第八話:婚約者はあの方と再会する(ヘラテナ視点)
キッドル家に来てから七十三日目。短期留学をされていたあの方が明日、帰国されます。イリス第二王女殿下。エレメ次期公爵様と幼馴染で幼い頃から相思相愛の間柄では有るものの、第一王女殿下が他国との繋がりのために政略的な婚約を結ばれたように、イリス第二王女殿下も政略的な婚約を他国の王族と結ばれる可能性があるために、公式な婚約が出来ないのだそうです。わたくしがイリス第二王女殿下からこのお話を伺ったのは、イリス第二王女殿下が短期で留学をされる事が決まった時でした。
普段は、学園に在中する侍女と同じように紅茶を淹れろ、とか、ランチ時にはAランチを持って来なさい、とか、気に入らないことが有るとわたくしの物を壊すことで不機嫌を解消する、とか。或いは珍しい品が手に入ればその自慢話を延々とする、とか、新作のドレスの自慢話をする、とか。そういったことだけしか呼ばれないので、その日もそんな感じだと思っていました。
尚、そういったことに対するモヤモヤを一人になれる場所を見つけて「イライラする! わたくしは、あなたの何をしても良いオモチャじゃないんですよー!」 と叫ぶことで解消しつつ、日々を過ごしていますが。
あの日、珍しく真剣な表情をしたと思ったら。
「まさか、エレメ次期公爵様と幼い頃から相思相愛だったというのに、国王陛下がお認めされず、未だに婚約が出来ないために密かに愛を育み合う……なんて、イリス第二王女殿下にも可愛らしいお話が有るとは思ってもみなかったですねぇ。まぁ、あの方から言われたらされたりして来た理不尽なことは、忘れられませんが。それでも秘密の恋愛を応援くらいはしたいとは思います。別にいい人ぶるつもりは無いですが、そこまで心の狭い人間にはなりたくないですもの」
それに、イリス第二王女殿下には色々思うところもありますが、エレメ次期公爵様は偶に会うとわたくしを気遣って下さいます。こんなお優しいエレメ次期公爵様がお望みになったイリス第二王女殿下です。きっと、わたくしには解らないイリス第二王女殿下の良いところがあるのでしょう。エレメ次期公爵様の恋を応援することは、全く苦にはならないですし、お優しい方なので、ぜひ、恋が成就して欲しいと思います。
「女神様……。エレメ次期公爵様とイリス第二王女殿下の恋が成就しますよう、わたくし陰ながら応援すると共に、お祈りしますね。どうかこの祈りが女神様に届きますように」
明日帰国されるイリス第二王女殿下。おそらく帰国されるといっても朝早く、ということは無いでしょうから、ご帰国の報告やら何やらで明日は終わるでしょうし、わたくしがイリス第二王女殿下にお会いするのは明後日以降のことでしょう。
「それにしても困りました。イリス第二王女殿下から命じられたのは、エレメ次期公爵様に婚約者が出来ないように、仮初の婚約者になること。エレメ次期公爵様に極力関わらないこと。エレメ次期公爵様に嫌われること。そしてイリス第二王女殿下がご帰国されるまでに婚約破棄されていること、でした。わたくし、まだ婚約破棄されていないのです。もちろん国王陛下の命、つまり王命ですからそれに叛くわけにはいかないのですが。でもエレメ次期公爵様はイリス第二王女殿下と相思相愛との事なので、早々に婚約を解消してもらうよう陛下にお願いされると思ったのですが……。生粋の貴族令嬢ではないわたくしには、相思相愛といえども、やはり王命を違えるわけにはいかない、と陛下にお願いしないエレメ次期公爵様の苦悩は解りませんが。やはり王命とはそれだけ重たいものなのでしょうか。平民は、国王陛下や王族など雲の上の存在ですし。王命なんて出されませんし。王命の重さがよく分からないのですよね。……でも王命に逆らったら謀叛だと勉強しました。処刑されても仕方ないのだそうです。となると、命を取られてしまったらイリス第二王女殿下と添い遂げることは出来ませんよね……。そうなると、王命を守るのは当然。でも、そうしたらイリス第二王女殿下のことはどうされるのでしょうか」
ううむ。
でも、わたくしが考えても仕方がないことですよね。
「仕方ない。きっと、イリス第二王女殿下から、お声が掛かるでしょうから、正直に婚約破棄はされていない、とお話するしか有りませんね」
わたくしは溜め息をついて、考えるのをやめました。途端に眠くなります。わたくし、元々睡眠が一番大好きな人間です。おまけに貴族になってから布団はフカフカで気持ち良く眠れるので、秒で寝ます。おやすみなさい。
***
さて。イリス第二王女殿下が本日ご帰国されました。
そして何故か、学園の学園長室に呼び出されております、わたくしヘラテナです。学園長室にお呼び出し。嫌な予感がしてました。だってこのタイミングです。
こう言ってはなんですが、学園の成績は入学当初からずっと上位二十番以内で、わたくしを養女として迎えて下さった義家族からは頑張って勉強したね、優秀だ、と褒めて頂いております。ですから成績に関してお呼び出しでは有りません。素行不良などと義家族とモンバル侯爵・ユーズ家の顔に泥を塗るような行いもしていません。
考えられるのは、本日帰国されたイリス第二王女殿下が速攻で学園に来てわたくしを呼んでいる、という可能性です。……いや、でもまさかそんな。本日ご帰国されたのですから帰国の挨拶に始まり、留学先の国の様子や留学中のご報告が色々あるんじゃないですか?
前世・日本人の記憶では、学校ならば親や教師、会社勤めなら上司にそういった報告をするって当たり前のはずなのですが、貴族は違うんですか。それとも王女という地位だから報告は誰かにやらせて自分はやらない、とかそんな横暴な感じなんですか。
……なんて考えながら学園長室に入室。
学園長が不在の室内に一人の女性。その後ろ姿で分かります。やっぱりイリス第二王女殿下でした。……あー、胃が痛くなってきそうです。
「ちょっと遅いじゃない! このわたくしが呼んでやっているのだからさっさと来なさいっ」
あー、短期とはいえ留学されたので、少しは世間に揉まれて性格が丸くなる事を期待したんですけど。秒で粉々に打ち砕かれましたね……。
わたくし、一つ溜め息を吐いてイリス第二王女殿下の横に立ちました。
「何を立っているの! わたくしを見下ろすなんて、少し見ないうちに随分と傲慢になったわね! わたくしが座っているからには、あんたは跪いて頭を垂れなさいよっ」
やっぱり、性格は少しの留学では変わらないようです。こんなイリス第二王女殿下にも、エレメ次期公爵様にとっては良いところのある相思相愛の恋人。きっと、わたくしが知らないだけで、エレメ次期公爵様が愛するに相応しい何かがあるのでしょう。……見た目とか、地位とか、富とか、権力とか、そういうところ以外の何かが。寧ろそういうところが良いところだと思って、愛しているのだとしたら、エレメ次期公爵様は、お優しいし、成績も優秀だし、使用人達からも慕われているし、学園内での評判も良いし、体格から見るに文武両道な完璧な方ですが、女性を見る目だけが最悪なのかもしれない、とわたくしの認識を変えざるを得ません。
……違い、ます、よね?
それとも、女性はそういうものだ、と思われているのでしょうか。そうだとしたら、女性に対して偏見があるか、女性をアクセサリーかペットのように思っていらっしゃるのかもしれません。そうだったら軽蔑します。一人の人間として対等に扱う気はない、とか、そんなお方でしたら認識を変えましょう。
いえ、先走るのは良くない。
イリス第二王女殿下の良いところをエレメ次期公爵様はご存知だと思うことにしましょう。
そう思いながら、跪き、頭を下げてイリス第二王女殿下の横に。満足そうに「それでいいのよ」 という声が頭上から降ってきて、「それで」 と仰いました。
「それで、とは」
さすがにそれだけでは解らないので、頭を上げる許可が出ないので下げたまま尋ねました。イリス第二王女殿下の機嫌を損ねてわたくしに八つ当たりとか手を上げるくらいならばともかく、モンバル侯爵・ユーズ家……義家族に、仕える使用人達や領民達に何かあったら……と思うと、逆らえないのです。
「頭悪いわねぇ! ゼウデスと婚約破棄をしたのかってことよ! ちゃんと嫌われたんでしょうね!」
「嫌われる努力はしました。婚約は王命ですので破棄はしていません。されておりません」
「なんですって⁉︎ 役立たず! なんでわたくしが帰国するまでに破棄をしていないのよ!」
「ですが、エレメ次期公爵様が婚約破棄を宣言されたら、謀叛を疑われてしまいます!」
「はぁ⁉︎ なんで、ゼウデスから婚約破棄をさせるのよ! あんたが! ゼウデスに突き付けるの! で、あんたは、王命に逆らったから謀叛人として処刑!」
「わ、わたくしはともかく! 謀叛人を出したとして、モンバル侯爵・ユーズ家が陛下に咎め立てされてしまいますっ!」
わたくしは、さすがにそれは看過出来ない、と声を荒げて抗議します。
チッと舌打ちをされたイリス第二王女殿下。
「じゃあモンバル侯爵一家には罪が無いようにお父様にお願いしてあげるから、さっさとアンタから婚約破棄を告げなさい!」
わたくしは「畏まりました」 と頷きました。義家族一家や他の者達に罪が無い、ということが判れば、わたくし自身には婚約破棄を突き付けることも、謀叛人とされることも、全然構いません。処刑はされたくないですが、義家族や他の皆達への恩はこれで返せそうです。
後は死を回避出来れば問題ないです。まだ死にたくないので。死を回避することについては……取り敢えず後回しにしましょう。さて、では、婚約破棄をお願いしてみましょうか。
お読み頂きまして、ありがとうございました。
次話は視点変わります。ヘラテナ曰くの女神様(笑)視点です。