第三話:必死に嫌われるよう頑張る婚約者(ヘラテナ視点)
公爵家別邸に住まわせてもらってから本日で二十五日目。相変わらず本邸には夫人教育以外赴いていません。もちろん使用人さん達に挨拶はしませんし、なんだったらツンとして目も合わせません。二十五日の間にゼウデス様にお会いしたのは、初日と八日目と十七日目と二十二日目でした。相変わらず、穏やかな方でツンツンしているわたくしを呼び止めて優しく気遣って下さいます。本当に良い方です。
初日は当然ながらわたくしが公爵家に参った日でした。別邸へ引っ込みます、と暴言付きで宣言した時ですね。八日目は少し慣れただろうから晩餐を、というお誘いでした。素気無く断ったわたくしを悄気た表情で引き下がられました。申し訳ないとは思いました。危うく子犬のように撫でて慰めてしまう寸前だったのを堪えて別邸に引き返しました。十七日目は仕事に出かける所だったゼウデス様と散歩していたら出会してしまいまして。しまった! あまり顔を合わせないようにしていたのに! と焦りながらも「行ってきます」 と仰るゼウデス様をフン、と顔を背けて退けました。その背中が寂しそうで思わず手を添えて励ましてしまいそうになって、慌てて別邸に戻りました。二十二日目は別邸へ足を運んで下さいまして、仕事が立て込んで王城へ泊まり込む事と夫人教育が順調だと報告を聞いて嬉しく思う、と伝えて下さいました。本当になんて優しいお方でしょうか。わたくしは「そうですか」 とだけ返答しましたが、疲労の溜まった目の下の隈に指でなぞって労わりたくなりましたが、我に返って踵を返しました。
本当に、こんなわたくしにどこまでもお優しいお方です。
「本当に、いつまでこんな事をしていなくてはならないのでしょうか……」
まだ公爵家に来て二十五日だと分かっておりますが、もう辛くて辛くて。
「こんな事、とは」
「ですから、お優しいエレメ次期公爵様へキツイ態度を取り続ける事ですわ! いくら命令でも、とても辛くて……って、あら?」
今、わたくし一人のはずの別邸で、何方かの声が聞こえてお応えしてしまった気がするのですが。お声からすると女性でした。キョロキョロと周囲を見回しますが、何方もおられません。恐る恐るドアを開けて部屋の外を見回しましたが、やはり何方もおられません。
「えっ。わたくしの独り言にお返事が有った気がしましたが、気のせい? ……はっ、もしや。神様、でしょうか?」
そうです。前世の事は忘れてしまいがちですが、わたくしは神社で生まれ育った家柄です。世界が変わりましたが、此方でも神様は信仰の対象です。ただ神社ではなく教会ですが。尚、考え方は多神教。三柱の神様が世界を作ったという神話が有ります。……前世の影響で神話は好きなんですよね。どの神様の話も面白いです。いえ、今はそんな場合ではなかったですね。
「神様。わたくしの独り言が神様の耳に届いたのでしたら、お耳汚しを申し訳なく思います。ですが、暫し、わたくしの独り言にお付き合い頂けますでしょうか」
少し耳を澄ませましたが、今度は何も聞こえません。という事は、実は空耳でしたかしら。いえ、空耳でも構いません。神様が居るという信仰のある世界です。わたくしもこの世界の神様に聞いてもらうように語りかけましょう。三柱のうちの一柱は女神様ですから、きっとその方なのだと思う事に致します。
「神様。わたくしは、とある方の命により、エレメ次期公爵であられるゼウデス・キッドル様と婚約に至りました。表向きは国王陛下御自らの命という事ですが、違うことをわたくしは存じております。ですが、それは内密にせねばならぬ事ですので、次期公爵様始め、公爵家の使用人さん達にも誰にも言えません。神様の事ですからわたくしに命じたとある方は、既にもうご存知でしょう。わたくしが命じられた内容もご存知のはず。その命を受けねばならない理由もご存知でしょうが……辛いのです。エレメ次期公爵様は、こんなにキツイ態度を貫くわたくしに、あんなにも心を砕いて優しい。至らぬわたくし、と見限って下されば未だ良いのに。縁有って婚約したのだから……と労って下さる。とても、とても良い方で、わたくしはもう命じられたとはいえ、斯様にキツイ態度を取らねばならぬ事が辛いのです」
大きく溜め息を吐き出したわたくし。
解っています。解っているのです。わたくしがこんなにも心弱い存在だからエレメ次期公爵様にあの様な態度を取り続ける事が辛いのだ、と。
強い心の持ち主でしたら、エレメ次期公爵様にあの様な態度を取り続けても辛くないのでしょうか。
「神様……、わたくしの心が強ければ、エレメ次期公爵様にあの様な態度を取っても辛いと思わなくて済むのでしょうか……」
「その様な態度を取らなければ宜しいでしょう」
「そんなっ……。女神様もご存知の通りっ……あら? 声が? 随分と近くから聞こえて? という事は、やはり女神様なのでございますね⁉︎ 女神様っ! ご存知の通り、わたくしは只人の身ゆえに、あの方の命には逆らえませんっ。逆らってしまったら……わたくしを育てて下さった義家族がどのような目に遭うことか。……そうです。わたくしは、育てて下さった義家族への恩が有りました。すみませんでした、女神様。わたくしの弱い心を打ち明けるなどという女神様にとっては、取るに足らないことにお耳汚しを……。ですが、さすがは女神様。哀れな人間への慈しみの心でわたくしの話にお耳を傾けて下さったわけですね。その慈悲深さに感謝申し上げ、わたくし、初心通り、あの方の命を全うして、見事、エレメ次期公爵様に嫌われてみせますわっ! 女神様、ありがとう存じます」
わたくしは深い深い感謝の念を込めて、哀れな人間のために耳を傾けて下さった女神様に頭を下げて祈りました。
お読み頂きまして、ありがとうございました。
次話は視点が変わります。