「実はわたし、吸血鬼なんですよ。血を吸わせてください」と後輩がかぷりと噛み付いてきたが、どう見ても吸えてない
こんな青春過ごしてみたかったな〜
俺は高校の映像研究部に所属するしがない男子高校生だ。映像研究といっても大それたことはしない。週に何回か部室に集まって、研究と称した映画上映会をするだけだ。
最近はそれにすら飽きてしまい、各々スマホをいじったり、漫画を読んだり、雑談したり或いは寝たり……そうしていつの間にか、誰も部室にはこなくなった。
部長の俺としてはその方が好都合なのだが。ふああとひとつ欠伸をして、俺は読んでいた雑誌を乱雑に放り投げた。
元々、俺は映画なんか好きじゃない。
ただ楽そうだからという理由で入ったのだ。
なのにあれよあれよと部長を押し付けられ、「映画部の未来はキミに任せた!」なんてカッコいいセリフを吐いて先輩たちは卒業していってしまった。
任せられた映画部は、呆気なく荒廃した。
俺は悪くない。
映画好きでもない人間に、無責任にも後を託した先輩たちが悪いのだ。
……勉強でもするか。
もう高二の6月だ。夏休みまで秒読みといったところで、意識の高い連中は既に受験勉強へのスタートダッシュを決めていることだろう。
バッグの中から英単語帳を取り出し、またソファに寝転がってぼーっと眺める。駄目だ、頭に入ってきやしない。それは、掃除も何もしていないからカビ臭い臭いのするこのソファのせいだ。きっとそうだ。
「暇だな……」
「暇なら、一緒に映画でも見ませんかぁ」
その妙に甘ったるい声色に、俺は飛び起きた。見ると、さっきまで誰もいなかった部室に女が立っている。その顔に見覚えがあることを認識し、安堵のため息を漏らす。
「お、おまえな……音も立てずに入ってくるなよ」
その女の名前は月白ひかり。見るからに軽薄そうな見た目をした、映画部の後輩である。金髪、ミニスカートと、作り物の赤い眼……カラーコンタクトというやつだろう。まるでアニメキャラのような奇抜な出立ちだが、妙に自然体に見える。結局、美人は何を着ても美人だから得だ。
月白はつい最近入部してきた新入部員で、どうせ幽霊部員として籍だけ置くものだと思っていたのに、こうしてちょくちょく部室に顔を出す。音も立てずに入ってくるので毎回肝を冷やす。忍者の末裔か何かなのか? そのナリで。
「瀬川センパイ、今日もダルそうな顔してますねぇ」
「もともとそういう顔なんだよっ」
俺は月白の目を見なくて済むように、身体の角度を変えてソファに寝転がり直した。この女が苦手だ。俺は基本、美人な奴と自由な奴が嫌いなのだが、まさかのW受賞である。
そして何より、見ていると吸い込まれそうになるその大きな目が苦手だ。作り物のくせに生意気なんだよ。
「なんか最近暑くなってきましたよねぇ、窓開けていーですか?」
月白は勝手に窓を開けると、そのついでに棚からDVDを取り出しプレーヤーに入れた。キャスター付きの大型モニターがパッと光る。
「月白、何しにきたんだ」
「映画部なんだから、映画見にきたに決まってるじゃないですか」
「残念ながら映画部は映画を見るところじゃない、さっさと帰れ」
「じゃあ何するところなんです?」
「俺がひとりで、放課後のリラックスタイムを楽しむ場所だよ。俺は部長で、おまえは部下。部下が部長の命令に逆らうんじゃない」
「わたし、部下じゃなくて部員なんですけど……」
はー仕方ない、と月白は立ち上がった。やっと帰る気になったか。やれやれ、あまり手を煩わせるなよ。
「よいしょ」
と思ったら、何故か月白はうつ伏せで寝ている俺の背中に跨ってきた。柔らかな重圧が容赦なくのしかかる。女性特有の体付きにドギマギするより先に、衝撃で「ぐえっ」と声が出てしまう。
「おいっ、おまえなにをするっ」
「え、だって部長をリラックスさせるのが部下の役目なんですよね? だからマッサージでもしてあげようかなぁと」
はい、体の力抜いてくださーい、という声とともに、背中のマッサージが始まる。月白の細指が背中を這うように撫でるが、俺はちっとも気持ちよくなんかない。
「こんなに優しい後輩を持って、先輩は世界一幸せな先輩ですねー」
ふざけるな、この尻軽女め。実際には、軽いとは程遠い、脂肪のしっかり詰まった臀部が俺の背中にあるわけだが。
「先輩きもちいーですかー?」
こうやって他人の心を弄ぶのがこいつの趣味なのだろう。リラックスさせる気など毛頭ないではないか。
月白は平然とリモコンを操作し映画を見始めた。吹き替え声優の荘厳なナレーションが部室内に響く。俺を弄ぶのは、その片手間というわけだ。
「こうやって、ぐぅーっと背骨に沿って押すんですよ。身も心も癒されるでしょ?」
腹が立つ。
気安く体に触れてくる女は嫌いだし、心の中で悪態を吐くだけで抵抗なんか一切しない自分にも、ムカっ腹が立って仕方ない。
月白が俺に過剰なスキンシップをとるのは、何も今日が初めてのことじゃない。部室に来るたび、ほぼ毎回だ。今回みたいに上に乗ってきたり、腕を組んできたり、膝の上に頭を乗せてきたり、ワザはいろいろある。
その度に、俺は心がモヤモヤする。映画でよく見る、“爛れた関係”の一歩手前みたいで嫌だった。というか、完全なエロい関係になってないのは、俺が紳士的だからだ。
そう、一見おまえは優位に立っているように見えて、おまえは俺に生かされているだけなんだぞ。
俺がもし、理性のタガが外れたオオカミ男なら、おまえなんかイチコロだ。
「おまえってさ」俺は言う。「どんな男にでもこういうことしてんだろ」
「しませんよ」月白は即答だった。「誰にでもはしません」
「どんな奴にはするわけ」
「たとえば、先輩とか」
「おまえってさ」
「はい」
「俺のこと好きなのか」
そう問うた俺の喉は、完全に震え切っていた。
カラオケだったら大量に加点が入るくらいにはビブラートがかかっていた。反射的に口を押さえるが、もう遅い。ああ、恥ずかしい。
くそっ。
どうして声を震わせる必要がある。
これは確認作業だ。
こいつが俺のことを好いていないことくらい分かっている。だが、どうにもこの不安定で宙吊りな関係性は具合が悪いのだ。どんなに合格に自信がある試験でも、発表当日までは胸のつっかえが取れないだろう。
だから確認する。
こいつが俺を面白がって、からかっているだけだという事実を確認しよう。
「……」
そこで、月白はマッサージをしている手をピタリと止めて黙り込んだ。さっきは即答だったのに、今度は答えることに戸惑っている様子だ。
なんなんだ。
早くしてくれ。
言えばいいじゃないか、簡単なことだろう。
じゃあ何か、もしかしておまえは本当に俺のことが好きなのかよ。
こんな男を好きだって言うのか。
「先輩……わたし実は……」
「なっ、おまっ、ほんとに俺のこと」
「実はわたし、吸血鬼なんです」
……は?
「わたしがこうして先輩に近付いたり、身体に触ったり、一緒に映画見たりしてるのは、先輩の隙を伺ってたからですよ」
エサである先輩のね、と月白はにっこり笑った。その笑顔からは少し八重歯が覗き、鮮血のように真っ赤に光るあの眼は、俺を捉えて離さない。
そ、そうだったのか。
月白は吸血鬼だったのか。
その目はカラコンじゃなかったんだ。
だから俺はこいつの目が苦手だったのだ。
その金髪も美貌も、全ては吸血鬼だから。
点と点が繋がってしまった。
「つまりですね先輩」月白は俺にぐいっと顔を近づける。「先輩って今、隙だらけなんですよ」
そして、その事実に気付いてしまった俺に、逃れる術などもはやないのだろう。薄暗い部室の中、DVD映画の安っぽいサウンドだけが論理的存在だった。
そして、月白は、「かぷり」と俺の首筋に噛み付いたのだった。
唇の柔らかい感覚と、鈍い微痛。
そして、唾液混じりの温かさ。
思わず息を止めてしまう。
俺は、死ぬのか?
それとも眷属にされるのだろうか?
はたまた、月白専属の血液貯蔵庫として、これからも血を吸われ続けるのだろうか?
まあ、どれも悪い顛末ではない。
そんなことを考えてしまうくらいには、俺の頭はのぼせ上がっているのだった。
……ところで、先ほどから首筋に吸着している月白の口についてだが。
どうも、軽く歯を立てて赤子のようにちゅうちゅう皮膚を吸っているだけで、血を吸っているようには思えないぞ。
なんか、麻酔的なモノとかを分泌している最中なのだろうか。
「……ぷっ、くすすす」
「……え」
「あはははははっ。先輩、オモロすぎですってば。あーっはははははっは」
唐突に笑い出した月白と、困惑する俺。
い、いったいなんだってんだ。
「もしかして、先輩マジでわたしが吸血鬼だと信じ込んじゃいました? ウケる」
「はぁ?」
「んなわけないっしょ。ちょっとからかっただけですよー」
そう言って子供のように笑う月白は、さっきまでの妖艶で危険な雰囲気はまるで消え失せ、悪戯好きの子供のようだった。
からかわれていただけと知り、俺は急に恥ずかしくなる。馬鹿か。何を見事に引っかかっているんだ。
月白はまた俺に体を密着させ、今度は頭を撫でてくる。よしよしなんて言って、今度はママ気取りだ。
「先輩って結構ピュアですよねー。こんな突拍子もない嘘を信じちゃうなんて。やっぱり映画部の部長だからですかね?」
「う、うるさいなっ。俺が騙されたのはお前のせいなんだぞっ」
「え、どういうことですか?」
「お前の目だ」
「目?」
「お前の目があんまりにも綺麗だから。この世のものじゃないみたいに」
そう言い訳をすると、珍しく月白は目を丸くしてキョトンとしている。
「だから、もしかしたら吸血鬼かもって思ったんだ。一瞬だけな」
「……先輩ってさー、実はモテたりする?」
「は? なわけないだろ……」
「じゃあ教えますけど」月白は笑う。「そんなセリフ言われたら、女の子はすっごい嬉しいですからね」
そう言って、ぴょいとソファから離れると、荷物を持って立ち上がった。
「じゃあね先輩。また明日。明日こそ、先輩が“狼男”になるのを期待してますから」
バタンとドアが閉められ、薄暗い部室の中には、チープな映画のチープなBGMだけが流れる。
広くなったソファに寝転がり、愛用のクッションに顔を押し付ける。
ふん、誰が狼男になんかなってやるものか。
そう明日の自分に誓って、下校の時刻まで寝ることにした。
これはあるあるだと思うんですが、創作の主人公って理性強すぎですよね
僕だったら2秒ともたないですね
「ごちゃごちゃ言ってねーではよ襲え〜!」ってなるんですが、皆さんはどうでしょう
こんな後輩欲しかったと思う方は、是非とも高評価よろしくお願いします