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愛してる

「おそらく、ヤリモクだった紺野の不倫が妻にバレてしまって、離婚され家族を失ったんだろ。自業自得とはいえ、絶望して自殺でもしたんじゃないのか」

 店へ戻る帰りの車中で志賀ちゃんは、他人事と云わんばかりに淡々と吐き捨てた。

「彼女には、なんて伝えればいいんだろ?」

「ありのままでいいだろ? ヒロくんが真実を隠してあげる義理もないし、そこまで気を遣うことじゃない。そいつが生き返れば別だろうけど」

「……生き返る、か」

「死人に口なし。ふたりの間で何があったかも知ったことではないし、死んでしまったならどうすることもできないさ」

 街灯や建物の明かりが流れていく。

「けど、亡くなってたなんて、ね」

「人間は、必ず最後は死ぬんだよ」

「まァ、そうだけどさ」

 そうだ、と思いつき、スマホで『紺野巧』を検索する。

 イマドキの若者なら、承認欲求まみれのSNSでもやっていて、何かがヒットするかもしれない。死んでしまった人のデジタルタトゥーがネットの中に残っている可能性はある。

「あんまり、こんな話したことなかったけどさァ」

 志賀ちゃんは、ハンドルを握りながらぽつりと呟いた。「俺たちが、アイツらを見えてしまうってのには、なにか意味があんのかなァ?」

 それは正直、ずうっと考えていたことだった。

 死者が見えてしまう霊障の理由。死んでしまった人が出てくる訳。深く考えてはいたけれど、何かを試みて行動しようとも思わなかったし、どうすることもできなかった。

「……どうだろうね。見たくて見えてるものじゃないし、それで変なことに巻き込まれたり、困ったことは僕自身、今までもあまりなかったような気もするしね。意味や理由を考えたこともなかったってのが、本当のところだけど」

 志賀ちゃんが加熱式タバコをくわえる。僕もポケットからマルボロメンソールをくわえ、ジッポーライターで火をつけた。

 僕は、スマホを眺めながら相槌をうつ。

「向こう側に逝った強い恨みの情念だったり、魂が関係してるのかな? 現世でやり残したことや辛かったり苦しい想いを引きずってたりとか。残留思念とかいう」

「うーん、それは僕にも分からないな。みんなそれぞれに苦しかったことや辛い思い出はあるから。人生は楽しいことばかりじゃないもんね」

 窓を少しだけ開けて、煙を逃がす。街灯りに吸い込まれるよう、タバコの煙が消えていく。

「そういうものを信じない人や、全く見えない人のほうが多いんだろうけど」

 志賀ちゃんは、薄く笑った。

「ヒロくんの店のカウンターに乗ってる子供の生首も、最初はビックリしたよ」

「まァ、もう慣れたもんだよ。なにか危害を加えてくる訳でもないし、手で振り払ったら何故か消えちゃうしね」

「そういや、いつもチーくんの傍から離れない葵ちゃんは首から上がないじゃない?」

 スマホの画面を注視しながら、うん、と相槌を打つ。

 志賀ちゃんのいうチーくんというのは、僕らふたりの共通の友人である千葉ちゃんだ。

 三人共幼なじみで、今でも仲がいい。その千葉ちゃんも、死んでしまった人が見えてしまう。

 千葉ちゃんは、訳あって二十代前半で葵ちゃんという彼女と離ればなれになってしまい、その間に、彼女は亡くなってしまった。けれども今現在、首のない形で傍にいる。

それは僕にも見えるから。

「俺らは仲が良かったから連絡がくるじゃないか。それも凄いよな」

「最初は僕も驚いたよ。電話がかかってくる訳じゃなく、昔の電話番号から送れるショートメールのSMSだけどね。今はメッセージアプリが全盛だけど、それだけは残ってるもんね」

 霊障が電気機器に反応してくることは多い。非通知の無言電話がかかってきたり、照明がパチパチと点滅したり。俗にいうラップ現象の一種だろう。

 当の本人である千葉ちゃんは当時、携帯電話を所持していなく、葵ちゃんも連絡はとれないのだろう、かかってきたことはないという。僕と志賀ちゃんの電話番号は昔から変わっていない。

「当初のままで止まってるってことか」

「そう思うよ」

「生きていた最後の瞬間のまま、死んだ当時のまま、ねえ。確かに、落ち武者の霊が洋服着てるなんてないもんな、ははは」

「あはは、たまに生きてる人で、落ち武者みたいな髪型の人はいるけどね」

 紺野巧でヒットするものをスクロールしながら見ていく。

 SNSの同姓同名は多く、手当たり次第ってのも時間がかかり過ぎる。イマドキなら自撮りの画像でも転がっているかもしれない。ウェブサイトから画像に切り替える。

「そうだ、ヒロくん。真っ黒でぼやけた影みたいなヤツは見たことある?」

「うん、あるよ。けど、あれはなんかイヤな感じがするんだよね」

「俺も。なんだか不気味で気持ち悪い。めちゃくちゃ焦げ臭いもんね」

 生きている人は、俗に良い人と悪い人に分けられるけれど、そんなに極端ではなくて、僕はどんな人でも、良い部分と悪い部分を兼ね備えていると思っている。完璧に誰に対しても良い人なんていないし、悪人にも良心はあるはずだから。

 けれど霊界へ逝ってしまうと、その両極端に分かれてしまう気がしてならない。

 全く害をもたらさない良い霊と、負のオーラを背負って誰でも巻き込もうとする黒い影で彷徨う悪霊のようなものに。

 有名なパワースポットなんかには、もちろん良い霊たちも集まっているけど、黒い影もたくさんいる。僕は、そんなところにあえて行かないようにしている。どちらが憑いてくるか分からないもんね。

 志賀ちゃんは、屈託ない笑顔を浮かべた。「とはいえ、どうしてヒロくんの店に、アイツらは集まるんだろうな?アイツら同士じゃ、互いを認知しあえないとはいえ」

「うーん、それも考えたことはなかったけど。確かに、僕の店には多いよね」

「俺が、勝手に思うんだけどさ。アイツら、音楽が好きなんじゃないのか?」

 なるほど。

「……そっか。確かに、世間じゃあ墓場だの廃病院にいるとかいうけど、僕の経験からすると、賑やかな場所に集まっているような気がする。元々はお化けなんかじゃなく、人間だった訳だし、幽霊だって明るく楽しい場所のほうが好きに決まってるよね」

「ほら、仏壇には必ず(りん)があるじゃないか。鈴の音色は向こう側にも届くと聞くし、きっとアイツらって喋れない代わりに聞こえるんじゃないのかな?」

 人間が死ぬ間際にも耳の機能だけは最後まで残り、聞こえるという話だ。

 日本耳、というのも聞いたことがある。日本人特有の感性なのか、想像力なのか、欧米の人とは異なる聴こえ方がするという。情報処理の仕方に違いがあるそうだ。確かに、ヒアリングの差も、外国のニワトリや犬の鳴き声なんかの発音はどうにもしっくりこない。

 そういったことも関係しているのだろうか。

「でも僕の店でかけてるのはハードロックが中心だよ?」

「そういうノリが趣味なのか、好みなのかもしれないじゃないか。波長や価値観が合う、集まりやすい、寄ってきやすいのかもね」

「彼らと気が合うなんてね。光栄だよ」

「下手クソなおっさんのカラオケなんて、アイツらも聴きたくないんだよ、ははは」

「あははは、それは、さすがに僕も聴きたくないね。そういや、僕の知り合いの亡くなった奥さんなんか、モノに触れることができる、」

 そう言った途端、

「あっ!」

 と叫び、背もたれから身体を起こした。思わず、火のついたタバコを落としそうになった。

「なんだ、ビックリさせるなよ」

「志賀ちゃん! 見てよッ」

 僕は、スマホの画面をスワイプして志賀ちゃんの顔のすぐそばまで近づけた。

 ちょうど車は、赤信号で停まる。まじまじと志賀ちゃんは画像を眺めると、眉間に皺が寄り、みるみる険しい表情になっていく。

「……こいつ」

「うん」

「ヒロくんの店にいる」

「あァ。血塗れの、あいつだ」

 彼の生前であろう笑顔の画像だった。


 彼の顔、紺野の画像を見ても、思い当たることはなかった。どう考えても、見た顔ではない。

 志賀ちゃんの車を街のパーキングに入れて、ふたりで僕の店へ歩いて向かう。

『pierrot』の入っているエキサイトビルは、繁華街になる中央の広場に面している。広場には、ふたつの木製ベンチと、大きな街灯の下にはデジタル時計と温度計がついている。

 気温は5℃、時間は八時五十五分。九時のオープンにはかろうじて間に合った。

 ビルのエントランスに、大きな人影をみつける。

身体を壁にもたれながら、待ち行く人を眺めていた。その手にはビニール袋がぶら下がっていた。

「……あれは、」

 志賀ちゃんは立ち止まり、顎に引っかけていた黒いマスクを素早くあげた。

 僕は振り返り、「あァ。宮崎さんだ」

「みやざき? 道警のか」

「うん、僕のところのお客さんでね」

 苦笑いを浮かべ、ぽんと僕の肩を叩いた志賀ちゃんは、「それじゃ、俺はこのへんで」

「なんだよ。ちょっとくらい寄っていきなよ」

「仕事上、警官に顔を覚えられるのはマズいんでね。また来るよ」

「……そっか、仕方ないよね。うん、また」

 軽く手を振り合い、志賀ちゃんとはそこで別れた。

 小走りで去る後ろ姿を見送った後、宮崎さんに声をかけた。「よう」と、頬を緩める。

「僕の店ですか?」

「あァ」

 持っていたビニール袋を少しだけ掲げた。「飯は済ませたか? 一緒に食おうと思ってな、寿司買ってきた」

「それは有難いです」

「一緒にいた奴はいいのか? 俺を見つけて、そそくさと帰ったようだったが」

「ええ、友達なんですが、用事を思い出したようで。宮崎さんがいたからって訳じゃないですよ、あはは」

ふん、と鼻を鳴らした。「そうか、なんだかすまねえな」

 僕の店は、エキサイトビルの地下一階にある。

地下フロアには僕の店しかなく、下へ降りる階段とエレベーターは専用のようなものだ。

 ふたりで階段を降り、鍵を開け、宮崎さんを招き入れる。

 照明を点けると、いつもたむろしている亡霊たちはいなくなっていた。血みどろな紺野の幽霊もいなかった。

 宮崎さんは、どっかりと腹を揺らして、カウンター席に座った。

「お寿司なんて豪勢ですね、宮崎さん。ビールでいいですか?」

「あァ、そうだな。生で頼む」

 キッチンから醤油皿をふたつ持ってきて、ジョッキにビールを注ぐ。

 宮崎さんは寿司の折りを広げ、割りばしを僕のところにも置いてくれた。

「まァ、というのも、ちょっとした祝いみたいなもんでな。ひとりじゃ寂しくってよ」

「お祝い? 昇進されたんですか」

「いいや、むしろ逆だ」

 黄金色に輝くビールを宮崎さんの前に置く。「実はな、警官辞めてきたんだ」

「……え、辞めたって?」

「あァ、言葉そのままだよ。廣嶋、お前も呑め、付き合えや」

「いやいや、また、どうしてそんな急に、」

「実質、明日から二カ月以上ある有給を消化して、正式には六月の末日で退職だ。早期退職の手当てなんてつかねえけどな、かかか」と、笑いながらジョッキを持つ。「これで俺も、お前と一緒の善良な一般市民になったって訳よ」

 僕の分のビールもつくり、宮崎さんの前に立つ。

「本当にお祝いってことでいいんですか?」

「俺が祝いだっつってんだから、いいんだよ」

「……それじゃ」

 宮崎さんのグラスに近づける。

「おう」

 チンッと軽くグラスを合わせると、「寿司も遠慮なく食ってくれ」

「ありがとうございます」

 無理につくっているようなほろ苦い笑みの宮崎さんだったけれど、個人的な諸事情や理由があるはずだ。深く話を聞くのは失礼な気もするし、不謹慎に想いを聞き出すのも違うなと思い、別な話ができることを頭の中で模索する。

浮かんできたのは、やはりさっきのことくらいだった。

「そうだ、宮崎さん。亡くなった人と結婚できないってホントですか?」

 ウニの軍艦巻きを放り込んでいた宮崎さんは、むせ返る。手で僕を制して、しばらく咳きこみ、ビールで流し込んだ。

「……あ、当たり前じゃねえか。急に何ぶっこんでくるんだ、お前は。いくら法律家じゃない俺だって、それくらい分かるぞ」

「ですよね。じゃあ、どうしても結婚したい相手が死んでいたら、どうしたらいいんですかね?」

 僕はマルボロメンソールを一本取り、転がっていたビックの安いライターで火をつける。

「そらァ、諦めるしかねえだろ。いい思い出だったと忘れちまって、違う相手を探すくらいでいいんじゃねえのか?」

「そうは言っても宮崎さんはしないでしょ」

「俺の場合は、カミさんと死に別れて、まァ、今でも不思議なことに見えはしないが、傍にいる訳だしな。こんな歳になりゃ嫁さん候補もいねえよ、俺のモテるモテないは別にしてな、かかか」

「再婚は考えてないんですよね?」

「考えてねえな」

 そう笑みを浮かべて、もう一口ビールを飲み込んだ。

「なにか? 廣嶋の恋愛対象は死んじまった奴なのか? いくらLGBTだろうが多様化しようとも、そいつは無理だぞ」

「いえいえ、僕のことではないんです。お客さんに頼まれてしまって」

「ほう、どんな?」

「すいません、お祝いだって言ってた、こんな時に」

 ビールで乾いた唇を潤す。「実は、若い女性のお客さんなんですが、明日にここで好きな男性と会わせてくれって」

 さすがに先読みをして勘のいい宮崎さんは、

「……ほう。で、その男は死んでいた、と?」簡単に先回りされた。

「はい、そうなんです」

 伸びた灰を落とす。

「若いんだろ、その女? まったく、かわいそうなこったな。まァお前は、そのまま女に伝えりゃいいだけだろ、会いたい男は死んでいましたってよ」

「いや、それが、ここにいつもいるんですよ。その男性が」

「……なんだと?」

 宮崎さんは驚きに目を丸くした。「どいつだ?」と振り返ってみるが、宮崎さんに向こう側の人は見えない。もっとも、今は誰もいない。

「そいつの名前は、なんていうんだ?」

「紺野くんっていうんです。ここには血塗れで、いつもあそこのボックス席に座ってるんですけど」

「……こんの、だと?」

 宮崎さんは眉根をよせ、無言で何かを思い出そうとしているのかキョロキョロと視線を動かし、白髪の混じった坊主頭を撫でた。

「全身血に塗れているんで、病死や突然死のようには思えないんです。なにかの事件か事故にでも遭って亡くなったんじゃないかと。警察の方なら何か知っていることがあるかなって。けど彼のほうは、札幌で暮らしていたんです。彼女も、」

「さっぽろ?」

 突如、鋭い視線をぶつけてきた宮崎さんは、「女の名前は分かるか?」

「……ええ。高岡さくらさん、という、」

 目を細め、「やっぱりか」

「……え?」

 宮崎さんは一呼吸置くように、ビールで唇を濡らす。

「見えちまうってのも厄介なもんだな、廣嶋。面倒事に首を突っ込んじまう」

「ど、どういうことですか?」

「ちょうど警察も辞めてきたんだ。守秘義務はあるが、誰にも口外するな。ニュースでも報道されなかったことだ、ここだけの話にしてくれ」

「も、もちろん」

 僕は、まだ長かったタバコを灰皿に押しつけ消した。

「札幌の道警本部から連絡があってな。あれは、一年ほど前だな。北見出身の若い男女の事件だそうで、身元の照合や確認のため双方の実家へ出向いたのは北見署一課の連中だったが、ひどくザワついてたよ。一課には、昔からの同僚もいて細かい話まで聞いたから、俺も鮮明に覚えてる」

「事件、どんな?」

「ふたつのホトケがあった、無理心中だったようでな」

 心臓が口から飛び出てくるかのような衝撃があった。僕は、凍りついてしまう。

「……し、しんじゅう? それじゃあ、」

「あァ。お前が会った女、高岡さくらも死んでいたそうだ」

「そんな、ばかな……」

 彼女は饒舌に喋っていた。

 いいや、待て。普通の人のように、ごく稀に話せる向こう側の人もいるじゃないか。

 僕自身の霊ではないという勝手な先入観、この人は生きているという思い込みだったというのか。

 そういえば、思い当たる節があった。

 彼女は、ドリンクに手をつけなかった。照明でカウンターに落ちるはずの人影がなかったような気もする。そして、どこか焼け焦げたような匂いが漂っていて、地肌の足がなぜか真っ黒になっていた。

 動揺と混乱で、粘つく生唾を飲み込む。

「容疑者死亡のまま起訴されたということだ。現在、高岡の両親は北見から引っ越してしまった。こんな狭い街だ、娘がやったこととはいえ、そんな状況じゃ、さすがに住んではいられなくなったんだろうな」

「それは、つ、つまり、女性が加害者、心中とはいえ、女のほうが先に殺した、と?」

「あァ、しかも、その高岡は既婚者だったようでな」

 え?

「不倫関係だったらしい。火遊びが燃え盛って炎上したのか、狂った愛情のもつれがエスカレートしたのかは知らないが、男のマンションが逢瀬の場所だったらしい。皮肉にも、そんなところが凄惨な現場になったようだ」

 ナニが何だか分からない。

 絡み過ぎた糸が至るところでダマになり、僕の頭では解きほぐすことなんて出来なかった。

 宮崎さんは、ビールを呑みながら淡々と話す。

「殺害された紺野は口が上手いらしくてな。おそらく高岡はまんまと騙されたのか、既婚者であるにも関わらず本気になってしまったんだろう。どういった経緯でそうなったかは、死人に口なし、真相は藪の中だ」

「……そ、それで?」

「あァ。紺野は、鋭利な刃物でメッタ刺しにされ、壁や天井にまで血しぶきが飛び散る血の海だったようでな。片目はくり抜かれ、陰茎部はざっくりと切り取られていた」

 息もできなかった。

 空気が、急に圧縮されたかのよう感じた。視界も、ぐにゃりと歪む。

「女の高岡が着ていた白い洋服も、返り血で真っ赤に染まるような有様だったとよ」

 彼女の赤いワンピースは、血に染まっていたものだったというのか。あまりに悍ましくて、過呼吸のようになってしまう。震えからくる鳥肌が背筋に走った。

 僕には、なにがなんだか分からなくなってきた。

「高岡自身は、ベランダの鉄でできた防護柵に延長コードを括り付け、首に巻き、外に身を放り出して吊られた状態で見つかった。翌朝、通りがかりの住民の通報で明るみになったということだ」

 彼女の首についた傷跡は絞められたものではなく、首を吊った痕跡だったのか。

「女は嘘が上手い。顔色も変えずに不倫関係を続け、素知らぬふりをして過ごしていたからか、旦那のほうは青天の霹靂だったらしい。卒倒して病院に運ばれたそうだ」

「……うそ」

 僕に話した経緯や内容は、ひょっとすると全て逆、真反対で、嘘かでっち上げだったのかもしれない。

 あたかも自分が悲劇のヒロインかという、立場を逆転させ置き換えた壮大な被害妄想だったのではないか。たまたま話が通じた僕を利用したのかもしれない。

 ただ間違いないことは、本気で相手を愛してしまったのか、死んでしまった今でも、紺野を追い求め、捜し続けているということ。

 でたらめな呼吸に頭がくらくらしてきた。なんとか落ち着こうとタバコをくわえようとする手が小刻みに震えていた。

「ベランダにぶら下がっていた高岡は、紺野から切り取った陰茎部をくわえていたらしい。ふん、最後までやることがえげつない」

 タバコを落としてしまう。

 言葉がでなかった。きっと、あの赤い口紅も。

「それと、遺体を引き上げた鑑識が高岡のポケットから、くり抜かれた血塗れの目玉と、」

 彼女が頼んだドリンクは、レッドアイ。

「スマートフォンの中にメモ書きを発見した」

「……な、なんて?」

 僕の声は掠れていた。

「わたしのこと愛してる? だってよ」


 翌日。

 彼女は現れなかった。いつもボックス席に座る血塗れの紺野も、姿を見せなかった。

 ひょっとすると、彼女は黒い影に呑み込まれてしまったのかもしれない。もしかすると、その黒くなってしまった影に、紺野も。

 季節外れの蛍のように、たくさんの蒼白い光を放つオーヴが飛び交っている。このうちのどれかが、ふたりのようにも思えた。

読んでいただき、ありがとうございます!

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