなったのかはわからない。もしも不首尾であったなら、これから生野が行おうとしている作戦は成功しないことになる。しかし、あの二人ならばきっと成し遂げてくれたと信じているのだ。

 不意に八風が唸り声をあげる。

 いつの間にか、辺りから一人の男を残して誰もいなくなっていた。

 その男は綺麗に頭を剃り上げた男で、まっすぐに生野に向かって歩いてくる。両腕の袖からじゃらじゃらと音を鳴らして鎖が顔を覗かせていた。

「いやいや、今日の拙者はついておるな。静馬と配置換えになるは、標的には出会えるは、天が拙者に手柄をあげよと言っておるかのようじゃ」

 男が嬉しそうに笑う。

「一対一の尋常な勝負とくれば、乱波といえど名乗らぬ訳にはいくまい。近いうちに別の名を名乗る故、出し惜しむ必要もないしのう。拙者、風魔衆が一人生駒兵之助(いこまひょうのすけ)と申す。そなたも偉大なる八犬士を継ぐ者ならば名乗られよ」

 生野は手に持っていた二本の指し物と下駄、そして大きく膨らんだ布袋を、盛りあがった土の脇に置き、刀を抜く。

「やれやれ、だんまりか。……いや、その首の布、そなた喋れぬのか。それがお主の呪言の代償か」

 兵之助は納得気に頷く。

「そうか、それは憐れなことよな。拙者が一昨日に会った若造は、両足がなかったしのう。呪いの力を使うには犠牲が必要か。それをためらわぬとは……いや、八犬士の執念恐れ入る」

 兵之助の袖からでた分銅のついた鎖の先端ががじゃらりと地面にとぐろを巻く。

「さて、お喋りはおわりにしようか。……いざ、尋常に勝負!」

 兵之助が声を張りあげた瞬間、生野と八風は二手に分かれ左右に跳ぶ。

 二人が居た地面に左右から放たれた四本の矢が突き刺さる。

 左右の民家の屋根に二人づつ弓を携えた風魔衆が陣取っていた。

 兵之助は姿をみせる前から、生野たちを見つけ人払いを済ませ、襲撃の準備を整えていたものらしい。

「ほう、我が策に気がついたか。まぁ、拙者に小細工は似合わんか」

 にんまりと笑った兵之助が、強く腕両腕を振るった。体勢を崩して片膝をつく生野と、反対側に飛んだ八風に、重そうな鎖分銅が勢いよく空を引き裂いて襲いかかる。生野は一撃をなんとか刀で受け止め、鎖の衝撃を逃がすかのように後方へ跳ぶ。八風はすぐさま飛び退き、鎖分銅は大地をうつ。

 生野と八風がお互いを見た。彼女がひと鳴きし、一目散に脇道へと駆けこむ。

 八風が走り去ったことを見届けた兵之助が、大声をあげて笑う。

「はっはっは! 所詮は畜生であったか。見捨てられたな、若僧!」

 生野はそんな彼の言葉には耳を貸さず、二匹の蛇のように蠢く鎖を巧みに躱しつつ、兵之助との距離を詰める。彼を巻き込む可能性があるためか、弓による援護はない。生野は袈裟斬りに刀を振るう。兵之助は鎖の一本を守りにまわすことで辛うじてこれを防ぐ。

「呪言とやらの力だけかと思っておったが、なかなかやるではないか。あの小僧とはえらい違いだのう!」

 言いつつ、もう一本の鎖を上空に跳ね上げ、頭上から生野を狙う。これを生野は右に飛んで躱す。そのまま地面を転がり、民家の壁を背にして立ちあがった。屋根の上から二人の風魔が飛び降り、生野を挟みこむ。正面には兵之助。左右に配下の風魔。そしておそらく向かい側の民家の上には、弓を携えし二人の風魔。

「勝負あったのう。呪言とやらも使う間を与えねば、恐るるにたらずよな」

 彼が言い終わるのを合図に、兵之助が二本の鎖分銅を、左右の風魔衆が棒手裏剣を生野目がけて投げ込む。

 勝利を確信していた兵之助は、この後驚愕の光景を目にすることになる。

 呪言という人外の力であったならば、まだよかったかもしれない。彼が見せつけられたのは、生野の実力。武人としての実力差。

 生野は右の棒手裏剣を刀で弾き、左からの棒手裏剣は鞘で受ける。驚くべきはここから。

 彼は兵之助の鎖分銅のひとつを右足で蹴り飛ばし軌道を変え、もう一本の鎖に絡ませつつ身体の右側にいなして民家の壁に二本の鎖をめり込ませる。そしてすぐさま鎖の上に飛び乗り、兵之助に向かって走る。彼が鎖に引かれ体勢を崩し前のめりになった。二本の棒手裏剣が今度は生野の背中に向け投げられるが、こともなげに背中にかざした鞘で二本を同時に受けてみせる。

「射殺せ!」

 慌てた兵之助が叫ぶが、期待した弓矢による援護はこない。両手を塞がれた兵之助は、無防備に顔を生野の前にさらす。生野が刀を振り下ろし、兵之助の顔が二つに割れた。

「ば、化け物か! いったん退くぞ。我らだけでは手に余る!」

 生野に棒手裏剣を投げた男が、血相を変えてそう叫ぶと、もう一人の風魔衆と、ちょうど反対側の民家の屋根から片腕を押さえて転がり落ちてきた男が、その男と一緒になって()()うの体で逃げ出す。

 屋根の上には、弓を手にした男の喉を咥えた八風が威風堂々と立っていた。彼女は男の喉を咥えたまま、止めと言わんばかりに首を大きく横に二度ばかり振ってから男を吐き捨てる。男の身体が民家の屋根に転がった。

 八風が大きな体を身軽に宙に躍らせ、地面に下り立ち尻尾を盛大に振りながら生野に駆け寄る。彼は血を拭った刀を鞘に納め、苦笑しつつも彼女の頭をくしゃくしゃと撫でてやった。

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