(十三)
首なし死体が動くという衝撃的な出来事から一夜明け、煎十郎はなぜか小太郎から風魔の精鋭である乱波たちと一緒に、小田原の風魔屋敷大広間に呼び出しを受けていた。
正直なところ、ここに自分がいるのは場違いにしか感じない。煎十郎はあくまで裏方である。薬に必要な材料を求め、自ら野山を歩き回ることが多いから、見た目より体力はある。小太郎が加減していたとはいえ、治療道具を詰め込んだ箱を背負いながら、八犬士との遭遇場所までついていけたのはその為だ。とはいっても、本職の乱波にはもちろん敵わない。戦闘などもってのほかである。
これからは小田原近辺が、八犬士との戦いの主戦場となるだろう。治療技術の優れた煎十郎を、再度襲われる可能性の低い里ではなく、小田原に留めおくのはわかる。
だが、実際に戦いの主役になるであろうこの精鋭達との評定に呼ぶ必要まではない。許されるなら、昨日怪我を負った少年の状態確認を理由に退室したいくらいだ。
それに場違いだと思っているのは、煎十郎自身だけではない、先程から乱波たちからも、なぜお前がここにいるという思いの込められた視線を投げつけられている。針の筵だ。
風魔衆では乱波になれなかった者への蔑視が根強い。どんなに貴重な医学を修めようと、それにより相手の命を救おうとも、常に命がけで戦う乱波になれなかった風魔衆が、乱波勤めの者に尽くすのは当たり前との意識を覆すことは難しい。
もちろん乱波勤めの者全てがそういう意識をもっているわけではない。例外もいる。支える者の重要性を理解し、乱波とそれ以外の者を対等に扱うものも少ないながらいた。四代目小太郎もその一人である。
そしてもうひとり
「煎十郎。昨日、一昨日と三面六臂の活躍を見せたそうじゃのう。さすがじゃ」
「あ、静馬さん。お疲れ様でございます」
歩み寄って来た静馬の姿を見とめ、煎十郎の顔が少しばかりゆるむ。幼きころから優しく接してくれた、兄のような存在である。
「なに疲れてなどおらんよ。行って戻って来ただけじゃ。お前のように神経をすり減らして働いていた訳ではない」
「で、でも敵の一人を討ち取ったと」
「六人も犠牲にしての」
静馬は声を落し、広間の中央でふんぞり返っている破顔丸をしり目にいれる。
「お前がいてくれれば助けられた命じゃ。つくづくお前のありがたみを感じたわ」
「そ、そんな。自分なんてたいしたことはしておりません」
「もっち自信をもってよいと思うがの。おっと頭領が来たようじゃな。煎十郎、俺の陰にいろ。無駄に視線を感じずに済むであろう」
「お言葉に甘えます」
そう言って、堂々と腰を下ろした静馬に隠れるように隣に座った。
小太郎が厳めしい顔つきで広間へと入って来る。やや遅れて時雨と乙霧が続く。
小太郎は上座へドカリと腰を下ろし、乙霧は時雨を風魔衆の壁にするようにして部屋の隅に座る。
広間に集まった者が、全員腰を下ろしているのを一瞥すると、小太郎はすぐさま今後の八犬士に対しての小田原防衛について説明をすると切りだした。
しかし、これに対して破顔丸がすぐさま噛みつく。
「守るなど手ぬるい! こちらから仕掛けるべきだ。呪言などとたいそうな名前をつけてはいても、しょせんは曲芸みたいなものではないか! やつらがなにか小細工を弄するまえに叩きつぶすべきだ」
「簡単に言うでない」
小太郎が冷めた口調で破顔丸をいさめる。
「こちらから攻めようにも、やつらの居場所がはっきりとしておらん。身を隠しながら少しずつ移動しておるとも考えられる。はっきりしておるのは、やつらが小田原を襲ってくることだけじゃ」
「ですが小太郎様。一昨日は里が襲われておるではありませんか。決めつけるのは早いのではありませんか」
「さよう。小田原の守りを固めさせておき、また里を、里でなくとも別の要衝を狙うこともあり得るでしょう」
小太郎が戦闘の腕を認める八人のうちの、諸岡我聞と日車龍膳が意見すると、広間の隅からやんわりと否定する声があがる。
「それはございませぬ。彼らの目的は小田原城、もしくは氏康様のお命のどちらか。あるいはその両方でございましょう」
頭領との会話に割り込んできた乙霧に、風魔衆の視線が一斉に集まる。その眼は会話を邪魔されたことに対する怒りの眼ではない。この美しい女は何者かと探る好奇の視線であった。
「小太郎様、そちらのたいへん美しい姫君はどちらの姫君であらせられましょうや」
頭を綺麗に剃り上げた生駒兵之助が、乙霧の紹介を受けていない者達の思いを代弁する形で問いかける。ただ美しいというだけでなく、知性や気品を感じさせるたたずまいの乙霧である。黙って座っていれば、どこかの大名の姫君がお忍びで来ているように見えなくもない。
もとから紹介するつもりであったのであろう。小太郎はすでに話を聞いている者たちにも、もう一度噛んで含めるように、彼女がここに来ることになった経緯や決して近づいてはいけない旨を、婿探しの一件についてだけにはふれずに言い聞かせた。
「ほう、そのような忍びが近隣にいたとは。いや、本当に美しい。とても諜報にむいているとは思えぬ美しさでございますな」
兵之助は皮肉ともとれる言葉を口にしながら、乙霧を嘗め回すように観察する。
乙霧はそういった視線には慣れているのだろう。まったく気にするそぶりも見せず、淡々と語りだす。
「ここまでわかっていることから推測できることを簡単に説明させていただきます。まず、里見家において八犬家は、罪人と等しい立場で、長い間監禁状態にあることをご承知おきください。義堯様は彼らに汚名返上の機会を与えるつもりはなく、此度八犬士が相模に姿を現したのは嫡男で現当主でもある義弘様のお指図によるものと思われます。里見家ではまだ、全てにおいて義弘様のご意思が義堯様よりも優先されるにはいたっておりませぬ。八犬家が罪を許されるためには、義堯様の反対を抑え込めるだけの大きな手柄が必要となりましょう」
乙霧は広間に集まった風魔衆を見回して言った。
「風魔を潰しても、たいした手柄にはなりませぬ」
殺気が部屋中に満ちる。すかさず小太郎が立ちあがりかける者を制止した。
「皆、落ち着け」
それから、ぎょろりと乙霧をねめつける。
彼女の隣で時雨も鬼のような形相をしていた。
「お主も挑発するような物言いはよせ。お主に近づかせぬと約定はしたが、お主がそのような態度を取り続ければ怒りに身を任せる者もでよう」
乙霧がわざとらしく首をすくめてみせる。
「申し訳ございません。つい……」
そう言ってくすりと笑う彼女の姿は、寒気がするほど妖艶で、小太郎の言葉以上に風魔衆の怒りの熱をさましていく。自分の言葉、雰囲気、相手の立場、その他さまざまな条件をすべて計算にいれたうえで、相手の心を操っているかのようですらあった。
「一昨日狙われたのは風魔の里ではなく、小太郎様個人にございます。小太郎様のお屋敷以外には手をだしていないのが証拠になりましょうか。実際に手を出さなかった理由は別にあるやもしれませんが、目的が風魔の壊滅にないことだけは確かです。そして昨日の老人と、戻られた方々が遭遇された鉄脚の男。どちらの呪言も、命を代償にした力。限りある力で、中途半端な目標はたてますまい。奪った城を守りきることもできません。彼らが攻めるのは小田原一択。ですから風魔の貴重な戦力を小田原以外にさく必要はございません」
乙霧が言葉を切り、小太郎が受け継ぐ。
「やるべきことは、大きく分けて三つ。八犬士を見つけること。城下を守ること。大殿のお命をお守りすること。それをこなすために人を九つの組に分ける。念をおすが、八犬士を見つけたとて、一人でなんとかしようと思うな。連絡を最優先にせよ。必ず集団で対処するように」
小太郎の言葉にすべてに納得した訳ではなかろうが、風魔衆の乱波たちは大仰にうなずく。
小太郎は風魔衆の乱波を九つの組に分けた。
八犬士の探索、小田原周辺の巡回、小田原城下町の守備に四組、小田原城の警備、氏康の警護、各組同士や小太郎との連絡役を担う組の九つ。
連絡組の頭は小太郎と長年苦楽を共にしてきている逆鉾という乱波に任せ、それ以外の組頭は、静馬を含めた小太郎期待の若者八人に申しつけた。戻ってきた十九名と居残り組合わせて総勢四十三名。巨大な小田原を手広く守るには心もとない人数ではあるが、なにも小田原の警護をしているのは風魔だけではない。北条の武士もいる。最終的に八犬士を討ち取れれば良いのだ。風魔の眼の代わりとして活用すればいい。
「わかっておるとは思うが、大殿の命を受けお役目についている方々もおる。揉めるようなまねはするでないぞ。我らが乱波であることを忘れるな」
余計な問題を起こさぬようにだけ釘をさすと、小太郎は乱波達を散らせる。乙霧も各組に伝えたいことがあるのか、嫌そうな顔をしている時雨を伴って広間を出て行った。