表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

切り裂かれた喉

「あっ、もしもしお姉ちゃん。うん、今から帰るところ。迎え? いいよ、酔い覚ましに歩いて帰るから。うん、うん、じゃあね」

 彼女は電話を切って、夜道を歩き始めた。周囲には人っ子一人いない。街灯だけが頼りだった。

「やっぱり迎えに来てもらったほうが良かったかな」

 彼女は周囲の静けさに体をぶるりと震わせ、駆け足で家を目指した。

 カツン。

「な、何?」

 彼女は足を止めた。カツン。カツン。甲高い音が近づいてくる。いつの間にか街灯は消えていた。




「今朝、死体で発見されたのはアンジェリカ・ミラー。センターパークの遊歩道に倒れていたところをジョギング中の通行人が発見しました。昨日、一昨日と続けて見つかったミラ・マジェンダ、アンドレ・ブルンソンと同様の手口で殺されています」

 ニッキーはボードに貼られた写真を指差しながら、説明した。写真の女性二人と男性一人は喉をざっくりと切られて、殺害されている。

「殺されたのは三人だけか?」

 鋭い目つきで、ベテランのダンが問いかけた。

「今のところ、見つかっているのは三人だけです」

 ニッキーの返答に対して、ダンは眉間にしわを寄せ、厳しい表情を浮かべた。

「おいおい、他に何か情報はねえのかよ?」

 アイスは資料を見ながら、呆れたように声を上げた。

「被害者に共通点はないらしくて、捜査は難航しています。分かっているのは被害者の名前と手口くらいですね。あぁ、それと発見場所と殺害現場は別ですね」

 ニッキーはボードに判明している情報を書いた。

「発見場所はよぉ、確か一人目は公園のベンチ、二人目はバス停、三人目は散歩コース、どれも共通点はないよなぁ」

 アイスは頭をぽりぽりとかき、うーんと困ったような声を出した。

「いや、あるぞ。どれも人目につきやすい場所だ。少なくとも犯人は死体を隠そうとはしていない。見つかっても構わないと考えているんじゃないか?」

 ただ一人ダンだけは、発見場所に共通項を見出していた。共通項と呼べるほどではないかもしれないが、ダンは"死体を隠そうとしていない"という点が突破口になると考えていた。

「これだけの情報じゃ、何を言っても憶測にしかならない。ニッキーは私と警察に、ダンとアイスは現場に行ってくれ。ミーシアは被害者に接点がないかもう一度洗いなおしてくれ」

 チームリーダーのシルヴィは立ち上がり、部屋を後にした。

「やれやれ、リーダーは行動が早いな」

 アイスは呆れたような、感心したような声を出した。

「それがシルヴィのいいところだ」

 ダンはニヤリとウィンクして、アイスの背を押した。

「ですね」





「あぁ、『SKK』の皆さん、よく来てくれました。私が署長のマイクです」

「私はニッキーです。こちらはリーダーのシルヴィ」

「シルヴィだ、よろしく。早速で申し訳ないが、マイク署長、今分かっていることを教えてくれ」

「えぇ、こちらへ」

 シルヴィとニッキーが案内されたのは会議室だった。

「一人目と二人目の被害者遺族に話を聞きましたが、特にトラブルはなかったようです。ここ最近変わったこともなかったみたいですし、無差別殺人では?」

「結論を出すには早い。もう少し捜査を進めてからでないと。マイク署長、そちらの捜査員を借りても?」

「えぇ、ちょうど手の空いている者が。おーい、キッド、こっちへ来い」

 マイク署長の呼びかけに、一人の青年が慌てて会議室に入ってきた。

「はい、何でしょう?」

 青年はまだ若く、少年と言っても通じるほど、幼い顔をしていた。

「キッドよ。こちら『SKK』のシルヴィさんとニッキーさんだ。捜査を手伝ってやってくれ」

 マイク署長の頼みに、キッドはぼけーっとした表情を浮かべ、慌てたように敬礼した。

「りょ、了解しました。ぜ、全身全霊をかけて全力で捜査をお手伝いちまっ……」

 噛んだことに赤くなっているキッドを見て、シルヴィはこいつ大丈夫か? と失礼なことを思った。





「ここが発見現場か。散歩道の中でも目立つ場所だな。なんでこんなところに遺体を捨てたんだ?」

 アイスは散歩道の端に立ち、周囲を見渡した。

「やはり隠す気がなかったのかもしれないな」

 ダンもアイスの隣に立ち、周囲に目を向ける。

「ここは殺害現場じゃない。犯人はわざわざ目立つ場所に捨てたってことになる。どうして?」

「すぐに見つけて欲しかったんじゃないか」

「つまり犯人のメッセージ」

「そうなるな」

 アイスとダンは発見現場を入念に調べた。

「見てみろ。この現場には血があまり落ちていない」

「殺してから捨てるまで間があったってことか。犯人は殺害現場でいったい何をしてたんだ?」

 アイスとダンは判明している殺害現場へと足を運んだ。





「アンジェリカ・ミラーのお姉さんですか? 私はニッキー」

「どうも」

 アンジェリカが殺されたという連絡を受け、姉のミランダは警察署にやってきていた。

「アンジェリカと最後に会ったのはいつ?」

「昨夜の十時頃に電話で話しました」

 被害者のアンジェリカは、昨夜の十時十分から三十分の間に殺害されていた。

「ミランダ、最近、アンジェリカに変わったことはなかった?」

 ニッキーの問いかけにミランダは首を横に振った。

「いえ、普段と変わりありませんでした。何かトラブルがあったとも聞いてないし、本当にどうしてこんなことに」

 ニッキーの耳に、シルヴィが口を寄せる。

「確か一人目と二人目の被害者も変わった様子はなかったと言ってなかったか?」

「えぇ」

 と、ニッキーは答えた。

「私、電話したとき迎えに行くって言ったんだけど、あの子、歩いて帰るからって。あのとき私が行っていれば、こんなことには……」

 ミランダは声を詰まらせ、泣き出した。

「ミランダ、君のせいではない。悪いのは犯人だ」

 シルヴィはミランダの肩に手を回し、幼子をあやすようにポンポンと叩いた。

「あの子を殺した犯人を捕まえてください」

 ミランダの悲痛な叫びに、シルヴィは「任せておけ」と答えた。





「殺害現場は林の中か」

 散歩道を脇に入り、十分ほど歩いたところがアンジェリカの殺害現場だった。

「林が生い茂っているから、人目につきにくい。殺すにはうってつけの場所だと言えるな」

 ダンは周囲を見渡し、突然しゃがみこんだ。

「何か見つけたんッスか」

 アイスはダンに近づき、しゃがみこむ。ダンの指差す先を見て、アイスは納得の表情を浮かべた。

「引きずった跡がある。あれは両足の跡だな。おい、あれは誰のものだ?」

 アイスは近くにいた捜査官を呼び、引きずった跡について聞いた。

「はい、あれは被害者のものです」

 捜査官は手元の資料をぱらぱらとめくり、答えた。

「君、この靴跡は誰のものかね」

 ダンの問いかけに、捜査官は「被害者の靴跡とは一致しないため、おそらく犯人のものかと」と言った。

「ってことはだ。犯人は被害者を散歩道から林の中に引きずり込んで殺して、わざわざ散歩道に戻って捨てたってことになる」

「散歩道で殺さなかったのは見つかるリスクを恐れてだろう。だとしたらやはり、人目につく場所に捨てたということが犯人を絞り込む鍵になるな」

 アイスとダンは殺害現場を入念に調べ始めた。

「ダン、ここに死体を寝かせた跡がある」

「こっちには地面に膝をついた跡があるぞ」

「犯人はいったい何をやってたんですかね」

「何かの儀式かもしれん」

 二人は死体の状況を詳しく知るため、検死官のところへと向かった。





「キッド、何か見つけたか?」

「まだ何も」

 シルヴィはマイク署長から借りたキッドを引き連れ、被害者の部屋を調べていた。

「イマドキの女の子って感じの部屋だなぁ」

 キッドはぼけっとした表情で呟いた。アンジェリカの部屋はかわいらしいもので溢れていた。

「性格はあまり可愛くはないな」

「えっ?」

 シルヴィは日記帳に目を通していた。友達や恋人、道ですれ違っただけの人などの悪口が事細かに書かれている。

「お姉さんが知らなかっただけで、誰かとトラブルになっていた可能性は十分にあるな」

 シルヴィは日記帳に書かれていた名前をリストアップし、ミーシアへと送った。

「よし、一人目と二人目の被害者の家へ行くぞ」

 シルヴィの指示に、キッドは「はい」と元気良く返事をした。





「被害者の喉に、ピアスの跡があっただって?」

 アイスはアンジェリカの死体に目をやった。

「あぁ、喉にピアスを押し当てたようだ。ほら、ここにピアスの跡が」

 検死官の示した場所を、アイスは覗き込んだ。喉にうっすらとピアスの形が残っている。

「調べてみたら、男性用のピアスがヒットした。ほらこれだ」

 検視官は男性用ピアスの写真を出した。

「なんでピアスなんか押し当てたんだ?」

 アイスは写真を手に取り、しげしげと眺めている。

「ピアスを押し当てたのではなく、耳を押し当てたのかもしれん」

 アンジェリカの喉に目をやり、ダンは呟いた。

「見てみろ。手で押し当てたにしてはピアスの跡がゆがんでる。犯人はピアスを押し当てているつもりはなかったと考えるべきだ」

 ダンの指摘に、アイスは納得の意を示した。

「なるほど。なぁ、耳を押し当てたのは喉を切る前か、それとも切った後か?」

 アイスは検死官に尋ねた。喉を切る前と後では大きな違いがある。

「喉を切った後だよ」

 検死官の答えに、ダンの目がきらりと光った。

「一人目と二人目の被害者の喉はどうなっていた?」

「そういうと思って調べといたよ。一人目と二人目の喉にもピアスの跡があった」

 ダンの質問に、検死官は即座に答えた。

「ありがとう。助かったよ」

 アイスとダンはその場を後にした。

「喉に耳を押し当てる。それが犯人の儀式。だから殺してから捨てるまでに間があったんだ」

「被害者を寝転がせたのは耳を押し当てやすくするためだろう。膝をついたのも同じ理由だ」

「問題はなぜ耳を押し当てたか」

「そこにきっと犯人の動機がある」





「みんな集まってくれたか。こっちの青年は捜査を手伝ってくれているキッドだ」

 キッドはよろしくと頭を下げた。情報を集めた『SKK』のメンバーは捜査本部へと戻ってきていた。

「ミーシアから報告だ」

 シルヴィは携帯のスピーカーをオンにした。

「はいはーい、皆さんお待ちかね、ミーシアちゃんだよー。いろいろと調べたんだけどさ、被害者同士に接点は見つからなかったんだよね。生活エリアは被ってるから、どこかで会っているかもしれないけど、接点というほどじゃないね。あとシルヴィが送ってくれたリストの名前を調べたけど、被害者と口喧嘩したことはあっても、殺すほどの動機を持った奴はいないね。まぁ、調べた限りはだけど。でも一つ気になることが」

 テンポ良く喋っていたミーシアが声のトーンを落とした。

「関係あるかどうかは分からないんだけどさ、一人目の被害者アンドレ・ブルンソンが殺害された前の日、絞殺事件があったんだよね。しかもその前の日にも絞殺事件があってさ、二件ともまだ未解決なんだよ。喉を切られたわけじゃないけどさ、喉を絞められたって点が引っかかって、一応資料をまとめて送っといたから見てよ」

 シルヴィたちは絞殺事件の資料に目を通した。そのときアイスが驚きの声を上げた。

「おいおい、これは当たりかもしんねえぜ。被害者の喉にピアスの跡があったみてぇだ」

 資料に添付された被害者の写真には、確かに喉にピアスを押し付けられた跡があった。

「同一犯に間違いないだろう」

 ダンの言葉にチーム全員が頷いた。ただし捜査を手伝っているキッドだけは頭にハテナを浮かべていた。

「でも手口が……」

 キッドは疑問を声に出した。手口が違う以上、同一犯ではない可能性があると思ったからだ。

「あのなキッド、喉に耳を押し当てる殺人犯が二人もいると思うか」

 シルヴィの呆れたような声にキッドは反論できなかった。

「絞殺から喉を切る手口に変えたのにはきっと理由がある。喉を絞める手口ではダメだったんだ。喉を切るという行為でないと犯人は満足できなかった」

 そこに犯人に繋がる糸口があるとシルヴィは直感した。

「よし、奴と連絡を取るぞ」

 シルヴィはパソコンを立ち上げ、ビデオチャットのソフトを起動させた。

「あまり気は進まねぇな」

 アイスは苦虫を噛み潰した表情をしている。それはダンもニッキーも一緒だった。

「くくっ、ようやく僕の出番がやってきたか。待ちくたびれたよ」

 パソコンの画面に映し出されたのは一人の少年だった。両手両足を拘束され、檻の中に閉じ込められている。檻の前には屈強な男が二人、立っていた。

「あれはいったい?」

 キッドの疑問に答えたのは、ニッキーだった。

「ウチのブレイン、アポロ・サラマンドル。元シリアルキラーよ」

 ニタリと不気味な笑顔を浮かべたアポロは、

「さて、僕は何をすればいいのかな?」

 と、陽気な声を上げた。

 




「なるほどなるほど、事件のあらましは大体理解した。この僕が鮮やかに犯人の思考をトレースしてみせよう」

 元シリアルキラー、アポロは飄々とした態度を浮かべていた。

「まず僕の話からしようか。僕は悪人が嫌いでね。犯罪を犯しながら、のうのうと生きている輩が許せなかった。奴ら悪人が野放しになっているのは警察が捕まえないからだ。だったら僕が捕まえればいい。だから僕は裁きを下す処刑人として、犯罪者を燃やしたのさ」

 アポロは楽しげな口調で、自らの罪を語る。

「重要なのはなぜ僕が燃やすという手口を選んだのか。答えは単純明快。悪い心を浄化したかったから。悪人の肉片を一片たりともこの世に残しておきたくなかったから。手口は動機に直結する。今回の犯人が喉を絞める手口から喉を切る手口に変えたのは、後者のほうが欲求を満たせると気づいたからだ」

 シルヴィは真剣な顔で、アポロの話を聞いていた。

「犯人の欲求とは何だ?」

 アポロはうーんと唸った。数瞬の間を置き、答える。

「手口を変えても傷つける部位が変わらなかったことを見ると、喉がキーを握っているのは間違いない。ここで一つ質問だ。なぜ犯人は喉に耳を押し当てたと思う」

 アポロはニヤニヤと笑っている。まるで答えを知っているかのように。

「分かっているならさっさと言え」

 シルヴィはこめかみをひくつかせ、怒鳴った。

「はいはい。犯人は聞いてたのさ。耳で音を。喉から漏れ聞こえる声を。喉を絞めたのは声を殺すため、喉を切るようになったのはより効率的に声を殺せると気づいたから。耳を押し当てたのは、喉の切り傷から漏れる空気の音が聞こえなくなるのを確認してたから。ここまで言えば、あんたたちなら分かるだろうさ」

 アポロはダンに向かってウィンクした。それはあんたなら解けるだろうと言っているかのようだった。

「声を殺す……そうか!」

 ダンはふと呟き、電話を手に取った。

「ミーシア、確か被害者の生活エリアは重なっているんだったな?」

「そうだよ。それがどうしたの?」

「重なっている生活エリアの中で、クレームの窓口を設けている店がないか調べてくれ。店で直接文句が言える場所に限定してな」

「なるほど、そういうことね」

「それと被害者がクレームを入れていたかどうかもだ」

「はいはーい、大至急」

 通話を終えたダンは一息ついた。

「そうかクレームか。それなら被害者同士に接点がない理由も説明できる。よく分かりましたね」

 アイスは感心したように言った。

「考えてもみろ。犯人はわざわざ人気のない場所で殺害してから、人目のつく場所に遺体を捨てている。犯人は何かを訴えたかったとしか考えられん。さっきアポロが言った声を殺すというのは、言い換えれば声を奪うということだ。きっと犯人は"もう自分に声は届かない"と言いたかったんだ」

「声を煩わしく思うのはクレームってことか」

 ダンの説明にアイスは納得の声を上げた。

「さすが我らがダンだな。私たちも被害者遺族に話を聞きに行くぞ」

 真っ先に部屋を飛び出したシルヴィを追って、ダンたちも遺族のもとへと向かった。





「アンドレ・ブルンソンは怒りっぽくしょっちゅうあちこちの店にクレームを入れていたそうだ」

「ミラ・マジェンダはどうやら筋金入りのクレーマーだったみてぇだ」

「アンジェリカ・ミラーもよく文句を言っていたらしい」

 シルヴィ、アイス、ダンは被害者遺族から話を聞き、その結果を報告しあった。

「はいはーい、ミーシアちゃんだよ。みんなの情報を元に検索したら、ヒットしたよ。被害者たちがクレームを入れていたお店で共通していたのは、スーパーマーケットの『ショッキング』。被害者全員のクレームを担当していたのはクレッグ・ダンケルって男だよ。容疑者の職場と家の住所を送るよ。あと写真もね」

 情報を受け取ったシルヴィはキッドと共に職場へ、アイスとダンは自宅へと向かった。


「シルヴィ、クレッグの家に血痕のついた服があった」

 アイスはクレッグの自宅で証拠となる服を見つけた。

「それと日記も見つけたぞ。えーっと何々」

 ヒステリックなおばさんが今日もクレームを言いにきた。いい加減うんざりしてきた。あぁ、うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい。そうか、声を奪えばいいんだ。

 僕はおばさんの後をつけて暗がりに引きずり込んで首を絞めた。まだうるさい。喉に耳を押し当て、声が聞こえなくなるまで待った。

 僕はおばさんを抱え上げ、ゴミ捨て場に捨てた。クレームなんて怖くない。理不尽な文句になんて負けない。

 思い知らせてやる。僕を追い詰めたことを後悔させてやる。この世からクレーマーを消してやるんだ。

 それは僕にしかできない仕事だ。クレーマーに悩んでいるみんな、見ていてくれ。僕の勇姿を。君たちにも見せてやる。愚かなるクレーマーの最期の姿を。

「人目につく場所に捨てたのは、同じ悩みを持つ者に見て欲しかったからか」

 ダンは哀れむような表情を浮かべた。その手から日記を取ったアイスは「自分勝手な正義を降りまいてんじゃねえよ」と吐き捨てた。


「クレッグという男はいないか?」

 アイスから連絡を受けたシルヴィは『ショッキング』へと足を踏み入れるなり、近くにいた店員に詰め寄った。

「クレッグなら、お客さんに文句言われたとかで、さっき帰っちまったよ」

 店員はやれやれと肩をすくめた。

「それは揉めていたということか?」

「え、えぇ」

「いつの話だ?」

「えっと十分くらい前かな?」

 シルヴィはニッキーに連絡を入れた。

「まずいことになった。ニッキー、警察と協力して緊急手配をかけてくれ。急がないと人が死ぬ」

「了解」

 ニッキーはすぐにマイク署長に状況を説明し、クレッグ・ダンケルに緊急手配をかけた。

「シルヴィ、手配したわ」

「よくやった」





「シルヴィ、クレッグを見かけたという情報が」

 シルヴィとキッドは、クレッグがいるという場所へ大急ぎで向かった。

 そこは廃工場だった。シルヴィとキッドは拳銃を構え、中の様子を伺う。

「キッド、お前は裏から回れ。いいか、犯人を見つけても応援が来るまで待機しろ。分かったな」

「はい」

 キッドは廃工場の裏手へと走り、扉を開けた。息を殺して、廃工場内を見渡す。

「――や、止めて」

 女性のか細い声が聞こえた。キッドは気取られないように足音を殺しつつ、悲鳴の聞こえた方向へと急ぐ。

「――止めないよ。僕に喧嘩を売ったのは君だ。僕は買っただけだ。悪いのは君なんだよ。被害者面はよしてくれ。反吐が出る」

「(いた!)」

 キッドは犯人のクレッグを見つけた。クレッグの凶行が女性に迫ろうとしている。

「警察だ、手を上げろ」

 キッドは飛び込んだ。


「(あのバカ)」

 シルヴィはこめかみをひくつかせながら、慎重に足を進めていた。

 犯人を取り逃がすわけにはいかない。確実に捕まえるために、シルヴィは応援が来るまで待てと念を押したのだ。

 犯人の神経を逆なでしては、人質に危害が加わる恐れもある。無茶をしなければいいが、とシルヴィは願った。


「クレッグ・ダンケルだな。もう逃げられないぞ。彼女を放せ」

 シルヴィがそう考えていることは露知らず、キッドは堂々と姿を犯人の前に現していた。そう犯人の前にである。

 クレッグは女性を左腕で拘束し、ナイフを喉に突きつけていた。これでは拳銃が抑止力にならない。人質に当たる恐れがあるからだ。

 犯人は女性を楯にできる。女性が傷ついても構わないから。

 キッドは拳銃を撃てない。女性を傷つけることはできないから。

 犯人の前に姿を現した時点で、キッドは致命的なミスを犯していた。――そのはずだった。

 だがキッドの顔に焦りはない。それどころか余裕さえ浮かべていた。

「何がおかしい。こっちには人質がいるんだぞ」

 クレッグの声は震えていた。キッドの余裕に、動揺していたのだ。

「君はバカだな。人質さえ取れば勝てると本気で思っているのか? 僕は新米だけど、警察官だ。人質が取られた場合の対策は熟知している」

 キッドはどこか不敵にも思える笑みを浮かべた。

「は、はったりに決まってる」

 自信満々なキッドの態度に、クレッグは徐々に追い詰められていた。

「はったりじゃないよ。誰だってちょっと考えれば分かることだ。あぁ、でも君にはムリか。見た目からして頭悪そうだもんな。ごめんよ、君の知能レベルに合わせた会話ができなくて。ほんと低脳な人間には困るね。まともに会話できないんだから」

 クレッグのこめかみがぴくりと引きつった。歯軋りの音がする。

「君の持っているナイフ、安物だろ。見た目からして切れ味悪そうだ。よくそんなもの使ってるな。それ君の店の商品だろ。あそこの商品って質悪いからな。僕もあそこでさ商品買ったことあるんだけど、あまりにも出来が悪いもんだから、すぐに利用しなくなったよ。けど一番ダメだったのは店員の態度だったな。そうそう今の君みたいに、頭の悪いことしか言わないもんだから、まいっちゃったよ」

 歯軋りの音が激しくなる。クレッグの目は血走っていた。

「黙れ、黙れ、黙れー」

 クレッグは女性を突き飛ばし、キッドに向かって走った。

「シルヴィ、女性は任せたよ」

 その一言にクレッグの動きが一瞬止まる。その隙を見逃さず、キッドはクレッグの右手を撃ち抜いた。

「ぐああああ」

 甲高い音を立てて、ナイフが床に落ちた。キッドは一目散に走ってナイフを蹴飛ばし、クレッグに手錠をかける。

「犯人、逮捕」

 キッドのニコっとした笑みを横目に見つつ、シルヴィは人質にされていた女性を保護した。

「キッド、お前、なかなかやるな」

 シルヴィは感心していた。キッドの手腕に。クレッグはクレーマーに対する怒りで犯行を重ねていた。だからこそキッドは罵倒の言葉を浴びせ、クレッグのクレーマーへの怒りを刺激し、殺意を自らに向けさせたのだ。すべては人質を無傷で救出するために。

「シルヴィなら分かるって信じてたから」

 キッドは真っ直ぐな目を向けた。シルヴィは一瞬だけドキッとし、穏やかな笑顔を見せた。






 ――二日後。

 アイスたちはシルヴィに呼び出され、『SKK』の本部に集まっていた。

「今日、集まってもらったのは他でもない。重要なニュースを知らせるためだ」

 シルヴィは厳かな雰囲気で、そう言った。物々しい雰囲気に、アイスたちは何事かと構える。

 するとシルヴィが笑い出した。急に笑い出したシルヴィに、アイスたちはいよいよおかしくなかったかと本気で心配し始めた。

「そう構える必要はない。良いニュースだからな」

 シルヴィはニヤリと笑い、部屋の入り口を手で示した。

「紹介しよう。今日から『SKK』で働いてもらうことになる――」

 緊張した面持ちで一人の青年が入ってきた。少年にも見えるあどけない顔をした青年に、アイスたちは見覚えがあった。

「――キッド。キッド・ガンマン。みなさんよろしく」

 そう言ってキッドは照れくさそうに笑った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ