表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
墓無忍夢  作者: 地辻夜行
三章 八犬士と風魔、決戦に向け戦力を整える
14/43

(十四)

 小太郎は一人ぽつんと残され、途方にくれた様子の煎十郎をじっと見つめる。

 風魔の里では、裏方にあたる仕事に従事する者を軽んじる傾向がある。乱波としての役目をこなしてこその風魔。小太郎も若いころはそう思っていた。乱波のお役目につけない里の者など、落ちこぼれにすぎないと。だが、多くの役目をこなすうちに、いかに多くの裏方の者たちに支えられているかを知る。その者たちと上手く付き合えば、役目をこなすことがより容易になることも悟った。

 小太郎は風魔衆を乱波ではなく、伊賀や甲賀と同じく、忍びと呼ばれる一団に仕立てあげたいと考えている。風魔の北条における立場は決して高くない。ともすれば、ただの野盗にさえ見られる。どんなに手柄をあげたとしても、風魔衆が重臣に取りたてられることはないだろう。

 その現実に耐え忍び生き続ける。それを誇りとしたい。自分よりも下の者を作って自己満足に浸る者が増えるようでは、風魔に未来はない。 

 小太郎が頭領になってから、風魔の里で産まれた子供や、他の里より口減らしの為に風魔の里へと出された子供は、乱波として必要な戦闘技術以外にも、様々な技術を叩きこまれるようになった。文字や芸事、医療もその一つ。自分が怪我をしたときに、自分で手当てをできないようでは話にならない。なにがお役目に役立つかわからない。状況に応じて使い分けるのが忍びだと小太郎が感じているからこそだ。

 忍びの役目である、諜報、防諜、謀略、局地戦などは、その場その場での対応が求められる。技術は幅広く、対応は柔軟にというのが理想だ。これまでの荒事に偏った修行では、風魔衆がその理想にたどり着くことはないだろう。

 それでは北条家がいまよりも繁栄したとしても、風魔衆の今の立場を他の集団に奪われかねない。例えばそう、一夜衆のような連中にだ。荒事だけに重きを置いていては、そのうち盗賊のように身を落して終わってしまう。ようするに、忍び働きの最前線に立つ者は、一つの技能だけ突出していても通用しないと小太郎は考えているのだ。

 だからこそ、逆に忍び働きを助ける裏方には、一つの技能を極めた人間がいると非常に助けになる。

 農作物を作る者が武芸に秀でている必要はないし、忍具を作る者がそれを使いこなせる必要はない。医術を身につけたものが、常人より早く走る必要もないのだ。

 風魔衆が北条家での立場がそれほど高くないにも関わらず、それなりにまともな生活を送ってこられたのは、乱波の仕事により行った、他国での略奪行為により得た物資があればこそ。その事実は決して変わらない。

 だが、いつまでも同じではいけないのだ。いつまでも戦があるとは限らないのだから。

 小太郎を継いで二十年近くが経過したが、未だ小太郎の望むような意識改革は進んでいない。むしろ全国で戦が激化するのに比例して、力への依存がひどくなる一方だ。差別意識の強い者から、風魔衆の次期頭領を選びなどすれば、目の前で小さくなって座っている、この気の弱い若者は、きっと冷遇される。

 いつまで自分が頭領をやっていけるかはわからない。五代目には、自分と同じ志を持つ者を指名したいところだが、静馬をのぞく実力者たちにはその点で不安が残る。経験を積み考えを改めてくれれば良いが、期待は薄い。

 静馬に継がせることができれば一番良いのだが、いかんせん本人にやる気がなかった。それどころか風魔そのものを嫌っている節もある。今の風魔の体質はおろか、小太郎の目指す理想に対してもだ。だからこそ、昨夜乙霧相手に婿にと薦めたのだ。結果はわけのわからぬ理由で乙霧から断られたのだが。

 煎十郎は、里から送り出した小太郎が期待する以上の、知識と技術を身につけて帰ってきた。そこまでにかかった時間や労力は、決して乱波の技を身につけた者たちに劣るものではない。

 忍びは報われることを願わず。身分があがることなどなく、毛嫌いされることも珍しくはなく、仕える相手によっては、使い捨てのように扱われることもある。それでも忍びは耐え忍ぶ。己の身につけた技術、生き方を誇りとし、どのような辛苦をも耐え忍んで生きる。つまりは、乱波仕事をこなす者たちに見下されようと、己の仕事を黙々とこなしてくれる裏方の者たちは、小太郎の目指す風魔衆の手本と言えるのだ。

 その意味で、煎十郎は立派な忍びになってくれるに違いない。冷遇されようと、嘲笑われようと、腐らず里の者たちの病や怪我と向き合っていってくれるだろう。里の将来のためにもこのような若者を手放したくはない。

 そう考えて、小太郎は少しばかりおかしくなった。小太郎が考えたのが忍びの理想だとしたら、いま自分たちと敵対している八犬士は武士ではない。忍びの鑑だ。主君からどんな仕打ちを受けようともひたすら耐え忍んできた。ただし、これまではである。

 小太郎は決意を新たにする。これは兵と兵を、力と力をぶつけ合う戦ではない。命と命。生き方と生き方をぶつけ合う忍びの戦いだ。

 負けるわけにはいかぬ。相手は陰なる忍びの道を捨て、陽への道へと逃げようとしている。そのような者たちに、忍びの道を進まんとする小太郎率いる風魔衆が負けるわけにはいかぬ。たとえ今後の成長を期待する若者を、手放す悔しさに耐え忍ぶことになろうともだ。

 小太郎は改めて正面から煎十郎を見つめる。

「煎十郎。そなたの役目を申しつける」

「は、はい」

「お主の知識。他の者でも理解できるように書にいたせ。できる限り早急にだ」

 煎十郎は目を丸くする。当然だろう。いくら煎十郎が非戦闘員であっても、敵と争っているさなかに、書を記せと言うのだ。

「お主の知識や技術、一朝一夕で身につけられるものではないことは重々承知しておる。できる限りでよい。お主の手伝いをさせておる者の中には理解の早い者もおるだろう。その者たちに知識を残して行け」

 戸惑いの表情を隠せない煎十郎であったが、やがておどおどと口を開いた。

「あの、小太郎様。しばしお待ちください」

 そう言って立ちあがり、足早に広間を出ていく。

 しばらくして、煎十郎が移動の際にいつも背負っている重量のある箱を、いつも通り背負いながら足取り軽く広間へと戻ってきた。

 お待たせいたしましたと、箱をおろし小太郎の正面に座る。箱を開け、中から巻物の束を取り出した。薬や怪我の治療道具だけが入っていると思いきや、こんな物まで入れていたのである。

 積まれた巻物の束を見て、今度は小太郎は目を丸くする。

「これはなんだ」

「もちろん、書にございます」

 煎十郎は先ほどの集まりのときとは打ってかわり、堂々とした態度で答える。

「こちらは草、花、木の実など植物の効能と煎じ方。この辺りで採れる場所などを記したものです。こっちは獣や魚、海藻などに関してですね。症状に合わせた丸薬の作り方はこれです。療養の仕方などもしたためました。それから、血止めの基本など、怪我の治療に関しましては―――」

「待て、待て、待て!」

 小太郎に目の前に手をかざされ、彼は渋々口を閉ざす。

「お主、すでに書き溜めておったのか」

「すべてを書き終えているわけではございません。それでも、あと数日も頂ければ、いま知りえていることに関しては書き上げられるかと思います。時間があれば書こうと思いまして、薬箱に入れて持ち歩いておりました。里に置いておりましたら、今頃灰になっていたかもしれません」

 煎十郎が、巻物の一本を愛おしそうに抱きしめる。

「そうか。それを見れば、他の者でもある程度は処置ができるか? お主と同じ丸薬を作れるかも大事だぞ」

 煎十郎は巻物を抱きしめたまま考え込む。

「時間はかかると思います。薬の材料を集めるのもたいへんです。中には稀少なものもありますから、取りすぎはいけませんし、扱いを間違えれば毒にもなる。丸薬を作るにしても、こつを掴むまではかなり時間がかかりましょう」

「それはわかっておる。無理を承知で聞いておるのだ。お前の他にお前の丸薬づくりに精通した者はおらぬのか」

「ああ、いやそういうことでございましたら、これまで手伝ってくださった方の中に、配合の書さえ見れば、それ通りにできる方がふたりほどいらっしゃいます。ですが、症状から病を判断するのは、やはり最初から学ぶつもりでわたしについていただかないと。私でよろしければ、私の手伝いで経験を積んでいただきながらご指導させていただきます」

「それはできん。お前には書を書き終えたら、別にやってもらうことがある。お前でなければ駄目なことじゃ」

「はぁ、わたしでなければいけないとは、どのようなことでございましょうか?」

 答えようとして、小太郎は一瞬躊躇した。脳裏に時雨の顔が浮かんだのだ。

 娘が眼の前の穏やかな青年に懸想(けそう)していることは、彼とて感づいてはいる。だが、昨夜の犬山狂節との戦いで見せた、乙霧の知識と機転、冷徹ともいえる豪胆さ。彼女は使える忍びだ。同時に敵にまわすことの危うさも感じる。たとえ娘を泣かせることになろうとも、今は煎十郎という対価を払い、乙霧を、一夜の力を買うべきだ。

「うむ。お主には乙霧殿の婿となり、一夜の里にいってもらう」

「は?」

 煎十郎は素っ頓狂な声をあげる。

「乙霧殿が、お主を婿として迎えることを望んでおる。わしは一夜幻之丞殿と約定を交わしたのだ。乙霧殿の知恵を借りる代わりに、乙霧殿の望む者を、乙霧殿の婿として一夜の里にいれると」

 あまりに突然のことに言葉がでない。

 そんな彼に、小太郎は畳みかけるように続ける。

「これは決定事項じゃ。否はない。新たに誰かを修行に行かせるかも知れんが、しばらくは代理の者で何とかする。お前はとにかく、代わりにお前の役目を果たす者の助けになるような書を完成させ、里に残していくのだ」

 彼が承知いたしましたと平伏する。否はないと言われたのだ。他の反応などしようもない。

 すぐに仕事に取り掛かるように言われ、巻物を箱にしまい、広間を出て特別にあてがわれた部屋へと向かう。

 なんだか足元が覚束ない。床を踏むことができずに宙をかいているかのようだ。

 部屋に入り、書の続きを書く準備をしても、すぐに始めることはできない。

 風魔で育った煎十郎は、頭領の指図に従うことに抵抗はない。医術を学べと言われれば学んだし、里に戻れと言われれば戻った。戻ってからは里で医者として働くのが、小太郎から与えられた役目である。例え自信がなくとも、小太郎に戦えと言われれば、彼は武器を取っただろう。

 しかし今度は小太郎の指示で風魔でなくなる。漠然とした不安が胸中に湧く。

 指示をくだす相手が小太郎から一夜の頭領に代わるだけで、これまでと変わらない生き方が待っているのだろうか。

 それにしても、なぜ乙霧は彼を選んだのか。乱波の婿を迎え入れるというならば、風魔には自分よりふさわしいものがたくさんいると煎十郎は思う。さきほど組頭に指名された八人などはその代表であろう。破顔丸あたりならば、乙霧が不憫にも思うが、静馬ならば彼女の美貌にも、釣り合いがとれているように思う。

「ああ、そうか。静馬さんは風魔を継ぐのか。やっぱり時雨殿を娶るのかな?」

 煎十郎は遠い眼をして、天井を見上げた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ