第肆話:晩夏の少女がリリカルなのは 下
夏休みは終わった。始業式の日は部活動禁止の為、その翌日、九月二日から、撮り終えた映像と音声の編集作業に入った。
映像の明るさ等を適正に処理し、音量を調節し、各シーンを繋げ、BGMや効果音を挿入する、と言ってしまえば簡単に聞こえる作業だが、何もかもがゼロからのスタートだった映像研究部の一同は、これに悪戦苦闘していた。
文化祭は九月の十日と十一日。上映に使用する視聴覚室の使用許可は勿論取ってあるのだが、ダンス部や演劇部との兼ね合いもあって、実際に視聴覚室で試上映が出来るのは、文化祭の前日となってしまった。
それまでに全ての映像を完成させ、ディスクに焼いておかなければならない。詰まりこの作業に掛けられる時間は一週間しかなかった。
その上、無論のことながら夏休みが終わった今、俺たちには通常通り六時限目までの授業がある。作業に使える時間は限られていた。
「だぁ――――ッ!!」
二日目にして泣き言を吐き始めたのは蓮だった。
おばあちゃんから――恐らく無断で――借りてきたのであろう高級そうなヘッドホンを机に叩き付ける。
「耳と! 脳が! 壊れる! 全部同じに聞こえる! 判断付かない!」
蓮は音響担当として、それぞれのシーンに相応しい効果音を無数のCDから選抜する作業を行っていた。弱音を吐きたくなるのも無理はない。
俺と大地は意見を出し合いながら、映像の明るさ、色合いを調整する他、写り込んだ不要物の処理等を行っていた。
タイトルロゴやチラシのデザインをしていた城之内が手を止め、蓮を振り返る。
「外の空気を吸ってくると良いわ。皆の分の飲み物とアイスを買って来てくれるかしら」
そう言いながら城之内は蓮に小銭を渡した。
「イエッサー!」
飲み物もアイスも冷蔵庫に入っているというのに、わざわざ蓮に買いに行かせる城之内も、まあ気の利く奴だ。
「今日はこんなものを買って来てみたわ」
三日目、城之内は一冊の本を持ってきた。題には『猿でも分かる! 映像処理の基礎と応用』とあった。
どうも俺たちが使っているフリーの映像処理ソフトの解説書らしい。
「インターネットで何でも調べられる時代に本か」
俺はそう言いながら、城之内を見た。
「インターネットに依ってあらゆる情報が蔓延りつくしている昨今、本当に欲しい情報を見付けることは逆に困難になりつつある。そんな時に役に立つのは結局、前時代的でアナログだと言われようが、本の力なのよ」
ドヤ、とでも言いたげな表情でそれらしいことを言う。
渡されるがままにその本を受け取り、ふと帯に眼をやる。城之内が言ったことがそっくりそのまま書いてあった。
「帯に書いてあることをそのまま読んだだけじゃないか!」
普段は掛けない眼鏡を掛けてカソウパッドに向かっていた大地が、外した眼鏡を机に置いて俺を見た。
「でもまあ、シュンはこの手の教本読むと昔からすごい勢いで吸収するよな」
突然褒めるな。対応に困る。
「猿もおだてりゃ木に登る、ってな」
「それはおだてた人間の前では言っちゃいけない奴だし、おだてられて木に登るのは猿じゃない、豚だ!」
猿はおだてなくても木に登る。
蓮が続く。
「猿も木から落ちるって奴だね!」
それは熟練者でも失敗するって意味だから、ことわざに関して熟練者ではない大地には当てはまらん!
然し、この本が思っていたよりも役に立ち、三日目以降作業スピードは格段に上がった。
作業は連日、部活動の活動申請限界の二十時まで行われたが、九月八日の二十時の時点で、俺たちの作業は一割程を残して終わっていなかった。が、他の部活やクラスもまだ終わっていないところが多く、残っている者も大勢いたので、職員たちも生徒の居残りを暗黙のうちに了承していた。
映像研究部の四人は、まるでお互いがそこに存在しないかのように、作業にのめり込み、普段なら五月蝿い程の掛け合いも、二日程前からほぼ消え去っていた。非日常であった。
「悪い、ちょっと仮眠取る」
二十二時過ぎ、大地はそう言ってソファに横になった。音響関係の作業を全て終わらせた蓮は、既に机に突っ伏して寝てしまっていた。
正直、俺も普段使わない部分を酷使していたせいか、眼と肩の痛みが限界に近付いていた。が、城之内が頑張っている以上、弱音を吐いている訳にはいかない。
そう思いながら作業を進めていたが、城之内はコンビニまで買い物に行ってくる、と言い残して部室を出て行った。俺は一つの作業を切り上げると、カソウパッドがそれを保存するまでの数分間、ぼんやりと薄暗い部屋の中で青白く光るカソウパッドを見つめていた。
そうこうしているうちに、城之内が戻ってくる。
「随分美味しそうに時間を食っているのね、アカバ」
「一応ツッコんでおくが、時間を食うというのは慣用句であり、時間は幾ら食っても空腹を満たすものではないぞ」
寝ている二人を起こさぬよう、声を絞る。
「そんなあなたの空腹を満たすデザートとカップラーメンを買ってきたから、好きな時に食べて頂戴」
城之内はそう言いながら、冷蔵庫に四つ入りのプリンを入れた。つくづく気の利く奴である。
「そいつはどうも」
少し風に当たらない、と城之内は窓を開け、ベランダに出ながら俺に言った。
無言で椅子を立ち上がりベランダに抜け、城之内の隣で温い風を受ける。城之内はその手に栄養ドリンクを持っていた。
この女は世界で一番栄養ドリンクが似合わないかも知れない、と思って、少し笑ってしまった。
映像研究部の部室であるこの部屋は、部室棟の三階に位置しており、ここからはこの郊外の街の風景がよく見えた。既に二十三時を回っており、灯かりの消えている家もちらほらあった。流石に校内には殆ど生徒は残っていない。平井は「納得がいくまで是非やってくれ。俺も当時は先生に無理言って残らせてもらったっけなあ」と笑って言ってくれた。
「特に面白い話がある訳ではないけど」
「別に構わないよ。それだけがお前の取り柄と思ってる訳じゃない」
城之内は少しだけ眠そうな目を細めて俺を見た。
「意外ね」
言っておいて、自分自身でも意外だった。自分の口からそんな言葉が出てくるなんて。眠気と疲れと、深夜の学校にいる非日常感で、俺の頭は少しボケているのかも知れない。ぼんやりしていた。
「この一ヶ月で、あなたも変わったのかも知れない」
そう、城之内はゆっくりと言った。続きがあるのかと待っていたが、その話はそれで終わったようだった。
それにしても、『あなたも』ということは、俺以外にも変わったものがあるということだろうか。それは城之内自身のことかも知れない、と俺は思った。
それから城之内は「月が綺麗ね」とだけ言った。俺は「ああ、そうだな」と返事をしたが、本当に綺麗なのかどうかはよく分からなかった。いや、一般的な感性から言えば綺麗と感じてはいるのだが、綺麗ということが何なのか、脳があまり理解していないらしかった。
十分もしないうちに、栄養ドリンクを飲み干した城之内は、「さあ、ラストスパートといきましょう」と部室へ戻って行った。俺もそれに続いた。
午前四時を迎える前に全ての作業が終わり、【脆弱な日常】を収録したディスクが完成した。
*
九月十日。快晴。
暑さは和らぎ始めていたが、相変わらずに五月蝿い蝉の羽音と同様に、太陽光線は刺すようにアスファルトを焦がしていた。
「チョコバナナ百円でーす」
「十二時から中庭で軽音部のライブやりまーす」
「二年C組お化け屋敷やってまーす」
文化祭は大賑わいだった。
毎年、この高校の文化祭はそこそこの人が入っているらしい。偏差値としては中の上程度だが、だからこそか人気が高く、受験を控える中学生のお客も多い。
俺たちは朝から本番の上映に向けて緊迫していた。
幸い、俺たちのクラスの出し物は簡単なたこ焼き屋だったので、上手いこと時間を調節してもらい、午前の二時間で俺、城之内、大地、蓮の仕事は終わり、上映に向けての準備に取り掛かれる筈だった。が、俺たちの前に視聴覚室を使っていたダンス部の公演が長引き、撤収も含めて一時間のズレが生じた。
十二時から上映の為に十時から準備開始の予定が、十一時までは視聴覚室に入ることすら叶わなくなり、準備自体は急げば間に合うものの、焦らない筈もなく、結果として蓮は指を二ヶ所切り、大地はホットプレートで火傷を負っていた。
「十二時から視聴覚室で映研作品上映しまーす」
クラスでの仕事が終わった十時以降、俺たちは三手に分かれてチラシの配布を行っていた。俺と城之内、大地と蓮、そして平井もそれに協力してくれた。
やはりというか何というか、俺や大地、蓮の焦りを微塵にも感じていない様子で、城之内はトルティーヤとチョコバナナを食べながら俺の隣でチラシを配っていた。
「すごーいメッチャ綺麗」
城之内が魂を込めて作っただけのことはあり、チラシを渡した人たちの反応は上々だった。
「メッチャ綺麗だってよ」
「当然よ」
ちなみにこの日、俺たちは作中で着用する服を着て校内を回っていた。城之内は、ヒロインである羽美が好んで着ていた濃紺のワンピースに、金色のネックレス、花の装飾の付いたヒールサンダルを履き、以前うちに来た時にも着用していた白い麦藁帽子を被っていた。言うまでもなく似合っている。
「当然よ」
口には出していないんだがな。
その時、後ろから甲高い声を上げながら、奇妙な服を着た複数の女子生徒が俺たちの前方へ駆け抜けていった。一人の肩が城之内の肩を掠める。恐らく、ファッションショーの出場者だ。
城之内は気分悪そうにその後ろ姿を睨み付けながら口角を上げた。
「随分と可愛い恰好ではしゃいでるのね」
「笑ってはいるが言葉に棘があるぞ」
城之内は俺のほうを見て、今度は本当に嬉しそうに笑った。
「笑う門には棘があるものなのよ、アカバ」
そんな門にいるのはお前だけだと俺は信じたいよ……。
いずれにせよ、と城之内。
「ああいう女性特有のノリは理解しがたいわね」
「同意だ」
「近年の女性オタクにも同じことが言えるわね。普段は自分から動こうとはしないのに、誰かが騒げる場を設けてくれると、ここぞとばかりに騒ぐだけ騒ぐ。そしてあっという間に静まり返る。風林火山ね」
それは分かるが、何処が風林火山なんだ。
「身体だるきこと風邪の如し、騒ぎ立てること林の如し、燃え尽きること火の如し、動かざること山の如し」
例えは上手いが最後しかあっていない!
「今日のツッコミも上出来よ、アカバ」
そりゃ良かったよ。
「おっシュン兄ちゃん!」
前方から俺を呼んだ声の主は響だった。隣には香苗ちゃんも一緒にいる。
「響来てたのか、香苗ちゃんも。こんにちは」
「こんにちは」
俺は響に、城之内は香苗ちゃんにチラシを渡す。
「是非、一番前の席で見てね」
「シュン兄ちゃん、ギャラは?」
ニヤニヤと笑いながら響は俺を見る。
仕方あるまい。財布から小銭を数枚、響に渡す。
「香苗ちゃんと二人で使えよ」
「サンキュー! 行こうぜ香苗~」
「あっうん!」
いつの間にあんなに仲良くなっていたのやら。まあ、良いことには違いない。
十一時を回ったので、俺たちは予定通り視聴覚室に移動した。機材を接続し、前日のリハーサル通りに音量やスクリーンの位置を調節する。
「あ~~緊張する」
蓮は上映前の解説を担当していた。俺と城之内で実際に機材の操作をし、大地は客席側から上映風景をチェック、問題があればカソウパッドで連絡を取り合う。
俺も緊張がピークに達していた。何度も深呼吸をするが、一向に収まる気配がない。
十一時半を回り、視聴覚室開場の時間となった。チラシの効果か、想像より遥かに多くの人がゾロゾロと集まってくる。平井は大地と一緒に客席側にいた。
蓮は解説用のマイクのある視聴覚準備室に、俺と城之内はスクリーンの脇の物陰に機材をセットし、時間の流れるのを待った。
城之内は何度も台本を確認していた。その顔には汗一つ浮かべず、緊張や焦りは見えなかった、のだが、ついに城之内は小さく口を開いた。
「緊張し過ぎて頭が痺れてきたわ」
「緊張しているようには一切見えないが」
こちらに一瞥をくれると、城之内はニヤリ、とでも言いたげに少しだけ口角を上げてこう言った。
「熱く燃えるだけが、炎とは限らないのよ」
格好付けてもらったところ申し訳ないが、それを言うなら激しく燃える、だ。残念ながら炎というものは全てに於いて熱いものと、この世界では決まっている。
時刻は十一時五十九分を回った。
視聴客室の緩い照明が落ちる。それを合図に、蓮の少し震えた声がスピーカーから響く。視聴覚室のざわめきが消える。
「お待たせ致しました。ただいまより、映像研究部作品、【脆弱な日常】を上映致します。上映中、携帯電話等、音の出るものの電源はお切りください。また、上映中のフラッシュ撮影もご遠慮くださいますようお願い申し上げます」
数秒の間。
「平凡な日常に遣る瀬無さを感じながら過ごす主人公、高校二年生の大門理久のクラスは、夏休みを目前にして転入生を迎える。それは小学五年生までをこの町で過ごしていた、理久の幼馴染、三上羽美であった。理久は幼馴染との再会を喜んだが、羽美は交通事故に依るショックで記憶を失っており、理久のことを覚えてすらいなかった。理久は羽美の記憶を取り戻すべく、夏休みを利用して二人の思い出の地を巡る。高校二年生の、脆くほろ苦い青春の物語。【脆弱な日常】。どうぞ最後までごゆっくり、ご覧ください」
視聴覚準備室から、蓮の座り込む音が聞こえた。
唾を飲み込む。
城之内が、再生開始のスイッチを押した。