第七話:婚約者が命令されたのは嫌われること(ヘラテナ視点)
「はぁ……。なんて言いますか……。考えてみたら、わたくしは悪口の語彙が貧困なんですよねぇ。それなのにあの方はわたくしにエレメ次期公爵様に嫌われるように、などと命じられました……。人に嫌われることと言えば、相手の悪口を言う、とか。相手の嫌なことをする、とか。ですかねぇ。悪口はこの前言いましたが、他に悪口って何かありますかね。エレメ次期公爵様って、抑々人から悪口を言われるような隙が無い人ですから。的確な悪口にならないなら悪口を言っても、嫌われないような気がするんですよね。女神様のお声も最近聞けておりませんし……。わたくしはどうしたらいいのか……。はっ! そうか! わたくしが人の悪口を言うような悪い人だから、女神様は現れないわけですね! という事は、わたくしは順調にエレメ次期公爵様から嫌われている、という事でしょうかっ」
いえ、待ってください。
女神様が現れないことは取り敢えず置いといて。抑々わたくし、次期公爵夫人になるための勉強と社交以外、本邸には行かないんですよね。後はわたくし別邸に居るか、別々の馬車で学園に向かうか、貴族街や平民街を歩くくらいですから、滅多にエレメ次期公爵様にお会いしていません。……本当に順調に嫌われているんでしょうか?
でも、仮に同じ馬車で学園の行き帰りなど、わたくしは無理ですわ。だってイリス第二王女殿下から呉々も二人きりになどなるな、と命じられていますから。馬車なんて侍女や護衛が居ても、生粋の貴族から見ると使用人は「存在しないもの」 と考えるらしいから二人きりになってしまいます。
そうすると、イリス第二王女殿下からお叱りを受けてしまいます。お叱りなら良いですが、イリス第二王女殿下からは、モンバル侯爵家を潰す材料にもなる……などと言われて義家族の命を取られてしまったら困ります。国王陛下がそのような事をされるとは思えませんが、イリス第二王女殿下に甘い、とイリス第二王女殿下ご本人が仰っていましたから……分かりません。万が一の事を考えると、イリス第二王女殿下に逆らわない方がいいはずです。
「それにしても……貴族の世界は本当に理解出来ません……」
学園在学中に婚約者が出来る、というのも前世の記憶を持つ身としても、遠い世界の出来事にしか思えないですし、生粋の貴族でも無いから余計にそう思います。
「はぁ……婚約がダメになった時の事を考えないのでしょうか……。こんな在学中から次期公爵夫人教育を勉強するなんて。いえ、勉強が多岐に渡る上に他国の言語やらマナーやら教養やら会話術やら……と覚える事の多さを考えれば、在学中から勉強するのは納得しますけど。でも、なんで相手方の家で暮らしながら勉強するのかしら。周囲から婚約者同士でも一つ屋根の下なんて、不埒だとか思われそうなのに……」
溜め息を吐いたわたくしは、ハッと思い出しました。
「ユーズのお義姉様は、ご婚約者様のお家に通われて勉強していました。という事は、別にわたくしもキッドル家で暮らす事なく通えば良いのではないのでしょうか。えっ。でも、エレメ次期公爵様の意向で、わたくしはキッドル家の別邸に住まわせて頂いておりますよね。……何故でしょう」
お義姉様とわたくしの違いは、何?
「あなたは勉強時間が少ないのです」
考え込むわたくしの耳に、久しぶりに女神様のお声が聞こえて来ました。エレメ公爵・キッドル家に来て本日で四十七日目。二十五日目に女神様のお声を聞いて以来ですので、久しぶりです。
「女神様⁉︎」
わたくしはキョロキョロと上下左右を見回しましたが、やはりお姿は見えません。それはそうか。神様ですもんね、と少々しょんぼりしながらも、先程の女神様のお言葉を思い出します。
「わたくしは勉強時間が少ない……。そうか。きっとお義姉様はご婚約が調った時から次期侯爵夫人の勉強を始められたのですね。お義姉様のお相手の方も侯爵家の方。ご婚約が調ったのはお義姉様が八歳の時でしたか。爵位が同じでも他家のことを勉強するのはそれなりに大変なのでしょう。でも、八歳から勉強を始めたのでしたら、月に一度通うと考えてもそれなりの勉強時間が取れますものね。そう考えると確かにわたくしは、キッドル家に来て、エレメ次期公爵夫人教育を毎日受けなくては足りません。毎日通う手間を考えれば、確かに一つ屋根の下で暮らしながら勉強する方が、時間が効率良く使えます。時間は有限ですものね。成る程。女神様の御神託はさすがです。ありがとうございます、女神様」
わたくしは疑問が解消されて心が軽くなりました。
「いえ、そうでは有りませんでした……。わたくし、だから、学園でもエレメ次期公爵様と極力関わらないようにしていますし、本邸にもなるべく赴かないようにしていますし。これでエレメ次期公爵様に、どうやって嫌われればいいのでしょう……。エレメ次期公爵様が嫌がることなんて知りません。世間の方々が嫌がるようなことをすると言っても、どんなことが嫌がることなのか、貴族の世界は解りませんし……。夫人教育を受けて気付きましたが、足元を掬われるような隙は見せてはいけないそうですから、エレメ次期公爵様はあのように隙のないお方なわけで。そんな方の嫌がることなんて、想像も出来ません。女神様、わたくしは、どうしたらエレメ次期公爵様に嫌われるのでしょうか……」
エレメ次期公爵様が大切にされている物を盗むとか? でも、罪を犯すようなことをして、義家族に迷惑を掛けることはしたくない。大体、エレメ次期公爵様と交流しませんから、何を大切にされているかも知りませんし。
「はぁ……。イリス第二王女殿下は、エレメ次期公爵様と極力関わらないように、ひっそりとしているように命じられました。それでイリス第二王女殿下が留学先から帰るまで、エレメ次期公爵様にお相手が出来ないように婚約者になれ、と命じられました。その上で、イリス第二王女殿下が帰られるまでに、エレメ次期公爵様に嫌われて、婚約を破棄されておきなさい、と命じられましたが……極力関わらないようにしながら、嫌われておくように命じられても。元は平民のわたくしに、そんな器用なことなんて出来ません。関わらないようにしながら嫌われるようにするって……貴族の世界は、そんな難しいことも出来てしまうのでしょうか……」
女神様に祈りを捧げながら、わたくしはイリス第二王女殿下からの命令をどうやって遂行すれば良いのか、今日も頭を悩ませるのです。
エレメ次期公爵様……。
「もう、明日にでもわたくしに、嫌いになったから婚約破棄だ! とか仰ってくれませんかね……。いえ、無理でしょうね。この婚約は王命でした。臣下が王命に叛くなんて謀叛を疑われてしまいます。エレメ次期公爵様に、そのような疑いをかけられるわけにはいきません。いっそのこと、イリス第二王女殿下と婚約したいから、婚約を解消するように働きかけて下さらないかしら……」
だって、イリス第二王女殿下とエレメ次期公爵様って相思相愛なのでしょう? 婚約が調っていないのは、政治的背景が有るとかなんとか、イリス第二王女殿下が仰っておりましたものね。国王陛下、相思相愛のお二人の仲を裂くようなことをしないで、スムーズにご婚約を調えてくださいませ。
お読み頂きまして、ありがとうございました。