(二十五)
時間がないのは敵。されど焦るのはこちら。
昨日より急がせている大勢の職人たちの作業を監督しつつ、やるせない気持ちになるのを小太郎は抑えきれなかった。
乙霧曰く、敵の目的は見当がつけど、その術はいまだわからず。
であるからして、いま職人たちに行わせている作業は、敵の行動を未然に防ぐための対策ではなく、相手が事をなした時の被害を最小限に留めるための準備ということらしい。それも無駄に終わる可能性さえある。
なんとももどかしい話ではあるが、八犬士の残りの三人の居所が掴めぬ以上、警戒を強める以外に防衛策がない。とりあえず八犬士の探索は捨てた。昨日だけで、八人の風魔衆が死んでいるのだ。手広くはできない。敵の最終目標である小田原の防衛に力をそそぎ、残り三人の八犬士を迎えうつ。
ままならない八犬士のとの戦であるが、それ以上に小太郎をやるせなくさせているのは、自身の後継問題。
明言したわけではないが、頭の中で候補として扱うことに決めていた者達のうち二人、昨日のうちに命を落としている。
「長、作業の進展はいかがでございますか」
自身の組の指揮もとらず、のんびりと小太郎に歩み寄って来た静馬が尋ねる。
小太郎は作業から眼を離さぬまま、質問に質問で返す。
「乙霧の容体は?」
「落ち着いてきたようでござるな。保護した時には、外傷はすべてかすり傷。破顔丸に襲われた恐怖もだいぶ薄れたようにございます。いまはどちらかというと時雨殿の方がいけない。自分が頭領の役目を全うしていなかったが故に、今回の一件が起きたと、自分を責めております。むしろ一緒にいたら、無事では済まなかったと思いますがな」
「……そうか」
時雨を責めるつもりなどはなからない。
生き残った八犬士探索組の風魔衆から報告のあった破顔丸の乱心。小太郎でも予測のしようがなかった。彼が配下の風魔衆三人を殺したうえ、乙霧を襲うべく姿を消したと報せを受けた時には、目の前が真っ暗になったものである。
小田原に戻ってからの破顔丸の様子はおかしいのは感じていた。
だが道中で八犬士と争ったり五代目小太郎への意気込みがあふれているのだろうと放っておいたのである。
それがこんなことになるとは思ってもいなかった。
「静馬、お主はいつ頃から破顔丸の異変に気づいておった」
「一昨日、小田原についた頃でしょうか。少し様子がおかしいなと思った程度でしたが」
「そうか」
「申し訳ござらん。確信まではもてなかったので。乙霧殿に軽く注意を促すにとどめもうした」
「よい。わしも気がたかぶっておるのだろうと高を括っておった」
小太郎は、ようやく静馬に目を向ける。
「静馬、お主はどう見ておる? これも奴らの……」
「呪言とやらの影響でございましょうな」
口ごもった小太郎の言葉を引き継ぎ、静馬が重々しく頷いた。
―――――
「呪言の影響で狂ったのは確かでしょうが、狂わせることを目的にした呪言ではなかったと私は考えております」
貸し与えられた一室に敷かれた布団の上で、上体を起こした乙霧が、甲斐甲斐しく世話をする時雨に噛んで含めるように話を聞かせていた。部屋の隅では、蟒蛇が眼を細めて、楽しそうにふたりのやり取りを見ている。
「鉄脚の八犬士が最後に見せた呪言は、殺す気で放たれた……そうですね?」
「ああ、間違いない。実際、ふたりはそれでやられた。わざわざ破顔丸が頭を潰していたが、死んでおったのはあの最後の呪言とやらの為だな。あれは痺れたな。フフフ、今思い出してもぞくぞくする」
蟒蛇の気ちがいじみた言葉に、破顔丸を思い出したのか、乙霧の顔が引きつる。
「ご安心ください、乙霧殿。この者は昔からこうです。昔から変人なのです。呪言とやらのせいではございません!」
彼女を安心させようと、時雨が語気を強める。
「容赦がないなぁ、時雨は」
なぜか嬉しそうにそう言うと、乙霧に視線を戻す。
「奴の雷の如き力は、銅線を伝っておったようじゃが、その銅線の一番側にいたのが破顔丸じゃ。奴の呪言は破顔丸を通過してから、我らに届いた。破顔丸が盾にでもなったのかもしれんな」
蟒蛇の言葉に乙霧は頷く。
「盾。それは言いえて妙でございます。まさにその通りだったのでございましょう。破顔丸様は皆様よりも先にかの者の呪言を受けた。本来なら皆様にいく分までも。命はとりとめたものの、頭の中に致命傷を負った。そういうことなのでございましょう」
彼女は満足そうにうなずく。それならば現場を確認した一夜衆の報告と一致するからだ。
「そんなことよりだ……フフフ」
蟒蛇が音もなく乙霧のそばにより顔をよせる。
予想外の行動に、彼女は蛇ににらまれた蛙のごとく、身動きひとつできなかった。
「あっ、こら!」
時雨が慌てて蟒蛇の肩を掴み、身を引かせようとするが、力の差は歴然。蟒蛇はそこからピクリとも動かない。
「いいなぁ、お前の毒。俺も欲しいなぁ。人から正気を奪うなんて素晴らしいではないか」
瞳を爛々と輝かせる蟒蛇に耐えきれず、乙霧は蟒蛇から目をそらす。
「わ、私のは毒などでは―――」
「いいや、毒さ。お前、たぶん一夜で秘伝にあたるような薬を試されたんだろう?」
乙霧の顔色が変わり、蟒蛇の瞳孔が蛇のように細くなる。
「やっぱりな。いいなぁ。俺もいろんな草やら実を試してはみたんだが、いまだにこの身を毒に変えるにはいたっておらん。いささか気に喰わんが、やはり煎十郎に調合させるか。あやつの力は借りたくないんだがなぁ」
なにやら考え込み始めた蟒蛇の肩を、乙霧は強く押す。時雨に引っ張られようやく蟒蛇がはなれた。
「それよりも、巨漢の八犬士の腕にはまっていたと思われる棒が無くなっていたというのは、真でございましょうか?」
これまでに集まった情報により、昨夜城下で蟒蛇が遭遇した八犬士二人のうちの一人、巨漢の八犬士が、両腕にはめ込んだ棒のようなもので、弓矢を引き寄せるということは掴んでいた。ところが、昨夜死んだ巨漢の男を調べると、棒手裏剣を引き寄せたという事実はあったのに、両腕の内側の窪みには、肝心の棒が見つからなかったと、先程聞いたばかりだ。
「ああ。静馬の指示で、風魔衆が城下の巡回がてら捜索しておるが、いまだに見つかったという報せは届いておらぬ。やはり、大事か?」
乙霧はその問いには答えず質問を続ける。
「男の身体に半珠は……光輝く珠はありましたか?」
「いや、なかったな」
乙霧は少しばかり考え込む素振りを見せたが、すぐに言葉を紡ぐ。
「途方もない絡繰りを仕掛けてくる気がいたします。きっと我ら一夜でも見聞きしたことのないような。実に楽しみでございますな」
彼女がにんまりと笑みを浮かべると、時雨の顔が引きつり、蟒蛇がため息をつく。
「気持ち悪いな、お前」
「あなた様には言われとうございません」
「どっちもどっちです」
殺伐としてきた屋敷の中で、ここにだけまったりとした空気が流れていた。