両生類、お土産を買う
オラクルの街は、まるで街全体が一つの美術館のようで、美しいガラス細工に彩られた建物や街灯、看板の数々が常に目を楽しませてくれる。あまり派手過ぎないのも中々良い。とろけたハチミツのように、有機的な曲線を描いている装飾の数々が、すっかりと冷え込んだこの街を温めている。
「おっとぉ、この店良さげだねぇ」
『これ全部グラスなのか。まるで宝石みたいだ』
「きれい……」
ふと、一件の店のショーウィンドウを見て、ニニィが足をとめた。
オレンジ色の光が漏れてくる窓の奥に、色も形も様々なグラスが並べられている。どれも美しく、思わず手に取ってみたくなるような魅力を振りまいていた。
『ずっと昔、こんなグラスを家族にお土産で買った、そんな気がするよ』
「昔の記憶かい?」
『わからないけど……そんな気がする。なんとなく』
「ンフフ……なあ、もしも君が全部の記憶を取り戻したとしたら、キミの世界の話をしてくれよ。見たことのない世界に想いを馳せてみると言うのも面白そうだ」
『うん、いいよ。きっとびっくりする。僕も、この世界で生きていると驚くことだらけだから』
「楽しみだねぇ……ンフ、ちょっと見ていこうか」
ニニィが戸に手をかけ、カランコロンと音を立てながら戸が開かれる。暖炉が焚かれているのか店の奥からはパチパチと音が聴こえ、暖かな店内は木が燃えていく香ばしい匂いで充たされている。
ありきたりな感想だが、感じの良い店といった雰囲気だった。
「グラスにランプ、おやおや、香水のメーカーともコラボしているのかい。ンフフ、案外有名な店だったりするのかねえ♪」
『ニニィ、見てこれ、いれた飲み物の熱に合わせて色が変化するんだって』
「ほう、面白いことするものだねえ。この色の変化は、魔法だけじゃないねえ……陽光水晶でも混ぜ込んだのかな? こういう職人の人たちはよく思い付くものだなといつも思うよ」
「きれい!きれい!」
「おっと、落ち着き給えよ。割れ物ばかりだからねえ」
綺麗なガラスの製品が数え切れないほどに並んでいる光景を目の当たりにして、獣人族の少女も元気にはしゃいでいる。
流石に置いてあるものが割れ物ばかりな為、ニニィによって彼女は抱きかかえられてしまったが、そんな彼女も嬉しそうな様子だ。
「どうです、ウチの商品は」
そんな事をしながら店に並べられた商品の数々を見ていると、店主らしき若い男が店の奥から姿を現し、僕らに話しかけてきた。正確には僕らの中で唯一の人間の大人であるニニィにだが。
ニニィが彼に視線を向けると、彼の動きがぴたりと止まる。何か続きを話そうとしていたのか、口が半開きになったままになってしまっている。
「素人目だけど、どれも良い商品だと思うよ。土産にいくつか買おうかと考えていたところだ」
「…………ぁ」
「あのひと、へん?」
『失礼なこと言っちゃ駄目だよ。あのお兄さんはニニィが綺麗だったから見惚れてるんだ』
惚けた様子の彼にニニィも気が付いたのか、呆れたように小さく笑いながら眉尻を下げた。
「おや……キミ、大丈夫かい?」
「ぁっ……ぁ!ええ、大丈夫です! あはは、いやあ、気に入って下さったなら何よりです。どうですか、気になっている商品がありましたら、同じものをいくつか持ってきますよ。手作業で作っているものですから、それぞれ違いが現れるんですよ」
店主の男はニニィの呼びかけに自分が今どうなっていたのか気が付いたのか、顔を赤くしながらニコニコと笑顔を浮かべ、早口で話し始めた。
なんというか、わかりやすい人だ。あれは完全にニニィに一目惚れしてしまっている。明らかに女性慣れしていなさそうな感じが、自分も一応そうだから共感できる。
何だかんだ、今はニニィと居ることにも慣れてきたけれど。
「ふうん。それなら、普段使いに向いてるようなやつでお勧めなのはあるかい?」
「はい! 普段使いに向いているものですね。そうなるといくつかお勧めなものがあるんですけど……少々お待ち下さい! 今、いくつか見繕って来ますので!」
そう言うと、彼はやけにテンションを高くしながら店内を速歩きで回り始める。少し張り切りすぎてやいないだろうか。危なっかしくて心配だ。
『大丈夫かな、あの人』
「私が200歳超えのババアどころか化け物だって知ったら、どんな顔するだろうねえ。なあ、セシル?」
『僕は別に気にしてないよ。最初見たときはびっくりしたけど』
「そうかい? ま、キミならそう言うと思っていたけどね」
彼女はそう言って静かに笑った。
暫くすると、店主の男が幾つかのグラスをカゴに入れて持ってきた。さすがに気合を入れて選んできただけのことはある。どれも良さそうなものばかりだ。
「普段使いってなると、僕としてはこのあたりがお勧めになるんですけど……ああ、特にこれはおすすめです」
彼は近くのテーブルの上にカゴを置き、その中から一つのグラスを取り出した。透明なガラスと薄い紫色のガラスを混ぜて作ったらしいグラスだ。
そのグラスは暖かなオレンジ色の明かりを受けて、ゆらゆらと揺れる炎のような影をテーブルの上に映し出していた。
「上半分、ガラスの色が紫色になっているでしょう。この紫色のガラスを作るのに、特殊な素材を使っているんです」
「『ネーレテイアの焔袋』かな? アレの中にある粉末は、ガラスに混ぜて着色するのに使われることがあると、洞人族の鍛冶屋に聞いたことがある」
「おや、よくご存知で! そのとおり、このグラスはネーレテイアの焔袋から取り出した粉末をガラスに混ぜて色付けしているんです。濃密な炎の魔力を含んだ粉末をガラスの中に閉じ込めると、こんな風に影が揺らめくようになるんです。原理はよくわかっていないんですけれど、面白いでしょう」
『ネーレテイアの焔袋……僕みたいな魔物から取れる素材の事かな』
「きれい……」
『そうだね。この揺れる影を見てると、ずっと水中で暮らしてた頃を思い出すよ』
炎のように見えていた影は時と共にその姿を変え、水面から射し込む陽光のように煌めいている。ほの暗い水中を美しく照らしてくれていたあの光を思い出し、小さかったあのころの記憶を想い出す。ほんの数ヶ月前の事なのに遥か昔の話のように思われて、懐かしさがこみ上げてくる。
獣人族の少女もどうやら気に入ったようで、興味ありげにグラスを眺めては、テーブルに映る影と見比べてゆらゆらと身体を揺らしている。
「他のはどんなものがあるんだい?」
「他のはですね、こういうのがあって……」
ニニィが訊ねると、次のグラスがカゴから取り出される。今度のグラスは星空を切り取ったような青黒いグラスだった。
「こちらのグラスは時間によって見た目が変化するんです。それで―――」
それから僕らは、彼の勧めてきたグラスを一つずつ見ていった。
「ふぅん……なら、これが欲しいな」
お土産に良さそうなグラスを探し始めて十数分ほど。店主の男のおすすめのグラスの中から、ニニィは一番最初に見せてもらったグラスを手に取った。
ネーレテイアの焔袋を使用したという、あの紫色のグラスだ。
『ニニィはそれが気に入ったんだ』
『そうだねえ。正直、紫色ってのはそこまで好きな色でも無かったんだけどね、これは気に入った』
「良かったです、気に入ってくださると思っていました。同じものをいくつか持ってくるので、その中から気に入ったものをお選びください!」
彼はそう言うと、同じグラスをすぐに持ってきてくれた。
先程彼が言っていた通り、グラスそれぞれに味がある。グラスそのものの色の付き方や、揺れ動く影にもそれぞれ動きにクセがある。
ニニィはその中から最初に見せて貰ったものと、最初に見せて貰ったものとよく似ていたものを一つ、そして少し青色の混じったものを一つの合計3つのグラスを選んだ。
「おや、3つお買い上げになるんですか?」
「ああ。これは私で、これはこの子に」
3つも同じものを買うのかと不思議そうな顔をしていた彼に、ニニィは淡い紫色のグラスを順々に指差していく。獣人族の少女がグラスを見て、欲しそうな顔をしていたのにも気が付いていたようで、少女の頭を撫でながら彼女は柔らかな笑みを浮かべていた。
「それで、これは私の大切な人に」
最後に、少し青色の混じったグラスを指差しながら、彼女はそう言った。『大切な人』という表現に思わず彼女の顔を見上げると、こちらの視線に気が付いた彼女が一瞬ちらりと彼へと視線を向け、申し訳無さそうに僅かに笑う。
それで彼女が何を考えているのか、なんとなく察した。全く、性格の悪い事をする。わざわざ余計に一つ買うことまで無いだろうに。
「え……あ、ええ!お土産、ですね」
おかげで先程まで元気だった彼の表情も、こころなしか強張ってしまっている。
『ニニィ、誰かに好意を向けられた時、いつもこういう事をしてるの?』
『いつもと言う訳じゃないが……まあ、無くはないねぇ。こういうのは苦手だから。相手がいるのを匂わせるやり方は、一番穏便に済む』
『僕が言うのも何だけど、やめた方が良いよ、きっと。確かに穏便には済むだろうけど、こういうやり方だと一部の人が逆恨みしそうで怖いな』
『確かにそういうのもあったねえ。殺そうとしてきたから逆に殺してやったけど。最初から連れが居れば楽なんだが……ああ、キミが人に化けられるようになれば解決だ。よろしく頼むよ』
『んな無茶な……』
サラッとこちらにも無茶振りが飛んできて、少しげんなりしてしまう。
今までの旅の中のあいた時間で、魔法の勉強は少しずつ進めてきたが、魔物から人・人から魔物というように姿を変化させる魔法は属性を持たない特殊な魔法であり、その魔法陣の組み方も大変複雑なものだと知った。
おまけにこの魔法には魔法の発動を補助してくれる詠唱も存在せず、魔法の発動と維持までの全ての行程を一人で行わなければならないのだから、相当に魔力操作に長けていなければ出来ないだろう。
とりあえず、今の僕では不可能だ。
『ま、今日のところはキミの意見も取り入れておこうか。イメージは、そうだな、未来の私で行こう』
『……ニニィ?』
だが、先程の会話で彼女も思うところがあったようである。
彼女は3つのグラスの梱包を始めた男の方に視線を向け、口を開く。
「先程、『大切な人』と言ったが、私が好意を寄せている異性だとか、そういう浮ついたものじゃあないんだ」
「……ぇ、あ、そうなんですか?」
「まあね。あちらはそう思ってなどいないだろうが、私にとっては人生の恩人さ。次にいつ会えるともわからないが、会えた時に何か渡すものが欲しくてね」
「なるほど……わかりました!では、この商品だけ梱包材を増やしておきますね。長旅で割れてしまったら悲しいですから」
「ありがとう。頼むよ」
ニニィのついた嘘を聞いて、彼の雰囲気からいくらか角が取れたような感じがした。自然と表情に柔らかさが戻り、落ち着いたように感じる。
「あ、あの、またぜひともお越し下さい!」
彼はてきぱきとグラスを梱包していき、やがて会計も終わると僕らは店を出た。元気な彼の声を背に歩き出す。
しばらくはこの街でラバルトの用事も続くだろうと言うことで、数日はこの街に滞在する事になっている。僕ら三人は宿屋へと歩き始めた。
「きれい!すごい!」
少女は外の寒さにも負けず、ニニィに買ってもらったグラスを抱えてはしゃいでいた。彼女の髪の金色と、街に降り注ぐ雪の銀色とのコントラストが美しく、くるくると回る彼女は妖精のように可愛らしかった。
『3つ目のグラス。どうしようか』
「そうだねぇ……」
二人ではしゃぐ彼女をながめながら、紙の手提げ袋に入ったグラスにちらりと目を落とす。
「キミが人に化けられるようになった時、使えばいいんじゃないかな。色はキミとそっくりだからねえ」
『どれぐらい先になることやら、って感じだね』
「そう遠くにはならないはずさ。私の勘がそう言ってるんだ」
そう言いながら、喉元を触ってくる彼女の指は暖かく、くすぐったかった。
【ネーレテイア】
洞窟などの暗い空間を好むトカゲの魔物。成体の体長は約3メートル。焔袋という器官を持ち、内部で作られた粉末に少量の魔力を混ぜて吐き出す事で、爆炎を発生させる。大型の魔物でかつ攻撃的な能力を有しているものの、争いは好まない傾向があり、野生で発見してもこちらから手を出さなければ大人しくしている。好物は洞窟内に大量に生息している昆虫。
いつも読んでくださりありがとうございます
評価、ブックマーク、感想など、よろしくお願いします




