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墓無忍夢  作者: 地辻夜行
一章 八犬士発ち、小太郎一夜に走る
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(二)

 地鳴りのような音を耳にし、塩沢勘兵衛(しおざわかんべえ)は馬上から正面の闇へと意識を向けた。ここ最近は晴れる日が続いている。地盤が緩み土砂崩れが起きるような状態になっているとは思えない。そもそも、音は正面の平坦な道から迫ってきているのだ。崖崩れのわけがない。

 かといって味方が合流してくる足音でもないだろう。あと一度、五名の兵が合流してくる手筈ではあるが、それはこの辺りではないし、五名の徒歩でこれだけの音はたてられまい。なにより静かに行動するように厳命している。

 まさか敵襲かと勘兵衛は訝しむ。あの氏康が隠しに隠して送り出したこの部隊の存在を、里見の間者が掴んだとは思えない。隠密裏に行動するため、松明(たいまつ)の使用も最小限度に抑え、物音をたてることにも注意を払っていたが、この音が敵の迫る音であれば放っておくわけにはいかない。

 勘兵衛は、そばを黙々と歩いていた鼓を持つ部下に指示をだす。

 徐々に大きくなる地鳴りを切り裂いて、闇夜に陣太鼓の音が素早く三度響きわたる。すると集団の各所からも同じ音が三度返ってくる。

 そうして、鼓の音が集団の隅々まで浸透すると、これまで黙々と前進を続けていた部隊が停止し、陣形を組み始めた。

 この部隊の胆は隠密性にある。敵に知られることなく、突然に佐貫城の背後に姿をみせることに意味がある。ゆえに事前に集まっての訓練などしていないし、兵は行先も知らなければ目的も知らない。ただ、合流場所と闇に目を慣らしておくこと、陣太鼓の鳴らされた数によってとる行動だけは、しっかりと覚えるように手配されている。

 更なる陣太鼓の音で、最前線に簡素な盾を持った兵がずらりと並ぶ。その後ろに弓持ちが陣どった。相手の動きをとめ、飛び道具で怯ませたのちさらに後方の部隊が襲いかかる。このような警戒態勢を敷き、勘兵衛はあるかもしれない敵の襲撃を待った。

 地鳴りが間近にまで迫る。勘兵衛はすでに闇夜に慣れた目で、正体を見破らんと地鳴りのする闇に対して目を凝らす。

 少しして、ついに地鳴りの正体が姿を現した。

 敵の襲来かと思われたそれは、勘兵衛の部隊にぶつかることなく、直前で二手に分かれて行く。

 地鳴りの正体は、馬の群れ。どの馬にも人が乗っておらず、馬具もつけていない。つまりは野生馬。ただ数が多い。細長く伸びているからか、群れの通過は正体がわれてからもしばらく続いた。その数ゆうに百は超えている。これだけの規模の野生馬の群れがこの辺りにいたのなら、小田原にも噂くらいは流れてきそうなものであるが、勘兵衛には聞いた記憶がない。

 ようやく群れの最後尾が勘兵衛の前を通り過ぎた。本来、臆病であるはずの野生馬が、わざわざ人の集団の横を駆け抜けていくというのは珍しい。もしかしたら、野犬にでも追われ、気が動転していたかと勘兵衛は考えた。

 とにかく、敵襲ではなかったのだと彼が胸を撫でおろしたとき、曇天がわれ、月が夜空にはっきりと姿を見せ、月光が闇に支配されていた大地を照らす。

 野生馬の群れが二手に分かれた場所に、この月光は我らのためにあるのだと言わんばかりに、光を一身に受け止め、彼らはいた。

 しかしながら彼らもまた、勘兵衛の目には敵としては映らない。先ほどの野生馬たちよりも立派な体躯の馬に跨る者、荷車を引く者、その荷車の上で上体だけを起こしている者など、全員で七人いたが、その中でまともな身なりをしているのは一人しかいなかった。そのひとりも戦をしにきたような出で立ちには見えない。そもそも敵であるならば、野生馬に紛れて攻撃を仕掛けてきたはずだ。北条軍が警戒態勢をとってから姿をみせるのはおかしい。いまは、こちらの足がとまっただけ。なんのために現れたかわからぬ彼らは、ゆっくりと守備を固めた部隊に近づいてくる。

「待て! そこの者たち止まれ!」

 ともに小田原を出立した騎馬武者のひとりが、馬を駆り彼らの行く手をさえぎった。

 その動きに合わせて彼らの中からもひとり前に出る。顔の大きな男だ。

 いくら月光がさしているとはいえ、離れた位置にいる男の顔がはっきりとみてとれるのを勘兵衛は(いぶか)しむ。だが大きな顔の男をよく見ることで理由はわかった。彼自身が光を放っている。ぼんやりとした青白い光が、軽く開けられた口の中と、はだけている胸の辺りから発せられていたのだ。

 その男だけではない。ともに立ち並ぶ何人かが、同じようにぼんやりとした青白い光を放っている。

 騎馬武者が眼前まで迫ると、顔の大きな男が唇を尖らす。口の中の光がさえぎられたと思うやいなや、騎馬武者の絶叫が勘兵衛の鼓膜を叩く。

 顔を押さえ馬上から転落した騎馬武者に、顔の大きな男が何度か唾を吐きかけたように見えた。すると、部下の絶叫がやんだ。代わりとばかりに、顔の大きな男が大口をあけて声を張り上げる。

「聞けい、北条の雑兵ども! 我らは里見家が家臣、里見八犬士なり!」

 八犬士。

 勘兵衛はその名に聞き覚えがあった。確か里見家が安房に地盤を築くうえで活躍した一騎当千と言われる強者たち。だが、それはかなり昔のことである。北条家でいえば、氏康の祖父伊勢新九郎盛時いせしんくろうもりときが小田原城を奪取したころ。とっくに死んでいるであろうし、その子孫たちの話など一度も聞いたことがない。

「夜陰に乗じ、我らが領内に侵入し後方を攪乱しようという氏康の企み、我らはすべてお見通しである。命が惜しくばのけ、とは申さぬ。きさまら全員ここで朽ち果てるがいい!」

 勘兵衛の周りから失笑がもれた。それはそうだろう。野生馬たちが走り去ったいま、彼ら以外の存在は感じられない。いや、そもそも伏せる兵がいるならばこちらが気づかぬうちに仕掛けてくるのが自然だ。だとするならば、たったあれだけの人数で約二百の軍勢を相手取ろうというのだろうか。本気ならば蟷螂の斧もいいところだ。

 しかし勘兵衛は、彼らにただならぬ気配を感じる。現に配下の一人は武器ひとつ持たぬあの男に、なにをされたかわからぬままに倒されたではないか。彼らには尋常ならざるものがある。自由にさせてはならぬ。勘兵衛は厳しい顔つきで指示をだし、陣太鼓を何度か鳴らさせた。

 屈んだ体勢で盾を構える盾持ちの後ろで、弓持ちの兵が八犬士に向けて弓を引き絞る。

 たったの七人相手に飛び道具。臆病者とそしられかねない判断を勘兵衛はくだす。八犬士の得たいの知れなさが、勘兵衛にこの選択を取らせた。

 この判断が正しかったのか、間違っていたのかは、誰にもわからない。

 なぜなら、どのような選択を取ろうとも、塩沢勘兵衛の命運は、氏康が極秘裏に手配したこの部隊の命運は、新生里見八犬士の情報を掴めなかったその時に、すでに尽きていたからだ。

 吉乃が近づいてきた小三治と入れ替わるように前に出る。

「吉乃、文言はちゃんと言えるか」

 すれ違いざまの小三治の言葉に、吉乃は大きく頷く。

「だ、大丈夫だ。ちゃ、ちゃんと言える」

 吉乃が異様に長く太い両腕を高々と掲げる。

 右腕には、中央から手首に向かって赤く、中央から肩に向かって青い石棒が、左腕には右腕とは逆に、中央から手首に向かって青く、中央から肩に向かって赤い石棒が埋め込まれていた。

「わ、(われ)、孝を貫く為、わ、我が命、天より()げん!」

 吉乃が天に向かってそう力強く叫ぶのと同時に、両腕にはめ込まれた石棒の中心。赤色と青色を隔てる箇所にはめられていた半球状の珠が、青白い光を発し始める。

 先程、小三治の口の中と胸に見えたあれと同じ光だ

「おおおおお!」

 ドン!

 吉乃が吠えるのと、陣太鼓が叩かれたのがほぼ同時だった。

 空気を切り裂く音と共に、七人の八犬士に降りそそぐ弓矢の雨。

「おおおおおおおおおお!」

 激しさの増した吉乃の雄叫びに呼応するように、半珠の輝きが増す。

 知らぬ間に半珠には文字が浮かび上がっていた。

 右の半珠に『孝』。

 左の半珠に『提』。

 不思議なことが起きる。

 八犬士全体に向けて斉射されたはずの矢の軌道が変わった。

 全ての矢が、吉乃に襲いかかる。正確には、掲げられた両腕に。

 数本は吉乃の腕に刺さったが、そのほとんどは、両腕に埋め込まれた石棒に吸い寄せられるようにくっつき、そのまま停止した。

 その異常な光景に、悪夢でも見ている気に襲われ、勘兵衛が目をこする。だが、なにをしたところで、眼の前の光景に変化はない。しかも、本当の悪夢はこれからだった。

「よくやった、吉乃。さて、次はこちらの飛び道具を見せてやる番か」

 太助はそう言うなり、愛馬萩のたてがみまでかかっていた、褌を払った。

 そこにあったのは銃砲身(じゅうほうしん)

 太助の股間から伸び、最先端は萩の首元まで到達し、その先端は銃砲身よりも太い円筒状になっていて、銃口は円状に複数設けられていた。

「萩、首を下げよ」

 萩が太助の言葉に応え首をさげると、銃口が北条勢に向けられる。

「我、義を貫く為、我が命をもって()となさん!」

 青白く光るは銃砲身の根元。

 太助の身体と銃砲身を繋ぎ留めるかのように上下に埋め込まれた二つの半珠。

 二つの半珠それぞれに浮かび上がる文字。

 上に『義』。

 下に『是』。

「喰らうがいい! 北条の雑兵ども! これが犬川太助義冬(よしとう)の小便連射砲じゃーっ!」

 銃砲身の先端が激しく回りだす。

 回転する全ての銃口から、次から次へと放たれる弾丸は、鉛ではなかった。

 それは水。

 火薬ではなく呪いの力で、太助の膨れた腹より勢いよく銃砲身を通り抜ける水は、銃口のある先端部を水車の要領で激しく回転させ、複数ある銃口より次から次へと水の弾丸を射出する。

 塩沢勘兵衛は見た。

 プシュッという何かが抜けるような音が、連続でしたかと思うと、勘兵衛の右隣で盾を構えていた兵が仰向けに倒れる。

 兵の持っていた盾と身体には、無数の穴が穿(うが)たれており、血が噴水のように噴き出していた。

 彼だけではない。その後ろの弓持ちの兵も、さらにその後ろにいた者までもが同じように穴を穿たれ倒れ伏す。

 太助の愛馬である萩が、勘兵衛とは反対方向に体の向きを変えていく。

 水の弾丸で蜂の巣とされた兵の右隣の兵達が、最初の犠牲者と同じ運命を辿っていく。更にその右隣、右隣へと犠牲者が拡大していく。

 悲鳴など上がらない。銃口が向けば、すなわちそれは死。

 勘兵衛に、自身から死が遠ざかっていくことを喜んでいるような暇はない。

「伏せよ! 伏せるのだ! 伏せながら前に進め! 彼奴の鉄砲は近くの地面には撃てん!」

 勘兵衛は、悪夢よ覚めよとばかりに、大声を張り上げた。

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