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墓無忍夢  作者: 地辻夜行
二章 八犬士と風魔相まみえ、火花と命散る
11/43

(十一)

 小太郎が小田原城内の風魔屋敷へ向かっていると、屋敷のある方向へと高速で駆けて行く集団がいた。

 風魔衆だ。皆、氏政の軍に従軍させた風魔衆きっての強者たち。ようやく戻った。これで八犬士との戦をさらに有利に運ぶことができる。

「破顔丸、静馬。戻ったか」

 集団に駆け寄りながら、先頭を走る二人の名を呼ぶ。

 彼の声に一団は一糸乱れずに立ち止まり、全員が片膝をつく。

「お頭、こちらにいらしたか。破顔丸、ただいま戻りました!」

 力強く返事をする破顔丸に対し、静馬はただ頭を下げるのみ。

 二人の後ろに続いていた者たちも口々に小太郎に挨拶をしていく。

「うむ。皆、ご苦労であった。しかし、指示した数より少ないのではないか。それに般若はどうした? 里におるのか?」

 破顔丸は気まずそうに下をむく。小太郎の問いに答えたのは静馬だ。

「小太郎様。申し訳ございません。ご指示通り、二十五名をこちらで選び、馳せ参じようとしたのですが、実はこちらに戻る途中、八犬士の一人と思われる若者と遭遇いたしまして―――」

 小太郎は目を見張った。

 その様子に破顔丸が強気を取戻したのか、静馬から話の続きを奪い取る。

「どうやら我らが戻るのを事前に知っておったようですな。待ち伏せをうけ、情けなくも未熟な者たちが次々と。しかし、間違いなくそやつは討ち取りました。証しはここに」

 手にしていた布包みをほどき、地面に犬江安兵衛の生首を転がした。

「こやつが八犬士の一人か」

「いかにも」

 小太郎は足元に転がって来た生首をいやそうに見やる。

「首から下はどうした?」

「は?」

「いや、なんでもない。気にするな」

「は、はぁ」

 なにせ先程まで首がなくとも動く八犬士と相対したばかりである。ひとりひとり『呪言』の力は違うようであるから、心配はないのだろうが、こうして話している間にも、どこからか小田原に迫っている首なし八犬士がいる気がしてならない。

 自身の嫌な想像を振り払うように首を強く振り、一団にに視線を戻す。

「ここでは目立つ。続きは屋敷で聞こう」

「はっ」

 破顔丸も他の者と揃って返事をしたが、首を見た小太郎の反応が望むものとは違い、面白くなさそうに転がした首に手を伸ばした。

 ところが、彼が生首を掴むより早く、横から飛び出してきた白い大きな犬が首をかっさらっていく。

「あっ!」

 破顔丸が慌てて背中の金棒に手を伸ばすが、犬は脇道にさっと逃げ込み彼の視界から消えた。

「放っておけ」

 追いかけようとした破顔丸を、冷たい声が静止する。

「我らの役目は首を集めることではない。やつらの数が減ったのならばそれでよい。行くぞ」

 小太郎たちが歩き出してもなお、破顔丸は犬の消えた脇道を睨んでいたが、やがて忌々しげに唾を吐き捨てると、小太郎たちのあとを追った。

 風魔屋敷に戻ると、奥座敷へ直行し、早速報告を聞く。

 全員を代表して報告するのは、やはり破顔丸である。

「敵は先ほどの首の者だけでございましたな。しかしながら、報せの通り面妖な術を使う者でございまして。ひとり襲っては逃げ、またひとり襲っては逃げを繰り返し……しかも未熟者を見抜く目に長けた輩で、ようやく拙者が討ち取った時には、六人がやられもうした」

 小太郎は胡散臭げに彼を見る。

 なにせ、全員子供の頃より知っているのだ。性格ぐらいは把握している。破顔丸は腕はたつが、いささか自身の力を誇張したがるところがある。本来であれば報告役に向いている男ではないのだが、力を尊ぶ意識が根強い風魔衆では彼の若者達から向けられる信頼は、小太郎がむけているものよりもはるかに強い。本人がやりたがれば、ここに集まった者たちの中に口出しする者はいないだろう。

「般若はどうした。そやつが、まことに相手の腕を測ることができ、弱い者から襲ったというならば、お前たちを襲う前に奴を襲うことはあるまい」

 彼の言葉に破顔丸は苦々しげに答える。

「兄者は氏政様のもとに残った」

「なぜだ」

「兄者自身が残ると言い出したのだ! おそらく戦で手柄でもたてて氏政様に直接取り入ろうとでも考えたのだろうよ!」

 破顔丸はまくしたてるように非難ともとれることを口にする。

 般若は彼の実兄であり、頭領である小太郎を除けば風魔衆一の実力者。五代目小太郎にもっとも近いと言われる男であり、破顔丸の行動にでさえ好き勝手に口出しできる唯一の存在。ようするに破顔丸にとって、目の上のたんこぶである。

 小太郎が氏政の軍に従軍した風魔衆に送った指示は、小田原に害をなす八犬士を始末するために、人を(ほふ)る技に長けた者二十五名を里に戻すようにといったものである。

 名指しで指示しなかったのは、こちらで選別している余裕がなかったからだが、最低限必要な者は戻るであろうという甘い考えもあった。

 小太郎が戻ることを確実視していたのは十人。破顔丸と静馬も含まれている。戻った十九人の中に足りないのは二人。風魔最強の般若、そして風魔最速を誇る空座からざ

 吠えたきり押し黙ってしまった破顔丸に代わり、静馬が口をひらく。

「小太郎様、その件に関しては私も同意いたしました」

 小太郎は目線で静馬に続きをうながす。

「得体の知れぬ八犬士に対し、風魔の精鋭をあてるという小太郎様のご意向、もっともとは思います。おそらく氏康様直々のご命令でもあるのでございましょう。しかしながら申し上げます。これからの北条をしょって立つのは現当主氏政様にございます。それゆえ小太郎様も氏政様に我らをおつけになった。そうでありながら、氏康様の命で、すでに北条家にも名が売れている般若を引きあげさせるのは、氏政様の風魔への心証悪くなること間違いございませぬ。それはこれからの風魔に、暗雲を立ち込めさせる要因となりましょう」

 むぅと彼は唸る。静馬の言うことは正しい。氏康の圧倒的な威圧感の前に冷静さを欠いていたと思い知らされる。

「わかった、もうそのことは問わぬ。話を八犬士に戻すが、今しがたこちらでも八犬士のひとりを討ち取った」

 おおと全員から声があがる。

「残る八犬士は六人。なんとしてでも始末せねばならん。お主たちの働きによっては、特別に褒美を与えることも考えておる。お主たちがこれまで鍛えてきた技。存分に発揮せよ」

 十九人が揃って平伏した。

 小太郎は、皆に今日はもう休むようにと申しつける。

 全員が立ちあがり広間を出ていく。

「静馬、お前は残れ。少々聞きたいことがある」

 破顔丸が不服そうに顔をしかめたが、声にだしてはなにも言わず、広間をでていった。

 静馬以外が広間から出ていくと、小太郎は彼に座るようにうながす。

 静馬が座りなおすと、彼は待ちきれんとばかりに話しを切りだす。

「詳細をきこう」

 静馬は苦笑するも、言葉には逆らわず、破顔丸が息のあった者たちのとどめを刺したことだけを伏せ、犬江安兵衛との遭遇戦の内容の全てを報告する。

「あの空座が相討ちか」

 彼の脚力を知っているがゆえに、その空座と同等の速さで走ってみせたという八犬士の『呪言』は、小太郎にとっては信じがたいものであった。たとえ信を置いている静馬の報告であっても、あの首なしで動く八犬士を見ていなければ、信じ切れなかったやもしれぬ。

 しかし、続く静馬の言葉はさらに信じがたいものであった。

「拙者の見立てでは、かの鉄脚の八犬士。全力をだせていなかったように思えます。全力を出されていれば、空座でも追いつけず、被害はもっと大きくなっていたかもしれませんな。鉄脚の表面に小さな稲光がいくつも放たれておりましたが、本来それは鉄脚の中に送られる稲光であったように思うのです。半分は勘でございますが、鉄脚の表面が雨で濡れていたことが原因ではないかと。おそらくあの男の『呪言』とやらは雨に流れやすい代物であったのでしょう」

 小太郎は嫌なものを見る様な目つきで静馬を見る。頭のキレは風魔随一だが、こちらにわからぬことを平然と口にする。あの乙霧と同類の得体のしれなさがあるのだ。とはいえ、いまはこの化け物じみた男が頼りになることは間違いない。ともすれば、もうあの乙霧に頼らぬとも、この戦を勝利に導ける芽がでてくるかもしれない。

「静馬。お前には先に話しておく」

 小太郎は犬山狂節を討ち取った経緯も含め、これまでのなりゆきを静馬に話して聞かせる。

 静馬は顔色ひとつ変えることなく小太郎の話を聞く。最後にただ一言「面白い」と呟くばかりであった。

「お前であれば、あの娘に頼らずとも八犬士への対応策思いつくであろう」

「無理ですな」

 願望のこもったひと言は、にべもなく一刀両断に斬って捨てられる。

「なぜじゃ?」

「知恵を支える知識量が圧倒的に違いますな。拙者も一夜の噂は少しばかり耳にしておりますが、海の向こうからも貪欲に情報をかき集めて来るような一族で育った者と、この小さな国で閉鎖的に暮らし、力づくで他者から奪うことを生業とする里で育った者とを、比較される方がどうかと」

 風魔衆自体を否定するような彼の言葉に、小太郎もさすがに表情を険しくする。

「さようか。知恵が追いつかぬと言うならば、お主が風魔の為にすることは一つじゃ」

「八犬士を斬ることですかな?」

「それは他の者でもできる。お主、一夜の婿にいけい」

「は?」

 乙霧という娘に好きに選ばせるのではないのかと、不思議そうにする静馬をよそに、彼は怒りを滲ませた表情のまま、庭に面した障子を開け、誰の姿も見えぬ庭に向かって声をかける。

「今日はご苦労であったな。幻之丞殿の言われた通り、見事な頭の冴えであった」

 木陰からその言葉に誘われるように乙霧が姿を見せた。

「うふふ、小太郎様こそ、使命を果たすために犠牲をいとわぬそのお心。感服いたしました」

 目の前で犠牲になった三人を思い出し、小太郎は顔をしかめた。

「好きで犠牲にしたわけではないわ」

 すでに風魔は少なくない被害を出している。小太郎屋敷を全焼しただけでなく、死者の数も、先ほどの報告を合わせれば二桁を超えた。八犬士を倒せたとしても被害が大きくなりすぎれば、乱波としてたちゆかなくなる。一人前の乱波を育てるのは難しい。時間もかかる。簡単に失ってよいものではない。煎十郎に医術を学ばせたのも、少しでも里の者の生存率を高める為だ。

 それでも必要とあれば、容赦なく切り捨てねばならない。情に流されず必要なことをする。それが風魔衆の頭領たる風魔小太郎の役目。

「予定よりも数が減ったが、先ほど戻った者たちは、ここにいる静馬も含め、我が里の中でも、特に腕に覚えのある者たちだ。八犬士にもひけはとらぬ」

 聞いているのかいないのか、彼女は夜空を眩しそうに目を細め、見上げている。

「お主の婿は、この静馬とする」

「お断りいたします」

 乙霧は間髪入れずに答えた。遠慮のない物言いに彼はまたかと叫びたくなる。

 静馬といいこの乙霧といい、風魔の頭領たる自分をいったいなんだと思っているのか。

 振られた当人は、なにが楽しいのかニヤニヤと笑っている。小太郎からすれば静馬は男子の面子を潰されたようなものだ。乙霧を怒鳴りつけることくらいはしたらどうかと思うのだが、いかんせん子供の時分から知ってはいても、この男だけは底が知れぬ。

 とはいえ、いまの問題は乙霧である。

「煎十郎はいかん。あやつの代わりになる者はおらん」

 それは知と武にも優れた静馬と比較してでもである。それだけ煎十郎の修めた医術は貴重なのだ。

 小太郎の発言を聞いても、彼女は遠慮をするどころか、口に手を当ててくすくすと笑いだす。

「ご冗談を」

「冗談などではない! なんのためにわしが煎十郎を里の外に修行に行かせたと思っておるか!」

 乙霧は彼の目を真正面からとらえた。小太郎の背筋に冷たいものが走る。

「小太郎様が必要とされていらっしゃいますのは、煎十郎様の知識と技術でございましょう。私は違います。煎十郎様自身が必要なのです。私の夫として」

 小太郎はわずかに生じた怖気おじけを振り払おうと声を荒げる。

「それこそ、煎十郎である必要がなかろう! お前ほどの器量ならば、相手が誰であろうとも、一夜衆の望む外見の子供が生まれるであろうが!」

「一夜が求める子は、ただ外見のよい子ではありませぬ。人を魅了する子。生まれながらにして華のある子。わたしと煎十郎様との間にはそういう子が産まれます」

 小太郎は眉間を押さえた。

「ほう。産みもしないうちから、なぜそんなことがわかるのかな」

 たずねたのは小太郎ではなく静馬。好奇心が抑えられないのか、目を爛々と輝かせている。

 彼女は、その質問に自身の下腹部に手をあてた。

「ここがそうだと申しております。煎十郎様を迎え入れよと、あの方の子種を頂戴せよと」

 小太郎は眉をしかめて訝しみ、静馬は更なる興味に目を輝かせる。

「わたしも、同じことを母や里のねえさんたちに聞かされたときには疑いました。里の中で夫婦になっている人たちもいるのに、わたしのここは、これまで語りかけてくることはございませんでした。ですが、ここに来てその話が本当であったことを知ったのでございます」

 乙霧はうっとりとした顔で、また夜空を見上げた。

「駄目だ。なんと言おうと煎十郎はいかん。静馬で駄目なら他の者にせよ」

「無理です」

 彼女はまたしてもあっさりと言葉をかえす。

「煎十郎様は、風魔とわたしでしたら、最後には必ず私を選びます。いますぐ連れて行かないのは、小太郎様と幻之丞様との間にお約束があるからにすぎません」

 小太郎は忌々しげに乙霧をにらみつける。いったいこの自信はどこからくるのか。

「乙霧殿と言ったか。たいした自信だが、煎十郎はああ見えて手強いぞ」

 時雨殿もいるしなとの言葉は、小太郎の手前避けたが、静馬はあの二人がお互いを憎からず想いあっていることを知っている。

 乙霧は確かに美しい。彼女に夫にと望まれれば、誰一人悪い気はしないだろう。ただ実際に夫になるかどうかは別だ。お互いの感情だけで夫婦になる者など、この世の中では稀であろう。

 煎十郎は里の外で生きた時間が長いとはいえ、幼いころに風魔の生き方、考え方を叩きこまれた男だ。頭領である小太郎の命令には逆らわない。気の弱いところがあるから、余計に逆らえないだろう。例え時雨と恋仲であったとしても、小太郎が首を縦に振らぬ限りは、なにもできまい。

「まだひとりを討ち取っただけではないか。せめて半数以上を討ち取るのに役立たねば、報酬を支払うだけの働きとはいえまい」

「あらあら」

 静馬は興味深げにふたりの様子を観察する。小太郎が乙霧を恐れているように見えた。まるで彼女の言葉が現実になるとわかっているかのように。

 長年で染みついた風魔の習性を目の前の娘は揺るがすことができるというのか。

 彼の小さな驚きに小太郎は気づかず、乙霧をにらみ続ける。

 彼女は役に立つ。小太郎が風魔の智者として最も信頼する静馬が敵わぬと言ったのだ。この娘の持つ知恵と知識は今の風魔には必要だ。だからこそ考えねばならぬ。眼の前のモノノケのような娘に、煎十郎を、風魔の宝となりえる男を、婿に持っていかれぬように。

 そのためには、静馬の力が必要だ。本人が否定しようとも、風魔衆の中でこの娘の知恵に抗いうるのは静馬のみ。

 彼が視線を静馬に戻すと、ふたりの視線がしっかりとぶつかり合う。彼の口元にはうっすらと笑みが浮かんでいた。

 小太郎の考えていることなど、全てお見通しだと言わんばかりに。

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