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7/7

頂き女子、来店

「そいつは傑作だ、千葉らしい。かっかっか」

 翌日、呑みに来てくれた宮崎さんに、その話をすると肩を揺らして大笑いしてくれた。

 一カ月半ほど前に、北海道警察を正式に辞職した宮崎さんは、マル暴勤務の頃に千葉ちゃんと面識ができた。

 千葉ちゃんは二十歳の頃、所属する暴力団に命ぜられるままヒットマンになり、実刑十五年を受け、網走刑務所で過ごしていた経歴がある。

 ちょうど五年ほど前に出所後、組は解散していて堅気になったにも関わらず、敵対していた暴力団に拉致され、指を落とされる拷問を受け殺されかけていたところに、たまたまのガサ入れで踏み込んできた宮崎さんに救われた過去があった。

 それ以来、僕も含めて話のできる仲になった。

「けど、こっちは冷や冷やものですよ。いくらそいつが傍若無人に暴走していたとはいえ」

 僕は、髪型を変えてみた。

 夏らしく涼し気にサイドを刈りあげて、ツーブロックにしてみた。トップの長さはそのまま肩にまでかかるほどだったから、毎日後ろで束ねて、つむじの辺りで団子に丸めているけれども。

「確かにな。速度規制での徐行の旗持ちとはいえ、そらァ、やり過ぎだ。俺がまだ現職なら、暴行か傷害で千葉を引っ張ってやるところだ」

「また赤いフェラーリでしたけど」

「廣嶋。そいつとよっぽど縁があるんじゃねえのか? かっかっか」

 今日の音楽は、アニメソング。どこがロックだ、というなかれ、アニソンはガチのロックだと僕は疑わない。アーティストはロックフェスにも精力的に出演して、激しく盛り上がるステージを見せてくれる。

 日本のカルチャーにまで成長したアニメの主題歌が、エッジの効いたロックサウンドなのは嬉しい限りだ。

 志賀ちゃんが言った通り、音楽に耳を傾けているのか、店に居座る幽霊たちは心地よさそうに思えた。

 そういわれてみれば、お坊さんが唱えるお経はどこか歌を唄っているように、木魚はリズムを刻んでいるよう聴こえるかもしれないな。

「そうだ、みそ汁王子とか言ってたかな、そいつ」

 カウンターの端っこでぽつんと一人っきりで、寂しそうに頬杖をついている萌ちゃんを見て、思い出した。

 宮崎さんは、呑んでいたハイボールの雫を飛ばすほど音をたてて叩きつけた。「なんだと? おい、廣嶋、今なんつった」

「いや、その赤いフェラーリの男。みそ汁王子って」

「……ほう」薄く目を細めた。

「知ってるんですか、宮崎さん?」

「知らん」

 目を合わせず、残り少ないハイボールを飲み干した。

「何言ってるんですか、聞き直すなんておかしいじゃないですか。都合が悪ければ、無理にとは言いませ、」

 ぎりぎりと聞こえそうなほど奥歯を噛みしめ、

「……村崎(むらさき)(ゆう)()という名だ、そいつは」

「え、よくご存じですね」

「若くして一発掘り当てた、青年実業家とかいう奴だ。訳の分からんものが売れる時代だ。そいつは北見で生まれて、中学まで北見に住んでいたんだよ。高校は札幌の私立に行って、卒業後上京して東京で暮らしているはずだ。親は開業医で、いわゆるボンボンってやつだ。イマドキならネットで調べりゃ、すぐに出てくるよ」

「へえ、北見出身なんですか。それで、そいつが?」

「……いや、それ以上は知らん」

 よほど不都合なことがあるのか、言葉を濁した。

 思い出したくない過去の事件に関連しているのか、隠したい出来事があるのか定かではなかったけれど、それ以上は僕も訊くのはよした。誰にでも話したくないことはある。

 胸の奥にもどかしいものが、チクリと刺さる感触があった。

 萌ちゃんは、ひとりでつまらないのかミルクティに挿したストローを弄んでいた。

「だが、今度また、そいつに出くわしたら、」

 入口のドアが勢いよく開く。同時に、

「おーい、廣嶋ァ。ヒック、カネ貸してくれえ」

 話をすれば、なんとやら。

 べろべろに酔っぱらい、紅潮した顔で入ってきたのは、さっきまで話のタネになっていた当の本人、千葉ちゃんだった。

 龍の柄が入った長袖のジャージに、お揃いのハーフパンツというラフな格好だ。

 首元には太い金色のネックレス、茶色の便所サンダルをつっかけ、最近面倒だからと自分でバリカンを購入して、五分刈りの坊主頭にした。面倒という理由は僕と一緒なのに、髪の長さがこれほどまでに違うというのも不思議な話だ。

 後ろには、首のない葵ちゃんもついてきている。

 どこか葵ちゃんは怒っているような素振りで、千葉ちゃんの背中をまたしてもぽかぽかと叩いている。

「どうしたんだい? 珍しいね、そんなに酔っぱらうなんて」

「うるへえ。酒は酔っぱらうために、ヒック、あるんじゃねえのか。お? 宮崎じゃねえか。お前、警官辞めた、ヒック、めたらしいな」

 しゃっくりが止まらないようだ。

「だらしねえなァ、千葉。なにやってんだ、お前は。そんなに酔っぱらってるんなら、早く家に帰れよ」

 目がとろんと溶けているよう、足も覚束ないほどフラフラで、「お前が、ヒック、帰れ」カウンターに乗っている幼い男の子の生首に対して、「どけ」と乱暴に手で振り払う。生首はふっと消えてしまった。「ババア、どこ座ってんだ、あっちいけ」と、うなだれている老婆に対しても、ぞんざいな言葉を投げつける。

「おう、メイド。元気か?」

 ブラブラと力の入っていない手をかざす。

「萌は、いつでも元気だぽんよ!」

 にこにこと萌ちゃんは、毛先が朱色のツインテールを揺らした。「千葉っち、酔っぱらってるぽん!」

「うるへいやい。おい、葵、邪魔すんじゃねえよ」

「誰と話してるんだ、千葉は?」

 宮崎さんは不思議そうな顔で、僕に問う。「こっちの話ですよ、気にしないでください」

 呆れ顔になり、妙にご機嫌な千葉ちゃんの肩をぽんと叩くと、「少しは限度ってもん考えろよ、千葉」立ち上がって僕に向き直り、「また来るとするわ。いくらだ?」と、財布を取り出した。

「今日の分はいいですよ。前回の余りで充分です」

 宮崎さんは仕事を辞めてから、週一ペースで足を運んでくれている。まだ再就職はしておらず、先週来てもらった時に置いていった一万円で今日の分は補えた。

「そうか? そんじゃ甘えるわ」

「奥さんによろしくお伝えください。たまには、ご一緒に」

「千葉と一緒にしないでくれや。ここは、俺がひとりになれる時間なんだからよ」

 かっかっかと声をあげ笑う。「おい、千葉ァ。廣嶋と彼女に迷惑かけんじゃねえぞ」

「ヒック、うるへえやい」

 上機嫌な千葉ちゃんは、しゃっくりをしながらヘラヘラと笑う。

 その後ろで両手を胸の前で組み、仁王立ちしていて怒っているような葵ちゃん。顔が見えれば、きっと頬を膨らまして頭から湯気がでているのかもしれない。

 一体どうしたのだろうか。

 それじゃあ、また、と笑みをこぼし大きな身体を揺らして、宮崎さんは店を出ていった。

 まァ、酔客の相手をするのが仕事で、水商売はこういうことが付きものだから慣れてはいるけれど、それが千葉ちゃんとあっては、さすがに心配のほうが先になってしまう。

「ねえ、千葉ちゃん。そういえば、お金貸してとか言ってなかった?」

「俺の財布は、ヒック、いつでもキャッシュレスのカードレスだかられす」

「意味がおかしいよ、千葉ちゃん。変なダジャレもスベってるし」

「うるへいやい」

 いつもとは全く違うニタニタとしてデレーっとした千葉ちゃんに、どうにも違和を感じた。

「一体、どこでそんなに呑んできたんだよ」

「俺がどこで呑もうが、廣嶋に迷惑はかけてねえだろうが、ヒック。酒だ、酒持ってこーいってんだ」

「いやいや、開口一番にお金貸してなんて言うもんだからさ」

 僕は千葉ちゃんに黙って、ミネラルウォーターの封を切り、氷を入れたグラスに注いだ。

 ここまでへべれけになっているなら、水を飲んでいてもきっと分かる訳がない。これで少し醒めてくれればいいんだけど。

「廣嶋ァ、タバコ吸わせろ」

「何言ってんだよ」

 千葉ちゃんが網走刑務所を出所した時、迎えに行ったのは、この僕だ。

 塀の中では当然、お酒やタバコなどの刺激的な嗜好品は禁止され、健康的な生活を送っていたためか、僕のダットサンに乗り込むなり、飲みかけのコーヒーを貪るように飲み、「かーッ旨ええ! 自由の味がするぜええ」と咆哮にも似た絶叫をした後、僕のマルボロメンソールに慌てて火をつけ、深く吸い込んだ瞬間、白目をむいて気絶したことがある。

 それ以来、千葉ちゃんはタバコを辞めていた。

「はい、芋焼酎の水割りだよ」そう、嘘をついて千葉ちゃんの前に置く。

「聞いてくれや、廣嶋」

 何も知らず、ミネラルウォーターをガブ飲みする。「俺にも、やっと春が来たんだよ、ヒック、ふぁる。この意味分かる? でへへ」

「冬が終われば、誰にでも春はやってくるよ、黙っていてもね。それに今は真夏じゃないか」

 ちっち、と指を立て横に振る。「そうじゃねえ。女に誘われたんだよ、逆ナンだ、逆ナン」

「……は?」

 首から上が見えない葵ちゃんが、千葉ちゃんの頭をぽかぽか叩く素振りをする。

 もちろん、千葉ちゃんは何も感じていない。

「ここに来ようと思って、街歩いてたらよ、色っぽくて若えお姉ちゃんが『一緒に飲みませんか?』なんて言ってきたからよお。話聞いたら、三千円ぽっきりで呑めるとこ知ってるから行こうって腕組まれてな」

 イヤな予感がする。

「いやあ、久しぶりに女のいい匂い嗅いだら、ほいほいってついていっちまってよ。客は俺たちの他に誰もいねえし、やけに静かでよ。真っ暗なお化け屋敷みてえなとこでな」

「…………」

「そのエロいお姉ちゃんが、ヒック、姉ちゃんがカラオケはガンガン歌うわ、腹減ったなんつってフルーツの盛り合わせ頼むわ、しまいにゃ、シャンパン飲みてえとかって言うもんだからよ。いやはや、まいったね」

 イヤな予感も通り越して、ため息が漏れる。

「……ねえ、千葉ちゃん。それ逆ナンじゃなくて、キャッチだよ」

「あァ?」

 悪びれていない千葉ちゃんは、きょとんとすっとぼける。

「店とグルなんだよ、その女は」

「ヒック、な訳ねえだろ! 会計きた時は、目ん玉飛び出たけどよ」

「いくらだったのさ?」

「十九万八千円だとよ。還元税率だかのおかげで、二十万の大台にはいかなかったけどな」

 本当に、目玉が飛び出るかと思った。

「じゅ、じゅうきゅう、まん? 何やってんだよ、ぼったくりじゃないか!」

「それがな、俺も三千円しか払わねえってふんぞり返ってやったら、そのお姉ちゃんが立て替えてくれたのよ。『わたしが楽しくてはしゃいじゃったから、てへ、ペロペロしちゃうぞ』なんつってな」

「……はァ?」

 呆れて、顎が外れ落ちそうになった。

「俺もビックリしたぜ? よっぽどだろ、そんなカネ立て替えてくれるなんてよ。そしたら、俺のジャージのポケットに手突っ込んできて、まさぐるように触りながら、こそこそと耳元で囁くんだわ、そのお姉ちゃんが。『ふたりで、もう少し静かなところ行かない?』ときたもんだ! これまった、ヒック。ここも静かじゃねえか、ここでおっぱじめてもいいんだぜ、なんて、」

「……千葉ちゃん。鼻の下が伸びてるよ」

 僕をなだめるように、「ヒック、いやいや、廣嶋くん。嫉妬するのも分かるが、これは俺がまんざらでもないってことだからな。そんな痴女みてえにエロいお姉ちゃんがどこにいるんだよ、店とグルな訳ねえだろが」

「いや、そういうことじゃないんだけど……」

「俺も男だ。女にカネ払ってもらって黙ってる訳にはいかねえだろ。それにホテル代くらいは出さねえとな、でへへ」

「……千葉ちゃん。ひどい顔してるよ」

「ヒック、うるへいやい」

 取り合おうともしなかった。

 その女が、店とグルのキャッチだったとしたら、二十万もの支払いはしていないはずだ。

 その場の店では千葉ちゃんからカネを取り損ねたから、女を使って深追いしてきているのだろう。自尊心やスケベ心をくすぐり、色恋を利用して、羽をむしり取って皮を剥ぎ、肉に食らいつき骨をしゃぶろうとしているのかもしれない。

「そこの店の名前は?」

「覚えてねえ」

「その女の人とは?」

「ここで待ち合わせてる、ヒック、もう来んだろ、でへへ」

「……ここに?」

 千葉ちゃんの目の焦点が合っていない。こんな状態ではいいカモに映るのだろう。

「とにかく、黒くて細い紐みてえなパンツが似合う、いい女なんだよ。メイドとは違ってな、でへへ」

 まったく懲りていないのもどうだろう、とは思った。

「む? 萌はイチゴのパンツしか穿かないぽん、べー」と、千葉ちゃんに舌をだした。

「うるへいやい」

 千葉ちゃんはニヤける。「おい、廣嶋。酒はキャンセルだ、エナジードリンク持ってこい。なかったら、買ってきてくれ。もしくは赤マムシ! いや、この際だ、元気ハツラツとかいうやつでいい」

「……千葉ちゃん、下心丸出しじゃないか。そんなもの飲んでまで、する必要ないだろ、まったく」

「生きてるってのはいいねえ、ヒック、生きてる実感がするねえ、ファッ、ク」

 そんな時、僕のスマホが震えた。

 液晶の表示は、葵ちゃんからだった。カウンターにスマホを隠しながら、メッセージを開いてみる。

 亡くなってしまった幽霊でも、首から上がなくて話すことが出来なくても、僕と葵ちゃんとはスマホのショートメール機能で繋がっていられるのだ。

『ごめん、廣嶋くん! 千葉をなんとかしてー』

 続けざまに、『あいつバカだから騙されてるの! その女とヤレると思って、そのことで頭いっぱいなの! バカだから』

 やっぱり、そうか。

 僕は、「ちょっとトイレ行ってくる」そう千葉ちゃんに告げ、スマホを握りながら、トイレの鍵を閉めて、便座にそのまま座り、葵ちゃんに返信する。

『千葉ちゃん、いつもと違うように思えるけど。そんなに呑まされたの?』

 スマホとにらめっこすること、十秒ほど。

 ぽうん、という間の抜けた通知音がして、葵ちゃんから返信がくる。

『違うの、わたし見てたの! その女に、飲み物にクスリを入れられてた! たぶん睡眠導入剤だと思うの』

 どおりで千葉ちゃんの酔い方は尋常じゃなかった。酒と薬なんかを混ぜて飲めば、どんな人でも悪酔いしてしまう。と、すると、

美人局(つつもたせ)か昏睡強盗でも企んでるっていうの?』

『バカだから、それ一気飲みしてたの! もうホントごめんね』

 世話が焼けるのはいい。だって友達なんだから。どんなに迷惑をかけられたって、損得勘定なんてないんだから、友達を辞めるつもりもない。なんだったら、支払い分くらいのお金を貸したっていい、あげてやってもいいくらいだ。仲の良い幼なじみなんだから。

 けれど、その友達を貶めようとする奴は許さない。

 僕のかけがえのない大切な親友なんだから。

 立ち上がって振り返り、トイレブラシを握る。

 カビを根こそぎ絶つ次亜塩素酸ナトリウムが主成分の洗剤スプレーで、消毒も兼ねてトイレ掃除をする。まるで乱雑にチョークで数式を解き、黒板を真っ白に埋めてしまう数学博士のように、無心でゴシゴシとトイレを擦る。

 左手はトイレブラシ、右手にはスマホをしっかりと握りながら、どうしようかと考えた。

 頼りになる宮崎さんは帰ってしまった。こんな時は、警察に一報すればいいんだろうけど、民事不介入という壁に阻まれ役に立たない。もっとも宮崎さんは、警官を辞めてしまっている。弁護士? いいや、まだ事件にもなっていないのだ、何を相談すればいいというのだろう。酔っぱらいの戯言と呆れられる。病院で血液検査でもする? そうすれば、睡眠導入剤の成分がでてきて、相手を訴える証拠がでてくるのではないか。いいや、そんな時間は、全くもってない。まして、幽霊の葵ちゃんが見たという睡眠薬を入れられたなんて、誰が信じると、ん?

 僕の背中に電流のようなものが走る、と同時に、右手のスマホに着信音がした。葵ちゃんからだった。

『その女の人。わたしが見えるみたいなの』

 なんだって?

 思わず、トイレにスマホを落としそうになった。

『見て見ないフリをするんだけど。わたしが視界に入ろうとすると、避けるように視線を逸らすの!』

 キャッチの女性には、霊感のようなものがあるのか。

 それはいい。実に面白い!

 ここは僕の店、僕のフィールドであり、ホームのようなものだ。幸いにも、千葉ちゃんはここで待ち合わせをした。それは向こうにとって不運に陥ることだろう。

 頭の中に、ぐるぐると幾何学的な文字や数字が飛び交った。いいアイディアが、ひらひらと降り注いでくるようだった。

 左手に持ったトイレブラシから、雫がぼたぼたと落ち、床を濡らした。

 怖いもの知らずの向こうがその気でくるなら、悪巧みで嵌めようって魂胆なら、こっちだって容赦しない。いい度胸してるじゃないか。相手は千葉ちゃん、そして僕と葵ちゃんだよ? ましてや萌ちゃんだって、子供の生首だっている。

 望むところだ、一泡吹かせて懲らしめてやる。

 使い捨ての除菌シートでまんべんなく便座を拭き、床が濡れてしまったところも丁寧に拭き取り、コックを捻り流して捨てた。

 僕は葵ちゃんに返信をして、何もなかったかのようにトイレを出た。

「千葉っち、寝ちゃったぽん」

 萌ちゃんが声をかけてくる。

 千葉ちゃんは、カウンターに突っ伏して、いびきをかいて眠ってしまっていた。

 それはそれで好都合だ。

 ふわふわと有頂天になって浮かれている千葉ちゃんは、僕の助言にも耳を貸さず、罠とも知らずに、ホイホイと涎を垂らしながら餌に飛び込もうとしているのだろうから。

ジャージのハーフパンツから、二つ折りの財布が半分顔を出して落ちそうになっている。きっと女性は、千葉ちゃんの財布を狙って、左側に座ることだろう。

「そのまま、少し寝かせてあげよう」

 カウンターの中に入って、改めて葵ちゃんに色々な指示を出しておく。

 葵ちゃんも初めは『大丈夫なの、それ?』と訝しんでいたけれど、最後のほうには、『こんなのは、どう?』意外と乗り気で楽しんでいる様子に思えた。

 照明をかなり絞って、店内を暗めにする。様々なリモコンを操作し、準備に入る。

 そうこうしていると、店のドアが開き、毒々しく強烈な香水の匂いが飛び込んでくる。

「こんばんは。えっと、千葉さんは……?」

 女性がやってきた。

 長く淡い栗色の髪をゆるやかに巻いている彼女は、身体の線が一目で分かる白いミニスカートでノースリーブのナイトドレスを着ていた。ワンピースの洋服は、胸の谷間を強調して見せるためか、大きく穴が開いて肌が露出しているデザインだった。腰回りに大きなベルトを巻いている。

厚ぼったい唇を半開きにして、つけまつ毛で空を飛べるかのようだった。

 確かに色気があり大人びて艶っぽく、愛らしい猫のような顔立ちの女性で、男好きされるタイプに思える。割と背が高く、ヒールの高いミュールをつっかけ、指先はキラキラとしたネイルが輝いていた。

 年齢は見た目で、二十代中盤から後半といったところだろうか。

「いらっしゃい。あァ、眠いといって寝ちゃったんだ。お連れの方が来るとは聞いてたよ。どうぞ、こちらに」

 僕はあえて、千葉ちゃんの右側を勧める。

「もう。待っててって、あれほど言ったのにん」

 千葉ちゃんの肩に軽く触れ、腕をからませ回り込むように左側のスツールに腰を降ろし、持っていた小さく派手なブランドもののバッグから細いタバコを取り出し、火をつけた。

 クロ確定だ。

 慌てず、急がず、食いつき釣った魚は逃すまい、どう料理してやろうか、そういったところだろう。隙を見て、千葉ちゃんの財布からカードを抜き取るか、財布ごと奪いトイレで物色するか。

 人は、見かけによらない。見かけほど、アテにならないものはない。

 女性だからといって、かわいらしいからといって、いい匂いだからって、甘えた口調だからって、エロそうとか、小動物が好きだからといって、頭や心の中は真っ黒でも透けて見えないもの、こっち側の勝手な思い込みでしかないのだから。

 本物の悪魔や殺人者は、恐ろしい顔などしていないものだ。

 ふくよかな女性に悪い人はいないなんて聞いたけれど、お祭りのカレーに劇薬を混入させたり、何人もの年配の独身男性を骨抜きにして財産を奪った死刑囚がいる。そもそも、欧米あたりの女性は歳を重ねると、ほとんどが重そうに脂肪をかかえ、横に膨れていくじゃないか。

視線を外すことはしない、僕との静かな駆け引きが始まった。

「へえ、メイドさん。かわいいわね」

「にひひ、萌は、いつもかわいいぽん」

 僕はカウンターの陰から、さりげなく葵ちゃんにメッセージを送った。

『それじゃあ、準備はいい?』

消音モードにしたスマホに、すぐさま『バッチリだよ♡』黒いハート付きで届く。

 見えない火花がバチバチ飛び交って、僕は少し面白くなってきた。

 スマホの時計は午前二時を迎えるところ、丑三つ時、間近。お盆ももうすぐ、最高のシチュエーションが整った。

 よし、対決だ。

読んでいただき、ありがとうございます!

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