表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
墓無忍夢  作者: 地辻夜行
二章 八犬士と風魔相まみえ、火花と命散る
10/43

(十)

 小太郎は煎十郎(せんじゅうろう)時雨(しぐれ)乙霧(おとぎり)の三人を連れ、八犬士の一人である老人を見つけたと報告のあった街道へと向かっていた。

 隣を走る線の細い青年を横目に捉えながらゆっくりと駆ける小太郎は、少なからず後悔している。煎十郎は引き続き、謎の病に対する備えとして、小田原城下の風魔屋敷に置いておきたかった。

「あの丸薬のようなものは、本当に効くのであろうな」

 背中に大きな箱を背負う煎十郎に問う。

「ご老人の使う技というのが、虫に関係するのであれば大丈夫だと思います。乙霧さんからお聞きした配合は、稲につく虫に効く薬によく似ていますから」

 煎十郎は息も絶え絶えに答える。日が落ちてぐっと気温が下がったが、煎十郎の額には玉のような汗が浮いている。小太郎としてはかなり抑えて走っている。それでも彼にとってはついてくるのも辛そうだ。

 煎十郎は風魔衆ではあっても乱波ではない。風魔の里に住む者すべて風魔衆ではあるが、乱波としての仕事を全員がこなしている訳ではないのだ。農作業に従事する者、仕事道具などを作るものなど、風魔衆の乱波としての活動を陰ながら支える者たちがいる。

 煎十郎もその一人。風魔の里では幼いうちに乱波としての適性をみられるが、煎十郎は同年代の子供たちの中で、身体能力においてはできが悪かった。

 だが頭のできはその逆。早々と植物に興味を持ちはじめ、薬草と毒草の見分け方、取扱いに関しては大人顔負けの才をみせた。それに目をつけた小太郎は、煎十郎を甲斐の国の医者のもとに修行にいかせる。煎十郎はそこでも才を見こまれ、その医者の紹介で京へ、そこからまた府内(ふない)へと移り、南蛮の医術の知識をも身につけ、一年ほど前に里に戻ってきた。

 煎十郎が身につけた知識と技能は、充分すぎるほどの恩恵を風魔の里にもたらす。医術による死亡率の低下や、怪我や病からの早期回復にとどまらず、植物に関しての知識をもって、農作物の生育にも貢献してみせたのである。

(煎十郎にはやってもらわねばならぬことが、山ほどあるというのに)

 小太郎は時雨の隣で走っている乙霧へ苦々しげに目をやる。

 彼は今朝早く、動ける者を小田原屋敷に集めた。乙霧のことも含め、これまでの詳しい経緯を語って聞かせるためである。その後に里の襲撃の状況や八犬士の捜索に出ていた者たちの報告をうけた。

 乙霧は風魔衆の報告だけでは満足できなかったのか、時雨を中継役とし、情報収集を行った風魔衆に根掘り葉掘りと質問を繰りかえす。

 乙霧は女は問題ないようで、小太郎は愛娘に乙霧の世話役を申しつける。時雨は近づかないながらも煎十郎に色目を向ける乙霧を、鬼のような形相で睨んではいたが、里長でもあり父でもある彼に命じられると逆らうわけにもいかず、不承不承といった様子で、風魔衆と乙霧の間を取り持つ。ただ、乙霧が煎十郎の作業をうっとりとした表情で見つめていたり、いつ作り直したのか、あの糸のついた紙の筒で煎十郎にさかんに話しかけたりすると、父である小太郎さえも一歩引かせるような怒気を身にまとう。

 小太郎が八犬士発見の報に、四人で向かうことになったのも、一緒に連れて行こうとした乙霧が、煎十郎のそばを離れたくないと駄々をこね、それならば私もと時雨が言い出したからである。

 いっそのこと乙霧を風魔の里に置いてこようかとも考えたのだが、藁をも掴む思いで連れて来たこの女を遊ばせてはおけない。

 小太郎は視線を乙霧から、煎十郎に渡された大きめの丸薬に移す。

 里を出る前に渡されたものだ。煎十郎が作った者ではあるが、指示したのは乙霧であるらしい。すでに再度八犬士捜索に向かわせた乱波の何人かには、同じ物を持たせている。

 もしも八犬士の一人である盲目の老人に遭遇した時には、これに火をつけて燻すと老人の使う呪言を封じることができると彼女は笑って言った。他にもいくつか乙霧は、時雨の口を通じてそれぞれの八犬士に出会った時のできうる限りの対応を風魔衆に指示している。

蚊遣火(かやりび)と似たようなものでございます」

 小太郎が丸薬を見ていることに気がついたのだろう乙霧が、小道具など用いなくともはっきりと聞こえる声で小太郎に話しかけてきた。

「ただ、蚊遣火とは違って追い払うためのものではありませぬ。殺すための煙をだします」

「八犬士の年寄りは、蚊を使うか」

「確かではありませんが、煎十郎様からお聞きした、病に罹られた方の症状から察しますと、その可能性が高いのではないかと」

 小太郎はわかったとうなずく。

「お主の予測が当たっておれば、これでそやつを無力にできるということだな」

 乙霧は形の良い眉をひそめた。

「それはどうでございましょう」

「どういうことだ」

「風魔の方からその老人に関して、ひとつ気になることをお聞きしました。一昨日の戦から戻り亡くなられた武士の方が伝えられたところによりますと、その老人の瞼で塞がれた両目から光が漏れだしたかと思うと、右眼を開き、そこから光る珠が落ちて、その後になにか羽音のような音を聞いたと。……なぜ片眼しか開けなかったのでしょう? 光は両眼から漏れたのに」

 小太郎はそれが大事なことかと首をひねる。

「ここまで皆様が必死に集めてくださいました情報を整理いたしますと、姿を確認されている七人の八犬士のうち六人は身体の二ヶ所に光る珠があることをさらしております。なのにその老人だけは、残る左目にもう一つの光る珠が隠されているであろうことがわかるのに、さらしていない。さして意味はないのかもしれませぬが、気にかかるのでございます」

 これ以上は直接相対してみなければわからないのであろう。彼女はそれきり口を閉ざす。

 それから少しばかり進むと彼の目に風魔衆の姿が映る。近づきながら目を凝らすと、風魔衆三人の向こうに、三本の忍刀で体を刺し貫かれた老人が確認できた。

「おお、頭領。今しがた八犬士の一人、討ち取りましたぞ」

 小太郎に気がついた壮年の風魔衆が、狂節から刀を抜いて彼に向きなおり、片膝をついて笑顔をみせた。両隣の若い二人もそれにならう。

 小太郎は、身体を支えていた三本の忍刀を抜かれ、地面にうつ伏せに倒れようとしていく狂節の姿を一瞥し、三人に視線を戻す。

「でかした。お前たちは大事ないか」

「はい。我らはなんともございません。が、一人先走りまして」

 狂節の死体のむこうで倒れていた風魔衆の少年が、ふらつきつつもなんとか立ちあがる。

「面目ございません」

 喉を押さえ、苦しそうに声をしぼり出す。

 目を険しくした小太郎だったが、すぐに思い直したように目元を和らげた。

「よい。病にやられたわけではないのだな」

 少年が、駆け寄った若者の一人に肩を貸してもらい答える。

「はい。杖で喉と手を打たれただけでございます」

「この先、同じような不覚をとらぬよう精進せよ」

 少年がうなずいたのを見て言葉を続ける。

「連絡は来てはおらぬが、他の道に残りの八犬士が来ておらぬともかぎらん。皆、疲れているとは思うが、ふたりはこのままここを見張り、他の者は小田原に―――」

 戻れと言おうとした小太郎は、驚愕で言葉を失った。

 立ちあがっていたのだ。死んだと思っていた狂節が。

「後ろじゃ! そやつまだ生きておるぞ!」

 彼の声に、壮年の風魔衆がすぐさま反応し、ふりむきざまに狂節の胸に忍刀を突きさす。

 だが今度は狂節の動きはとまらなかった。刀がより深く刺さるのにも構わず、前に進み出て壮年の風魔衆の肩を掴み、のしかかるように喉元に噛みついた。

 壮年の風魔衆の口から悲鳴があがる。

「おのれ、死にぞこないめ」

 若い風魔衆の一人が、狂節の首めがけて忍刀を真一文字にふるい、狂節の頭と胴を斬り離す。

 恐るべきことに、それでも狂節の体は倒れない。倒れたのは喉元に狂節の首を残した壮年の風魔衆の方だ。どうっと音をたてて仰向けに倒れる。

 残された胴体は、まるでそれが意志を持っているかのように、首を斬り離した若者に向きなおり、眼もないのに正確に若者に向かって歩きだした。

 小太郎が狂節の背中に棒手裏剣を命中させるが、首を斬られても動く体がそれでとまるはずもない。

 胴体だけの老人が、金縛りにあったように動けなくなった若者に掴みかかり押し倒す。若者は悲鳴をあげ暴れだすが、狂節はかまわず若者の肌を掻きむしった。

 若者を助けに行こうとした小太郎の足を、別方向からあがった悲鳴がとめる。

 狂節に喉を噛みつかれた壮年の男が、いつの間にか立ちあがり、喉に狂節の首をつけたまま、少年に肩を貸していた風魔衆に噛みついていたのだ。風魔衆は叫びながらも、壮年の男の腹に刀を突き刺す。刃が背中から突き出るが、彼はまったく意にかいさない。

 肩を借りていた少年は投げ出され、泣きながら這ってその場を離れる。

 なにが起きているのか把握できない小太郎が、視線を狂節の体に戻すと、こちらも理解できない状況になっていた。

 先ほどまで襲われていた若者が、狂節の首なし胴体と並び立っていたのである。若者の目から光は失われ、体のいたる所から血を流したまま、小太郎に歩み寄ろうとする。隣の首なし狂節も同時に小太郎に歩み寄ろうとしたものだから、二人はぶつかり合い、もつれ合って地面に転がりあう。

「小太郎様、離れてくださいまし!」

 呆然としていた小太郎を現実に引き戻したのは、乙霧の鋭い一喝だった。

「これが呪言とやらの力に相違ありません。彼らに触れられてはいけませぬ。呪いに巻き込まれます。煎十郎様、時雨様も、そちらの坊やを連れて先にお逃げください」

言いながら小太郎たちとすれ違わぬよう、街道の脇にずれる。

「どうすればよい。策はあるか」

 一足飛びに狂節達から離れた小太郎は、這っていた少年を助け起こすのは煎十郎に任せ、彼女に問いかけた。

「小太郎様は一足先に小田原へ戻り、この街道の城下手前に彼らを落せるような穴を掘らせてください。それから、彼らを燃やせるように、油と火矢の用意をお願いいたします。できれば近づかせぬように突き放せる長い棒も皆に持たせてくださいまし」

「そなたはどうする?」

 煎十郎たちを押すように乙霧の前を通り抜けながら、彼は言葉を投げる。

「私は、あの方達が他の場所に行かぬよう引き寄せながら戻ります」

「それは危険です! あれはどんな病かわかりません。治せるかどうかも」

 煎十郎がそう声をあげると、乙霧の声が明るいものになった。

「まあ、心配してくださるのですね。嬉しいです。ですが御心配には及びません。ほら、すでに彼らはついてこれなくなっております」

 小太郎が振り返ってみると、確かに壮年の忍びに襲われた若者も含めて四人、こちらに向かっては来ているが走ってはいない。その動きは酷く緩慢である。こちらは小太郎以外、一流の乱波とは言えない走りだが、それでも追いつかれはしまい。

「先ほどの倒れる様をご覧になったでございましょう。知恵あるものの動きではございません。逃げに徹すればつかまることはございますまい」

 彼女はですがと顔を曇らせる。

「放っておけばどこに行くかわかりませんし、病……いえ、呪いが他者に移るのがあまりに早い。なにも知らぬものが襲われれば、呪いが拡がりかねません。見失う前に始末をつけねば」

「わかった。囮は一人でよいな。わしは先に行くが、お前たちもできる限り急げ」

 他の三人にそう声をかけ、小太郎は迷わず足を速めようとした。

「私も残ります! 私はこの方の世話役です!」

 走りかけた足が思わず止まる。これまでこの世のものとは思えぬ光景に呑まれていたのか、一言も話さなかった時雨が叫んだのだ。

 そんな彼女に乙霧は冷たく言い放つ。

「不用です。小太郎様が仰った通り、囮は一人で充分」

「ならば私が囮になります!」

「私は皆様と逃げると、もしものことがございます」

「ならば共に残ります! 客人一人を残し、先に逃げるなど風魔の名折れ! 風魔の名は私が守ります!」

 時雨の高らかな宣言を聞いて目を丸くした彼女だったが、すぐにころころと笑いだす。

「なにをされようと、私は恋心に手心は加えませぬよ?」

「それこそ不要です!」

 乙霧は楽しそうに眼を細めて小太郎に向き直る。

「さぁ、小太郎様。お急ぎください。最低でも四人まとめて、腰のあたりまではしっかりと落せる穴が必要です。囮は私と時雨様が努めますので」

「わかった。二人とも決して無理はするでないぞ」

 ため息をひとつついてそう言うと、小太郎は全力で走り出す。本気の彼は速かった。すぐさま煎十郎達を抜き去り、あっという間に乙霧の視界から消えて行く。

 小田原に用意されている風魔屋敷に駆け込んだ小太郎は、息つく間もなく、彼女に言われた通りの準備を風魔衆に急がせた。

 乙霧たちが進んでくるであろう街道の、小田原城下町少し手前に、急ごしらえの落とし穴をなんとか掘り終えたころ、煎十郎と少年が姿を見せる。

「頭領。間もなくです。間もなくお二人が、彼らを誘い寄せてここに参ります」

 足をもつれさせながら、なんとか前に進み続ける煎十郎に代わり、足を挫いている少年が小太郎に報告する。小太郎は二人を下がらせ、乙霧と時雨を待つ。するとすぐに暗がりから狂節達を引き連れた、彼女たちの姿が現れる。

「父上!」

「小太郎さまー。私は皆様の所に近寄れないので、囮を変わってくださーい」

 迫る恐怖に切羽詰まった時雨の声とは対照的に、乙霧の声はのんきである。

 しかも、往復でそれなりの距離を走ったにも関わらず、彼女は息もを切らしてもいなければ、汗ひとつかいている様子が見えない。一夜の里から風魔の里まで小太郎に台車を牽かせたのはいったいなんだったのか。

 彼は文句を言いたいのを抑え、二人に向かって大声で叫ぶ。

「時雨も乙霧と共にどけておれ。あとはわしが引き受ける!」

 道から大きくはずれた二人に代わり、不気味な足取りで追ってきた狂節たちの前にでる。

 乙霧が小太郎に囮を代わるように言ったのは、狂節たちの呪いを間近で見ていない者では、彼らの緩慢な動きを見て油断をしかねないからだろう。武器が刺さろうが、首を落されようが動き続け、さらには呪いで仲間まで増やす。彼らの真の恐怖は、実際に目の当たりにしなければわからない。

「油と火の用意をせよ!」

 小太郎が怒鳴る。首なし狂節を先頭にした四人にも声が届いているだろうが、彼らはただまっすぐに、一番そばにいる彼に向かってくるのみ。言葉を理解していないのは明白だった。

 小太郎は後ろむきにさがる。穴の手前まで来たことを悟ると、まるで背中に目がついているのではと思えるくらい見事に後ろ向きのまま穴を跳び越えた。

 それとは対照的に呪いに支配された四人は、芸もなく直進し、無様に穴へと落ちていく。

「今じゃ、油を撒けい! 火をかけよ!」

 風魔衆は、首のないまま動く体にも驚いたし、穴に落ちた敵の中に、仲間の顔も見つけたが、頭領の命令は絶対である。彼らはためらうことなく小太郎の指示に従った。

 穴の中から火の手があがる。穴の中で倒れていた四人が、体に火をまといながらも立ちあがる。それほど深く掘れた訳ではない。腰の高さほどしかない。それでも彼らは穴からでられなかった。体に火がついても暴れることもなく、ただ人に向かって歩こうとするだけ。地表に手をついて身体を持ち上げようとする、人間ならば誰でも考えて実行に移すことを彼らはできなかった。どんな状態になっても動けるが、体の使い方をわかっていない。

「足を掴まれるでないぞ。触れられただけでも呪いがうつると思え。あやつらと同じ穴に落とされたくなくば、棒でついて距離を取れ。こやつらには棒を掴むという知恵すらない」

 小太郎の言う通りであった。穴の端に近づいては棒で押し返される。ひたすらにこれの繰り返し。

 火が強まり、体の表面が炭のように黒くなっても、嫌な臭いを放ちながら、穴の中の四人は愚直に人を目指す。

「動かなくなっても火を絶やすことのないようにお願いいたします。灰になるまで燃やし尽くし、そのまま埋めてしまってください」

 乙霧の声が後方より聞こえ、小太郎は振り返り乙霧を見る。彼女は涼やかな顔で、風魔の作業を遠目に見ていた。

 その顔は、小太郎の心胆を寒からしめた。

 あの娘もたいがい化け物である。確かに知恵は働くようだが、恐ろしいのはそこではない。この世ならざる光景を目にしながら、まったく動揺を見せることなく、普段通りに頭を働かす。その美しすぎる外見もあいまって、彼女自身がこの世の者ではないような気さえする。

 小太郎は恐れるように乙霧から目をそらし、作業を配下に任せ、その場を離れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ