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常連客

「はい。キンキンに冷えたビールですよ」

 ビアジョッキも真っ白になっている、喉越しよりもコクがある外国産ビールを注いで、カウンターにコルクでできたコースターを敷き、すうっと差し出した。

「おう、すまねえな」

 おもむろにゴクゴクと喉を鳴らして、ジョッキの半分ほどを空けた宮崎さんは、「かーッ、旨え。廣嶋、まさかこの一杯だけじゃねえだろうな?」

「何言ってんですか、昨日はお世話になったんですから。奥さんにですけど」

「例の、あれな」

「ええ、例のあれです」

 ふん、と鼻で笑った宮崎さんは、太い指でチャームのミックスナッツを口に放りこんだ。

 僕は、北海道の東側にある地方都市、北見市の繁華街で『pierrot(ピエロ)』というバーを営んでいる。

 カウンターは九席、ボックス席が一組、坪数は一〇坪にも満たない小さな店だ。

 趣味の音楽をガンガンかけて、好き放題にやっている。

 薄暗い店内のラックには、コレクションでもあるCDケースやミュージックビデオ、ライヴのDVDを、ジャンルや洋邦楽問わず、びっしり並べていた。音にはこだわって、真空管のアンプや低音のウーファーも備えたデカいスピーカーユニット、40インチのモニターは壁にかけている。

 ロックは僕にとって、身体の一部だ。

 売上げは、なんとか生活していける程度しかない。それでも自由気ままに、気楽にひとりで細々とながら二十年やってきた。

 北見市の繁華街にあるエキサイトビルという雑居ビルは、僕が物心ついた頃からあるボロビルで、築年数は半世紀を超えている。なんせ古いビルだけあって、月々の家賃も最初に支払った保証料もべらぼうに安い。さすがに耐震構造にもなっていないらしく、建て替えなのか売却なのか、立ち退きの話がチラホラ出ている。正式な通知が来るまでは、ここで商売を続けることにしている。

 今日は、オジーのベストをエンドレスでかける。

 ベスト盤なら、捨て曲もほとんどなく聴き入ることができるからね。Crazy trainのギターリフや疾走感は、何年経っても色褪せないし、何べん聴いても心地良い。

 宮崎さんは、残りのビールを一気にあおるよう飲み干した。

 泡がこびりついたジョッキを片付け、あらたに冷やしてあるビアジョッキに、サーバーから黄金色のビールをゆっくりと注ぐ。

「あったかくなってくると、なぜかイカれた奴も冬眠から覚めたみたいにでてきやがるな。廣嶋、ドライヴレコーダーは付けてなかったのか?」

「安価でも抑止力にはなるかなと考えていた矢先だったもんで。まさか自分がこんな目に遭っちゃうなんてね、あはは」

「車を運転する人にとっちゃ、誰にでも起こり得ることだからな。最近じゃ、事件にまで発展することが多い、相手は他人のことなんて考えてねえ自己中な奴らばっかりだ。それで、被害はなかったのか?」

「あれ、同僚の方からとか聞いてないんですか? それこそ、奥さんからとか」

「カミさんの言葉は聞き取れないもんでな。言ったろ? あいつは俺にも見えない、喋れない代わりに、物に触れたりすることができるって」

 宮崎さんの奥さんは、十六年ほど前に不慮の事故で亡くなっていると聞いていた。

 どういう経緯かは、さすがに聞いていない。

 けれども亡くなって数日後に、不思議な事ばかり起こる最中、一円玉が壁を這い上がって、宙に浮いたという。

 それ以来、見えはしないものの、傍にいると信じているということだ。

 愛し合った者同士。今では意志疎通できるようになって、逆に助かるという。

 さすがに気を遣ってなのか、いつも一緒に来てはくれないけれど。

 幽霊である奥さんの凄いところは、物質に触れることができ、操ることができるところ。

 ラップ現象のような物音など容易いそうで、あの煽り運転の鍵を抜くくらいは、おちゃのこさいさいといった感じのようで。亡くなっていながらも、生きている人同様、いいや、以上の能力があるのはものすごいと思う。

 奥さんを、僕は見ることができる。

 いないはずの死んでしまった人が見えてしまうのは、僕の霊感が強いものなのか、亡霊側の念の強さや無念な想い、何かを伝えようと出てきているものなのか、それとも同じ波長や霊的な感覚なのか、それは正直分からない。

 僕にとっては当たり前の光景だったし、元々は人だったものに恐怖や不思議さは感じないだけだ。

「俺も交番勤務になってからは、雑務に忙しくてな。相ノ内区域の愛のないことで手一杯よ。シケたもんだ、つまんねえ仕事ばっかでよ」

 宮崎さんは恨み節にも聞いてとれる皮肉とダジャレを組み合わせ、少しだけ肩を落とした。「どう処理したんだ?」

「ええ。奥さんがすぐに飛んできてくれて、そのフェラーリの鍵を抜いて動けなくしてくれたんですけど、それで、」

「……なんだと?」

 宮崎さんの目に昏い光が宿ったように感じた。「フェラーリ? 何色だ」

 僕は、宮崎さんの前におかわりの黄金色のビールを置く。

「赤いやつです。それで、」

「こんな田舎で、そんな派手な外車見たことねえな。ガキの分際でカネは持ってるってことか。ナンバーは覚えてねえのか、どんな野郎だった?」

「その前に、僕も頂いていいですか?」

 眉を寄せていた宮崎さんは、そのまま訝しげに、

「おいおい。これでお前に飲ませたら、チャラじゃねえか」と、破顔した。

「あはは、ごちそうになります」

 自分のビールを注ぎながら、「そうだな。パッと見、どこにでもいる若い奴でしたけど。なんだか、人工的な感じっていうか、作り物っていうか、」

「……どういうことだ?」

「二重瞼がくっきりしすぎて、歯なんてトイレの便器みたいに真っ白で。ジルコニアに歯を入れ替えてますね、あれは。もう、自惚れが滲み出てるようなナルシスト顔でした。まァ、ああいうのがイケメンとかって、若い人にはモテるのか知りませんけど」

「……整形か」

「たぶん。それじゃ、いただきます」

 そう言って、宮崎さんのグラスを軽く鳴らした。

「女のほうは反対にスマホで、こっちを撮影してきちゃったりして。SNSで拡散させようってことなのか、証拠を撮影しようって腹なのか」

 宮崎さんは、なにかを考え込むように沈黙した。

「どうしたんですか?」

「……いや」

 思わせぶりに首を振った。「それより、逃がしちまったらしいじゃねえか」

「はい。僕も急いでいたもんで」

「……おいおい」

 半ば呆れたように宮崎さんは、「お前。その場からいなくなったのか?」

 僕は、マルボロメンソールを一本くわえ、ジッポーで火をつけた。

「別にどうでもいいんですよ。僕も警察の厄介にはなりたくないですし、隣には女の子も乗せていたんで」

 ため息をついた宮崎さんは、スツールの低い背もたれに身体を預けた。

「何やってんだ、廣嶋。相手が懲りて、そんなことを二度とやらないでくれりゃ警察なんていらない、平和で住みやすい世の中になってんだよ」

「ごもっともです、あはは」

 僕は軽い笑みをつくり、肺の奥深くまでタバコを吸い込んだ。

 オープン前、午後九時前だというのに店は賑やかだ。

 もっとも、ここで生きていて、代金を支払ってくれるのは宮崎さんだけ。

 ほとんどが、死んでしまった人ばかり。

 カウンターに乗っている男の子の生首、じいっと音楽に耳を傾けている生気のない老婆、ボックス席でこちらをずうっと眺めている瞬きもしない血みどろの男性。

 それぞれがお互いを認識できていない様子で、ただおとなしくしている。

 いるはずもない者がいる。怪現象か、霊障か。僕にとってはどうでもよくなっている。

 いつから見え始めたとかは、忘れてしまった。もう慣れた光景だったし、悪さをすることもないから、特に気にもならない。出入りもたくさんあって入れ替わり立ち代わり、僕にとって賑やかには見えるけれど、いたって静かなものだ。

 大抵の亡霊たちに共通しているのは、めったに話さないことと影がないことだ。

 喋ることができないのか、言葉すら忘れてしまったのかは定かじゃない。心残りやこの世によっぽどの未練があるのか、何かを伝えたいのかもしれないけれど。

 ごく稀にだけれど、言葉を発する者もいる。目が合うと、『こんにちは』と挨拶してくる人も。

 生きている人とを見分けるのには、影を見ればいい。顔などの陰影はあるけれど、足元に伸びたシルエットの影は、ない。

 反対に、ぼうっと歩いている真っ黒い影だけの人も見かけることがある。

 輪郭もぼやけ、目も鼻も口も耳もなく、人の形をして不気味に彷徨うよう立って歩いている。あれは、なんだかイヤな感じがする。幸いにも、未だ僕の店には黒い影のような人は来たことがない。火の玉や足のない昔からの典型的なお化けは、見たこともない。

 宮崎さんには奥さんと同様に、他の亡くなってしまった人の姿は見えないそう。

 今も平然としていられるのは、ある意味で羨ましい。だって、宮崎さんの前には、いつもカウンターの上に乗っている幼い男の子の生首が睨みつけているんだから。

 僕には、もうオブジェのようにしか思えないけど。変に嫌な気持ちにはさせたくはないから、言わないでおく。

「で、なんで煽られたんだ?」

 僕は、灰皿にタバコを押しつけ消した。

「さァ?」

 大げさに肩を上げてみせた。「僕は、普通に走っていただけです」

「原因みたいのが何かあるだろう。たとえば、どっかの駐車場でコスっただの、運転中に目が合っただの、ぶつかりそうになっただのよう」

「うーん、思い当たることといえば、道路が雪解け水でべちゃべちゃに濡れていたんで、それが、相手にかかったのかも? 洗車がどうとか言ってましたし、あんなに接近して後ろを走っていたら無理もないですけどね」

「なんだそりゃ? 言いがかりにも程があるじゃねえか、かかか」

「そういう人の神経は分からないです。僕なんかのことより、そっちのほうが気になりますよ」

「……なにが?」

「トボけなくたっていいですよ、大変だったじゃないですか、あの時の宮崎さん。そのフェラーリの奴、なにか心当たりがあるんじゃないですか? ひょっとして、あの事件と関係があったり?」

 宮崎さんは目を細めて、僕を軽く睨みつけた。

「……あァ、そのことか。ガキが生意気にフェラーリなんて乗るなんざ、あくどいことでもしてカネ儲けしないと無理だと思ってな。それに整形ときたら……」

 そう呟き、宙の一点を見つめた。

 三年程前、振り込め詐欺集団の末端を特定した北見署二課で刑事だった宮崎さんは、組織のトップを検挙する前に、単独で銀行ATMからカネを引き出した出し子を追い詰めた。ここから芋づる式に詐欺集団を壊滅に追い込める、はずだった。

 だが、現場にいた宮崎さんは逮捕の際に、逃走を図ったという出し子に対して拳銃を抜き、威嚇射撃なしに迷わず本人に向け発砲した。凶器になるものも所持していなかった出し子の太ももに被弾、重症を負った。

 宮崎さんの無鉄砲ともとれる行動は、当然のことながら内部監査にかけられた。情状酌量の余地は認められたが、降格の上に減給処分をくらい、今では派出所勤務になってしまった。

 犯罪者の逮捕には貢献したものの、警察の不祥事ともとれる不手際が指摘された内に、捜査は滞ってしまい、詐欺集団は逃げ隠れ、跡形もなく消えてしまったという。

 ふーんとため息のような長い鼻息をついて、かぶりを振った。

「昔の話だ。廣嶋、お前には、一切関係ない話だよ」

 ビールを一気にあおり、ジョッキを静かにコースターの上に載せた。「で、廣嶋。お前にとっても知った顔じゃなかったのか? そうだ、隣に乗せていた彼女は、そいつに見覚えはなかったのか?」

「ええ、見た顔ではありませんでした。彼女からも、特には。知った顔ではなかったみたいで。なんせ、彼女は十代なもんで、あはは」

「おいおい、廣嶋よぉ。お前、そんな若い姉ちゃんと付き合ってるのか? 節度や常識を考えろよ、淫行で逮捕しちまうぞ?」

「……いえいえ、たまたまです」

「補導しちまうぞ、バカヤロウ。かっかっか」

 思わず取り繕って、手を振る。

「まァ、なんにせよ、被害がないなら何よりだ。縁がありゃ、また出くわすかもしれねえけどな」

「運命的な出会い、そんな言い方やめてくださいよ、あんな目は懲りごりなんですから」

「かっか、冗談だよ。また今度ゆっくりやろうや。今日は夜勤明けだ、カミさんも待ってるし、帰るとするわ。ごちそうさん」

 大きな身体を揺らして、スツールを降りる。

「いつでも待ってますんで。奥さんによろしくお伝えください」

「あァ。これからは、気を付けて運転しろや」

「僕は、いつでも安全運転ですよ。それは、我がもの顔で煽ったりする奴に言ってやってください」

「そら、そうだ。かっかっか」

 笑いながら財布から一万円札を抜き、いつものことながら「改めて呑みに来た時に」と釣り銭は受け取らず、背中越しに手をあげて、宮崎さんは店を出ていった。

「さてっと」

 僕は、軽く背伸びをして表看板に電気をつけ、店内の照明を少しだけ絞って落とす。

 店の営業に支障をきたしてはいけないという心遣いなのか、気まぐれなたくさんの霊たちは一瞬にして姿を消した。 これも毎度のことなのだ。

読んでいただき、ありがとうございます!

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