第壹話:海月と付き合いたい系女子 下
「今日はこのクラスに、新しいお友達が来ていまーす」
小学校か。
席替え、クラス替えと並ぶ、学校生活の三大盛り上がり要素の一つが、誰にも予期されずに、今日来た。
転校生だ。
「首都の学校から、父の仕事の都合で来ました」
この近辺ではあまり見ない、黒髪に黒目。
「城之内美鶴、と申します」
女子にしては高身長、スタイルも良い。顔立ちも、凛としている。詰まり、美人だ。
「趣味は」
趣味は、
「映画鑑賞です」
蓮の目が光る。机に突っ伏して寝ていた大地が、ピクリと動く。
「最近、」
然し彼女、城之内美鶴は、
「海月の恋人を募集中です」
電波だった。
「かっわいいじゃん! 海月だよ! ふわふわだよ!? きっとゆるゆるふわふわな女の子に違いないよ!」
その日の放課後の部室で、蓮はそう言って目を輝かせていた。
ゆるゆるふわふわは蓮、お前だ。あとそれは略して『ゆるふわ』ってことで一つどうだろう。
「ゆるゆるふわふわはお前だろ。映画鑑賞が好きってことなら入ってくれるかも知れないけど、幾ら何でも海月はない」
大地は回転椅子で回りながら、気怠そうにそう言った。
「じゃあ何ならあるの?」
何ならあるんだ? 大地。
「えっと……シュン」
何故俺に振る。
「そりゃ……ほら、犬とか?」
「えっ、シュン獣姦趣味なんてあったの……? 怖い」
前言撤回! 何処でそんな言葉を覚えたかは聞かないが蓮、お前は断じてゆるふわじゃない!
「そしてこれは近年大学生界隈で流行の、ワンチャンある、ってネタだ!」
「シュンは色んなことを知ってるよね~」
獣姦なんて言葉をお前が知ってるほうが驚きだよ。
「驚き桃の木山椒の木ってね」
全然上手くない。ウインクも出来てない。
大地が人差し指を突き立て、自慢気に続く。
「聞いたことあるぜ! 桃栗三年、蜂化記念とかな!」
「その言葉は何事にも歳月を要するって意味合いだから関係ない! そして後半はアナグラムだ! 一体何の記念なんだ!」
「シュンはいつにも増して元気だねー」
誰のせいだ。
「そう言えば今朝、登校中に犬見たな」
「見てないし俺に獣姦の性癖はない!」
溜め息が漏れる。
そんな俺を裏目に、蓮は勢いよく椅子から立ち上がる。
「兎に角、美鶴ちゃんを勧誘しようよ! 幸せを祈って正しい方向に導いてあげようよ!」
それは絶対同好会じゃない勧誘だ!
「美鶴ちゃん?」
試しに、と言って教室まで戻ってきてはみたものの、まさか本当にまだここにいるとは、言い出しっぺの蓮すら思っていなかっただろう。
城之内は、少しどもって次を言った。
「ごめんなさい。まだ名前を覚えていなくて」
朝の自己紹介の時点でも感じてはいたが、無機質な声をしている。機械的というか、アナウンスのような形式ばった声だった。
「同じクラスの雨崎蓮だよー。蓮で良いよ!」
そう言って、蓮は俺と大地の横に並んだ。
「こっちの赤いのが赤羽俊介、目立たないほうが帳大地」
赤いの、という発言に若干の不名誉を感じながらも、どうも、と軽く会釈。大地も同じようにした。
「蓮に、大地に、あ……赤……アカバね。これからよろしく」
俺だけあんまり覚えられてない上に俺だけ苗字だな!?
「美鶴ちゃん、何で残ってたの?」
「黒板係、とかいうものになってしまったからよ。あなたたちは?」
ふと見ると、黒板がかつて見たことない程綺麗になっていた。しかも微妙に光沢を放っている……!?
いや、どんな専門的な技術を使ったらここまで綺麗に出来るんだ……。まるで新品だ、新品同様だ! ネットオークションで新品同様で出品出来る程新品同様だ! プロか!!
「ノークレームノーリターンが信条なの」
黒板消すことに信条を懸けてるとはやはりプロは違うな……ていうかそれはネットオークションだ!
「実はね、美鶴ちゃん、かくかくしかじか……」
それは擬音だ!
「成程、大体分かったわ」
一通りの説明――同好会がなくなってしまうかも知れないこと、同好会に入ってもらえないか、という旨――をし終えると、城之内はそう言って、
「特に異存はないけれど、私、かなりきついほうの性格だから、お互いにお試し期間、ということで、明日から夏休みまでの三日間、映研に仮入部という形を取っても良いかしら」と提案した。
「ん、良いよ!」
親指を突き立てて口角を上げているが、その自信は一体何処から湧いてくるんだ、蓮。
確かに、城之内の言動からはきつい性格が、既に滲み出ていた。彼女は笑わないのだ、一度も。
「じゃ、とりあえず明日の放課後、ってことで。またな、城之内」
大地はそう切り上げた。
「ええ、蓮に、大地に、あ、赤……ああ、アカバ。また明日」
(一瞬忘れていた!?)
「ああ、またな。城之内」
然し、声も然ること、言葉や動作の一つ一つが、美しく、しなやかだと思えた。同年齢とはとても思い難いが、悪い人間ではなさそうだ。
*
「かっわいいじゃん! 最近流行りのクーデレって奴だよ! 誰にも言えない暗い過去を抱えているに違いないよ!」
昨晩、カソウパッドのネット電話で、蓮はそんなことを言って喜んでいた。
大地も、まだちょっと苦手だけど、悪い奴じゃないだろ、と言っていた。
「ようこそ美鶴ちゃん、ここが映像研究同好会の、部室でーす!」
城之内は、唖然という様子だった。
「何と言うべきか、足の踏み場がない、いえ、物が散乱している、いえ、人が活動しているとは思えない、……そうね、一言で言うのなら」
一拍。
「汚いわね」
バッサリだよ!
「軽く、片付けをしても良いかしら」
そう、城之内が言って、ものの十分だった。俺たちが幾ら片付けても片付けても、また物で溢れ返る部室、もとい物置を、十分程で城之内は、見られる程度に綺麗にしたのだ。
(プロか!!)
「こんなところかしら」
「すごいよ美鶴ちゃん! ねえみっつーって呼んでも良い?」
全然話が繋がっていない。
「下ネタ以外なら好きに呼んでもらって構わないわ。いえ、呼びたいのならいっそ下ネタでも構わないのだけれど」
どっちなんだ。
「城之内、昨日の黒板もすごい綺麗にしてたな。掃除得意なのか?」
「えっと……赤、ああ、アカバ。別に、普段から部屋の掃除をしていたら、いつの間にか部屋に布団とテレビと映画のディスクやらしかなくなってしまう程度にしか、掃除なんて好きじゃないわ」
それは重度の掃除好き、ていうか寧ろ一回りして掃除と映画以外全部嫌いだ! そして名前を憶えないのも含めてツッコみ待ちなのか!?
「少なくともあと二回は言ってもらわないと、何を言っているのかさっぱり分からないわね」
俺にだけ対応が冷た過ぎる!! だが言うぞあと二回!
「それは重度の掃除好き、ていうか寧ろ一回りして掃除と映画以外全部嫌いだ! そして名前を憶えないのも含めてツッコみ待ちなのか!?」
「やっぱり何度聞いても分かりそうにないから、もう良いわ。行の無駄よ」
行とは何の話だ、なんの……。
「そして俺の髪の色を見ないと名前を思い出せないの、やめないか?」
いいじゃんいいじゃん、と大地。
「城之内、とりあえず、掃除ありがとう。一応、名前だけだけど俺が部長だ。軽く活動の内容を説明するぜ」
活動日は適当。部長の大地が欠席の日は、副部長の俺が指揮を執り、俺も欠席の日は活動はナシ。欠席の場合は大地に連絡をして、その日の出席者全員が集まったら、適当に映画を観始めて、観終わったら適当に解散。映画を持ってくる人は、基本的に三人でサイクル。アニメ、実写、その他、何でも観る。月末には活動内容をまとめて顧問に提出。
「そんなところだな。顧問は、科学科の平井っていうオッサンだ。部室にはあんまり来ないけどな。まあ映画好きの面白い人、らしいよ」
多くの生徒に依って、科学科の平井は物好きだ、と言われている。俺たちもたまに話す程度でよく知らないが、悪い人ではないんだと思う。悪人顔だが。
部活の決まりについては、それもこれも先輩からの引継ぎで、今は誰かが欠席なら、基本的には活動していない。
「今日の映画はシュンのだよな」
「おう、城之内がどのくらい映画分かるか分からないから、とりあえず有名所を、と思ったんだけど、去年俺たちが入った時の新歓で観た奴な。【海色の姫君】って、タイトルくらい分かるかな?」
城之内は顔色一つ変えずに頷いた。
「ええ、知っているわ」
「そっか。えっと、一応持ってきた人が解説することになってるんだ。じゃ、再生始めるぜ」
カソウパッドを展開する。展開方法は至って簡単であり、利き手の指五本を、す、と広げるだけだ。
クリアブルーの機体が現れる。パッドの横からディスクを挿入し、シアターモードのボタンをタッチする。気休め程度にしかならないが、俺たちが入部した頃からあった白いスクリーンに、パッドから映像を投影する。蓮はカーテンを閉め、大地は電気を消した。
今日は蓮の意向で、お客様だからということで、ソファには城之内が座っている。
俺はポケットから解説文を箇条書きしたメモを取り出した。
「二〇二四年春公開、亡きシンドウダイゴ監督の晩年の名作、【海色の姫君】。海色という題に、身分違いの恋という内容もあり、現代版・人魚姫、と呼ばれることも多くあるが、監督自身の発言によれば、【海色の姫君】は織姫彦星の物語がモチーフだそうだ。デビュー当時から暗い映画を作ってきたシンドウ監督のイメージを一新した、初夏の日の爽やかな恋物語。【海色の姫君】」
新歓で観せられたもの、ということで無意識で選んできたのだが、観始めて気が付いた。この話、不覚にも転入生モノだったのだ。
高校生の主人公は、ある日学校に転入してきた黒髪の美少女と恋に落ちるが、美少女は異界の国の姫であり、二人は結ばれない、という、よく言って王道、悪く言って、まあ何処にでもあるような話だった。
然しありがちな話程、簡単に人を感動させるものだ。
一年振りくらいに観たが、やはり面白い。よくよく思えば、織姫彦星らしく天体観測部の話だった。女優の名前を覚えてはいないが、夏祭りのシーンで着ている海色の浴衣がそれはもう似合っていて、この映画の公開後は「海姫」等と呼ばれたものだったらしい。
「いや、良い話だった」
お前はそれしか言えないのか、大地。そして部費で買ったティッシュを無駄に使い過ぎだ。
「ハンカチでも持って来れば良いだろ」
「それもそうだ」
真面目な顔で感心するな。オチが付かない。
「みっつー、どうだった?」
「とても面白かったわ」
全然面白くなさそうな言い方だな。
「いえ、シンドウ監督作品として考えるなら、あまり面白くはないと言うべきかも知れない。やはりシンドウ監督の良さとは暗過ぎるまでの演出だと私は思うの。その点、この話はどちらかと言えば一般向けで、他のシンドウ監督作品と並んでいたら、絶対にこれを選ばないもの。でも私はこの話が好きよ。シンドウ監督の映画を一周してからこれを観ると、とても清々しい気持ちになるわ」
「へー、結構詳しいんだな」
俺が言うと、城之内は続けた。
「赤……あ、アカバ。別に、シンドウ監督の全作品を公開順と名前順どっちでも言えたり、月末には決まって監督人生最期且つ初演技でもある作品【月の誘い】を観る程度にしか、シンドウダイゴ監督なんて好きじゃないわ」
人はそれをマニアとかオタクって呼ぶんだよ!
「大きな声を出さないで、耳が痺れてしまうわ」
尚、俺は声には出していない。
「そして俺に恨みでもあるのか……」
「えらく人聞きの悪いことを言うのね。そんなものないわ。あるとすればそれは」
何だ?
「それは、その目障りな赤い髪よ」
殆ど存在を全否定だ!!
まあまあ、と蓮。
「基本的にはいつもこんな感じでやってるよ! どうかな、映研。無理に、とは言わないけど……」
あと二日はあるんだから、考えさせてやれば良いものを、と思ったが、蓮も蓮で焦っているのだ。一応、これでも部活の存続が懸かっている問題である。然し、それは要らない心配に終わった。
「ええ、悪くないわ。とても面白い同好会ね。入部します。いえ、入部させていただきます」
全然面白くなさそうな言い方だが、段々分かってきた。こういう奴なのだと。
「よっしゃ!」
大地も嬉しそうにガッツポーズをした。
「ただ、明日の放課後は部室の掃除に充てさせてもらえるかしら。それから私、かなりきついほうの性格よ」
それは昨日も聞いたな。
「全然オッケーだよ! 掃除も一緒にやろう。これからよろしくね」
蓮はそう言って、手を差し出した。城之内は握り返しながら次を言う。
「よろしく。それから私、かなりきついほうの性格だから」
(何故念を押す……!?)
「私って、かなりきついほうの性格だから」
心を読むな! そして同じネタを乱用するな!!
「大地も、よろしくお願いします」
「ああ、よろしく。みっつー」
ああ、お前もみっつーって呼ぶのな、大地。
そして俺。
「よろしくな。城之内」
「ええ。あ、赤……ああ、アカギ」
麻雀界の闇に降り立った天才っぽい名前だが、一体それは誰なんだ!
「アカバだ」
俺は笑って、城之内の手を握った。
「ええ、分かっているわ。よろしく」
城之内は満足そうに微笑んだ。何だ、笑えるんじゃないか。
何はともあれ、俺たち映像研究同好会は、かくして映像研究部へと昇進したのであった。
ていうか分かってるのか! わざとか!
*
「大地、これは何かしら」
翌日、結局城之内の実力を以てしても掃除は終わらなかった。というのも、
『ねえ、赤……、えっと、そう、アカレンジャー』
『アカバだ』
俺は某秘密戦隊の主人公格じゃない。
『似たようなものよ。それよりもアカバ? これは何かしら』
何処が似ているのか説明して欲しいところだが……まあ良い。
埃を吸わないように、とマスクを付けた城之内は、細く長い人差し指で、す、と何かを指した。
『これは……』
大きな棚をどかした後ろに、俺たちの知らない扉があった。
『差し詰め秘密の部屋、とでも言ったところかしら。ハリー・ポッ』
おっと、
『――常識的に考えて、その発言はやめておくべきだな』
『流石ねアカバ。作者の名前に絡めてツッコんでくるなんて』
J・K・ローリングは、常識的に・考えて・ローリングの略じゃない!
『それよりこんな部屋の存在は計算外だったわ。今日はひとまずこちらの部屋を掃除して、この秘密の部屋の掃除は明日、ということで良いかしら』
大地は、片付けに疲れてソファにダウンしている。
『蓮、それで良いか?』
『そだねー』
『ではこの部屋の掃除は明日、ということで。この、ハリー・ポッ』
分かったから、やめろ!
「大地、これは何かしら」
そして更に翌日、秘密の部屋――これは本当に物置だったのだが――の片付けも終盤に差し掛かったところで、またしても城之内が何かを見付けたようだった。
「カメラ、かな? ワールド社のロゴが入ってるな。みっつー、欲しかったら持って帰って良いぜ」
どうやら全盛期の映画製作伝説は本当だったようだ。然し動いたとしても、どうせもう使いはしない、と誰もが思ったことだろう。
「いえ……」
「そうか? じゃ勿体ないけど、不燃で出すか。蓮、ゴミ袋を――」
然し、城之内がそれを遮った。
「いえ、大地、聞けばこの部活、全盛期には映画鑑賞だけでなく、自分たちで映画の製作も行っていたそうじゃない」
何処からそんな情報を聞き付けてきたのか……、俺は言ってないぞ。
蓮を向き掛けていた大地も、大地を向き掛けていた蓮も、その言葉に城之内を振り返った。
「えっ、そうなの?」
何故俺を見る、蓮。知っている以上解説はするが。
「ああ、一応な。とは言っても、もう二十年くらい前の話だよ。うちの母さんが高校生だった頃の話だ。それにしても城之内、よく知ってるな。もしかして、お前の親御さんも――」
「いえ、さっき、首都の大会に出場して準優勝したという記念のトロフィーを見たのよ」
それは俺も初耳だ。続けて尋ねる。
「へーすごいな。何処にやったんだ?」
「――捨てたわ」
全盛期の大切な記録を捨てるな!!
「過去の栄光に縋っていては今以上への成長は有り得ないのよ」
耳に違和感が残る。どうやら、何かが動き出しそうな台詞だ。
床を向いて掃除をしていた二人は、揃って城之内のほうを見上げた。
「みっつーは、成長したいのか?」
そう、大地が尋ねる。
「目標は高いほうが良いわね。そう、敢えて言うならば首都大会優勝、かしら」
大地も蓮も、意味が分からない、といった様子だ。
城之内は珍しく、何やら嬉しそうだった。
「このカメラで、映画を撮りましょう」
埃っぽいから、と開け放った窓から、蝉の声と共に温く湿った、青い夏の風が入ってくる。
流れる汗は止めどなく、黒々としたアスファルトは、悶えるように陽炎を浮かべた。何処からか木々のざわめきが聞こえてくる。木漏れ日が、大人気もなくはしゃいでいる。
城之内の、腰程まである長い黒髪が、風に揺れている。大地は愕然として、蓮はナイスアイデア、と言わんばかりに嬉しそうだ。
「私たち映像研究部の、映画を撮りましょう」
さあ、明日から夏休みだ。