求めた理由
酷くなり続ける頭痛にとうとう耐えられなくなって、その場に倒れ込んだ。
いったい自分の身に何があったのか、思い出したいのにまるで身体の方が思い出すことを拒否しているように感じられた。
ぼやける視界の中で、黄金色をした何かが近付いてきた。
それは顔のすぐ前にまでやってきて、唐突に額のあたりに生暖かくしっとりとした感触があった。
顔を舐められたと気がつくと同時に、少しだけ頭の内側から響いてくるような痛みが引いたのを感じる。
ぼやけた視界もいくらか明瞭になり、顔を舐めていたのが先程まで足元にすり寄ってきていた子狐だと気付く。
「お前が私を助けてくれたのか……?」
子狐は何も答えない。
ただ、もう一度額を舐めてきた。
頭痛が少しずつ引いていく。
楽になってきたから起き上がると、景色は元の綺麗な湖と森に戻っていた。
しかし、エレオノーラの姿が無い。
「エレオノーラ……?」
いったい何処に行ってしまったのか。
脱いでいた靴も無くなってしまっている。
先に屋敷へと1人で戻ったのだろうかと歩き出そうとして、踏み出そうとした足を邪魔するものが居た。
先程助けてくれた子狐だ。
綺麗な黄金色の毛皮が風に吹かれて小麦畑のように揺れている。
「なんだお前。どうしたんだ」
子狐はこちらの顔を見上げると甲高い声で鋭く鳴き、森の奥の方へと向かって歩き始めた。ぼんやりとその後ろ姿を眺めていると、まるで「ついて来い」とでも言っているかのようにこちらを振り返りまた鳴き声をあげる。
まさか自分のおかしな思い込みだろうとまた屋敷の方へ歩いていこうとすれば、背後からまた子狐が鳴く声がした。
振り返れば、犬のように行儀よく座り込んだ子狐がじっとこちらを見つめている。
「……エレオノーラがどこに行ったのか知っているのか?」
流石にもう偶然とは言っていられない。
踵を返して、子狐についていく事にする。
子狐はこちらがついてきたのを確認すると、まるで目的地までの道を全て理解しているかのように、すいすいと木々の間を抜けて歩いていく。
なんとなく、頭痛で倒れる前よりも森の木々がほんの少しだけ大きくなっているように感じた。
しばらく森を歩き続け、唐突に開けた場所に出る。
差し込んだ木漏れ日に照らされて、その地面に長方形の平たい石が安置されているのが見えた。
子狐はその石の隣まで歩くと、こちらを向いて座り込んでじっと顔へと視線を向けてくる。
「エレオノーラは……?」
なぜだか胸騒ぎがした。
これ以上先に行きたくないのに、足は勝手に先へと進んでいく。
ふと気付けば、胸元で赤い宝石が揺れていた。
石の表面を覗き込む。
明らかに人工物らしいそれは既に古ぼけた様子があり、周囲には色とりどりの野花が咲き誇っている。
雑草に埋もれていないのは、ここまでろくに道もないのにこれの手入れをしている何者かが居るからだろう。
石に刻まれている文字を、指でそっとなぞった。
「……エレオ、ノーラ」
森の奥深くで彼女は永い眠りについていた。
同時に全てを思い出す。なぜ自分が賢者の石を求めたのか。その果てに、自分がどうなったのか。
◆◆◆◆
青空のもと、地平線まで続く鏡のごとき水面の上で、2頭の龍が向かい合っている。
1頭は玉虫色の鱗とオーロラのように輝く翼を持つ龍。
もう1頭は二つの頭に漆黒の鱗と燃えるような緋色の翼を持つ龍。
「「懐かしい感覚だ。久しく、覚えていなかった」」
双頭の龍がふと、蒼い空を見上げて言う。
遥か彼方の空の先、螺旋を描きながら何処かへと流れてゆく萌葱色の光が見える。
「「これでやっと、終いだな。カジム」」
ここには居ない森人族の男の名を呟き、双頭の龍は静かに目を瞑った。
あれが先代の龍神かと、理解する。
朽ち果てた骸からは想像もできない勇壮たる姿。
「操り人形にされた上に死体すら利用されて、彼を憐れむのか?」
「「私もヒトだ。恨む気持ちもあるが、境遇を思えば同情もする」」
結局は彼もまた、カジムの究極召喚によって地球から呼び寄せられたただの人間に過ぎない。
身の丈に合わない肉体を与えられ、神として振る舞う事を強要された。
「「既に失われていた命だ。龍として生きた記憶も、ほとんど無い。自分が何をしていたのかも。ただ彼の記憶をずっと追い続けていた」」
「僕は……違う。失われた命であっても、確かにこの世界に生を受けて、自分の意志でずっと生きてきた」
自分は、彼等とは違う。
賢者マギが言う通りなら、自分の魂がこの世界に引き寄せられたのも必然だったのだろう。
だが、己の振る舞いを誰かに強要されることもなく、戦うために力を求めたのもまた自分の意思だ。
「それで、ここに僕を呼んだ理由は?」
「「見えるか? 空のずっと向こう側、萌葱色の螺旋。魂が還る場所だ。死した魂は無へと還り、また命となって現世に産まれ落ちる。自分の存在とカジムの憎悪がそれを歪めてしまった。それを元に戻したい」」
「僕に手伝え、と」
「「龍脈の侵食を振り払った君ならば出来るだろう。あれに抵抗できるものは、同格か、より高位の神くらいのものだ。まず、まともな生物ではない」」
魂の輪廻がカジムによって破壊されてしまったことは、賢者マギから既に聞いているし、戻れなくなった魂達の姿も見てきた。
もしやと思い足元をみやれば、鏡のような水面の向こう側に数多の蠢く影が見える。人間だけではない。全て、龍脈の力に触れてその生命を落とした者ばかりだ。
ただ、その中に1つだけ異様な姿をしたものが見えた。
シルエットからして確かに人であるはずなのだが、その身体には黒い液体が触手を伸ばしては絡みつき、蠢く影の更に深くへと少しずつ引きずり込んでいっている。
「カジム……」
「「手遅れだ」」
先代の龍神は冷たく言い放つ。
「「自業自得だ。呪いはいずれその身に帰って来る。あれはもう永遠に魂の輪廻へと還る事は無い。再び産まれる事も無いから、来世で愛した者と結ばれるようなことも無い。可能性の芽を、自分で摘んだのだ」」
だから、憐れみもするだろうと、双頭の龍は言う。
カジムは暗闇の中でも未だ必死に抵抗をしていたようだったが、やがてその姿は蠢く影達の中に飲み込まれて消えていった。
「「さて、本題だ。力の使い方について、大方の予想はついているのではないか?」」
力の使い方と言われても、世界の理に触れる方法など自分は知らない。おそらくは神々の力の事だろうが。
勇者の力で仲間を守り、龍神の力でカジムから賢者の石を奪い取った。ホムンクルスの力は意識出来た事もないが、この魂は本来賢者マギのものとなるはずだったらしい。
つまり、究極召喚の神々の力を3つ自分は得ていると言うことになる。四柱の内の、三柱。
残る1つ、聖獣の力。
それを手に入れる方法も、この手の中にあった。
「元々、カジム相手の切り札に使う予定だった。結局は龍神の力を使うことになったが」
ニニィから貰ったブローチが輝き、その中からもう一つのブローチが現れる。
そうなる事を願った者を、聖獣へと変貌させるマギステアの宝具。
「「死せる賢者マギは、遥か未来での戦いに備え、聖女イリスの持つ力を分けてそれに封じ込めさせた。彼女は龍脈の魔力にあてられて聖獣へと変貌したのではない。広がり続ける龍脈をマギステアの大地に縛り付け、被害を最小限に留めるために聖獣へと変化してその生命を燃やし尽くした」」
「また龍脈か……本当に何も抵抗出来なかったのか? 神の力があったはずなのに」
「「お前の妹は、抵抗出来たのか?」」
「……そうだったな。連れてこられたばかりでアレをやられてはどうしようもない」
「「あれも奇妙なものだな。私達とは違う。無理矢理に呼び出されたものだからか、人間の魂が入っていない」」
手のひらにブローチを乗せる。
何かを願うまでもなく、ブローチは砂のように崩れて金色の粒子となり、身体へと吸い込まれていった。
それと同時に体表には牙のような形をした痣が現れる。聖獣の力を手にした証だ。
全ての力が揃ったとたん、まるで最初から知っていたかのようにどう力を使えば良いのか、自分が今何をするべきなのか知識が湧き上がってくる。
「傷付いた世界を癒そう」
蒼空を見上げて真っ直ぐと飛び上がっていく。
翼を動かさずとも、身体は自由に宙を駆ける。
萌葱色の螺旋へと伸びていくその軌跡が、また新たな萌葱色の光となって道を創り出していた。




