破滅
◆◆◆◆
それはほぼ同時に世界各地で起こった。
始まりは雨。
急に空が灰色の雲に覆われ、そして降り出した雨に打たれた人々に異変が起きた。
つい先程まで隣を歩いていた恋人が、つい先程まで街の広場で走り回っていた子供たちが、ベランダに出て洗濯物を干していた女性が、街の警備をしていた衛兵が。
人種も性別も年齢も問わず、雨に打たれた者の約半数が数秒間ののちに醜く巨大な怪物へと成り果てた。
見知った人々が目の前で怪物へと変化する、そんな異常事態に混乱し発狂したり逃げ惑う人々を怪物は等しく喰い殺し、目に映るモノ全てを壊していく。
雨は数分でやんだが、雨がおさまっても怪物はもとの人間に戻ることなく暴れ続けた。その命を燃やし尽くす瞬間まで。
日常の景色は地獄と化した。
◆◆◆◆◆
「何人、生き残った……?」
家々や人間、魔物が燃えた後。焦げ臭い煙に包まれて霧がかかったようになった村の中心で、半ばから折れた直剣を手にした彼がぼそりと呟いた。
雨は既にやんでいる。
だから、生き残った人々を助けるために力を振るった。
ほとんど手遅れのようなものだったが。
「避難民……と言うか戦えない奴はほぼ死んだな、これは。雨を浴びた約半数が聖獣擬きになったんだ、無理もない」
びしゃびしゃと音を立てながら、幻影を解いて獣の耳と尻尾をあらわにした彼がぬかるんだ地面を歩いてくる。
手にしている小刀からは、まだ赤い血が滴っているのが見えた。
「で、そっちはどうだよ」
「……駄目だ」
「チッ……完全に成っちまったらお前の力でも戻しようが無いって事か。まァ、成りかけを戻せるだけでも前よりマシか」
そう言って彼が憂鬱そうな表情で眺めるのは、今自分の目の前にいる死にかけの聖獣擬き。
3人で村に発生した聖獣擬きを倒しつつ生き残りを救助していた中で、生け捕りにする余裕があった一匹を魔法で半身氷漬けにして地面に縫い付けていた。
聖獣擬きはみな様々な生き物をツギハギにしたような見た目になるが、同時に元になった人間の面影も必ず残る。特に、顔。
今、目の前で地面に縫い付けられている聖獣擬きには、生存を確認できていなかったベン爺さんのそれによく似た髪の毛の名残りと、焦点の合わない瞳があった。
「もう……たぶん意識は無いんでしょうね」
「……だろうな」
小刀を握りしめて前へと出ようとした彼を手で制する。
彼に助けられたのは自分だから、これは譲れなかった。
「ごめんなさい、僕には何もできなかった」
気味の悪い鳴き声をあげながら弱々しくもがくだけの魔物となった彼に歩み寄り、その額に手のひらをぴたりと付ける。
触れた部分からベン爺さんだった聖獣擬きの身体はみるみる内に凍りついてゆき、やがて芯まで凍ったそれは呻くことも藻掻くことも無くなり完全に温もりを失った。
「随分お優しい殺し方だな、神様よ」
「貴方が言いますか……わざわざ危険を冒してまで戦う必要なんて無かったのに」
「一応、俺はここでお前より長い期間を過ごして来たんだ。ほっときゃ無駄に強い魔物が増えるだけだし、眺めてるだけは気分も悪い」
何だそりゃ、人にあれこれ言いながら自分も結局絆されてるじゃないか。と言いたくなる気持ちを心の中にとどめておき、生き残りの人々が集まっている広場へと一足先に歩き出した彼を追う。
広場の群衆へ近付くと、嫌でも生き残りのマギステア兵や避難民の怪訝そうな視線がちくちくと刺さった。
方やマギステアでは忌避されている亜人種。方や亜人種かどうかもわからない、半分魔物のような見た目をした何か。
雨を浴びた人々が突然魔物化して暴れ出した直後という事もあって、いつ魔物化してもおかしくないと疑われているのだろう。恐れる気持ちはわからなくない。
「皆! この2人は、先程の戦いでの功労者だ! 突然の事で多くの犠牲こそ出たが、彼らが居たからこそ何とか被害を最小限にとどめられた」
先に広場についていたリディさんがそう言って紹介するが、人々の反応は薄い。むしろ自分やテオへ訝しむような視線を向ける者もちらほら確認できる。
当然だ。みな大切な人を失ったばかりで、他の事をいちいち気に掛ける余裕も無いはず。腫れ物のようになってしまった自分達の事を気遣っての事だろうが、今はタイミングが悪過ぎる。
同じことを考えていたのか、隣で舌打ちをしたテオと顔を見合わせた。
ハァとため息をつきながら彼はリディの斜め後ろまで歩き、トンと軽く拳で肩を叩く。
「よしとけマギステア兵の。こっちは感謝なんざ求めてねえ」
「あっ、ああ……それはすまない」
「……別に責めてるわけじゃねえよ」
申し訳無さそうに肩を落とす彼を置いて、人の集まる広場の中心部から離れた瓦礫の山へと歩く。
少しあたりを見回して瓦礫の中から壊れたベンチを引きずり出し、壊れた箇所を龍脈の力を抜き取って作った結晶体で補い修理する。
「おい……それ俺が座って大丈夫なやつか? あの雨と似た気配がしやがる」
「同じ龍脈の魔力を使ってますからね。こっちはもう龍脈そのものからは引き剥がして私の制御下に置いてるので、聖獣化する呪いは残ってないですよ」
「便利なもんだな、カミサマの力ってやつは」
隣座るぞとぶっきらぼうに言いながら、彼も今しがた修理したベンチへと腰をおろした。
なりゆきで共に戦ったとはいえ、一応元々は敵同士である。いくら何でも信用するのが早すぎないかと横目で彼を睨むが、特に気にした様子もなく相変わらず気怠げな様子で荒らされた村を眺めている。
「お前、すぐにここを発つんだろ」
「ええ、まあ。何者かがカジムと戦っているとは聞いていましたが、あの雨が降った事からしてあまり悠長にしていられる様子でもないので」
とは言え今しがた戦闘したばかりで、この新しい肉体も疲弊している。前回、休みも挟まずに突撃した結果、思わぬ形で不意を突かれたこともあり敗北した事から、今回は流石に少し休みを挟んでからマギスタリアを目指す予定だ。
「行くのはお前の勝手だが……勝算はあるのか? 俺も全部を見たわけじゃないが、あれは化け物だぞ。カミサマの力があっても、正直言って今のお前が勝てるとは思えないね」
「それは……そうですけど。ありますよ1個だけ、切り札が」
「切り札?」
首からさげたブローチを握り締める。
何かと嵩張る荷物を持ち歩くのに便利な魔道具だ。
姿かたちが変わっても、彼女に貰ってからずっと手元にあったもの。失ってしまいそうな場面でも、けしてこの身から離れることは無かった。
今思うと、無くさないように彼女が何かしら細工をしていたのかもしれない。トカゲにブローチなんて渡しておいて、無くさないと思う方が難しい。
「よくわからないが……勝算があるなら良いさ。それより、まだ時間があるなら話聞いてけよ」
「……は?」
「昔、俺は央海を越えた先にある国にある小さい村に住んでたんだ。俺と姉と、両親と。手工芸品がそれなりに有名な村で……まあそれについてはいいか、大きい都市から離れた村ってのが狙い目だったんだろうな。俺と姉が拐われたのは、俺が5歳の時だったと思う」
こちらの心配をしてきたかと思えば、急に自分語りを始めたテオ。龍脈の魔力にあてられて頭がおかしくなったのかと、思わずぎょっとした目で彼を見てしまったが、彼はそんなこちらの様子を気にするふりもなく続ける。
「拐われてから子供は雑に一つの牢に押し込められて、それからすぐに買い手が付いたとかで俺と姉は引き離された。俺が買われたのはある基人族の貴族の屋敷だった。同じように買われた獣人族の子供が数人、俺と同じような男の獣人族だったかな」
「……」
「まあ……そこでの暮らしは思い出したくないくらい酷かったよ。別に食事を与えないとか清潔にされないとかじゃないんだ。むしろ買った目的の為にも、扱いは丁寧な方だったと思うぜ。なんせ夜の相手に使うんだからな。それも男の」
最後の言葉に、思わず眉間にギュッとシワが寄った。
まだ二桁にもなっていない子供を?そういう目的で?
凄まじい嫌悪感に胃のあたりがムカムカして気分が悪くなる。
「はは、酷え顔。まあそういう反応になるよな。んで続きだけど、当然そんな事したら身体が耐えられなくて死ぬ奴も出てくる。貴族のお偉いさんと言えば、消耗品に愛着なんて無いから生ゴミ同前でポイだ。同じ人間がよくもあそこまで傲慢になれるもんだって子どもながらに驚いたね。俺は何よりも、同じような扱いを別の場所で受けているだろう姉が心配でならなかったが」
「そういう話……普通はしたくないものじゃないんですか」
「必要なんだよ、俺には。で、俺は色々あったが運良く生き残って、ある日その屋敷に忍び込んだ殺し屋の男にまとめて拾われた。当然、彼の狙いは貴族の男で護衛もまとめてあっという間に皆殺しになった訳だが……それを見て思ったんだよ、俺は。強けりゃ相手が貴族だろうとギャングだろうと自由を通せるってさ」
それでこうなったって訳、とでも言うように、彼は即席の小刀を出したり消したり分身させたりと片手でヒョイヒョイ弄んでみせる。
「その男に師事したと」
「まあな。当然その道を選んだって見做されて、その手の仕事もまあまあやったが……気分は悪くなかったな。汚れた仕事なのに、英雄にでもなった気分だった。今の自分なら何処かに居るだろう姉も救い出せるだろうと思って、しばらく仕事こなした後に足抜けして世界中のめぼしい所を探して回ったさ。でも、結局見つからなかった」
「……」
「強さだけじゃどうにもならない事ってあるよな。自分一人だけなら好きにやれても、周りまで思い通りにできる物じゃない。そのうち、何年も変わらない違法な奴隷の存在に腹も立ってきた。そんな時にイヴリースの連中から話を持ち掛けられて、俺は姉の事を諦める決心をすると同時に連中と手を組むことにしたのさ。そっちの方がまだ現実的だと思ってな。結局……俺は最後まで振り切れてなかったみたいだけどな」
彼へと視線を向ける。
幻覚を解いた彼の容姿はまあ、そういう連中に狙われただけあって端正だ。黒い装束を身に纏っていたオラクルの時からは想像もつかなかった白い髪。
ふと、丸みのある耳と、虎のような黒い模様に既視感を覚えた。
「あなたの姉と関係があるかはわからないですが、以前あなたと似た見た目の獣人族の女性に助けられました。フランクラッドで、彼女はオレンジ色の髪でしたけど」
「へえ、それで名前は?」
「結婚して苗字は変わってたみたいですけど、『カティア・ヘルムート』。今はレインツィアの冒険者酒場を仕切ってる方で、旦那さんに似て豪気な女性でしたよ」
そこまで言って再度彼へと振り向いた時、彼はぽかんと呆けたような表情でこちらにまん丸に見開かれた目を向けていた。
「……もしかして」
「いや、まさか、そんな、な。俺の知る限りじゃ姉はそんな気の強いタイプじゃ……」
「テオ?」
「何でもない。さすがにそんな都合の良い話は無いさ」
自分に言い聞かせるようにそう言って、首を横に振る。
「……もしそうだったとしても、今更顔向け出来ないしな。って、そういう話がしたいんじゃないんだよ。お前のマギスタリア行き、俺もついて行かせろ」
「ええ……いきなりどういう魂胆ですか? あれだけ私に語ってみせたじゃないですか、恐怖で人々の目を覚まさせるとか」
「そうだな。でも、薄々気がついてはいたんだよ。刻々と時間だけが過ぎていく焦りと無力感とで視野が狭くなって、最後の手段に出るしかないと思い込んでた。同胞を犠牲にする戦法だとか、龍神の巫女の製造法だのには目を瞑って」
言わんとすることはわからなくもない。
今まで自分が相手にしてきたイヴリースの戦士たちは皆、たしかに追い詰められているようだった。
襲い掛かっているのはあちらなのに、見えない何かに背中を押されるように死に物狂いで、ある者は自らの犠牲もためらう事なく。
「自分が間違っていたと?」
「正直まだ少し迷ってる。すっぱり考えを改められるほど憎しみが消えたわけじゃない」
「……」
「今、マギスタリアで戦ってるのってあいつだろ? ニニィと、ヘズ。ヘズはともかく、なんで無関係のあの女は戦ってんだか。どうせ死なないんだから眺めてるだけで問題ないだろうに……自分で選んだ結果、なんだろうな」
ざくざくと砂利を踏みしめて、足音が近付いてくる。カタカタと金属のぶつかり合う音。
なんとなく予想した通り、リディさんの顔が見上げた先にあった。
「先程はすまなかった、二人共。混乱している避難民や村人たちはともかく、俺たち聖堂騎士団員を含めたマギステア兵は、今は2人が味方であると理解してる」
「悪いが、お前たちに同調したってわけじゃ無いからな」
「もちろんそこの所も理解しているさ。このまま何もしないで此処に留まっていても全滅するって事もな」
「何だ、お前もやる気か?」
「先程、仲間ともこれからどう動くか相談してきた。とは言え今更出来ることも少ないがな。……聖堂騎士団はヘカトンケイル1機を残して民間人の護衛をしつつフランクラッド領を目指して移動、聖獣擬きまみれのマギステア領からの脱出を目指す。残ったヘカトンケイルには俺が搭乗、マギスタリアに向かいムジカ・ニグ・デアロウーサの拘束もしくは殺害を達成する」
シートを被ったまま鎮座している2機のヘカトンケイルへと視線を移す。あれらの強さについては前の戦いの時に見たから把握している。
並みの聖獣擬き程度ならば易易と薙ぎ払えるだけの火力と強靭な装甲。強いと言えば強い。あれを1人で倒せるだけの力がある戦士は今まで出会ってきた中でもせいぜい数人程度しか居ないだろう。
だがイリスとカジム相手となると正直なところ案山子も同然だ。
「駄目ですよ、あれではカジムは…」
「わかってる。わかってるがもう後には退けないんだよ。罪なき市民の守り手として、二度とあの雨を降らせるわけにはいかん。勝てる見込みが薄くても、戦いを成立させられるだけの力があるなら挑む必要があるんだ」
そんな無茶なと、思わず渋い表情になってしまう。こっちの気を知ってか知らずか、彼は渋い顔になった僕を見てハハハと笑っていた。
自分から命を捨てに行くような真似をしている自覚があるのかと言いたくなったが、自分も一度は命を落とした手前気が引けて黙り込む。
そうこうしている内にリディさんとテオは目的が一致した事でかすんなり打ち解け、祭りにでも出掛けるかのような雰囲気でマギスタリア行きについて言葉を交わしている。
正気の沙汰ではない。
「しかし相手は首切り落としたって生きてるバケモノだぞ、殺害はほぼ不可能だとしてどう拘束まで持っていくか……」
「フン、奴の狙いは龍脈の力だ。そっちをぶっ壊せば少なくとも世界が滅びるのは防げるだろ。まあマギステアまるごと吹っ飛ぶかもしれないけどな」
「え、吹っ飛ぶのか? そりゃ流石に不味いだろう……せめて最後の手段じゃないと」
「まあそこの所はどうにかしてくれるんじゃないか? 一応こっち側にも理不尽ひっくり返せるカミサマついてるしよ」
「ちょっと待ってくださいよ、なんで二人して勝手に死地に飛び込むような真似を……だいたいテオは基人族嫌いじゃなかったんですか」
「うん?」
「あ?」
声に反応して二人がこちらへと振り向く。
なぜか機嫌良さそうにしたり顔なテオが腕組みしつつ言葉を返してくる。
「世界が滅ぶかどうかって時だぜ? それに、自分自身へのケジメって事もあるしな」
吹っ切れる、と言うよりはやけくそになっているのだろうか? 実際彼が何を思っているのか自分には想像もつかない。
ただあちらが折れない以上、諦めてこちらが二人に合わせる他に無い。正直一人でどうにかしたい所だったが。
ここで二人を気絶でもさせて置いていく、そういう選択を取れない己がもどかしい。
「……わかりましたよ。じゃあ、やるなら徹底的に準備して仕掛けましょう」
「おお、やる気になってくれたか!」
「ずっと苦虫噛み潰したみたいな顔してないで、最初からそうしときゃ良いんだよ」
「手始めに、アレから手を加えて行きます」
先程までの戦いでも活躍を見せたヘカトンケイルに指を向ける。ただの案山子では駄目ならば、普通じゃない案山子にすれば良い。そういう考えだった。




