婚約破棄と出会い
「本日を以てミヤ・ラインハート子爵令嬢とは婚約を破棄し、あらたにサリーナ・レンブラント公爵令嬢との婚約を発表する」
その日、わたしは幼馴染であるトーマス・ミラー公爵子息から婚約破棄をされた。
その日は、ミラー家の庭園でちょっとしたパーティーが行われた。
わたしは、まさかそれが彼のあらたな婚約発表のために開かれたパーティーだったとは、夢にも思わなかった。
だから、いまできる精一杯のおめかしをして隣家に赴いた。
そして、宴もたけなわになったころ、彼が発表することがあると参加者の注意を引いた。
彼の隣に立っているサリーナを見て、嫌な予感がした。
彼がちょっとした壇の上にサリーナの手を取って上がったのを見て、予感は確信に変わった。
告げられたわたしとの婚約破棄、つづいてサリーナとの婚約発表……。
わたしは、参加者の好奇の目にさらされて居た堪れなくなった。
婚約を破棄される理由はわかっている。だけど、こんな仕打ちをされるいわれはない。
ひそひそと囁き合う周囲。じろじろと見つめる瞳。
わたしの顔は、恥ずかしさで真っ赤になっていただろう。
気がついたら、自分の屋敷に戻っていた。
不思議と涙は出なかった。
自分の中で、いつかこうなることはわかっていたから。
ただ、まさかこんな仕打ちをされるとは思わなかった。
わたしは、これでまた一つ失った。
近いうちに、屋敷も失うことになる。同時に、将来も……。
友人であると同時に婚約者でもある、いえ、婚約者でもあったトーマス、それから、親友のサリーナを失ったのは、そんな「失うものリスト」の中の一つなだけ。
そう思うことにした。
そう思うことにはしたのだけど……。
三か月後
今日も暑い。
ただじっとしていても汗ばんでくる。
屋敷内は、あらかた片付いた。とはいえ、わたしが持っていけるものは身の回りの物だけ。
そのほとんどが、後見人である叔父夫婦が管理することになる。
管理、というよりかは奪われることになる。
埃がたまらないよう、毎日拭き掃除や掃き掃除をしている。
それでも、何もしないよりかはましかもしれない。
すべての窓を全開にし、空気の入れ替えを行う。
表側の窓を開けたとき、門前にだれかがいることに気がついた。
遠乗りかしら?馬もいる。
ウロウロと何かを探しているのか、困っているようにも見える。
何か予感がしたので、声をかけてみることにした。
「どうかされましたか?」
門まで走ってゆき、金髪の男性の背に声をかけてみた。
「ああ、よかった」
ぱっと振り返ったその顔が、美しすぎてキラキラ光り輝いている。
目がくらんでしまったのは、頭上でギラギラ照っている太陽のせいじゃないはず。
「連れがこの暑さで調子を悪くしましてね。隣の屋敷に助けを求めたのですが、体良く断られてしまいました」
美しい男性は、そういいながら切れ長の目を隣の屋敷へと向けた。
ミラー公爵家は、見知らぬ人を警戒するでしょう。ましてや、救いの手を差し伸べることもない。
いえ、たとえ知っている人であっても、決して救いの手を差し伸べることはない。
彼と彼の馬越しに、街路樹の下で三人の青年が見える。中の一人は、座り込んで木の幹に背中を預けている。
この暑さですもの。水分不足か何かで調子を悪くされたのね。
「まぁ、大変だわ。どうぞ中にお入りください。大したことはできませんが、冷たいお水をお持ちいたします」
「ありがたい。おいっ、ご令嬢が助けてくださるそうだ」
彼が声をかけると、青年の一人が具合の悪い人に肩を貸し、もう一人が馬の手綱を取ってこちらにやってきた。
とりあえず、四頭もの馬が使える厩がない。前庭の木の下につないでもらった。
それから、かれらを居間に通し、具合の悪い人には長椅子に横になってもらった。
人数分の冷たい水をカップに準備し、桶に冷たい水を張り、タオルを持ってきてそれらを居間に運んだ。
具合の悪い人には少しずつお水を飲んでもらい、冷たく冷やしたタオルで顔や首筋を拭いてあげた。
よかった……。
どうやら、大したことはないみたい。
「しばらく横になっていてください。じきによくなりますよ」
「ありがとうございます」
わたしと同じくらいの年齢の青年は、横になると瞼を閉じた。
「助かりました。えー」
「申しおくれました。ミヤ・ラインハートと申します」
「では、ここはラインハート子爵家?失礼。わたしは、レイ・ガレットです。ミヤ。あらためてありがとうと言わせてほしい。きみに助けてもらわなかったら、かれはこんなことではすまなかっただろう」
レイが頭を下げると、残りの青年二人も同時に頭を下げた。
「当然のことをしたまでです。それよりも、こんな寂れたところで申し訳ありません。どうかおくつろぎください。お水のおかわりはいかがですか?もしよろしければ、冷たいレモネードをお持ちしますけど」
「そうでしたね。ここには、炭酸泉なるものが湧いているときいたことがある。ぜひ、よばれてみたいものです」
レイに言われ、少しうれしくなった。
ラインハート家は、貴族の中ではパッとしない。だけど、裏庭に炭酸泉が湧いている。なぜか、ここにだけ湧いているのである。
昔、亡くなった母が、それでレモネードなるものを作って幼いわたしに飲ませてくれた。
とってもさわやかでおいしい飲み物で、わたしは大好きになった。
それを、父が売りだしたのである。
レモネードは、あっという間に王都に広まった。そして、それはラインハート家の収入源となった。
一時期は、使用人を数名雇えるほどの収入があった。
それも束の間、そのレモネードに異物が混入しているという噂が広まった。当然、売れ行きは激減してしまう。
父は借金をつくるまえに、事業をたたむ決心をした。
そのときの心労が、父の心身を蝕んだ。父は、病の床に就いてしまった。そして、亡くなった。それが、去年のことである。
父の死から間もなく、幼いころから親同士で決めていた婚約が破棄されてしまった。
そんな経緯があるけれど、かれらはレモネードの噂を知っていても、飲んでみたいと言ってくれた。
それが、なによりうれしくなってしまった。
氷を入れたグラスとレモネードを入れたピッチャーをお盆に載せ、居間に戻った。
「これは、うまい」
「さわやかですね」
「あの、おかわりしていいですか?」
レイだけでなく、二人の青年も機嫌よく飲んでくれた。それから、具合の悪い青年も起き上がってほしいと言うので、運んできて飲んでもらった。
かれは、顔色が大分とよくなっている。
それから、レイたちとしばらく話をした。
やはり、遠乗りに行く途中だったとか。
その午後は、何年かぶりに楽しいひと時をすごすことが出来た。
後日、レイがあらためてお礼にきてくれた。
以降、かれはときどき訪れてくれる。
その際には、おいしいと評判だからとケーキやチョコレートを持参してくれる。
そのどれもが見たこともないようなおしゃれなもので、とってもおいしいのである。
いつしか、わたしはかれが訪れてくれるのを心待ちにするようになっていた。
もちろん、手土産をというわけではない。
かれとの会話が、とても楽しいのである。とはいえ、ほとんどわたしが愚痴を言っている気がするけど。
たとえ会話がなくっても、かれが側にいてくれるだけで不思議と心が休まる。
こんなことは、元婚約者とのトーマスには抱かなかった。
そうだった。もともと、婚約者とはいえかれとはほとんどお付き合いがなかった。
お隣さん同士ということで、幼いころには遊びもしたけど、年齢を重ねるごとにその回数も減ってしまい、婚約破棄される前には、お父様の病のせいもあってほとんど会っていなかった。
だから、そもそもそんな感情を抱くわけもないということね。
そんなレイとの日々も、もうすぐおしまいになる。
来月には、この屋敷を出て行かなければならないからである。
この先のことは、まだ何も考えていない。
とりあえずは、昔、ラインハート家が使っていた狩猟小屋が郊外にあるらしいから、そちらに行ってみようか。
いくらなんでも、叔父夫婦もどうなっているかわからないような狩猟小屋までわたしから取り上げることはないでしょう。
そうと決まったら、なるべく早くこの屋敷を出た方がいいかもしれない。
叔父夫婦の催促にもうんざりしていることだし。
でも、せっかく知り合ったレイとお別れするのは寂しい気がする。
だけど、そうも言っていられない。
わたしがしっかりしてないから、この屋敷をみすみす叔父夫婦にとられてしまうわけだし……。
つぎにかれが訪れたときには、かならず話をしよう。
そう決心したものの、心は穏やかではない。
その翌日、隣家から招待状が届いた。
トーマスとサリーナの結婚式の日取りが決まり、その報告もかねてパーティーを開くらしい。
日頃から親交のある貴族子女を招くという。しかも、是非とも同伴者とともにお越しくださいと記載されている。
つまり、婚約者や伴侶と来なさいということなのね。
トーマスとサリーナは、わたしをまだ貶め足りないらしい。
世捨て人同然のわたしに、婚約者どころか異性の友人すらいないことがわかっているはずなのに。
それでも行かないわけにはいかない。
行かなければ、「これだからラインハート家は」と、亡くなったお父様やお母様の名誉を傷つけることになるでしょう。
ふと、レイのキラキラした姿が頭の中に浮かんだ。
友人としてでもいっしょに来てくれたら……。
だめだめ。
わたしなんか、かれとつり合いがとれるわけがない。
音がするほど頭を左右に振り、そんな愚かなアイデアを吹き飛ばした。
そんなとき、ひさしぶりにレイが訪れてくれた。
「すまない。ここだけの話なんだが、王宮でちょっとした事件があってね。その調査で忙しくしていたんだ」
かれは、長椅子に座ってレモネードをいっきに飲みほしてから言った。
おかわりを渡すと、かれはそれもいっきに飲みほした。
三杯目と四杯目を取りに厨房に向かいながら、そういえば、かれが何をしているのか、あるいはどういう人なのか、知らないことに気がついた。
いつもわたしが愚痴ばかり言っている気がする。かれはそれをきいてくれて、共感してくれたりアドバイスをしてくれる。
それに慣れきってしまっていて、かれ自身のことを尋ねたこともなかった。
いまさらながら、かれ自身のことを知らないことに驚いてしまった。
「大変ですね。解決しそうですか?」
とりあえず三杯目と四杯目のレモネードをテーブルの上に置きながら尋ねると、かれは笑って「おおよそは」、と答えた。
「あ、失礼しました」
テーブルの上に、例の招待状が置きっぱなしになっている。かれの視線がそこにとどまったので、慌てて手にとった。
「招待状?」
「はい」
話すつもりなんてなかったのに、かれにやさしくきかれてついぺらぺらとしゃべってしまった。
かれには、婚約破棄をされたことやラインハート家の実情を話している。
わたしの話を、いまも辛抱強くきいてくれている。
「それはいつ?」
「二日後です」
「二日後か……」
かれは、窓の外に視線を移した。
前庭の木の下で、かれの馬が草を食んでいる。
「よし。それまでになんとかなるかもしれない。いや、なんとかしよう」
かれはそうつぶやくと、こちらに視線を戻した。
「どうだろう?きみには迷惑かもしれないが、わたしがきみの婚約者になるというのは。もちろん、ふり、だよ」
その突然の申し出に、わたしは心底驚いてしまった。
「いいえ。いくらふりでも、あなたと公の場に出れば、あなたの名誉を傷つけることになります」
気持ちはうれしいけど、やはりかれとわたしとではまったくと言っていいほど釣り合わない。
「名誉?」
かれは、その言葉を初めてきくように不思議そうにつぶやいた。
「わたしは、きみのことが……。ああ、いや、いい友人だと思っている。名誉は関係はない。もちろん、それが迷惑なら……」
「わたしが迷惑だなんて……。あなたに迷惑がかかります」
「だったら、OKだということだね」
かれの顔に、キラキラする笑みが浮かんだ。
「それならば、当日集まってくる貴族令嬢や子息たちを驚かせよう。もちろん、主役の二人もね」
それから、かれはウインクをした。
その表情は、イタズラをたくらむ子どものそれだった。
パーティーの当日、かれと最初に出会ったときに調子の悪かった青年が訪れてくれた。
かれも最初に出会った後、何度か訪れてくれている。
「こちらをお渡しするようにと」
かれは、いくつもの箱を運び込んだ。
「後程、あなたの身支度を整えてくれるメイドがまいります。それから、これを」
かれは、真っ白い封筒を差しだした。
開けてみると、薔薇のいいにおいがする。
すごくきれいな文字で「少し遅くなるかもしれない。かならず行くから、先に行ってパーティーを楽しんでいてほしい」、と書かれている。
「ありがとうございます」
かれにお礼を言うと、かれはもじもじしている。
「あ、そうでした。レモネードですよね。さあ、居間にどうぞ。すぐにお持ちします」
「いえ、急ぎますので。ここでいただいていいですか?」
かれもまた、レモネードをすっかり気に入ってくれている。
だから、三杯分のレモネードを用意して玄関先へ運んだ。
「ああ、これです。生き返りました。ごちそうさまでした。またお会いしましょう」
かれは慌ただしく三杯のレモネードを飲み干し、屋敷を去った。
かれが去った後、かれが運んでくれた箱を確認してみた。
すると、ドレスや装飾品、靴など、パーティーに参加するためのものが一式そろっている。
そのタイミングで、さきほどかれが言っていたメイドの方が訪れてくれた。
きけば、レイのお屋敷で長年メイド長を務めていらっしゃる方らしい。
身支度を整えてくれながら、レイとメイド長とで話し合いながらドレスなどすべて購入してくれたらしい。
驚きは驚きだけど、それ以上に申しわけなくなってしまった。
あの暑い日にお水とレモネードをふるまっただけなのに、ここまでしてくださるなんて。