ムジカ・カジム・ムジカ
「セシルぅ!」
「構わず突っ込んでください!」
テオを先にゆかせ、自分は龍脈から魔力を引き出して全力の魔力障壁で石の矢の雨を受け止める。
少しでも気を抜けば一瞬で防御が崩される、滅茶苦茶な物量のゴリ押しによる暴力。不死の身体を持つカジム相手でなければ、この攻撃だけで並みの相手は一瞬で血の霧となって消え失せるだろう。
自分が防御に専念している間にテオは持ち前の瞬間移動で相手の狙いを撹乱しながら接近、更にヘズの生成した魔力障壁の内側へと瞬間移動で潜り込んで後頭部を短刀で斬りつけた。
パッと僅かに鮮血と切れた指先が飛び散り、それでもなお次はテオに掴みかかろうとしたシワだらけの手は、テオの目にも止まらぬ速さの斬撃で細切れとなった。手が倒されると同時にヘズは膝から崩れ落ち、石の矢の雨も止まる。
「チッ……驚かせやがって。おい、起きろ!」
ひとまずここで何が起きたのか教えてくれなければ対応も出来ない。倒れたヘズの首根っこを掴んでテオは起き上がらせ、自分もそれに続いて駆け寄った。
滅びることのない作り物の身体だと言うのに、ひび割れた身体のあちこちが修復される様子が無い。
憔悴した様子のヘズはぐったりと目蓋を持ち上げ、視界の先に自分とテオが居ることを確認して口を開く。
「ヤツは、地下だ……ゴーレムの、内側。私が、封じ込めていた、もの。龍脈が、解き放たれる……」
それを聞いて思わず隣の彼と顔を見合わせる。
既に龍脈の力が起こす悲劇を目にしている。だが、あれでもまだほんの一瞬解き放たれただけだ。
それがもしも、時間の制限も場所の制限もなく解き放たれたとしたら……その被害は計り知れない。
「どうする、コイツもう使い物にならねえぞ」
「ヘズさんには……逃げてもらいましょう。まだやって貰わなければならない事が残っている。ヘズさん、カジムの狙いはもうイリスじゃないでしょう。彼女を、僕の妹を連れて外のヘカトンケイルと合流してください」
「わかった……すまない、後を頼む」
そう言って彼が指差すと、広間の中央に大きな穴が開き、そこから毒々しい色の瘴気が溢れ出した。
生理的な嫌悪感から眉間にシワが寄る。あの中にカジムは入っていったのかと、妙な感心すら覚えた。
彼は間違いなく正気を失っている。何百年、何千年前か知らないが、狂気の中で人への復讐心だけを頼りに生き長らえて来たのだろう。
「……行きましょう」
「ああ」
穴の先の様子は確認できない。
意を決して穴へと飛び込む。暗闇の先を【ともし火】の光で照らしながら、重たい空気を翼で受け止めつつ落ちてゆく。
十数秒の落下ののち、唐突に開けた空間に飛び出す。
炎の暖かな光に照らされてその姿を映し出したそこは、一言で表現するのならば墓地だった。
ドーム状の空間いっぱいに、ミイラ状態の双頭龍の死体が丸まった形で収められている。おそらくはコレが龍脈の根源と言われるものであり、先代の龍神だったもので間違いないのだろう。
「おい、あれ」
ふと、テオが指差した先。
龍神の遺骸の心臓のあたりに、2つの人影が見えた。
1人は両手で剣を突き立てたような状態で固まっている鎧姿の男、もう1人はその剣に手を伸ばすボロ布を身にまとった老人。
鎧姿の男が既に白骨死体である事に気が付いた次の瞬間、老人の頭がぐるりとこちらを向いて黄ばんだ歯を見せてニタリと笑みを浮かべた。
「もう遅いわ、偽善者共が」
剣が遺骸から勢いよく引き抜かれる。
「カジム……っ!」
「てめェ!」
あの男に龍脈を奪われれば、どうなるか。焦る気持ちが言葉となって口から飛び出す。しかし目の前で起きたのは自分たちも彼も、予想だにしていなかった事だった。
吹き出すのは今までとは比べ物にならないほどの濃厚な瘴気。それが唐突に形を持って、まるでそれ自身に意思があるかのようにカジムの身体にまとわりついた。
自分の予想と違っていたのか、カジムの口からも間の抜けたような声が漏れる。慌てて抵抗を試みるも無駄なようで、その痩せこけた枯れ木のような身体を黒っぽいぬめりのようなものが侵食していくのが、薄暗い中でも確認できた。
「やめろ、お前はもう死んだはずだ! 残っているのは力だけのはずだ! 今更肉体を求めようなど……!!」
必死の抵抗も虚しく、黒いぬめりに覆われてゆくカジム。肉体を求めるとはいったいどういう事なのか。その意味を深く考えるよりも先に、アレが完全に彼の身体を侵食しきった末に産まれるものが何なのか恐ろしくなった。
ぬめりに飲まれつつある彼の身体を中心に、ぶわりと広がる黒い触手。
落下している途中では上手く回避行動もとれない。咄嗟の判断で、襲い来る触手の波をブレスの薙ぎ払いで消し飛ばす。
そして、老いたカジムの叫びが暗闇に鳴り響く中、無我夢中で龍の姿へと身体を変化させて彼を叩き潰そうと腕を振り下ろす、が。
「なっ!?」
巨大な何かに、振り下ろした腕を受け止められた。
次の瞬間、全身を強い衝撃が襲い、何が起きたのかも理解出来ないままに空中に放り出される。
1秒、2秒。
自分が壁を突き抜けてヘズの巨大ゴーレムの外へと弾き出されたのだと理解するまでに3秒。
直後に自分が抜けた穴から弾き出されてきたテオに気が付き、咄嗟に手で受け止める。
「テオ!」
彼を見下ろすが、既に満身創痍だった。
限界まで強化していたからかかろうじて息はあるが、もう戦えるような状態ではない。
「……くそっ」
あの暗闇の内に潜む何かに戦いを続けたいが、彼を見捨てる訳にもいかない。既に退避していたリディの乗るヘカトンケイルへの傍へと移動する。
『ゴーレムの動きは止まったが……何があった』
「カジムは……たぶん死にました。ただ代わりに龍脈から何かが出てきて、テオさんがやられました」
『……冗談だろ?』
困惑したようなリディの声。
それでも気を失っているヘズの姿を見せると、彼はコックピットのハッチを開いて彼の身体を受け取った。
「どうすんだよ……もう俺とお前しか残ってないぞ。ヘカトンケイルだって強化したとは言えどこまでやれるか」
「やるしかないでしょう、今度こそ完全に終わるまで」
巨大ゴーレムにあいた大きな穴から、粘度を持った黒い液体がドロドロと漏れ出している。果たしてあれが生き物なのかどうかもわからない。
「たぶん、生き物……なんだよな?あれも……」
カジムの肉体を奪って身体を成した。それならば、おそらくは。
液体状のそれはゴーレムの穴から溢れ出しては積み重なり、ぐんぐんと大きく成長しながらどこかドラゴンの面影を感じるような、しかし四肢らしいものも無い寸胴なドロドロの身体を天へと向けて伸ばしている。
全身からは絶え間なく瘴気が放出され、龍脈の力を帯びているらしいそれに触れた鳥たちまでもが次々と巨大化しては聖獣擬きへと変化している。それだけではない、生き物ならば何であろうと聖獣擬きに変化させているのか、建物や地中からすらも虫のような姿の怪物が次々とその姿を現していた。
果たしてあの地獄のような場所からヘズはイリスを連れて逃げ出すことに成功したのか。何も確認できない今の状態がなんとも歯がゆい。
『来やがるぞ!』
「ッ!」
バナナの皮が剥がれるように突然ドロドロの表面の一部が剥がれ、触手へと瞬時に変化したそれが振り下ろされる。
自分とリディのヘカトンケイルで左右にパッと飛び退いて避けた次の瞬間、先程まで自分たちが立っていた場所は轟音と共に瓦礫の山と化していた。
更に畳み掛けるように、こちらの存在に気が付いた虫の化け物が群れをなして襲い掛かってくる。
「厄介な……」
とにかく数が多い。
このままでも全力のブレスを放てば大元のドロドロまで直撃させられるだろうが、その隙にこの虫にたかられて深傷を負わせられかねない。
カジムは確かに死んだというのに、仕切り直しのような形になってしまった。しかも、以前よりも更に強さを増したであろう怪物となって。
堆積し続けるドロドロはその身体を空へと伸ばし続けて頂点はとうに雲を超え、もはや世界樹の如き威容すら感じられる。
なるほど、人の魂が根幹にある自分のような紛い物とは確かに違う。あれが神かと妙に納得した。
『どう攻める?! あいつ、放っておいたら間違いなくろくな事にならないぞ!』
「そう言われても、今の私たちには手数が……!」
無策で飛び込んだところで、自分もリディのヘカトンケイルも数の暴力と黒い触手による強力な殴打で簡単に殺されるのは想像できる。
いや、自分の方は案外耐えられるかもしれない。1度目の殴打は余裕を持って受けきれている。
ただあの掴みどころのない身体。
いったい何処を狙えば良いものか、非常に困る。
次々と襲いかかってくる虫を蹴散らしながら、様子を伺っていた時だった。
突然、視界の外側からぱっと花火のように無数の魔法らしき色とりどりの光が飛び立ち、怪物と化した虫の群れに衝突して激しい爆発を起こした。
『誰だ今更こんなところに死にに来るようなバ……!?』
目の前の相手に手一杯で苛立った様子のリディの言葉が途中で詰まる。
乱入者はいったい何処の誰かと思えば、見覚えのある鎧を纏った一団が押し寄せて、絶え間なく攻撃魔法を虫の怪物と黒いドロドロめがけて浴びせかけている。
「フランクラッドの軍か」
ここまで通してきたのかと言う驚きもあったが、同時にふと村で起きた惨劇を思い出す。
突然降り注いだ雨。あれを浴びた人間の多くが聖獣擬きと化して暴れ回った。
おそらくマギステアとフランクラッドの関所においてもそれが発生したのだろう。果たしてどれだけ生き残りが居るものか。
少なくとも、関所としての機能は完全に失っているのだろう。
「(リディさんの言う通りだ。聖獣擬きを発生させている原因を止めるために来たのだろうけど、今更こんなところに来たところで彼等の力じゃどうにもならない)」
そう思っている間にも、前線を固めていた兵士の集団にひときわ大きな虫の化け物が突っ込んでゆき、人間がまるで枯れ葉かのように吹き飛ばされていた。
酷いありさまに思わず目を逸らす。
彼等は死ぬとわかっていて遥々マギスタリアまで進軍して来たのか。
だが、この瞬間はチャンスでもある。
「リディさん、虫共の注意がフランクラッド軍に逸れてます。敵の層が薄くなっている内に、二人で攻撃を仕掛けましょう」
『攻撃……どこを狙う?』
天高く伸びた黒いドロドロをじっくりと観察する。
触手が現れては形を維持できないのか崩れて溶け、消えている。
ふと、黒いドロドロ表面にぽつりと小さな穴が空き、そこからぽろりと小さく丸い何かが転がり落ちた。
よく見るとそれはヘカトンケイルよりは小さい中型くらいのゴーレムで、転がり落ちたそれを無数の触手が追いかけている。
中型のゴーレムは必死に飛び回ってドロドロから距離を離しつつ、触手による追撃を避けているようだった。
「っ、あれです! ゴーレムが出てきた穴! リディさんは奴の攻撃を分散させるだけで構いません、僕が奴に直接攻撃を仕掛けます!」
『わかった!』
翼を広げ、地面を蹴って空へと飛び立つ。
リディさんのヘカトンケイルが先導し、襲い来る虫たちを次々と蹴散らしていく。
中型のゴーレムはまだ懸命の飛行を続け、虫の怪物の群れと触手による攻撃の波をくぐり抜けている。
おそらくあれの正体は、ヘズが脱出用に用意しておいたゴーレムなのだろう。ところどころの意匠が、ヘズの巨大ゴーレムに似ていた。
ヘズのものらしきゴーレムとの距離が、刻一刻と近付いていく。次第に虫の数も多くなり、ヘカトンケイルの攻撃でも討ち漏らしが増えてきた。
これ以上はリディに無理をさせていられないと判断し、自分が前へと入れ替わりブレスの薙ぎ払いで触手と虫の怪物の群れを一掃する。
「ここからは自分一人で行きます!」
『まだ奴のところまでは距離があるぞ!』
「リディさんはあのゴーレムを!」
『仕方ないやつだな……死ぬなよ』
中型ゴーレムの救援をリディさんに任せ、自分は更に黒いドロドロの体表へと接近していく。
ここまでリディのヘカトンケイルの補助のおかげで体力を温存できていたから、回避や迎撃にはいくらか余裕があった。それでも一瞬たりとも気は抜けないが。
ヘズのものらしきゴーレムを追いかける触手と、本体に接近してきた自分を捉えようとする触手。分散されて対処は楽になっているはずだが、それでも数は多く感じる。
リディ達の状況は気になるが、目を向けている余裕なんて無い。
襲い来る触手を結晶剣で切り払い、虫の群れを熱波で灰燼に帰し、それでもなお防ぎきれないドロドロからの攻撃で傷を負いながらも、先程穴が空いた場所を目指して飛んだ。
全力のブレスが黒いドロドロの表面を焼く。
予想は的中していたようで、先程穴が空いていた部分にそのまま綺麗に丸く穴が開いた。ヘズが脱出するために用意したものか、ここがドロドロにとっての弱点となる部分だったのか。
他に道は無い。
躊躇いなく穴に身をくぐらせ、ドロドロの体内へと侵入した。




