魂の還るところ
灯し火によって照らされた黒いドロドロの体内は、やはりヘズの巨大ゴーレムがベースになっているらしく、巨大な建造物の中に居るような空間になっていた。
宗教建築らしい意匠があちこちに確認できるのは、巨大ゴーレムがもとはマギスタリアの大聖堂だったからだろう。
ただ1つ異様だったのは、壁や柱などの至るところに生々しい肉や血管のようなものがスライムのように張り付き、ドクドクと気味悪く脈打っていたところだ。
「……カジムか」
彼の肉体を取り込んだ影響で、生物化していると言うことなのだろうか。何にせよ、不気味極まりない。
ふと、耳に響いてくるのは、低く唸るような何者かの声。
このドロドロがあげている鳴き声なのかと思ったが、どこからか聞こえてくるそれは、ドロドロの体内に居る何者かによる声のように感じられた。
「まさかまだ生きているのか?」
聖獣擬きの肉を纏った本体の彼を殺し、さらに賢者マギの力を失って老人の姿となった彼は先代の龍神の遺骸から溢れ出した黒い何かに飲み込まれ、とてもでは無いが生きているとは考えにくい。
ひとまず四つ足で、元は礼拝堂だったと考えられる長椅子の並んだ空間に降り立つ。
既に木製の長椅子はほとんどがめちゃくちゃに壊れていて、もとの美しさなど見る影もない。
何より嫌なのは、足の裏から伝わってくる床の感覚が妙に生暖かく、そして微かな揺れがまるで心臓の鼓動のように一定の間隔で発生している事だった。
体内に入り込んでから触手による攻撃はぱたりと止んだが、ここにあまり長居していたくはない。
「声のする方に行けば良いのか?」
初めて見る相手だ、弱点などわかるはずもない。
とにかく勘でこの黒いドロドロの急所を探す必要があった。
崩れた石壁をくぐり抜け、他の部屋へ。
唸るような声はまだ下の方から響いているように聞こえた。
破壊され、飲み込まれたヘズの巨大ゴーレムは、さすがに原型を留められては居なかったようで、先程の部屋を出るとあたりは脈動する肉の壁ばかりになった。
いくつか他の場所へと続きそうな道、正確には道と呼ぶべきではないのだろうが、先の見えない暗い穴が見えている。
その1つから、音は響いてきているようだった。
「こっちか」
炎の明かりを頼りに、穴へと入り込む。
仕方のないことだが、火が放つ程度の明かりでは照らせる範囲も小さく、少々心許なかった。
こんな事ならば、光属性の魔法もニニィに習っておくべきだったと少し後悔する。
ニニィの事も気がかりだ。
ヘズは彼女はもう死んだと断じていたが、賢者の石は未だ自分の手に収まることも、元の1つの石へと戻ることも無い。
この戦いが終われば、果たして彼女は息を吹き返すことが出来るのか。暗闇のせいか、今更になって不安が押し寄せ来る。
「(落ち着け。今は前の事だけに集中しろ)」
脈動する肉の壁に覆われた坂を通り抜け、また広い空間へと出る。
今度は見覚えのある場所だ。
ステンドグラスは上半分が砕けて戻らず、床に空いた大穴は塞がれる気配も無い。他の場所と同じようにあちらこちらが肉の壁に侵食されているが、確かにそこは、最初ヘズの巨大ゴーレムに突入した大広間で間違いなかった。
ただ、以前と大きく違っていたのは。
――ゥ゛アァ゛ァァァ……ア゛ァァァァ……
「死んでる……んだよな?」
天井から数え切れないほど伸ばされた幾つもの触手に繋がれて、心臓のような巨大な肉塊がぶら下がった状態でドクンドクンと脈動している。
その表面に、元はカジムだったのだろう森人族の老人が磔にされるような形で、肉塊と一体化していた。
肉の塊が脈動するたびに、カジムだった何かの口からうめき声が上がり、生ぬるい湿気と静寂に包まれた空間にこだましている。
「……フーッ」
右腕に龍脈の魔力を集中させて、前腕に纏わせるように結晶の剣を生成。脈動し続けている肉の塊へと静かに狙いを定める。
たぶん、これが弱点で間違いないという確信があった。
ただ1つ不安だったのは、弱点に到達されておいて何の抵抗も今のところ示してきて居ない事だ。
罠、という可能性も有る。
「(でも、やらないと)」
迷いを振り切り、たとえ罠であったとしても全力で迎え撃つと心に決めて飛び立った。
結晶剣の切っ先を肉の塊の中心にしっかりと定め、しっかりと腕を引いて拳を握り締める。
「シィッ!」
眼の前にまで迫った肉の塊めがけて、スピードと体重を乗せた全力の刺突を繰り出した。
輝く結晶剣は脈動する肉塊へといとも簡単に突き刺さり、その表面に張り付いていたカジムの身体も左右真っ二つに斬り裂く。
その瞬間に、うめき声も、肉の脈動も、すべての音が消え去った。
ほんの数秒間の、完全な静寂。
「――――あ」
手に伝わってきた振動から感じたのは、肉塊の中で流体が暴れ回っている様子。
まずいと感じたその瞬間には、もう遅かった。
肉塊は結晶剣が裂いた切り口から一気に破け、内側に溜まっていた漆黒の液体が滝のように溢れ出す。
避ける暇もない。
闇が全身を包み込んで、視界の全てを光一つない黒一色に塗りつぶしていく。
蒸発させてやろうと放った炎の魔法も、その闇に触れた瞬間に幻のように霧散してしまった。
まずい。このままでは、カジムのようにこの漆黒に侵食されてしまう。
床に開けられた大穴に落とされながら、どう対処すべきか必死に思考を巡らせる。
ふと脳裏をよぎったのは、龍神の遺骸に剣を突き立てている鎧姿の白骨死体。
究極召喚の神が一柱、勇者としてこの世界に連れてこられた父は、最期に龍神を大地に縛り付ける事で戦いを終わらせたのか。
「だったら……!」
勇者の力はこれにも通じていたはず。
結晶剣に浮かび上がった剣の形をした紋章が、霧を払うように暗闇の中で眩く輝いた。
その途端に、頭に誰かの意識が濁流のように流れ込んできて、視界は明滅する。
それでも意識を失わないように必死に耐えて、勇者の力を右腕に集中させ続ける。
どれくらいそうして漆黒による侵食に耐えていたのだろうか。
唐突にそれは訪れた。
「ッ!??」
目の前に、どこまでも澄み切った青空が広がっていた。




