2話 「過去1」
「修、裕香、ご飯できたよー」
「はーい」
「はーい」
俺が30なりたての頃、俺には妻の涼と娘の裕香がいた。
「じゃあ、行ってきます」
「ちょっと待って、修」
「ん?何――」
涼が、俺の元へスタスタと歩み寄り、振り向きざまに柔らかい唇の感触を味わせてきた。
「……!いきなり、どーした?後、自分からやっておいて何で顔真っ赤にしてんだよ」
「……だって……最近修が全然構ってくれないから……」
「ああ……最近仕事が忙しかったからなあ。それじゃ、今日は早めに仕事終わらせて、後でいっぱい構ってやるから。楽しみに待っててくれ。」
「やった!約束だよ?」
「ああ。行ってきます」
「いってらっしゃーい」
最高の妻に、最愛の娘。二人とも、俺には勿体なさすぎるくらい、俺にとってかけがえのない存在だった。
――事件が起きたのは、その日の夕方だった。
妻の涼が、買い物帰りの途中で何者かに刃物で刺され、致命傷を負った。
その知らせを聞いた俺は、直ぐに会社を飛び出し、涼が運ばれた病院へと一目散に駆け込んだ。
手術が終わるのを待合室で待つこと2時間。思えば、このときが人生で間違いなく一番緊張したであろう時間だった。
まあ結果はわかっている。手術は成功したのだろう。なんせ、あの絵に描いたような善人が死ぬはずなんて、ましてや殺害にあうなど有り得ない話なのだ。
まったく、心配かけさせやがって。退院したら、イヤという程構ってやる。だから、だから――
「手は尽くしましたが、残念ながら……」
――噓だ。噓だ、噓だ、噓だ、噓、噓、噓、噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓だ。
何故、涼が死ななければならないのだ?その理由はなんだ?何であんな善人が殺害に遭うんだ?意味がわからない。理解出来ない。
そうだ!これは夢か!そうかそうか。それなら納得できる。いや、夢でも充分イヤなのだが、まあ今回に限っては大目に見よう。はー、びっくりした。
「パパ……ママは?」
あれ?もう覚めてもいいんだけど、まさかまだ悪夢が続くのか……夢とは言えど、実の娘を悲しませるなんてことはあってはならないし……とりあえずこーゆうことにしておこう。
「ママは、ちょっと長い間遠くに行って、ここにはしばらく帰って来ないんだ。寂しいだろうけど、ちゃんといい子にしておいてくれ」
「うん……わかった」
夢とは言え、実の娘に噓をつくのはやはり心が痛む。今の俺には早く目が覚めてほしいという欲求しかなかった。
――それから、約一か月が過ぎた。
夢とは言えど、流石に一か月はキツイ。妻を失ったことへのショック、仕事のストレス、一人で5歳の娘の育児など、キツイにも程がある。もういい加減解放されたい……
「ママは……まだ?」
あともう少しだ。後もう少しで、目が覚めるはずだ……
「大丈夫。後もう少しでママは帰って来る。だから、安心して待ってなさい」
「うん……」
その言葉は、娘ではなく自分に言い聞かせているような気がした。
――そして、一年が経過した。
……オイ、いい加減にしろよ。いつまでこんなクソみたいな悪夢を見せられなきゃなんねえんだよ。もう俺の精神状態はボロボロもいいところだぞ?
日々の苦痛を少しでも和らげるため、裕香が寝た後はいつもヤケ酒に走っていた。涼を失った俺が他に頼れるのは、それしかなかったから。
――これは、俺がいつも通りヤケ酒に走っている最中に起きた、ある日のことだった。
「パパ……話があるんだけど」
「ん~?どしたー?」
おかしいな、裕香が寝たとこは確認したはずなのに……起きてきたのか。
「ママは……まだ帰ってこないの?」
「……何度も言ってるだろ?ママは忙しいんだ。きっと、もう少しで帰って来るから、良い子はねんねしなさい」
……そうだ。きっともうすぐだ。ああ、夢が覚めたら何をしようか……そうだ!3人で旅行に行こう。3人で、最高に楽しい時間を過ごそう。この悪夢を……忘れられるくらい、楽しい時間を……
「うそ……パパずっとうそついてるでしょ」
「…………」
「本当のこと言ってよ。何でママは帰って来てくれないの?」
……やめてくれ
「夏休みも、クリスマスも、娘の誕生日でさえ、娘をほったらかしにして、ママは何をしてるの?」
……やめてくれ、それ以上は……
「一体いつになったら、ママは私達のところに帰って来てくれるの?」
……そんなこと、
「そんなこと、俺が一番聞きたいんだよ!!!」
「…………!?」
もう、限界だった。
「裕香にはわかんねえかもしんねえけど、俺だってママがいなくて辛いんだよ!悲しいんだよ!そんな中でも、俺はお前のために仕事と子育てを一人で頑張ってんだよ!!……だから、お願いだから、パパの気持ちも……少しは考えてくれよ」
「……ぁ……ごめん……なさい」
最低だ。子供に当たり散らすなんて、本当に最低だ。それもこれも――
「なんで、アイツが殺されなきゃいけないんだよ……」
「……ぇ?」
……あれ、俺今何て言った?
「殺されたって……誰が?」
「……ぁ……」
まずい。6歳の子供にこんな残酷な現実を伝える訳には行かない。伝えるにしても、もう少し大きくなってからじゃないと。今はとにかく誤魔化さなければ。
「ああ……ちょっと今日、パパの会社の同僚が事故に遭って、不幸にも亡くなっちゃったんだよ。それで、パパもちょっとカッとなっちゃったんだ。怖がらせてごめんな、裕香」
「…………」
「とりあえず、今日はもう寝よう。明日も学校だろ?」
「……うん……」
とりあえず裕香を寝かしつける事には成功した。だが、変に疑いを持たれてしまった。まあそのことは、明日から何とかすればいいだろう。今日はもう疲れた。本当に、疲れた。
「……なんだぁ?」
深夜、寝ている最中に電話の鳴り響く音が聞こえた。
誰だよ、こんな時間に……
「もしもし?」
「あ、高井様ですか?私、○○病院の○○と申します」
え、病院?
「非常に申し上げにくいのですが…………貴方のご息女と思わしき方が、先ほど救急車で運ばれてきまして。今から来ていただけないでしょうか?」
…………は?