第貮話:人生は阿弥陀籤に似ている 下
或る、平日。
脚本は大分完成に近づき、俺たちは各シーンで撮影の出来る場所があるか、二組に分かれて確認をして回っていた。俺と城之内は屋外の撮影場所を担当し、蓮と大地はプランターや学校等の屋内へ、撮影の許可を貰いに回っている。
今日の城之内の服装は、青と白のボーダーになっている七分袖Tシャツ、そして濃紺のスキニージーンズだった。靴は申し訳程度のヒールと控え目な装飾の付いた茶色いサンダルだ。ちなみに、足の爪は赤く塗られている。バランスの取れたコーディネートで、よく似合っている。
「時に、あ、赤……ああ、明るみに出たばかりの少年」
一体何が俺を迷える子羊か何かにしたんだ、城之内。
「――人生は阿弥陀籤に似ているわね」
お前が唐突なのは今に始まったことじゃないが、
「偉く唐突じゃないか。何かあったのか?」
いえ、と城之内。
「これは私の話ではなくて、私の知り合いの或る男の子の話なのだけれど」
それは自分の話であるにも拘らず、保身の為に知り合いの話として喋る時の語り始めだ。
「いい? アカバ。これは私の話ではなくて、私の知り合いの或る男の子の話なのよ」
念を押すな、怪しむぞ。
「その男の子は或るコンビニのアルバイトとして働いているのだけれど、働き始めて早一年の或る日、お客さんの一人に、絶対に知っているのだけど、名前も、何処で会ったのかも絶対に思い出せない人がいたの。明くる日も明くる日もその人は来たわ。でも男の子はその人のことをやっぱり思い出せない。でも別の或る日、バイト帰りに普段は行かないコンビニに寄った時に、そこでその人に会ってようやく思い出したの。その人、そこの店員さんだったのよ」
撤回しよう。
「何故それを知っているのかは知らないが、それは俺の話だ!」
「今日も元気ね、アカバ」
「誰かさんのせいでな」
「私のお蔭、と言ってほしいわね」
ああそうかい、じゃあ敢えて言わせてもらうよ。
「お前のせいだ」
ニヤリ、と言わんばかりに微笑む城之内。
「あなたの秘密を知っているわ」
「あなた様のお蔭様で御座います」
お前は一体何者だ!
「今日も元気ね、アカバ?」
「お褒めに預かり光栄です」
俺は今、こうして城之内と馬鹿な掛け合いをしながら、林の中の軽い丘を上っているのだが、これが意外に堪える。大した角度の坂ではないのだが、目的地までは、結構な距離があるのだ。
「馬鹿とは失礼ね、アカバ? 馬鹿なのは私たちではなく、あなたよ」
酷いことを言うんだな。
「あなたの秘密を知っているわ」
「馬鹿はわたくし一人だけで御座います」
家の裏から入る雑木林の道を抜けると、その小高い丘の上には、小さな湖と、堤防がある。
「ここだよ、どうかな」
「ええ、とても面白いわ」
全然面白くなさそうな言い方だし、今聞きたいのは面白いかどうかじゃない。
「……撮影で使えそうか?」
「問題ないわ。強いて言うなら問題がなさ過ぎるということが問題ではあるけれど」
無視していいな。
「あの花が、そうね?」
そう、城之内は堤防と垂直にある岸沿いに咲いた青い花を指差した。
「ああ。夜になると、綺麗に光るよ」
正確には、昼間浴びた光を蓄光して、夜の間発光しているのだという。小さい頃から馴染みはあるが、詳しいことはよく知らないのが実状だ。
「この時期には蛍も出てくるんだけど、今年はまだ見てないな」
「蛍、ね。終わり良ければ、という言葉を体現したような虫よね」
城之内は少し遠目になった。
「どういうことだ?」
「終わり良ければ全て良し、というじゃない」
終わり良ければ全て良し、というが、それが蛍と何の関係があるっていうんだ。
「アカバ、蛍って綺麗よね。いえ、この場合の綺麗は、ヒトという種のごく一般的な解釈としての意味での、綺麗、なのだけれど」
随分、言葉を濁すじゃないか。
「あなた、蛍の幼虫を見たことがあるかしら」
ないな。
「蛍の幼虫を初めて見た時のショックは、『家でゴキブリを一匹見付けた時その家には既に数百匹単位のゴキブリがいる』という豆知識を知った時と同じか、それ以上よ。分かり易く例えるなら蛍の幼虫は、触角をもいだフナムシに似ているわ」
あまり分かり易くない上に、フナムシの触角を勝手にもぐな!
だが確かに気味が悪そうだ。
「成虫の美しさとは裏腹に、幼虫の姿は醜い。それにも拘わらず、ヒトは蛍の成虫――終わりの姿だけを見て、蛍は綺麗だと思ってしまう。蛍はその一生を以て、私たちに終わり良ければ全て良しということを教えてくれるのよ。滑稽ね」
滑稽かどうかは兎も角として、詰まらなくない話だな。
「然しあなたは果たして、自分の人生の半分以上を豚の姿で生きたとして、最終的に高学歴高収入高身長の超絶モテイケメンになれるのなら、終わりが良かったから全て良かった、と言えるかしら?」
自分の話の腰を折るな!
「それよりも、アカバ? さっきの話だけれど」
「さっき、というと?」
「コンビニの話」
人生が阿弥陀籤に似てる、とか何とか。
「ああ、最後まで聞いていなかったな」
「詰まり、あなたがAの籤を、その人はBの籤を選んだということなのよ」
遂に俺の話と認めてしまったよ。
「詰まり、何だ」
「詰まり、あなたがAの籤を、その人はBの籤を選んだということなのよ」
それは聞いた。
「詰まりどういうこと何だ」
「詰まり、あなたがAの籤を、その人は――」
三度目はない! そして毎回同じように風を受けて荒れる髪を耳に掛けながらこっちを振り返るな!
「要は、阿弥陀籤って、必ず他を選んだ人と擦れ違うわよね、って話よ」
そういうことか。
「ああ、確かに詰まらなくはない話だな」
これを『スベらない話』、と呼んでみるのはどうだろう。
「あなたのその話は、詰まらないわ」
酷いことを言うんだな……。
「それで、オチはあるのか?」
「オチ、と呼べるかは分からないけれど、続きはあるわ」
じゃあ、それを話せよ。
「話せ? 偉く上からの物言いね」
確かにそうかも知れない。
「続きを、聞かせてくれよ」
「聞かせてくれ? まだ足りないわね」
「続きを、教えてください」
「そんなに聞きたいのならこう言いなさい。この薄汚い豚めに、どうか崇高なあなた様のお話をお聞かせください、と」
堤防の手すりに腕を置いて遠くを見つめていた城之内は、こちらを向いて、見下し気味にそう言った。
「何が目的だ?」
「あなたの秘密を知っているわ」
「この薄汚い豚めに、どうか崇高なあなた様のお話をお聞かせください!」
城之内はニッコリと微笑んだ。
「詰まりね、こう思うの」
背後の雑木林では、蝉が大声で鳴いている。
湖面に差した太陽光は眩しくも美しく、それは空を映して、紺にも似て青かった。目を閉じても、太陽の黄金は、瞼の裏に血の赤を通す。
「いつもはコンビニ店員として、お客としての彼に接客するあなたが、その日は偶然、客として、コンビニ店員としての彼に接客をされるのは、他愛もないことだけれど、不思議なことじゃない」
そうだな。妙な感覚だった。
「あなたは良い店員よ。でも流石に無愛想なお客には、苛付きを感ぜざるを得ない」
そうだな。
「だからあなたは店員に対して丁寧だし、彼もあなたに対して丁寧ということよ」
お互いコンビニ店員やってると、そういうことになるな。
「滑稽ね」
そう、だな。
「でももし、あなたがCの籤を選んでいて、それがコンビニ店員にすらならない籤だったら? 彼の選んだ籤とは擦れ違わない籤だったら?」
俺は店員に対して丁寧じゃないかも知れないし、妙な感覚にも陥る筈はない。
「そういうことよ、阿弥陀籤って。だから一期一会なのよ」
そうだな。
「だから私は、たかが偶然だとしても、あなたとの出会いも大切にしたいと、そう思っているわ。勿論、蓮や大地もね」
その言葉に、俺は少し驚いて、城之内を見ると、彼女は嬉しそうだった。いや、そう見えただけかも知れない。
「そうだな」
「ちなみに私が選んだ籤は――」
何だ?
「Dよ」
この上なく普通だが、一体いつ何を選んだんだ!
「今日も元気ね、アカバ」
「ああ、誰かさんのせいでな」
「私のお蔭、と言ってほしいわね」
お前のせいだ。
「あなたの秘密を知っているわ」
さっきからそれを言ってるけど、俺の秘密って何だよ。
「何だったかしら」
さてはハッタリだな?
「赤羽俊介、今日のパンツは青」
ハッタリじゃない!?
「ハッタリよ」
「……」
シャツの背中が夏の汗でしっとりとしている。城之内には、青がよく似合う。
「何か言いたそうね、アカバ?」
「俺、城之内のこと嫌いじゃないよ」
「いやね、気持ちが悪いわ。略してキモい」
酷いことを言うんだな!
「嘘よ。嬉しいわ」
そうかい。全然嬉しくなさそうな言い方だが。
「気持ちが悪いのは本当よ」
……そうかい。
「嘘よ」
城之内は、そう言って満足そうに笑った。
*
【月の誘い】。
【月の誘い】とは、二〇二九年公開、シンドウダイゴ監督の遺作であり、監督自身が役者として演技をした最初で最後の作品である。自他共に認める名作で、この年の、政府主催ニオ・アシリア映画賞の金賞に輝いた一作でもある。「現代版○○」を好んで書いたシンドウ監督最後の作品は、現代版かぐや姫、であった。
元来のシンドウ作風を変えることなく真っ直ぐに描いた本作の舞台は、監督の少年時代、今よりもずっと不便で、ノスタルジックな郊外風景だった。普段のダークな作風に加え、サスペンスホラー調でもあった為、一般向けとは言い難い作品だったが、作品内の風景に慣れ親しんだ多くの大人を、感動の渦に巻き込んだという。
深夜に男子が誘拐される事件が相次いで発生していた首都郊外。それはひと月に一度、決まって満月の夜に起こっていた。どんな警戒態勢を敷いても、毎月毎月、町からは一人ずつ男子が消えていく。警察官の父を持つ男子中学生の主人公も、或る満月の夜に誘拐されてしまう。息子を守り切れなかったことを悔やんだ父は仕事をやめ、息子の帰りを待ちながらも、そこでぴたりと止んだ事件の真相を単身探る。然し誘拐の犯人はそもそも人ではなく、満月の魅せる幻だった。
夢の中に現れ、少年を誘惑して攫う和装の美少女は、自らを輝夜と名乗る。千年前に再会の約束をした男を探しているという月の国の姫、輝夜は次の満月の夜、主人公の少年と共に夢幻として町に降り立ち、約束の彼の行方を捜す。
「いや、良い話だった」
今日はハンカチ持ってきてるんだな、大地。
「あれだけ言われれば流石の俺も持ってくるさ」
二回しか言ってないし、ハンカチについて言及したのは一回だけだ。
「二度あることは四度あるってね」
平方するな、蓮! 不要に増えてるぞ! ウインクも出来ていない。
「ブッダフェイスもスリーカウントって奴だな!」
全然違うし、英訳する必要はないぞ、大地。
「成程、詰まり仏の顔は平方した結果九度まではオッケーよ、ということかしら」
柄にもなく楽しそうに、何がオッケーよ、だ、城之内。
「まあ、面白かったし良いじゃん! シンドウ監督が中学生の父親役ってのは、年齢的にちょっと無理あったけど……」
輝夜姫は月の住人、しかも実在しない幻影であり、約束の男はただの人間だ。千年前に約束をした男が、無論のことながら生きている筈もなく、人づてに男の行方を聞いて回って千年の時間を遡っても、見つかったのは墓標と骨だけだった。
輝夜は酷く悲しんだが、それを受け入れて月へ帰っていく。輝夜に惹かれていた少年は彼女に付いていこうとするも、歳を取ることの出来ない輝夜は、「もう大切な人を失いたくはない」と言い残し、夜の闇に消えていく。少年は現世へと戻り、元の生活を取り戻す。
「城之内、どうだった? 脚本は書けそうか?」
「ええ、とても面白かったわ」
面白かったかどうかはもう良いんだよ。
「酷いことを言うのね」
それは先日俺が使ったネタだ。
「随分冷たいじゃない。そう、所詮私は脚本を書くしか取り柄のない女だったという訳ね」
どういう流れで何の話だ!
「まあいいわ。そうね、書けそうか書けなさそうかで言えば、書けそうよ。いえ、いっそ書けなさそうと言ったほうが清々しくて良いかしら」
どっちなんだ……。連続ツッコミも疲れるぞ。
「書けそう、と言っているじゃない。耳も悪ければ頭も悪いのね。人間の癖に頭が悪いなんて、理解に苦しむわ」
いつから俺は頭悪いキャラになってたんだ!?
それに人間だから頭が良いと結び付けるのはちょっと安易過ぎないか?
ニヤリと口角を上げる城之内。俺は嫌な予感に身構える。
「飛べない豚は――」
おっと、
「中国の猿は空飛ぶらしいな!」
知ってる知ってる、と蓮。
「オッス! オラごく――」
「お前もやめろ!」
そして声真似が無駄に上手いのもやめろ。
「みっつー、脚本はどのくらいで出来そうだ?」
「もう大方は完成しているから、明日には出来上がると思ってもらって構わないわ」
大地は嬉しそうに驚いてから、次を続けた。
「じゃあ明日から脚本読んで、撮影準備入るか!」
急に部長になったな。
「五月蝿いぞシュン」
声には出してない。そして他人の心を読むな。
「じゃあみっつー、脚本は頼んだぜ」
「問題ないわ」
斯くして、間もなく映像研究部は夏の映画製作本番に入る。
翌日、喧しく喚く蝉の声をBGMに、俺たちは城之内の書いた脚本を読むこととなった。
「タイトルは、【脆弱な日常】です」
少しだけ声を強張らせてそう言った城之内の手から、小冊子程の紙束を受け取る。
*
思い出せるのなら抱き締めよう。
忘れてしまうのならキスをしよう。
脆く儚い夏の青さに、あの日失った筈の思いが揺れている。
例えばそれが夢幻の命でも、僕らにとっては唯一確かな温もりだ。
例えばそれが空虚の感情でも、僕らにとっては最も確かな解答だ。
導かれなくともサヨナラが来るように、別れ往く定めでも君を見付けよう。
夏の怠惰に、かげろうはうごめく。