フレイムウィザード
お腹のそこに、ドロドロとした何かがずっと溜まっている感覚がある。
ドロドロの正体はわからない。でも、毎日毎日……ゆっくりと増えていくそれは、ただただ嫌な感じだった。
「なにこれ」
街道の崖下で木の実を取っていたボクは、変な箱が落ちていることに気がついた。
大きさはだいたい、ボクの背中を覆うほどのものだった。縦に長い形をしていて、鉄っぽいもので作られているみたいだった。軽く叩いてみると、コンコンという音がした。
あたりを見渡してみると、馬車の車輪みたいなものが落ちていたり、木片が所々に散らばっていた。運の悪い商人が、崖の上から転落してしまったのだろうか。
一応、周りを少し見て回ったが、馬の死体が見つかっただけで、人の姿はどこにもなかった。他の荷物も特に見つからない。
「これ、どうしよう。多分高価なものだよね……」
よく見ると、鉄の箱からはいくつかの管が伸びており、金色の棒状の物につながっていた。金色なので、多分とても価値があるのだと思う。
恐る恐る手に取ってみる。
金色に輝くその棒からは、たくさんの突起が飛び出していた。
魔道具を動かすためのスイッチに似ていたので、同じものなのかもしれない。
試しに押してみようかと考えたけど、やっぱりやめた。適当に押すのは、なんだか危ない気がする。
さて、どうしよう。
このままここに置いておいた方が良いのだろうか。それとも、持って帰るか。
もし持って帰ってしまえば、箱の持ち主がここまで探しに来た時に、見つからなくてガッカリしてしまうかもしれない。
でも、置いておいたとしたら、持ち主よりも先に悪い人がこの箱を見つけて、どこか遠くまで持って帰ってしまうかもしれない。このあたりには、物を盗んだりする悪い人達がやってくることがあるからだ。
ボクはしばらく考えた。
「よ、よし。ひとまず持って帰ってみよう……!」
結果、持って帰ることにした。
もしこの箱を探しに来た人がいれば、悪い人にとられないように預かっていました!と言えば、許して貰えると思う。
「そ、それに、こういう事はギタンにも相談したほうがいいよね……」
鉄の箱には、二つの紐がついていた。ちょうど、肩に通すと背負えそうだった。
ボクは木の実が入った背負い袋を地面に降ろすと、代わりに鉄の箱を背負った。想像以上に軽くて驚いた。普段から背負っている薪の束のほうが、よっぽど重たい。
箱とつながっている金色の棒もしっかりと両手で持つ。これもかなり軽い。
試しに、その場でくるりと回って見る。不思議なほどしっくりとくる。
なんだか、楽しい気分になる。
「痛っ!」
くるくる回っていたら、近くにあった木の枝に腕を引っ掛けてしまった。服が破けて、ちょっとだけ血が出ている。
ボクはいつもこうだ。嫌な気分になる。家に帰ったら、服を縫わないと。
「はぁ……なんでボクはこんなにドジなんだろう……」
仕方ないので、トボトボとボクの住む町へと向かって歩き始めた。
*****
ボクの住んでいる町は、魔鉱石と呼ばれる大事な石を採掘している、鉱山町だ。規模はそれなりで、昔一度だけ、王都から騎士様達がいらっしゃったこともあったほどだ。
どちらかというと生活は豊かなほうだと思う。街道沿いにあるというのもあって、定期的に商人も来てくれる。魔鉱石はそこそこ高値で売れるみたいなので、町の人達が飢えたり不便したりすることは、今まで一度もなかった。
特に最近は、王国が魔族と呼ばれる怖い化け物と戦っているらしく、魔鉱石の売れ行きがとても良くなっていた。なんで良くなるのかはわからないけど、多分、良い事ではないんだと思う。
「アン! どこ行ってたんだよ!」
町の入口につくと、遠くから血相を変えた男の子が走り寄ってきた。
町長の息子のギタンだ。
ボクとは幼馴染で、子供の頃からよく一緒に遊んでいる。とても頭がよくて、とても心配性だ。
「えっと、オカの実をとりに……あっ」
そういえば木の実を取りに行ったのに、肝心の袋を置いてきてしまった。ギタンに喜んで貰えるかなと思ったのに。忘れてきてしまっては意味がない。
代わりに背中に背負われているのは、鉄の箱だ。
げんなりした。
「木の実とりにいくなら俺も誘ってよ。朝起こしに行ったらアンがいなくて、びっくりしたじゃないか」
「ご、ごめん……」
「最近は魔王軍の動きも活発らしいし……ただでさえこの辺りは山賊が出ることもあるんだから、危ないだろ。それに」
「それに……?」
「君は女の子なんだから」
ボクより背丈が二回りほど大きいギタンは、落ち着かない様子でうろうろしながら、お説教を始めた。今日はいつもより少し長めだ。
ボクの事を考えてくれるのはうれしいんだけど、少し過保護な気もする。ボクは確かに女だけど、逃げ足だけは速い。悪い人に出会っても、多分逃げ切れる……と思う。
「俺はアンのお父さんから頼まれてるんだから。守らせてくれよ」
そう言ってギタンは、ボクのボサボサの赤い髪を撫でてくれた。ろくに手入れもしてないから、他の子とくらべても汚いのに、ギタンは全く気にしない。
「あ、ありがとう……」
撫でられるとちょっとだけ安心する。
お父さんとお母さんが死んでしまってから、ボクの事を撫でてくれる人はギタンだけになった。この町の中で、ボクとこうして話してくれるのも、ギタンだけだ。
「ほら、服も破けちゃってる。怪我はしてない?」
そういえば、腕から血が出ていた気がする。手当しておかないと。
ボクがそう思っていると、ギタンが腕をがしっと掴んできた。
びっくりした。心臓がとびはねる。ドキドキする。
「怪我はしてないか。……よかった」
まじまじとボクの腕を見た後に、ギタンはほっと息を吐いた。
「あ、う、うん……?」
確か怪我をしてしまったはずだけど……そう思って、改めて見てみる。
ギタンの言う通り、怪我をした痕はなかった。血も出ていない。
結構浅い怪我だったのだろうか。
何にせよ、傷が残っていなくてよかった。もしまだ血が出ていたら、ギタンは大騒ぎしただろうから。
「アン。それは何?」
一通りボクの全身を見た後、ギタンはボクの背中を指さした。
ボクはそこではっと思い出す。そういえば、箱の事をギタンに言うのをすっかり忘れていた。
「え、えっと、崖下で拾った……」
「拾った?」
「う、うん」
ボクは首をかしげるギタンに、崖下の状況と、なんでコレを持ち帰ってきたのか、その理由についても説明した。
改めて状況を説明していると、なんだか自分が変なことをしてしまったんじゃないだろうかと、不安になる。
ボクの話を聞いたギタンは、何度かうなずくと、大きくため息をついた。
「とりあえず、うちの倉庫に行こう。もし町で保管しておくにしても、危険な物かどうか調べとかないと」
そう言いながら、手招きをする。
ボクはつい、その仕草に見とれてしまう。
ギタンは何か方針を決める時、顔つきが鋭くなる。町長の息子なだけあって、リーダーの素質があるのだろうか。
そんな横顔が、ちょっとカッコいい。
「アン?」
はっと我に返る。
「う、うん。わかった」
ボクは言われるがままギタンの背を追って、町の中を歩きはじめた。
町中は少し煤っぽく、緑もそんなにないのだが、なんとなく雰囲気は明るい。
活気に溢れていて、大人の人達が楽しそうに談笑していたり、子供たちは元気に走り回ったりしている。
平和な光景だと思う。
でも、ボクにとっては平和ではない。
「あ、おい。落ちこぼれが歩いてるぞ」
肩がビクッと跳ねる。
誰かがボクを指さしてそう言ったのだ。聞きたくないのに、耳に直接入ってきてしまう。
「何か背負ってるぞ」
「罰でも受けてるんじゃないか」
「ギタンさんも一緒に歩いてるから、これから町長に怒られるのかも」
耳を塞いでしまいたい。
でも、耳を塞ぐと、面白がってもっと酷い事をしてきそうだ。
少なくともボクの叔父さんは、ボクが反応するともっといじめてくる。悪口を言っている人達も、そうしてくるに違いない。
「大丈夫」
そう言ってギタンは、ボクをそっと抱き寄せた。
「みんな、アンのお父さん達に嫉妬してた奴らなんだよ。だからああやってアンをいじめてくるんだ。アンが悪いわけじゃない」
ギタンはそう言って、足を早めた。
ボクの両親は、元々都市で働いていた優秀な人達だったらしい。
それが、お仕事の都合か何かで、叔父のいるこの町に移住してきたのだと、小さい頃に聞かされた。
確かに、ボクの記憶に残るお父さんもお母さんも、とても聡明な人だった。ギタンは、この町の中で一番賢い大人だとよく言っていた。
賢いから、町の人から嫉妬されてしまったのだろうか?
お父さんとお母さんが嫉妬されていたから、今ボクが嫌われているのだろうか?
「そ、そう、なのかな……」
なんとなくだけど、それは違う気がする。
ボクは、ボクが嫌われている理由がよくわかっていない。
お父さんとお母さんが死んでしまってから、気がつけばいじめられていた。
何が悪いのか、何をすれば仲良くしてもらえるのか、ボクには全然わからない。わからないから、努力もできない。
「そうだよ。でも、俺だけはアンの味方だから」
こうやってボクを励ましてくれるのは、ギタンだけだ。
だから、ギタンの隣にいるときだけが安心できる。
この町での居場所は、ギタンの隣だけだった。
ボクは、ギタンに足並みを揃えた。
嫌な気持ちが、少しだけ和らいだ。
*
倉庫の中は埃臭かった。
壁は木で出来ていて、床は綺麗に石が敷き詰められている。手でふれると、ひんやりとしていた。
「こ、こんなところ勝手に入っていいの……?」
倉庫の中には、魔鉱石を採掘するための特別な道具だとか、ツルハシだとか、木で編まれた籠だったりとかが、乱雑に置いてあった。
よく見ると、木の実とかキノコとかも落ちている。整理整頓しようという気がないのかもしれない。ネズミが居たら嫌だなと思った。
「いいんだよ。父さんも許してくれる」
「そ、そうかな」
ボクは背負っていた箱を、倉庫の中央に置いた。ゴトリと硬い音がする。
「よし。じゃあ調べてみよう」
ギタンは、箱をまじまじと見つめ始めた。
ボクの中に、緊張が走る。
「え、えっと。危ない物、なのかな……」
恐る恐る声をかける。
さっきギタンに言われるまで、この箱が危険なものかもしれないという可能性に、ボクは全然気がついていなかった。
せいぜい、大事な物なんだろうなぁ……誰かにとられたら可哀想だなぁ……と思っていただけだ。自分の浅はかな考えに、顔が熱くなる。
同時にぞっとする。
この箱がもし本当に危ないものだったら、ボクはこの町に、すごく迷惑をかけてしまう事になるだろう。
そうなってしまったら、ただでさえボクを嫌いな人達が、もっとイジメてくるかもしれない。最悪、町から追い出される、なんて事もあるかも……。
ボクが嫌な想像をしている間にも、ギタンはしっかりと箱のことを調べてくれているようだった。頭を振って集中する。ボクが持ち込んだ問題なのに、ボクがぼーっとしていいはずがない。
「スキル【魔道具解析】」
ギタンの言葉と同時に、両目が青白く光る。
これはスキルと呼ばれている、女神様が授けてくださった特別な能力なのだそうだ。
スキルを持っている人はそもそも稀有で、特にギタンの持つ【魔道具解析】は、その中でも更に特別な力なんだとか。
ボクのお父さんとお母さんもスキルを持っていたらしいのだが、その特別な力は、残念ながら娘のボクには引き継がれなかったみたいだ。そんなすごいものを、授かった記憶がない。
誰かの言った「落ちこぼれ」という言葉が脳裏によぎる。
確かにそうなのかもしれない。
ボクも何か特別な力を持っていれば、皆から好かれていたのだろうか。
しばらくすると、ギタンの目から光が失われた。
「やっぱり。これは魔道具だ」
魔道具というのは、魔鉱石を入れると動く道具の事らしい。
この町では、鉱石を掘るためによく使われてる。都市部だと、もっといろんな種類の魔道具が使われているらしいけど、見たことはない。
「なるほど。うーん……」
ギタンが、うんうんと唸り始めた。考え事をする時のクセだ。
ボクは静かに隣に座る。
ギタンは集中すると、しばらく自分の世界に入り込んでしまう。その間は何を言っても上の空になる。そういえば町の人が「話しかけたのに無視された!」と怒っていたのを思い出した。わかってないなぁ、とボクは思った。
二人でいるのに静かになる。この時間がとても楽しいのだ。
しばらくすると、ギタンが顔を上げた。静かな時間は終わりだ。
「わかった。これは火を出す道具だ」
「火、火を出す?」
「そう。ちょっと見てて」
ギタンは【魔道具解析】を使った後だと、どんな魔道具でも使いこなせてしまうみたいだった。鉱山で使う道具類も、誰が教えるでもなく、気が付けば使えるようになっていた。大人はみんな、ギタンをたくさん褒めていた。ボクもすごいなぁと思う。
ギタンが、箱とそれについている棒状の物をいじくりまわすと、ガチャリと何かが動く音がする。
「それで、ここのトリガーを引く」
そう言って、棒状の突起を指で引いた。
すると、棒の先端から火が飛び出した。
ボウと激しい音がして、一瞬だけあたりが熱くなった。
「う、うわぁ!!」
驚いて転げてしまう。
「アン、ちょっとオカの実を持ってきて」
「う、うん」
ボクは言われた通りに、倉庫の中にあった木の実を持ってくる。
オカの実は、殻がとても硬い、食用の実だ。
そのままだと食べられないけど、外から強く熱すると、ぱっくりと殻が割れて食べられるようになる。冬になると、みんなでこれを焚火に投げ入れて、おやつ替わりにしているようだった。
ボクは、よく一人で食べている。
「も、もってきた」
オカの実を床に置くと、ギタンがそこに棒状のものを近づけた。
ボウ!とすごい音がして、火がオカの実を焼いた。しかも、ギタンが棒を持っている間、火はずっと出続けている。床の石が、すこし焦げ付き始めた。
「す、すごい。ずっと火が出てる」
「魔鉱石さえあれば、火を出し続ける事ができるみたいだ」
オカの実にずっと火を当てながら、ギタンはそう言った。更に「こうすればもっと強い火が出せる」と言いながら、いろんなボタンを触ったりしていた。
ボクはそれを真剣に見つめる。楽しそうにいじくりまわすギタンが、かっこよかった。
しばらくすると、パカっという音と共に、オカの実が開いた。ギタンは火を止めた。
「……多分、雑草とかを焼いちゃうために使うんじゃないかな。薪に火をつけるのにも使えそうだし、かなり便利な道具だよ」
ギタンは開いたオカの実から、食べられるところだけをつまみ出してボクに渡してくれた。それを食べながら、ボクはうなずく。ほんのり甘く、あったかい。
でも、なんだか焦げ臭い気がする。焼きすぎたのかな?
「あっ、ギ、ギタン!」
よく見ると、近くにあったボロ布に火がうつってしまっていた。燃えている。大変だ。このまま放っておいたら火事になっちゃう!
ボクの言葉に気が付いたギタンは、慌てるボクと違って、冷静な顔つきだった。
手元の棒を何かいじりはじめる。
「なるほど。こういうこともできるんだ」
次の瞬間、棒状の先端が開いたかと思うと、目の前にあった火をずずずと吸い込み始めた。火はすぐに、棒の中に消えていった。
「え、わ、すごい……」
「なるほど。火を吸い込むこともできるんだね」
ギタンはずっと冷静だった。ボクはあたふたしちゃったのに。
「……うん。一先ずこれは、うちで預かるよ。持ち主が取りに来たら、アンにも伝えるから。謝礼も全部アンが貰うんだ」
「い、いいよ……そんな……」
ボクはうつむいた。
出来れば目立ちたくない。
もし持ち主がやってきて、ボクに何かお礼をしてくれたとすると、それを見た町の人はどう思うだろうか。少なくとも、いい気持にはならないと思う。
「ギタンが全部やってほしい……んだけど……」
一応言ってみるが、ギタンは首を振った。
「いいや。これを拾ってきたのはアンだし、お礼はアンが受け取るべきだ」
「う、そうかな……」
ギタンはこういう時、かなり強情だ。ボクが何かを言って、覆ったためしがない。
仕方ないので押し黙って、うなずいておく。
ギタンは満足げに頷き返してくれた。
「……そういえば、今日はどうするの?」
ギタンが唐突に話を切り出した。
どうする?とはどういう意味だろうか。首をかしげてみる。
ギタンはなぜかもじもじとしている。どうしたのだろう。
「その、泊まっていかないか? うちに」
「えっ、えっ」
心臓が止まるかと思った。唐突に何を言い出すんだろうか。
泊まるって、つまりどういうことなんだろう。どういう意図でそういうことを言っているんだろう。好意的な意味なのか、それとも、ボクをずっと見張っておかないとダメだと思っているのだろうか。
「あ、違う! そういう意味じゃなくて……アンは家に帰ったら、叔父さんにひどいことされるんだろ?」
「あ、う、うん……」
両親が死んでから、ボクは叔父さんと二人で暮らしている。
叔父さんはよくお酒を飲んでは、ボクを叩いたりする。それに反応すると、嬉しそうにもっと別の酷い事をしてくる。この前は、暖炉の火で温めた鉄を、右腕におもいっきり押し付けられた。跡は残っていないが、結構痛かった。
「だからさ、俺の家に居ればいいよ」
ギタンはそう優しく諭してくれた。
嬉しかった。叔父さんは怖いし、ギタンと一緒にいるのは楽しいから。
……でも、気を使ってくれればくれるほど、この優しさがどこかでなくなってしまうんじゃないかと思って、怖くなる。もし一緒に暮らして嫌われてしまったら、どうすればいいんだろう。
そもそも、なんでボクに優しくしてくれるのか……それすら分からない。
ギタンの言葉に、ボクは何も返せなかった。
気まずい沈黙が続く。
しばらくしてから、ギタンが口を開いた。ボクは顔を伏せる。なんだか申し訳ない気持ちになる。
「……もし耐えられなかったら俺の家にすぐ逃げてきて。絶対に助けるから」
ギタンは優しく微笑みながらそう言ってくれた。
ボクはそれに、静かにうなずいた。
何も言えなかったけど、救われた気がした。
倉庫を出てから、ボクはギタンと別れた。
ギタンは、さっきの魔道具の事について、お父さん……町長といろいろお話するらしかった。ボクは出来ることがないので、仕方なく、家の前まで帰ってきていた。
扉に手をかける。
口の中がかわいた。
家の中には……叔父さんがいる。
一人じゃ何もできないボクに、住むところと、食べる物を与えてくれた人だ。
でも同時に、恐怖と苦痛を与えてくる人でもあった。
叔父さんはお酒を飲むと、とても怖い。
いつもボクのことを、殴ったり、蹴ったり、叩いたりしてくる。
よくわからない怒鳴り声をあげたり、よくわからないことで、突然怒ることもある。そうなってしまうと、ボクはただただ耐えるしかない。
今日はお酒を飲んでいるだろうか。飲んでないといいな、と思う。
そんな事を考えていると、いつまでたっても扉を開けない。
空もすっかり暗くなってきていた。でも、どうしても勇気がでない。
「アンジェリカ。どうした、家の前で」
背後から声がかかった。ビクリと身体が飛び跳ねる。
恐る恐る振り向くと、そこには叔父さんの姿があった。仕事着に身を包んで、あちらこちらが黒く汚れている。ちょうど仕事終わりなのかもしれない。
ボクの視線はそのまま、叔父さんの右手へと向いた。
お酒の入った瓶が握られていた。
「早く入れよ。晩飯を作れ。酒にあうやつな」
「は、はい……」
泣き出しそうになるのをぐっとこらえて、ボクは家に入った。
叔父さんは作業着を無造作に脱ぎ散らかし、床になげつけると、木の椅子にどかりと座り込んだ。だぷんとしたお腹が揺れていた。嫌悪感が胸の内側に芽生えた。
「アンジェリカ。今日は町長の息子さんと遊んでたんだってな」
叔父さんが酒を一口飲みながら言った。
「は、はい……そ、そうです……」
いつも通りの口調で言葉を返したつもりだったが、どうしても声が震えてしまっていた。叔父さんをそれを聞くと、すくと立ち上がった。ボクのすぐそばまでやってきた。
「なぁアンジェリカ」
叔父さんの顔がぐいと近づく。お酒臭い。
「そんなにビビることないだろ? そんなに叔父さんが怖いか? 俺は優しいだろ? なぁ」
「は、はい……」
手汗を握りこんだ。
叔父さんの手が、頬に触れる。ぞわぞわと、恐ろしく不快な何かが広がっていく感覚。背筋が凍る。
「アンジェリカは義姉さんに似て美人だなぁ……赤くて綺麗な長い髪も。白い肌も。義姉さんにそっくりだ……ただ」
叔父さんは、思いっきり手を振り上げた。
瞬間、ボクは目をつぶる。
バチンという音と共に、左頬に痛みが走った。涙がこぼれる。
「その目だけが気に入らない。兄貴そっくりだ。抉り出してやろうか」
恐ろしい言葉を耳の傍で吐かれる。お酒臭い。喉の奥に異物が詰まる感覚を覚える。
そっと目を開けると、叔父さんはまたお酒を煽っていた。
瓶ごとぐびぐびと飲み干していく。空になるまでそれを続けた。
「はぁ。またやっちまった。ごめんなアンジェリカ。さっきのは嘘だ」
叔父さんの声色が優しくなった。
ボクは、できる限りの笑顔を浮かべる。
「あ、は、はい。あはは……大丈夫です……」
「そうだよな。大丈夫だよな。でも、さっきの俺の言葉は全部忘れてもらわなくちゃいけない。叔父さんはいい大人だから、アンジェリカには優しい事しか言わないんだ」
来た。
ボクはうなずいた。何度も何度も、首を縦に振って、叔父さんが望んでいるであろう言葉を必死に言った。
「わ、わすれました。叔父さんはいいひとで、何も悪くないです。何も悪くないです」
叔父さんが酒瓶を持ち上げる。
叔父さんは、都合の悪い事があると酒瓶でボクを殴りつけた。こうすると、ボクの記憶がきれいさっぱり飛んでなくなると思い込んでいるらしかった。
ボクの頭と身体には、こんなにも恐怖がこびりついているのに。
「何も悪くない? そんなこと、わざわざいう必要ないよな? 馬鹿にしてるのか? なぁアンジェリカ。やっぱり全部……」
叔父さんが酒瓶を振り上げる。
ボクはとっさに目を閉じた。
「忘れちまったほうがいいよな」
ゴン。
頭の中に鈍い音が響いた。
*
頭がズキズキする……。
気がついたら、ボクは薄い布の上に転がされていた。
叔父さんに殴られて気絶してしまったんだと思う。
一応寝室まで運んでもらえたようだけど、それ以外のことは何もしてくれなかったようだ。何もしてくれなくて、よかったとも言えるけど。
幸い、殴られた箇所から血は出ていなかったみたいなので、応急処置を考える必要はなかった。
「……晩御飯、作らないと」
ボクはよろよろと立ち上がる。こういう時、叔父さんの命令に従わなかったら、更に酷いことをされる。
窓の外を見ると、空はまだ暗いままだった。
「す、すみま、せん。すぐ作ります」
言いながら寝室を出た。
叔父さんはまだ飲んでいるだろうか。飲みすぎて眠っていたら、とてもいいんだけど。
「あ、あれ」
居間にはだれもいなかった。
床には服が散らかっているままだし、机の上には飲みかけのお酒が置いてある。台所もボクが気絶する前と状況が変わっていない。
ただ、叔父さんだけがいなかった。
ほっと胸をなでおろす。同時に、何か嫌な予感が湧き上がる。
「な、何かあったのかな……」
考えても仕方がないと思ったので、ひとまず床の服を拾い上げる。
洗っておかないと、何を言われるかわからない。そう思って、しゃがんだ瞬間だった。
カンカンカン!カンカンカン!
鐘の音が、けたたましく鳴った。
町の高台にある、危険を知らせる警鐘。それが、何度も何度も強く叩かれている。
何かが起こっている。それも、とても良くない何かが。
ボクは急いで家を飛び出した。
辺りを見渡すが誰もいない。
他の家には明かりがともったままなのに、人の気配が全くない。
「え、え? な、なんで?」
ふと、南の方角を見た。町の入口がある方向だ。
そこで気が付いた。
町の入口付近から、大量の火が迫ってきている。松明の火だ。松明を持ったたくさんの何かが、町の中に入り込んできている。雄叫びのようなものをあげながら。
悪い何かが、町に入ってきている。
それだけは理解できた。理解できたが、これからどうすればいいんだろう。
思考が止まりかける。
『俺の家にすぐ逃げてきて。絶対に助けるから』
ギタンの言葉が、脳裏によぎった。
「ギ、ギタンのところ……!」
ギタンの家……つまり、町長の家に行けば、何かわかるかもしれない。
それに、ギタンがいれば……この怖い気持ちが和らぐかもしれない。
「急がなきゃ……!」
ボクは、北に向かって走り始めた。
この町は、南に入口があって、最北端に町長の家がある。
岩山に沿って町がつくられているので、町長の家はちょっと高い所にあった。
ボクは、緩やかな坂になっている町を全力で走った。途中、他の家を横目で見てみたけど、誰もいる様子がなかった。ボクだけ取り残されているみたいだった。
カンカンカン!とまた警鐘が鳴り響いた。
定期的に誰かが鐘を鳴らしているみたいだ。
ボクが気絶している間にも、何回か鳴っていたのかもしれない。
叔父さんも、他の人達も、それを聞いて逃げ出したのかも。
……ボクだけを残して。
胸が痛くなる。でも、今は悲しんでいる場合じゃない。急いでギタンの所に行かないといけない。
途中で後ろを見てみると、村の入口付近の火が強くなっていた。真っ赤な色が広がっていく。松明を持った何かが、町に火をつけて回っているのかもしれない。やっぱり悪い何かなんだと思った。
前に向き直って、更に走り続けた。
ボクの息があがるころに、ようやく人の騒がしい声が聞こえてくるようになった。
何段もある長い階段を駆け上がると、大きめの広場に出た。お祭りやお祝い事をする時に、みんなが集まる場所だ。
更にその奥には、町長の家がある。
ようやくついたのだ。
「だれか状況が分かるヤツはいねえのかよ!」
誰かの怒鳴り声が聞こえる。
広場には、町中の人達が集まっていた。
泣き叫ぶ子供、あたふたしている大人、なんだかイライラしているお爺さん。その誰も彼もが一様に、落ち着かない様子だった。
ボクはギタンの姿を探す。
人がたくさんいて少しは安心できた反面、場の雰囲気が怖くて心細い。
早くギタンの所に行きたい。
「アン!」
背後から肩を叩かれた。ビクっとして振り向くと、そこにはギタンの姿があった。
「ギ、ギタン」
ボクは胸をなでおろした。
「心配したんだよ! どこにいたんだ!」
ギタンの言葉が嬉しくて、目のあたりが熱くなる。皆がボクを放置している中、やっぱりギタンだけは心配してくれていたんだ。
泣いてしまいそうになる。が、ぐっと堪えた。
これ以上、心配をかけたくないと思った。
「う、うちにいた……」
「そんな……いや、うん。しょうがない。ともかくアンが無事でよかった」
ボクの言葉にギタンは驚いた表情を浮かべたが、すぐに優しい顔に戻った。
その後、ボクの頭を撫でてくれた。
ボクも、ギタンにあえて嬉しかった……と言おうと思ったけど、言葉にならなかった。
こんな時ですら、素直に気持ちを伝えられない自分が嫌になる。
「お、叔父さん……は」
嫌だけど、聞いておかなければならないことを聞く。
「あの人なら一目散にここに来たよ。今は父さんの隣で何か話してる。アンのことを聞いたら“どこに行ったか知らない“って言ったんだ。そんなわけないのに」
そう言ってギタンは舌打ちをする。
そっか、やっぱり叔父さんはボクを放っておいて逃げたんだ。わかっていたけど、やっぱり苦しい。
「で、な、なにが……あったの?」
ボクの質問に、ギタンが口を開いた。けど、その声はもっと大きな音でかき消された。
ギタンのお父さん……町長の声だった。
「みんな聞いてくれ。この町は今、魔族に襲撃されている」
魔族。
今、王国が戦っている恐ろしい化け物達。
そんな怖い存在が、この町にやってきている。
「な、なんで……?」
その疑問に対する答えは、どこからも返ってこなかった。
きっと誰も理由がわからないのだ。ギタンですら。
町長が、さらに大きな声で続けた。
「我々は町を放棄し、近隣都市への避難を行う。馬車の手配と、騎士団に対する応援要請はもう済んだ。見張りが素早く察知してくれたおかげだ」
町長の隣で姿勢を正したするどい目つきの男の人が、こんな状況なのにも関わらずまんざらでもない顔をした。
「今から移動を開始する。焦らず、落ち着いて行動してくれ」
号令が下ると、やっぱり焦りながらも、町の人たちは道なりに下山をはじめた。
南側からはどんどん火が迫ってくるけど、それをうまく迂回して逃げるつもりなのだろうか。町は縦長なんだから、必ず鉢合わせてしまうと思うんだけど……。
でも、町長が言うなら、それが正しいのかもしれない。ボクの浅はかな考えよりも、町長の考えの方が正しいはずだ。
「……逃げられるわけがない」
でも、ギタンがそれを否定した。
「町の構造上、南から登ってきている魔族を避けて、町の入口まで移動するなんて不可能だよ……。険しい山中を降りていく手段もあるけど、お年寄りや小さい子供にそれが出来るとは思えない」
「で、でも、町長が、そうするって」
ちらりと町長の方を見る。
叔父さんの姿がそこにはあった。どうやら、町長と何かお話しているようだった。
「……父さんも錯乱してるんだ」
町長は、なんだか落ち着かない顔をしていた。足をしきりに動かしてもいる。
一方の叔父さんも、身振り手振りがすごく大げさになっている。叔父さんはボクをいじめるときや、隠し事をするときに、こういう仕草をする。
怖いので目を逸らそうとしたが、その前に、叔父さんと目が合ってしまった。
急いで目を伏せた。
けど、もう遅かった。
「アンジェリカ! ちょっと来なさい!」
叔父さんの怒鳴り声が、ボクを貫いた。震えが止まらない。
「は、はい……」
ボクはよろよろと、叔父さんの元へと歩き出す。
「アン!」
ギタンが引き留めようと、腕をつかんでくれたが、振りほどいてしまった。
ごめんなさい。叔父さんのいう事は、守らないと怖いから。
仕方ないとばかりに、ギタンも一緒についてきてくれる。
「アンジェリカ。お前に大事な話がある」
叔父さんの目の前まで来たボクに、恐ろしいほどやさしい口調で、そう言った。
嫌な予感がする。
「今から町の人達が逃げる。だが、逃げきれないかもしれない。分かるか? 誰かがやらないとダメなんだ」
叔父さんの言葉は、いまいち要領を得ない。
次は町長が口を開いた。
「アンジェリカ。魔族の気を引いて、囮になってくれ。これは決定事項だ」
「え、え……っと?」
何を言っているんだろう。
ボクが怪物達の気を引いて、逃げる?
南から登ってきている火の数は、とんでもない数だ。そんなにたくさんの怪物相手に、ボク一人が囮になる?
それって、何か意味があるの?
「そんな……意味ないよ父さん!! あんな数相手に、アン一人が囮になれるわけないだろ!!!」
ギタンが声を荒げる。
しかし町長は、苦い顔を一瞬だけして、ギタンの頬を叩いた。
バチンという音が鳴る。ボクは思わず目をつぶってしまった。
「決定事項だ!!」
そして強く叫んだ。声が、どこか震えていた。
ギタンは頬を抑えながら、町長を睨め付けていた。
「もっとちゃんと考えてくれよ!! アン一人を囮にして逃げるより、ここで徹底抗戦する方がまだ可能性がある! 騎士団にも応援要請の早馬を出したんだろ? じゃあ持ちこたえればいいだろ!!」
「決定事項だ!!!」
多分、ギタンの言っている事の方が正しいんだろうなぁと、ボクは思った。
でも、町長のボクを見る目。周りに集まった大人達、子供達の、同意する目。そして、叔父さんの恐ろしい目が、ボクを強く非難した。
いいか。嫌われ者のお前にできる、最後の役目だ。
そう言われているような気がした。
「アンジェリカ。行ってくれるね」
叔父さんが優しい言葉をボクにかけた。
肩に手が置かれる。
その手が、強く強くボクの肩を掴んだ。
痛い。怖い。
「は、はい……」
気が付けば、ボクは叔父さんの言葉に従ってうなずいていた。
「アン……」
ギタンは力なくボクの名前を呼んだ。
叔父さんの命令に背けないボクに、失望したのかもしれない。
ボクは必死に、自分が囮になれる言い訳を作った。
「だ、大丈夫。ボクは、その、逃げ足は自信があって、その。だから、役に立ちます……」
南側を見下ろした。
火の手は町中を巻き込みつつあった。恐ろしい雄叫びが上がり続けている。中には、驚くほど巨大な影もあった。
怖い。
怖いけど、もう、なんだか疲れてしまった。
この場にいる事に、疲れてしまった。
みんな、ボクが死んでもいいと思っているし、いない方がいいと思っている。だから、こんな無茶苦茶な事をボクに命令するんだ。
じゃあ、もう死んじゃってもいいかな。
少なくとも、今この場に居たくない。逃げたい。
そんな気持ちが強くあふれた。
「が、んばってきます」
「アン! 待って!!!」
ボクはそれだけを告げると、ギタンの静止も聞かずに、南側へと駆け下りた。
囮って、何をすればいいんだろう。
そんなことも分からないまま、火の手があがっている方向へ走る。
誰からも何も言われなかったから、きっとこれで合っているんだと思った。
「なんでぇ……」
涙が目にたまる。
どうしてボクはこんな目に合うんだろう。
なんで皆ボクの事を嫌うんだろう。
答えの出ない問答を心のなかで繰り返しながら、ボクはただひたすらに走り続けた。
「人間だ」
ついに、魔族……恐ろしい怪物と、ボクは遭遇してしまった。
その怪物は、驚くことにボクと同じ言葉を喋った。
「女か」
怪物は、革か何かで出来た鎧を着ていて、肌の色は緑だった。
目は鋭く、恐ろしい。
剝き出しになっている歯は、まるで獰猛な狼のようだった。
「殺しますか?」
もう一体の怪物がそう言った。怪物は、合計で三体いた。
「いや。生け捕りだ。処遇は指揮官が決める」
「わかりました」
それだけ言い終わると、ボクが最初に見た怪物のほうが、背中から大きな剣を抜き放った。
燃え盛る炎の中、ぎらりと光るその剣は、確実にボクを殺せるだけの恐ろしい凶器だった。斬られたらひとたまりもない。
死がそこにある。
ボクはじり、と一歩下がってしまった。
「や、いや……」
一瞬にして、ボクの意思が揺らいだ。
もう死んじゃってもいいかな、とか。みんなと一緒に居たくない、とか。
そんな事は全部気の迷いだった。
目の前にある明確な死を認識してしまったら、もうそんな事を考えてはいられない。そういう世迷言は、生きているから吐けたのだと、今更になって理解した。
生きたい。
駄々をこねて、叔父さんに反抗して、必死にしがみついて。
みんなと一緒に居ればよかった。
ギタンと一緒に居ればよかった。
「いやッ!!!」
拒否の感情が口から飛び出て、ボクは北の方へと走り出した。
もう一回、みんなと合流しよう。
あれだけたくさんの大人がいるんだから、きっと怪物にだって勝てる。狩りを仕事にしている人もいたんだ。怪物も猛獣も変わらない。きっと戦えるはずだ。
「射れ」
背後からソレが聞こえた瞬間、背中に衝撃が走った。
その衝撃で、ボクは前に倒れこむ。
「う、うぅ……」
しばらくして、背中が焼けるように熱くなった。
痛い。
今まで感じたどの痛みよりも痛い。
叔父さんに熱い鉄を押し付けられた時よりも、頭を思いっきり酒瓶で殴られた時よりも、よっぽど痛い。
涙が出てくる。嗚咽が漏れる。
「た、助けてぇ……助けてよぉ……」
背後から、怪物達が歩いてきている音がする。
わざと音を立てているのだろうか。ひどく鮮明に聞こえる。
「助けて……」
お父さん、お母さん。
……ギタン。
助けてほしい。
誰か、助けてほしい。
「助けてよお!!」
瞬間。
「ぎゃァああッ!!」
何かが噴き出る大きな音と共に、背後の怪物が叫び声をあげた。
その音はしばらく続き、怪物の叫び声も、長く続いた。
豚か何かが焼け焦げる臭いがあたりに広がる。吸い込んで、少しむせた。
「魔術師が居たのか。属性は炎。指揮官に報告しろ」
「はい、部隊長」
怪物が、なにか小さな声でそう言った後、走り去っていく音がする。
助かった?
誰かが、ボクを助けてくれたのだろうか?
一体、何がどうなっているのだろう?
「う、うぅ……」
ボクは背中に刺さっている何かを手で探りあて、引き抜いた。
激痛が走る。
多分、血とかもたくさん出ていると思う。
それでも、なんとか必死に立ち上がる。立ち上がらないと、何が起こっているのかわからないから。
背中が痛い。熱い。でも立ち上がる。足がふらつく。
「アン!!!」
足がもつれて倒れそうになるボクを、突然、優しい手が抱きかかえてくれた。
たくましい腕だなと思った。
身体の中が、優しい暖かさで包まれる、そんな気持ちだった。
「ギ、ギタン……?」
見上げると、そこにはギタンの顔があった。
心配性で、かっこいい、ボクの幼馴染。
「助けに来た」
涙が溢れた。
背中の痛みが、すっと引くのを感じた。
安心したからなのか、嬉しかったからなのか。いろんな感情が、痛さを塗りつぶしてくれたのだろうか。
「ギタンんんんん!!!」
ボクはみっともなく泣き叫びながら、ギタンの名前を呼んだ。
ギタンはそれを優しい笑顔で肯定してくれた。
心の底から嬉しかった。安堵した。助かったと思った。
「よくもやってくれたな」
ギタンじゃない、声がした。
ギタンの優しい顔が、険しいものに変わった。何かを睨みつけた。
その視線の先に、ボクも目を向ける。
怪物だ。
まだ怪物が一体、そこに残っていた。
「アン。少し待ってて、俺がなんとかするから」
ギタンは、ボクからそっと手を離す。
離さないでほしかった。
一気に不安になる。
「で、でも……!」
ボクはそう言いながら、ギタンの姿を見た。
背中に、四角い箱を背負っていた。
手には、筒状の長い棒。
あれは、火を出し続ける箱だ。
ボクが拾ってきた、落とし物の魔道具。
「こんな辺鄙な場所にも魔術師が居たとはな」
怪物はつぶやきながら、剣をギタンに向けた。
ギタンの肩が震えているのが分かる。
無理をしないでほしい。戦おうとしなくていい。
その想いは、声にならなかった。
「アン。この後、俺と一緒に逃げよう」
ギタンは怪物を睨め付けながら、ボクに言った。
鋭い顔をしていた。
……ギタンが、何かを決めた時の表情だった。
「逃げて、都市で暮らす。俺のスキルがあれば、いい仕事に就けると思う。アンをきっと幸せにできる」
なんで今そんな話をするのだろう。
「一緒に暮らそう。何か夢を見つけて、それを追いかけるのもいい。二人ならきっと何をやっても楽しいと思う」
ボクは、とにかくうなずいた。
ボクだって、そうできたら一番いい。
この町でいじめられるより、ギタンと二人で幸せに暮らしたい。
苦労もあるかもしれないけど、今なんかよりずっといい。
ボクだってそう思う。
「だから、信じてくれ」
嫌な予感がする。
ギタンは筒状の物を構える。怪物に向かってだ。
怪物が一歩、足を踏み出した。
ギタンは、戦うつもりだった。
「や、やめっ!!」
やめて逃げ出そう。そう言ったはずだった。
でも、ボクの細い声は、怪物の一言によって上書きされた。
「魔術師、覚悟しろ」
その言葉と同時に、怪物は強く前に踏み出した。
ものすごい速さだった。
「う、うわぁ!!!」
ギタンは大きな叫び声と共に、筒状の物から火を放つ。
当たればやけどではすまないほどの、巨大な火。怪物は一瞬で燃えて死ぬだろう。
でも……。
「その程度か」
ギタンの放った火は、怪物に避けられた。
ボクはただ見ている事しかできなかった。
怪物の剣が、ギタンの腕を裂く。足を裂く。腹を裂く。顔を裂く。首を裂く。
ギタンの首が、胴体と別れて、ごとりと落ちた。驚く暇もないほど、あっけなく、一瞬だった。
ギタンが、死んだ。
叫び声も出なかった。
「人間」
ギタンを切り裂いた怪物は、次にボクの首をつかんだ。
怪物の顔が近づく。臭い息がツンと鼻に刺さった。
「ここには何人魔術師がいる。戦士は、騎士は。指揮官は誰だ? 洗いざらい情報を吐いてもらうぞ」
怪物はそういいながら、剣の鋭くない所でボクの頭を思いっきり叩いた。
痛い。
「黙秘する場合、お前もそこの人間と同じ末路を辿る。喋れ」
もう一度叩かれる。
「なん……で?」
なんで、みんな酷い事をしてくるんだろう。
なんでギタンは死ななきゃいけなかったんだろう。
ボクが唯一、一緒にいて幸せだった人が、なんで死ななきゃいけなかったんだろう。
なんで、町長や叔父さんは痛い目に合わないんだろう。
なんで、町の人達はひどい目にあわないんだろう。
「ッチ。だから人間は嫌いだ。頭の回転が遅い。無能ばかりだ」
怪物はそう言って、ボクを地面にたたきつけた。
痛い。
ギタンの死体のすぐ横に、ボクは転がった。
「もう一度言う。この町の戦えるヤツの情報を洗いざらい吐け。吐かなければ殺す」
キーンと耳鳴りがする。
怪物の声、町の人の声、叔父さんの声、町長の声が、頭の中で何度も何度もぐるぐると回った。
なんでみんなボクを否定するんだろう。
わからない。
なんで嫌われてるのかも、わからない。
叔父さんがなんで酷いことをするのかも、わからない。
なんで一番好きな人が死んだのかも、わからない。
わからない。わからない。わからない。
ブツン。
頭の中で、何かが切れる音がした。
太い何かが。
自分の中で保っていた、大事な何かが。
「もう……なんでもいいや」
考えるのが嫌になった。
今いる現実が嫌になった。
誰も彼もみんな嫌になった。
「……人間はやはり愚かだ」
怪物はそう言いながら、剣を振りかぶった。
次の瞬間に、ボクは斬られるだろう。
たぶん、ものすごく痛い。
痛いのは、嫌だ。
右手をまさぐる。
何かが、手の甲に当たった。
筒状の何か……ギタンが使っていた……ボクの拾ってきた、火が出る筒。
「死ね」
怪物は大口を開けて、そう言った。
なんだかそれが、ひどく滑稽に思えた。
ボクはその大口に……火が出る筒を、おもいっきり突っ込んだ。
「モゴッ!?」
驚いた怪物が、一歩後ずさる。火の筒は、まだ口の中にある。
ギタンがやっていた。
この筒は、こうやってトリガーを引けば、火が出るのだ。
カチリ。
ボッ!という激しい音がした。
「モガアァァアアッァアア!!!」
怪物の口の中で、大量の火が広がる。
いや、それは炎だった。
ものすごく熱い、そして、ものすごく綺麗な、炎。
トリガーを強く引く。強く強く引く。
そのままボクは立ち上がり、左手で筒のつまみを思いっきり回す。ギタンが火力調整をしていたつまみだ。
それを、一気に引き上げる。
「モガガガガモガガガガ!!」
怪物の身体の中に入り込んだ、大量の炎が、出口を求めて穴という穴から噴出する。
「アガアアアア!」
変な叫び声をあげながら、怪物は右手の剣をボクに振り下ろした。
左手が斬られた。とても痛い。血が噴き出る。でも、もうなんでもよかった。
ボクはトリガーを引く指を一切緩めない。緩めてあげない。
炎は、怪物をまる焦げになるまで焼き尽くした。
豚を焼いたときの、香ばしい肉の臭いと、なんだか気持ち悪い、すすけた臭いがあたりに漂う。それを吸って、咽る。咽るが、また深呼吸する。咽る。
楽しい。
何か、楽しい。
「楽しい」
ボクはその時、ひらめきのようなものを感じた。
頭の中で、何か光が広がっていく感覚。
昔町に来た神父様が「人は天啓を女神から授かり、生きる意味を知るのです」と言っていた。ボクにはいまいちその意味がわかっていなかった。
でも、今分かった。
この感覚は、天啓なのだ。
つまり、これが生きる意味なのだ。
「そっか!!!」
ボクはギタンの身体から、四角い箱をもぎ取った。地面に落ちていたギタンの顔をつかみ取って、苦しそうなその顔にキスをする。初めてのキス。大好きな人との、幸せなキス。
簡単な事だったんだ。
もっと早く、こうしていればよかった。
ようやく気がついた。
「全部燃やすのが、ボクの生きる意味なんだぁ!!!!!」
四角い箱を背負う。
火の出る棒状の物を、両手で持つ。
トリガーを引く。
炎が出る。
全部、燃やせる。
「あれ」
ボクは気がついた。
さっき斬られた場所から、血がもうでなくなっている。
そういえば、背中からも血が出ていたような気がするけど、なんだか全然痛くなくなっている。ひょっとすると、もう治ってしまったのだろうか?
不思議な現象。
でも、なぜかボクは、この現象に納得がいっていた。
叔父さんにたくさん頭を殴られても、血が出なかったりすぐ治ったり。
熱い鉄を押し付けられた腕に、火傷の痕が残っていなかったり。
ボクはたくさん怪我をしてきたけど、ボクの身体には、一つも傷が残っていなかった。
ギタンによく「よかった。怪我がなくて」と言ってもらっていたけど、それは違ったんだ。
「そっかぁ。ボクも怪物だったんだ」
傷を受けても、すぐに治ってしまう。
おとぎ話にでてくる怪物とそっくりだった。
ボクはなんの能力もないし、お父さんとお母さんからスキルを引き継げなかった落ちこぼれだと思っていた。
でも、違った。
持っていた。
怪物の力を持っていた。
「そうなんだ!!! ボクにも力があったんだ!! すごい力、怪物の力!!!!」
意味もなくトリガーを引く。
炎をまき散らす。
あたりの家々を手あたり次第に燃やす。
ああ、なんて楽しいんだろう!!
「ギタン、そこで待っててね。ボク、やることをやってくるよ!」
首だけのギタンに、ボクはお別れを言った。
町を全部燃やしていこう。
町の中心に向かって、ぴょんぴょんと飛び跳ねていく。
炎の色は面白かった。赤色、白色、そしてもっともっと熱くすると青色。綺麗で見ていてあきない。
「魔術師だ!! 報告通りだ!」
すこし動いたら、怪物がボクの前にやってきた。しかも一体じゃない。たくさんだ。
「殺せ! 魔術師は殺してもいい!!」
怪物たちは、ボクを見つけては、斬りかかってくる。矢も飛ばしてくる。
ボクは、綺麗な青い炎をそいつらに向ける。躊躇なく燃やす。
「ぎゃああああ!!」断末魔!「ぎゃああああ!!」断末魔!!
たくさんの怪物が燃えていくのは、見ていてとても楽しい。
「あ、そういえば!」
この筒には、もっとたくさん押すところがあった事を思い出した。
トリガーを引けば炎が出るけど、他のスイッチを押したらどうなるんだろう?
ギタンは押してなかったけど、もっといろんな炎が出せるかもしれない。ボクはためしに、そのうちの一つを押す。
ガチャリ。
背中の箱が、なんだかすごい音を立てて、たくさんのスライム状のものを辺りにまき散らした。箱の横の部分から射出されたみたいだ。
「お、おい、なんだこれ」
周りにいた怪物達にも、びちゃびちゃと張り付いた。必死にとろうとしているけど、なかなか取れないみたいだった。
ボクはそれに炎を向けてみる。
張り付いたスライムが、一瞬で燃え上がった。
「な、なんだこれぇ!!!」
怪物が叫ぶ。
「消えない!!火が消えないよぉお!!」
走りまわってあたふたしている怪物もいる。
なんだか、とってもかわいい仕草だった。
燃えている物は可愛いんだなぁと思った。
ボクは燃えるスライムをたくさん出しながら、あたり一帯を燃やして回る。ダンスパーティーだ。くるくると回って見せる。
あたりに飛び散るスライム。
炎を向けると一瞬で燃え上がる。
なんて楽しいんだろう!
「みんな、どこにいるんだろう」
ボクは逃げ出そうとしていた町の皆に、あいたいなぁと思っていた。
叔父さん、町長、その他の人達。
みんなに、今のボクを見せてやりたい。
「誰か助けてくれぇぇ! あついいい!! 誰かぁぁ」
考えながら歩いていると、全身が炎に包まれた怪物が、地べたを這っていた。必死に声をあげて、助けて欲しそうにしている。少し前のボクみたいだなと思った。
面白かったので、思いっきり踏みつけてみた。ぶにっとした感覚だった。
「ねぇ、町の人がどこ辺りにいるか、わかる?」
ついでに、ボクは気になったことを聞いてみた。
怪物はそれどころじゃないとばかりに、必死にもがいている。何かうわ言をつぶやいているけど、よく聞き取れない。
ボクは顔をぐいと、地べたにある怪物の顔に近づけた。
「ねぇ!! 聞いてる???? 早く答えて。急がないと逃げられちゃう」
「し、しらない、しらない、助けてくれぇ……」
困った。
ボクは足元でもがいている怪物に、青い炎を浴びせかける。浴びせ続けていると、剣とか鎧とかがドロドロに溶けて面白い。
「あ、そういえば!」
ボクは思い出す。
ギタンを殺した怪物が、指揮官がどうのこうの、と言っていた気がする。
指揮官っていうのは、多分、怪物達の親分みたいなものだろうから、きっと色々知っているに違いない。町の人の居場所もわかるかも。
目標が決まったので、また楽しく飛び跳ねる。
気がつけば、足元の怪物は何も言わなくなっていた。
前に進めば進むほど、怪物がたくさん現れた。
剣で斬られた。痛い。ムカついたので焼き殺した。
矢を撃たれた。痛い。ムカついたので焼き殺した。
何度も何度も繰り返す。
傷はしばらくしたらふさがった。
どんどん早く治るようになっているような気がする。
「ば、化け物ぉ!!!」
怪物が叫んだ。
まさか、怪物に化け物と言われるとは思わなかった。
なんだかおかしくて笑った。笑ったら、みんなすごく怖がった。面白い。
手あたり次第に怪物達を焼いていると、町の真ん中にある、噴水の広場に出た。
あたりの家はもう燃えている。ボクじゃなくて、怪物達が火をつけたのだろう。
ちょっとむっとする。
「あ、アンジェリカぁ!!!」
うろうろと歩いていると、広場の真ん中から、嫌な声が上がった。
叔父さんだ。
よく見ると、町の人達が噴水の周りに集められていた。
叔父さんも町長もいる。みんな、手を後ろに回して、うぞうぞとうごめいていた。芋虫のようだった。その芋虫を、たくさんの怪物達が取り囲んでいる。
「なんだ、みんな捕まっちゃったんだ」
取り巻きの怪物達は、ボクがいままで焼いてきた怪物と比べて、なんだか身なりがいい気がした。しかも、表情が真剣だ。
そして、噴水の縁には……貴族の着ているような、きらびやかな黒服に身を包んだ、不思議な男の人が座っていた。
あの人はとても強い人だ。
そんな気がした。
「助けてくれ! 囮になれ! はやく俺を逃がせぇ!」
ボクが男の人を観察していると、叔父さんが突然わめきだした。
耳に気持ちの悪い声が響く。
「うるさっ……」
叔父さんはすぐに、近くにいた怪物に頭を殴られていた。殴られた瞬間、叔父さんはすぐに静かになった。記憶がなくなっちゃったのかな?
ボクはため息を、大きく吐いた。
不快だった。
あんなに恐ろしくて、聞くだけで身が震えていた叔父さんの声が……今ではただの雑音でしかない。なんで、あんなものに怯えていたのだろう。
今そこに居るのは、自分勝手に叫んで、頭を殴られたらすぐ大人しくしちゃう、みっともないおっさんだった。
どうしてあんなものを怖がっていたのだろう。
だんだん苛立ってきた。
「お前が魔術師か」
透き通るような声がした。
噴水の縁に座っていた男の人が、すくり立ち上がりながら、その声を出していた。
こうして見てみると、かなり背が高い。家に入るとき、扉をちょっとくぐらないと入れなさそうなほどだ。なんだか不便そう。
「そうですよぉ。あなたは……指揮官さん?」
ボクは魔術師というものがイマイチ理解できなかったが、とりあえずそう名乗っておいた。そっちのほうが、面白いと思ったから。
ついでにボクも聞いておいた。
「そうだ」
素直に答えてくれた。
礼儀正しそうだ。叔父さんよりも、よっぽどしっかりしていそう。
「散々部下を殺してくれたな」
指揮官さんは、静かに言った。
落ち着いた口調だったけど、どことなく怒っている気がした。いますぐボクを殺してやろうか、そう言っているようにも聞こえた。
でも、そんなことは関係ない。
「はぁ~……えっと、この町に入ってきたのは、あなたの命令ですかぁ?」
ボクは大事なことを聞いておかないとな、と思った。
指揮官さんは一切顔もゆがめず、答えてくれた。
「そうだ。私が指揮し、この町を襲った。恨み言があるなら聞いてやる」
「あ~……ということは、ギタンが死んだのは……あなたの仕業ってことです?」
「それが誰だかはわからないが、そうなるだろうな」
「……そうですかぁ」
ギタンの事を思い出す。
ボクが大好きだった、かっこよくて、優しくて、一緒に暮らそうといってくれた人。
今は、もう死んでしまった人。
ドロドロとした、何か大きな感情が、おなかの底から湧き上がってくる感覚がした。
頭の中が沸騰している。全身の血が、沸き立っている。
「聞け、魔術師。抵抗せずに投降するなら、ここにいる人間共を解放すると約束しよう。全員無傷でだ」
解放……助けてあげるっていうこと?
叔父さんや町長の方をみる。表情が、少しだけ明るくなっていた。なんだかムカツク。
「あ、アンジェリカ! 投降! 投降だ! な! お前がそういうだけで、みんな助かるんだぞ!」
叔父さんがそう叫ぶと、それに合わせて町の人たちからも、大合唱が起こった。
「はやく投降すると言ってくれ!」近所の肉屋さんだ「無能なお前でも役に立つんだ!」ボクのことをよくバカにしてきた近所の男「よかった。助かるんだ」子供の泣き叫ぶ声「よかったね、死ななくてすむんだ」よくわからない女の人。
「はやくしろ、アンジェリカ!」気持ち悪い、叔父さんの声。
「……うるっさいなぁ!!!!!」
ボクは町の人に向かって、炎を出した。
火力を、おもいっきりあげる。
「えっ?」
誰かのその声を最後に、町の人達が炎に包まれた。
「ぎゃあああ!!」「熱い!!」「なんで、なんで!?」「何してるんだ落ちこぼれがぁ!」
なんだかみんな叫んでいる。うるさい。うるさい。うるさい!!
「アンジェリカぁ、や、やめてくれェ。やめてくれよぉ。助けてくれ。叔父さんが悪かったからぁぁぁぁ」
叔父さんがうぞうぞと、こちらに近づいてくる。うっとうしい。声もうっとうしい。
「全部謝るぅぅぅ。お前にしたこともぉ、義姉さんにしたことも、兄貴にしたこともぉ」
「うるさい!!!」
叔父さんに向かって、もういちど炎を出した。
ものすごい噴出音と共に、おじさんの髪が、顔が、腕が、ただれていく。ひと際大きな叫び声があがる。ボクは顔を蹴飛ばして、それを沈めた。
「……それがお前の魔術か」
町の人たちの断末魔の中でも、指揮官さんの声はよく通った。
「人間というものは……同族意識がないのか? 書物で得た情報と違うな。少しくらいは葛藤すると思ったのだがな」
ボクは何か言っている指揮官さんに、筒の先端を向けた。
すぐにトリガーを引く。炎が出る。
「少しくらい待てないのか。蛮族が」
でも、ボクの炎は指揮官さんに届かなかった。
まるで指揮官さんの前に、見えない大きな壁が出来たのかと思うような、そんな感覚。
ボクはいったん炎を止めた。
指揮官さんが、ボクにむかって指をさした。
「私は魔王軍四天王の一人“白き輝きのラッツェル”直属の配下、グリンゲルヒッドである。魔術は防衛、そして炎。授かった二つ名は『フレイムウィザード』」
なんだか長かったので、何も覚えられなかった。
「手を出すな。コイツは私がやる」
その言葉と同時に、指揮官さんの手から炎の棒が出現する。棒、というよりも矢かもしれない。先端が鋭くとがっていた。
「炎の矢」
びゅん!と、炎がボクに向かって投げつけられた。左肩にあたる。ドスという音とともに、左腕がものすごく燃えた。熱い。
「痛い!!!」
ボクは即座にトリガーを引いて、炎を出した。
腕は燃えているが、たぶん、そのうち痛みも治まるとおもう。焼けどしても治っちゃうだろうし、気にしない。
「無駄だ」
また、炎が指揮官さんの前で止まった。
指揮官さんの周りに、丸い透明な殻ができて、それを伝うようにして炎が四散していっている。そんな様子だった。
ちょうど、オカの実に炎を当てた時みたいに。
「私の防衛魔術は絶対。剣も矢も通さない。もちろん、魔術もだ」
ボクが炎を止めると、また同じように「炎の矢」が飛んできた。次は、横に跳んで避けてみた。ボクは逃げ足がはやい。一度見た動きは、なんとなくわかる気がした。
避けながら、ボクは軽口を叩いてみた。
「すごいですねぇ。ボクにもそれ、できるかなぁ?」
「研鑽を積めばある程度はな。だが、私ほどの境地に到達するためには……」
カチリ。
話の途中で炎を飛ばす。さっきと同じように、はじかれてしまった。
気がそれていたら当たるかと思ったけど、どうやらそうじゃないようだった。この人は、たぶんとっても優秀で、能力のある人なんだろうなと思った。
「無粋な。蛮族が」
指揮官さんは手に、大きな炎の塊を作り出した。
さっきまでの棒とは比べ物にならないほど大きい。
「私の二つ名”フレイムウィザード”は、炎を支配する者に与えられる称号。研鑽をつめば、つまりこういう事もできる」
大きな炎の塊を、地面にどんと押し付ける。
手の炎は消えてしまった。
一体なにをやっているのかなと思っていると、ボクの足元が突然盛り上がった。
嫌な予感がして、横に跳ぶ。
ボクがいた場所の足元から、大きな火柱があがった。
「なんですかそれ! すっごぉい!!」
「まだまだこれからだぞ。蛮族」
指揮官さんの声と同時に、天にあがった炎の柱が、くるりと軌道を変えた。
まるで意思をもっているかのように、また地面に突き刺さる。そしてまた、別の地面から生えてくる。
「炎の潜行虫。この炎は、お前を焼くまで止まらない」
言葉通り、火柱は何度でも地面から出てきて、また何度でも地面に潜った。ボクを探すように、あちらこちらの地面から出てくる。ボクはそれを、何度でも避ける、避けるが、そろそろ疲れてきた。
「炎の矢」
さらに指揮官さんからも、たくさんの炎が飛んでくる。
地面からの火柱を避けながら、飛んでくる炎も避け続けるのは、さすがに難しいなぁと思い始めていた。
でもボクは、感動していた。
すごいなぁ。こんなこともできるんだ。
さっきまで焼いてきた怪物とは全然違う。すごい人なんだなと思った。
フレイムウィザードって、とってもすごいんだ。
「あっ」
足を滑らせてしまった。誰かの死体を踏んでしまったのだ。
どたりと地面に倒れこむ。
まずいかもしれない。
さっきの火柱が、今ちょうど地面に潜っているはずだから……。
「終わりだな」
指揮官さんが背を向けた。
ボクの下から、火柱が上がる。身体が、炎に包まれた。
痛い!痛い痛い痛い!
でも、ただれた皮膚はすぐに元通りになる。元通りになって、またただれる。だんだん速度が上がっているけど、常に燃えていたら、どこかで終わりがくる。そんな予感がする。
どうしよう、このままだと、焼け死んでしまう。
それは困る。そうなると、何も燃やせなくなる。
ボクはもっと燃やしたい。いろんな物を。人を、家を、町を、怪物を、国を。
何かないだろうか。この状況を打開できる、何か……。
『火を吸い込むこともできるんだね』
ギタンの声が、聞こえた。
「そっか」
ボクは筒のスイッチを一つ、カチリと押した。
先端の部分が、ガバ!と開く。
そして、周りにある炎をズズズズズ!と吸い込み始めた。ボクは筒を炎の方に向ける。ズズズ。すべて吸い込む。背中がほんのり熱くなる。
「何?!」
指揮官さんが振り返った。
ボクは、ボクを焼いていた炎と、地面から飛び出てきた火柱を、すべて吸い込んでしまった。筒についている変な丸い印が、激しく点滅している。
ボクはトリガーを引いた。
「なっ、馬鹿な!!」
指揮官さんに、さっきの炎よりも、もっともっと大きな炎が飛んでいく。また四散してしまったが、指揮官さんは驚いていた。
「お前、私の炎を……奪ったのか?」
「違いますよ」
奪った、という言い方はなんだか違うなあと思った。
炎の筒……いや、この子が。
「食べたんですよ。ご馳走様でしたぁ」
「貴様ッ!!!」
指揮官さんはまた炎の矢を投げてくる。でも、今度は当たらない。避けもしない。この子で食べちゃえばいいだけなんだから。
「クソッ! そんな、ことが!」
何度も何度も投げつけられて、何度も何度も食べつくす。
このままずっと食べていてもいいけど、食べすぎはやっぱりよくないなとボクは思った。食べたあとは運動しないと、叔父さんのように汚くなってしまう。
ボクはトリガーを押す。
炎を出す。
指揮官に炎が向かう。
「ッチ!!」
指揮官の前で炎は四散する。
でも、トリガーを押す指を緩めない。たくさん炎を出してあげないと、身体にわるいだろうから。
「お前、その魔術をどこで得た!!!!」
指揮官さんが叫んでいる。
この子の事を言っているのかな。
「えーっと、拾いました!!」
「馬鹿にしているのか!?」
「本当ですって~!」
本当のことを言っているのに、信じてもらえない。変なの。
ボクはまだまだ炎を浴びせ続ける。でも、このままだとずっと燃やせない。なんとかならないだろうか。
「だが、お前の炎も無尽蔵ではないはずだ。このまま耐えていれば……」
ピン!と、頭の中にひらめきが走った。
耐える……。
あ、なるほど。指揮官さんを守っている何かは、そういえば、オカの実に似ているなぁと思ったんだった。
ボクはさらに火力を強める。
「む、無駄だ。どれだけ攻撃しようと、この盾は突破できない!」
「……オカの実」
「は?」
指揮官さんが素っ頓狂な声を上げた。
「オカの実って、たくさんたくさん焼くと、パカって割れるんです。とっても硬いんですけど。たぶんあれって、中の食べれるところが、熱いよおって出てくるからだと思うんですよぉ」
「おい、何を……考えている……?」
指揮官さんの顔が歪んだ。
「だからね、あなたも、たくさんたくさん燃やしたら、オカの実みたいにパカってするかもって思って!!!」
「な……お前……まさか!!」
ボクは更に火力を高めた。たくさん炎を食べたからか、さっきよりも、もっともっともっと火力があがる。楽しい!!
手が熱くなってきた。これだけたくさん炎をだしているから、当然かも。
すると、筒の周りに、小さな丸い円が現れた。丸い円からは、冷たい風がびゅーと飛び出た。棒がジュウと音を立てて冷たくなる。熱くなりすぎたら、冷ましてくれるんだ。
「おい、やめろ。やめるんだ!」
「やめませぇん!!」
「先にお前の炎が尽きる。無駄だ。炎が尽きたら、私がお前を殺すぞ!!」
「あははは、やってみてくださぁい!」
ボクの炎がなくなるか、指揮官さんがパカと割れるか。
どっちが先か、競争だ!
「そ、そうだ!」指揮官さんはだんだん焦ってきたみたいだ。「お、お前ほどの魔術師なら、私の部下にしてやってもいい! 今なんかより、よっぽどいい生活ができ……」
「フレイムウィザード」
ボクは指揮官さんの言葉を遮った。
それよりも、ちょっと気になっていた事があったからだ。
「……は?」
「フレイムウィザードって、炎を支配する人が名乗れるんですか?」
フレイムウィザード、炎を支配する人。
「名乗ってみたいんですよねぇ」
指揮官さんは、こんなにたくさんの怪物を従えている。
それは、たぶん、指揮官さんがすごい人だからだ。
「そ、そうだ! お、お前さえよければ、私が口添えしてやる!! ラッツェル様もお認めになるだろう!! お前は、フレイムウィザードを名乗れる!!」
ボクは考えた。
ボクがこれから、たくさんの人に好かれて、たくさんの人を従えるためには……指揮官さんみたいにすごい人にならないとダメなんだ。
だから……ボクもフレイムウィザードを名乗ろう。すごい人になろう。
すごい人になって、たくさん愛されよう。
たくさん、好きって言ってもらおう。
「つまり名乗るためには……指揮官さんよりボクのほうが炎を支配してるってことを、証明すればいいってことなんですよね? あってますよね? つまり、指揮官さんを倒せばいいってことですよね?」
つまり……ボクがフレイムウィザードを名乗るためには。
つまり……ボクが愛されるためには。
この人を焼き殺せばいいんだ。
「そうしたら、ボクがフレイムウィザードってことになりますよねぇえ!?!?!!」
「私の話を聞いていたのか!?!?」
火力をあげる!もっともっと上げる!
棒の周りに、たくさんの丸いものが浮き出た。一個、二個、三個。全部から冷たい風が噴き出る。ジュウという音がなって、すこし冷たくなる。でもまた熱くなる。繰り返し。
「お、お前たち!! その女を殺せ! 早く! 囲め!!!」
音が静かになる。
周りがひどくゆっくりに見える。
お腹の底からせりあがってきていたドロドロに、チャカと火が付いた気がした。
町の人の事。
叔父さんの事。
町長の事。
そして、ギタンの事。
全部まとめて、ドロドロにして、よせてあつめて火をつける。
過去も想いも何もかも、全部燃やして灰にする。
「あっがれえええええ!!!!」
火力を上げる!もっと上げる!もっともっと上げる!
燃やせ、全部焼け!!
これがボクの生きざまだぁあ!!!
「燃えろおおおおおお!!!」
「やめろおおおおおお!!!!!」
パカッ。
そんな音が聞こえてきた気がする。
気が付けば、指揮官さんはボクの炎に焼かれていた。
もだえる暇もなく、すぐに燃え尽きていた。最後に何か言っていたのかな?燃えちゃったからわからない。
「グリンゲルヒッド様が……やられた……」「嘘だろ……」「おい、に、にげ」
ボクの周りに集まってきていた怪物達も、じりじりとボクから離れていく。
炎を向ける。
背中から、燃えるスライムをたくさん出す。
「みなさん!! ボクはこの人を倒しました!! だから!!」
そして逃げ出す怪物を、全部焼く。
たくさんの絶叫と悪臭の中、ボクは大きな声で叫んだ。
「ボクが炎の支配者、フレイムウィザードだぁぁぁ!!!」
****
凄惨な現場だとしか言いようがない。
魔族も人間も関係なく、全てが焼け焦げている。まだ燃えている火もある。
「状況確認」
俺は仲間の騎士達に命令を下した。
早馬の伝令を受けて、出来る限りはやく行動したつもりだったが、やはり遅かった。まさか、こんな僻地を魔族が襲うとは思わなかった。
「魔族が魔鉱石を狙うとは。認識を改める必要があるな」
死体を一体一体確認していく。魔族……ほとんどがゴブリンのものだが、中にはハイゴブリンの物もあった。訓練を積んだ騎士でも、多少てこずる相手だ。
傍には焼けていない少年の死体がある。首がない。斬られてしまったのだろう。
「すまないな」
手を合わせる。
「しかし異常だな」
「そうですね。魔族は異常だ。信じられない」
俺の隣をつき歩く、若い騎士見習いがそう言った。
「そうじゃない」
異常なのはそこじゃない。
この僻地の町には、駐留する騎士はいなかったはずだ。精々自警団があったか、狩人が数名いた程度であろう。戦力はほぼないに等しい。
対して魔族の数はとんでもない。俺が引き連れてきた騎士達を合わせたとしても、狩りきることができるか怪しいほどに。
「どうやって魔族を撃退した?」
町の中央であろう、噴水のある広場までやってきた。噴水といっても、水は噴き出していない。枯れている。魔鉱石が切れたのか。
そこに、ひと際焼け焦げた死体があった。
懐を探る。
「魔族紋。しかも上級魔族の物か。状況が全く読めない」
「団長!」
騎士が一人駆け寄ってくる。
「生存者です!」
その傍らには、赤い髪の少女がいた。
美しい容姿だった。この悲惨な荒地に、一輪だけ花が咲いているのかと思った。
少女はよれよれと歩いて、こちらにやってくる。背中に不思議な箱を背負っていて、手には謎の棒を持っている。魔道具か?
「大丈夫か?」騎士見習いに毛布を持ってこさせて、肩からかける。「何があった?」
俺の問に、少女は口を数度震わせた。その後、ゆっくりとだが、言葉を発した。
「ぜんぶ燃やせましたぁ」
「何?」
「綺麗でしょう。綺麗に全部燃えたんです」
「君が……これをやったのか?」
その質問に、少女は答えなかった。
かわりに、驚くほど美しい笑顔が返ってきた。
……そんなことが、ありうるのか。
「丁重に連れて帰れ。事情聴取だ」
俺は騎士見習いにそう指示すると、もう一度少女に向き直った。
「すまない、名前だけ教えてくれないか」
少女は、俺を見て、にこりと笑いながら、言った。
「フレイムウィザードですっ!!」
意味がわからなかった。