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ずっと見ていた  作者:
4/4

結 冴木伊織という女の、記録

 貝塚高志が目を覚まし、そして再び目を瞑るまでを、私はずっと見ていた。

 私が中学時代にたてた誓約は、これで残すところ最終章のみとなる。


 思えば、徹頭徹尾、貝塚高志は凡庸以下の低脳であり、期待以上の低脳であった。


 なぜ私の書いた告発文を信じ切ったのだろうか。首をかしげる箇所など、いくらでもあっただろう。そういう風に書いたつもりなのだから。


 あの告発文で、私について真実を書いたのは、自分の名前くらいなものだ。そもそも私に兄は存在しないし、生と死の狭間などに興味はない。

 そんなものに美を感じるような感性は、私には備わっていない。


 確かに、あの告発文を作成する際、気をつけたことがある。私は貝塚高志から見た冴木伊織を想像し、そこから脱線しないようにストーリーを作り上げた。


 ありもしない魂に傾倒した馬鹿な女。それでいて常識の淵にしがみついているにもかかわらず、あざとく狂気を演出する自己陶酔型女。貝塚高志の私に対するイメージはそんなところだろう。何のことはない、貝塚高志の真似をすればいいだけのことだった。

 私は求められるままに、鏡に映った彼自身を演じていた。


 だからといって、あそこまで疑うこともなく女性の腹を裂くとは。まったくもって度し難く愛おしい男だ。


 私の意図に気づき、彼が裏をかこうとするサイドストーリーも用意していた。すべて台無しだ。1ミリも脱線せず、貝塚高志という男はレールを走り切ってしまったのだ。

 いささか物足りなさは残るが、終わってしまったことは仕方がない。あとは最後のストーリーを楽しませてもらうだけである。




 私は長く息を吐き出し、目を瞑る。少し目が疲れたようだ。

 なかなか感慨深くもある。ここまでくるのに八年かかった。




 思えば貝塚高志との出会いが全ての始まりである。

 私は中学一年の時、貝塚高志のサイトを偶然見つけた。サイトの主の感性を共感はしなかったが理解はした。

 ああなるほど。そういう性癖をもつ人間もいるのか。そう思った。そして疑問に感じた。


 なぜこのサイトの主は、この動画を公開しているのだろうか。私なら絶対にしない。なぜなら何も益がないからだ。むしろ社会的には不利益が生じるはずだ。

 その結果として、ゆくゆくは性癖を満足させることができなくなる事態に陥る。まったくもって不合理極まりない。


 自分一人でひっそりと楽しめば良いものを。おかしな人間もいるものだ。私はそう思った。


 そして別ページに貼り付けてあった詩を見て、私は手を叩いた。

 私は笑っていた。手を叩いて笑っていたのだ。

 こんなことは初めてだった。


 私に感情がないだとか、それこそ厨二病的なことではない。もちろん人並みに腹も立てるし、悲しくて泣くこともある。しかし私は感動が薄い。程度の問題だ。


 これまでにお付き合いした男子はいた。しかし好きかと問われると、私はよく分からないとしか答えられない。どういう状態を指して好きというのか理解できなかった。


 それなら彼氏が他の女とデートしているところを想像してみたら? 友人はそう言ったが、想像したところで何も感じなかった。


 でも別れるだろう。私がそう言うと、友人はそれが嫉妬だよと言った。やっぱ好きなんじゃん。


 そんなことを言われて、私は余計に混乱した。別の女がいいならそちらへどうぞ、私はそう考える。それが嫉妬なのだろうか。

 私はいよいよ好きと言う感情が分からなくなった。


 同居の祖母が亡くなった時も、親族が泣いていたから、私はつられて泣いた。もちろん良くしてくれた祖母がいなくなったことは悲しかったが、泣いた方がいい空気だったからでもある。

 冷たい女と捉えられても得はない。

 しかし従姉妹が声に出して号泣しているのには辟易した。私以上に演技くさかったからだ。もう少し程度を理解してほしいと感じた。


 こんな人間など、おそらく掃いて捨てるほどいるだろう。何も特別なことはない。私もその中の一人だった。


 しかし私は貝塚高志の詩を見て、心から笑った。

 面白いやつだと思った。こんな人間もいるのかと感動さえした。同時に恥ずかしくもなった。

 いわゆる共感性羞恥だ。

 私はある意味においては、貝塚高志に共感したのだ。


 こんな恥ずかしいものを全世界に公開しては駄目だ。私なら耐えられない。そして、こんなおもちゃを、他の人間には渡したくないとも思った。


 私は精神が病んだ女を装い、熱心にメッセージを飛ばした。毎日毎日、手を替え品を替えしつこくするのも、それらしいと考えた。

 重要なワードは共感だ。なぜサイトの主は動画をアップしているのか。理屈で考えたら理解不能ではあったが、詩を見たときに判然とした。

 完全に自己陶酔した痛いポエムと動画は、サイトの主の自己承認欲求の表れに違いない。そう結論付けた。


 それなら話は簡単だ。

 貴方の詩が素晴らしいと理解してあげればよい。同時に私自身も貴方と同じ美意識を持っている。私たちは特別である。そうわかりやすい餌を与えればよい。


 野生動物のように警戒しているのか、数日間は返信が訪れなかった。

 しかし私は貝塚高志にメッセージを送るのと同時に、某有名掲示板に彼のサイトのことを書き込んだ。

 こんな頭のおかしい奴がいる。お前ら好きだろ? 祭りの時間だぞ、と。


 思った通りネット民は喰らいつき、彼のサイトには有象無象からの突撃があったようだ。その中で私の存在は、さぞ輝いて見えたことだろう。


 私の願望通りサイトはすぐに閉鎖され、私には連絡先を寄越した。

 軽く自己紹介がされていた。同じ中学一年生だと知り、私は喜んだ。


 運命を感じたとか、そういうことではない。

 私はこの男の人生にどこまで介入できるのだろうか。

 そんなことを漠然と考えた。


 そして私は思い至った。

 これが好きという感情なのだろう。

 私は他の誰でもなく、私が彼をおもちゃとして遊びたかった。誰にも渡したくないと思った。誰かが彼の人生に横槍を入れ、もし真っ当になってしまったら。そう考えると虫酸が走った。許せない。私が見つけたんだ。

 私は貝塚高志のすべてが愛しい。それならばすべて見なければならない。すべてだ。


 私は愛する男の欲求を余すところなく叶えよう。低脳が画面を通しても滲み出す彼には無理なことも、きっと私ならできる。

 そして彼が望んでやまない死の瞬間の美しさを見させてあげよう。

 死の瞬間が最も美しいと彼が言うのならば、彼がいちばん輝く瞬間を見てあげよう。

 私はまだ見ぬ彼に誓約をした。



 貝塚高志を監禁した日の手順は大したことはしていない。

 三人目の女を助けに来たと玄関まで連れ出し刺し殺した。それを浴槽に隠し、女の顔面を貝塚高志のガラス製の大きな灰皿で粉砕した。

 一応ウィッグも用意していたが、幸運にも女の髪型と色は私に近かった。手間が省けて非常に助かった。


 カメラは部屋しか映らないので死角だ。仮に音声が残っていたとしても消すことは容易い。

 後でやってくる貝塚高志が浴槽の扉を開くことは、まずないだろうと結論付けた。

 目の前に裏切った私がいるのだ。それどころではあるまい。

 それでも、私に詰め寄りながら浴槽を確認する男の姿を想像し、思わず笑ってしまった。


 後は告発文に書いた通り貝塚高志を眠らせ、鍵を抜き取り、私は施錠した。




 私はキーボードを叩く手を止めると、いちから読み返す。悪くない出来だ。そして削除をクリックした。

 誰に読み聞かせることのない文章だ。少しも惜しいとは思わなかった。


 貝塚高志を愛した冴木伊織は、こうして私の中で消去された。そう思うと肩が軽くなった気がした。

 部屋着を脱ぎ、デニムに脚を通す。

 今日は肌寒いので上着がいりそうだ。少し前に買ったモコモコの可愛いパーカを着よう。早く着たくてウズウズしていたのだ。彼氏とのデートで着ようと、そう思っていたのだが、今日は記念日だからいいだろう。


 私にはやらなければならない後処理が残っている。

 あの部屋に入るのは今日で最期だろう。

 プリペイド式の携帯電話と偽の告発文、そして女に着せた私の服も回収しなければならない。

 それですべてが終わりかと言われると、実はそうではない。

 私はまだ見なければならないことがある。


 程なく事件は明るみになるだろう。

 マスメディアは奇怪な事件を飽きるまで報道するに違いない。頭のおかしい男が女を刺し殺し、顔面を砕き、腹をかっさばき、自身は餓死するという猟奇殺人だ。

 きっとメディアは、ありもしない男の闇を作り出すだろう。貝塚高志という男のすべてを解体し、紐解き、断片的な情報で塗り固めた、虚像としての貝塚高志が産まれる瞬間だ。あのどうしようもない男が、どんな風に仕立て上げられるのか楽しみだ。


 そして生まれ落ちた新生貝塚高志も、いずれ風化し忘れ去られ、二度目の死を迎える。私はそれを見たい。

 私に転がされ、死後は世間に弄ばれる男を、これからもずっと見ていたい。



 玄関を出ると木枯らしが頬を刺した。

 遅い秋が来たと思っていたら、これだ。どうやらもう冬になるらしい。

 季節の変わり目の空は美しく澄みきっている。姿の見えない風が、私はここにいるよと、庭の落ち葉を巻き上げた。


 落ち葉は地面を赤と黄色に染め上げている。

 綺麗だが、掃除をしなければ。

 帰ってきたら落ち葉掃除をして焼き芋を作ろう。告発文と回収した服は一緒に燃やしてしまおう。


 そういえば駅前のスーパーで安納芋を売っていた。ホイルにくるんで、じっくり焼きあげよう。そしておばあちゃんと食べるのだ。飲み物はミルクがいい。


 トロトロになるあの芋が、私はとても好きだった。



 ーー完ーー




次は笑える話か、ほっこり系を書こうと思います。

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