賢者の石
「…………は?」
はらりと髪の毛が一本抜け落ちて、弱々しく開かれたニニィの手のひらに落ちてくる。
完全に色の抜け落ちた、真っ白な髪。
賢者マギの心臓を手にして不老不死になった彼女にとって、長い間無縁だった『老化』。
それが、急激に進行している事を示していた。
「なんで……今……? そんな、あり得ない……私が見た男はここには……!」
「受け容れろ、それがお前の『運命』だ。あらかじめ作られていた歴史の流れは全てこの私に向かっている。私がこの世界を終わらせる事は既に決定付けられた事実なのだ」
勝ち誇ったカジムの笑いが広間に木霊する。
震えるニニィの手、その指先からも徐々に瑞々しさが失われていく。が、彼女はその手のひらに落ちた白髪をギュッと握りつぶし、歯を食いしばってカジムを睨みつけた。
「まだだ、まだ終わってない。私は生きている!」
光の粒子となって弾けて消えるニニィの姿。
次の瞬間にはカジムの背後に現れ、五指を猛禽の爪のように曲げた両手をその背中に向けて突き出していた。
「足掻くか」
「私が駄目でも、次に繋げさせて貰う!」
カジムが振り向くより早く、ニニィの魔法が発動する。残った力を振り絞って行使した封印魔法。
振り向きざまの姿が透明な氷の中に一瞬にして閉じ込められ、時間から切り離される。
しかし―――
「っ……!」
封印したかと思った束の間、氷にピシリと大きなヒビが入り、出来た隙間から大量の水が溢れ出して押し流されたニニィは壁に勢いよく叩きつけられてしまった。
氷の封印を抜け出したカジムが、力なく壁にもたれているニニィへと歩み寄る。
「無駄な努力だったなあ……ニニィ?」
「……か、はっ……はぁっ」
もうニニィに戦える力は残っていなかった。
ダメージを受けたからではない、止まっていた時間がどっと肉体に襲い掛かってきたのだ。もう生きる力自体が失われてしまった。
「どうしたニニィ! ヤツの魔力が急激に膨れ上がって……!??」
異変に気がついたヘズが聖獣擬きの相手を中断して戻って来たが、既に手遅れ。
ヘズの姿を認めたカジムから即座に凄まじい威力の魔法が向けられ、不意を突かれた彼は抵抗する余裕も無く身体のあちこちを欠けさせながら転がされる。
「さて、そろそろかな」
チャリ、という小さな金属音と共に老婆の姿になったニニィの首元に赤い宝石のネックレスが現れた。
賢者の石の片割れ。
賢者マギが殺された時に奪われた、不死の呪いを与える石。
「そいつは私が頂く」
カジムの手がネックレスへと伸びる。
ニニィは動かない、もう、動けない。
赤い宝石が握りしめられ、勢いよく引き千切られて銀色の粒があたりに飛び散っていく。
「ハハハ……ハハハ! これで完全な不死も、龍神の力も、私のものだ!!」
狂ったような高笑いが響きわたった。
もう誰も自分を止められる者は居ないという全能感が彼の全身を満たし、喜びも悲しみも諦めも入り混じった涙を散らして喉を震わせる。
だが、手にした賢者の石を懐にしまおうとした瞬間に異変は起きた。
確かに握りしめていたはずの石が、まるで煙の中を抜けていくようにカジムの身体を通り抜け、胴体すら貫通してどこかへと向かって飛び始めたのだ。
「なっ……は? おい、待て!どういう事だ、戻ってこい!」
カジムの身体に傷は無い。
何が起きたのかもわからないままに、飛び始めた石へと手を伸ばすも、またしても石はカジムの手をするりと抜けて飛んでゆく。
石を掴むことも出来ずにただ眺めるしか無いカジム。
やがて石は広間のステンドグラスの前へと行ってピタリと静止し、陽光に照らされて紅く輝く。
ここまで来て予想だにしなかった出来事が起き、カジムだけでなくヘズまでもが呆けたようにその光景をぼんやりと眺めていた。
「……何か、来る」
カジムがぽつりと呟く。
キーンと言う甲高い奇妙な音を彼の耳は確かにとらえていた。
ヘズのゴーレムの周囲を飛び回る聖獣擬き達のギャアギャアと鳴き喚く声もいっそう騒がしくなり、遂にそれは姿を現した。
賢者の石の後ろにあったステンドグラスを壁ごと砕き、轟音と共に。
「ぬうっ!!」
「だ、誰だ……!?」
土煙に目を腕で庇うカジムと、乱入者に驚きつつも倒れて動かなくなったニニィの救助に走り始めたヘズ。
「行け、お前ら! 世界の命運は任せたぞ!」
煙を裂く虹色の巨大な結晶剣と、黒鉄の巨体。
そこから弾かれるようにして飛び出した2人の影。
1人は瞬時に消えたかと思えば、目にも止まらぬ速さでカジムに斬りかかり、翼と尻尾を持つ影は急に飛び込んできた赤い宝石を手にして広間へと降り立つ。
「ニニィ!」
ニニィにとっては聞き覚えのある声。
うなだれて動かなくなっていた彼女も、その声に反応して弱々しくまぶたを開いて声の主を霞んだ視界の中で探す。
「……セシ、ル?」
黒い長髪、エルフのような長く尖った耳。
賢者の石が見せた終わりの景色の彼。
「そうか、君……だったか……」
ニニィは安心したようにそうぽつりと呟き、再びまぶたを閉じて、そして彼女の身体からは全ての力が失われた。




