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Fragile Color  作者: 暫定とは
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第壹話:海月と付き合いたい系女子 上

 微妙なタイミングで梅雨が明けた。

 雨が少なくなるのは嬉しいことだが、微妙過ぎてあまり実感出来ていない。


「あああああ」

 ワイシャツをだらしなく黒のスラックスからはみ出させ、首に濡れタオルを巻いて自転車を漕ぎ漕ぎ、我が幼馴染の一人はそう言って、空を見上げた。

「連打してたら決定しちゃったゲームの主人公の名前みたいな喚き声だな、大地」

 その、所謂(いわゆる)ママチャリの隣で、二十四段変速のクロスバイクを漕ぎつつ、あろうことかこの炎天下で、ワイシャツの上にベージュのベストを着用し、暑さに悶えながらも的確過ぎるツッコみをするのが俺、赤羽俊介(あかばしゅんすけ)である。髪が赤いから赤羽という姓である訳では、断じてない。

「的確過ぎるな。的確過ぎて寧ろ的確さに欠けるぜ、シュン」

 薄茶色の短髪を汗で額にぴったりとくっ付けて、彼――帳大地(とばりだいち)は、黒の瞳に一寸の光も浮かべずにそうぼやいた。

(意味分からん)

「意味等ない!」

「勝手に他人の心を読むな! 読心術か!」

 尚、帳大地に読心術のスキルはない。


 大地の、古い自転車のチェーンが、登校を嫌がるかのようにぎちぎちと音を立てている。

 濃い、蒼々たる――夏の――空に、淡い、純白の千切れ雲が、気合の入った日差しに呆れ顔で泳いでいる。

 昨日までの雨をその葉に滴らせて自慢気な紫陽花(あじさい)は、もうじき若い向日葵(ひまわり)達に夏の主人公の座を奪われることをまだ知らない。

 梅雨の終わりに歓喜した空蝉(うつせみ)の群れは、(おもむろ)に地中から飛び出したかと思えば、木の幹にへばり付いて笑い声を上げている。

「あーっはっはっはっは」

 黙りやがれ。


 セカイ歴二〇四八年、七月。高校二年生の俺たちは、間もなく夏休みだ。


「いや、確かあれは声じゃなくて羽音か」

「なにが」

「蝉の鳴き声、っていうだろ」

「ああ。えっ、あれ羽音なのか? 気持ち悪……」

 果たしてそうであろうか。

 羽根を素早く振動させる蝉より、あれだけの大きな音を出す為に小さい口を精一杯開けて鳴いている蝉のほうが、

「おい、シュン」

 俺には遥かに気持ち悪い。

「すげー変な顔してるぞ」

 自転車のスピードを上げる。

「ほっとけ!」


   *


 部室という名の物置なのか。物置という名の部室なのか。

「今日は、これを観ます」

 否、ここは映像研究同好会の部室、という名の物置である。

 というのも、絶対にこの同好会とは関係ないものまで、気が付けば増えているのだから、他の部にとってこの部屋は多分、ただの物置なのだ。

「なにこれ。いつの?」

 カーテンを閉めても、外から午後の日差しが差し込んでくる。

 然し、年季が入っているとはいえ、この部屋にもクーラーがあって良かった。

「The・八〇年代アニメ映画。どや」

「へー。よくもまあこんなもの、持ってきたな」

 同高校女子生徒の夏期制服――白いワイシャツに黒いスカートと、黒字に赤いラインの入ったリボン――を身に(まと)った、クリーム色に近い金髪の少女――もう一人の幼馴染から、光学ディスクの入った箱を取り上げて、大地はそのパッケージを凝視した。

「あーちょっと、取らないでよ!」

 彼女は、雨崎蓮(あまさきれん)。大地の家の隣で、俺の家の向かいの、そこの家の娘だ。長めのボブカットに、母親譲りの蒼い瞳が特徴的である。

「おばあちゃんから借りてきたんだから、汚したりしないでよ!」

 蓮の家こそ分家だが、本家は金持ちで、大きな屋敷を持っているのだとか。そこに住む祖母が蓮は大好きで、祖母は映画が大好きなのだという。

「本当は借りたんじゃなくて黙って持ってきたんだから、壊したりしないでよ!」

「分かった分かった」

 蓮のことを好いてはいるものの、簡単に孫娘に貸したりしない程、彼女の祖母は映画が好きなのだ。

「いや、ちゃんと借りてこいよ……」


「【廃墟の道化と永遠の約束】、ね。タイトルだけなら聞いたことあるな。シュン、知ってるか?」

「ああ、それなら割と有名じゃないか? 【廃墟の道化シリーズ】の劇場版第一作で――」

 と、俺の解説を(さえぎ)る蓮。

「わーわー! それはあたしが言うから!」

 三人掛けのソファに腰掛けて文庫本を眺めていた俺は、蓮がそう言い放ったので、(ようや)く本を閉じてそちらを向いた。

「とりあえず、再生するね」

 そう言って、蓮はそのディスクをカソウパッドのプレイヤーにセットして、シアターモードの再生を始めた。

 鑑賞上の注意やら広告やらが流れる間、蓮は(およ)そこんなことを言っていた。

 この映画は――


「この映画は、一九八二年に放送された一年もの、全五十一話の中高生向けアニメ、【廃墟の道化と光の道標(みちしるべ)】の劇場版第一作として一九八四年に公開された【廃墟の道化と永遠の約束】です。当シリーズは、このあとも一九九〇年代半ばまでに、深夜枠に全二五話で【廃墟の道化と孤独への忘却】、劇場版で【-THE END OF PIERROT- 廃墟の道化と虹色の魔法】が放送、公開されましたが、その中でも全盛期と言われているのがこの劇場版第二作、【永遠の約束】です。終わりに近付く世界で、廃墟の町に一人で暮らすピエロと、そこに訪れる旅人や亡霊を描く、というのがシリーズのコンセプトですが、この【永遠の約束】では、ピエロがどうしてピエロになったのか、という、本編以前の出来事が初めて描かれた作品となっており、シリーズ未視聴でも観られる、ということもあった為、それまで観ていた固定ファン以外にも、小さい子供や大人までを引き込み、その年の映画賞を総なめにした作品でもあります。ではどうぞご覧下さい」

 蓮は嬉しそうにニッコリと笑った。一応、持ってきた人が解説をするのは暗黙のルールだった。一生懸命調べてきたのだろう。いや、物言いからして昔からのファンなのだろうか。どちらでも良いが。

 然し蓮の知識の及ばないところで、一部の熱狂的なファンの要望に答える形で、更にその後日談が小説版でのみ――【廃墟の道化と真実の結末】として――発売されているのだが、言わないでおこう。

「【廃墟の道化と永遠の約束】です」


「ていうかシュン、勝手にソファ独占するな!」

 ソファで映画を観るのは、勝者だけに許された特権なのであった。

「へいへい」

 そう言って文庫本を鞄にしまい、ソファから立ち上がる。

「今日こそは……」

 大地はそんなことを言いながら、指をぽきぽきと鳴らした。

「ジャン、ケンっ」


   *


 カソウパッド、とは。

 カソウパッドとは、この惑星――ニオ・アシリアを統制する世界政府、その直属の電機製品会社――ワールド社の誇る、最新式のタブレット型パソコンだ。現在、最新Verは6.3となっている。キャッチフレーズは、『いつも、最新。いつも、携帯。』。

 個人特有の、身体に流れる微粒振動(びりゅうしんどう)を利用し、街の隅々にまで発信されているワールド社の電波を受信、手元に『仮想』のタブレットを展開して使用することが出来る。同シリーズで、カソウフォン、カソウノートが発売されているが、最も安価で、最もスタイリッシュなカソウパッドが、最も多くの台数を売り上げている。

 発売当時は高価過ぎて手が出せなかった人たちが(ほとん)どだったが――元々、政府や専門職の為に開発されたということもあった――、大量生産が決まってからの大幅な値下げにより、一般普及率はここ三十年間で一%から九〇%以上まで上昇。加速の勢いは今も尚留まるところを知らない。

 あくまでも仮想なので、実物のコンピュータを購入する訳ではなく、代金の支払後に、受信用の微粒振動を起こす注射をすることで、誰もが受信することが出来る仕組みになっている。ネット上に、全てのカソウシリーズで使えるアカウントを取得することで、ネットブラウザは勿論、カメラ・画像編集・録画・録音・音声編集・通話・動画再生・文章や書類作成、等、様々な機能を使用することが出来る。

 巨大なマザーコンピュータは電波塔に設置してあり、アップデートは自動で行われる為、キャッチフレーズの通り、いつも最新のテクノロジーで、最高のパフォーマンスを見せる。認証は微粒振動がなければ出来ない為、ハッキングは絶対に不可能、と()われている。

 初期設定ではクリアブルーの本体となっているが、設定に依って色や透明度も自由に変えることが出来、自分だけのタブレットにアレンジすることも可能。意思に依って微妙に変化する微粒振動を用いている為、意思に依る操作――触れずに透過すること、地面に落とさず空中に固定すること等――も出来る。

 俺たち三人は言わずもがな、六百人弱いる同学年の生徒の八割以上が常用している。俺は面倒なので初期設定のクリアブルーのままだが、蓮は可愛らしいショックピンク、大地は「クールだろ」とか言って黒の機体にアレンジしている。


「いや、良い話だった」

 大地はそう言いながら、ボロボロと零れる涙で、ティッシュを無駄に消費していた。

「大地は泣き過ぎだから」

 そう言う蓮は、というと目を充血させる程度で済んでいた。

「シュンはちょっとは泣きなよ!」

 泣いていないことがまるで悪いことのように言うな、蓮。

「シュンは冷血だからな」

「そっかーシュンはレーケツだからなー」

 言い方がおかしい。

「蓮、冷血の意味、分かってないだろ」

「ぎくっ!」

 台詞(せりふ)の割に嬉しそうだな。それに、

「それは台詞じゃない。擬音だ」

「おおきにー」

 それは祇園だ!!

「シュン、ナイスツッコミ!」

 これは茶番だ。そして今はセカイ歴二〇四八年だ! 古きも良きも、侘びも寂びも知ったことか!

「いや、」

 別に詰まらなかった訳ではなく、寧ろ表現や作画の停滞した近年のアニメ映画よりも豊かな技法で面白かった――というか観るのは初めてではなかった――、のだが、

「この話って、最終的にピエロは記憶を失っていって、男の子と一緒に消えるだろ。そういうハッピーエンドと見せ掛けて報われないエンドって、あんまり好きじゃないんだよ」

 それにこのあと続くテレビ放送版の【孤独への忘却】は後付けの設定と矛盾が多過ぎて見てられないし、世界の終わりの悲壮感を(うた)う物語の割に、この【永遠の約束】だけ妙に明るくて違和感がある。

「まあ、他のシリーズを考えずに【永遠の約束】だけを一つの映画として観るなら、完成度高くて面白い映画だと思うよ」

 絶望の表情を浮かべた大地は、半ば怒鳴るようにこう言った。

「えっ消えるの!? ピエロ記憶失って消えるの!? 男の子との約束も忘れるの!?」

「そうだよー、最後の映画の【虹色の魔法】で男の子と再会するんだけど、その頃にはピエロには何の記憶もなくなってるの。でも約束を果たして魔法使いになった男の子は、魔力を使い果たしてピエロの記憶を取り戻すんだよ! だけどピエロは既に瀕死状態、魔法使いとしての力を失った男の子も、一緒に消えちゃうんだよ。廃墟の道化はダークファンタジーなんだよ!」

 ダークファンタジー、と言う程のものだろうか、と思いつつも、言わないでおいた。

「そういうのも面白そうだな! それじゃ夏休みの間に全部観るか!」

「大地良いこと言うねえ! おばあちゃんが全部持ってるよ~」

 この女は勿論、またそれを無断で借用してくるつもりだろう。

「でも、最近アニメ多くないか? 別に良いけどさ、たまには実写も観ようぜ」

 大地と我を忘れて盛り上がっていた蓮は、「それもそうだねー」と笑った。

 この感じ、(さなが)ら『てへぺろ』とでも呼んでみようか。


 こんなのが、映像研究同好会、通称映研の日常風景だった。名前ばかりの顧問教師と、在籍生徒三名、物置のような部室、三人掛けのソファ。

 去年までは二つ上の先輩が数名いたので、部活として成り立っていたのだが、先輩が卒業してからは同好会に成り下がり、新入の一年生も入らずに、生徒会執行部様からは「夏休みまでに新しく部員が入らないなら同好会としても登録は認められません」と宣告されて、され、て……、あれ?

「今日、何月何日だ?」

 回転椅子で本を読みながら放課後の体たらくを満喫する俺は、ふと尋ねた。

 ソファで寝転がる大地が答える。

「七月十五日だな」

「夏休みっていつからだっけ?」

 カソウパッドから繋がるイヤホンを外して、蓮が答える。

「七月二十日からだね」

 窓の外では、やっぱり蝉が鳴いている。赤い西日が、煌々(こうこう)と差し込んでくる。

 そろそろ電気を灯けないと、お互いの顔色がよく見えなくなってきた。文庫本の文字も、少し読み辛い。だけど誰も、電気を灯けようとはしなかった。

「この同好会に夏休みなんて来るのか?」

 蓮は思い出したようにハッとしたが、大地は、

「ま、良いんでねーの。部室なんかなくてもさ」

 と言って目を閉じてしまった。

「えーそんなの困るよー何処で観るのさ! ソファのジャンケンもなくなっちゃうよ!」

 ごねる蓮とは対照的に、大地はこういう時、結構あっさりしている。

「シュンの部屋、広いから観られるだろ。ソファもあるし。この部室じゃなくちゃいけない訳じゃないじゃん? 夏の間、学校まで来るのだって暑くてきっついぜー」

 四月から五月に掛けては、(しげ)く新入部員を勧誘したものだった。が、部員は一人も集まらなかった。そのことを、大地はよく理解しているのだと思う。

「でもさーあ」

 蓮すら、分かっていない訳ではないのだ。ただそれを認めたくない子供のように、頬を膨らませた。

 大地は静かに次を言って、

「でも、仕方ないことだってあるだろ。夏休みまでのあと少し、この部室で過ごせれば良いんじゃない」

 (さと)すみたいに笑って見せた。

 仕方ないことは認めるが、『仕方ない』という言葉が、俺は好きではない。


 数十年前まで、この高校の映研はそこそこ有名だったらしい。

 これは先輩から聞いた話だが、鑑賞も今のように腑抜(ふぬ)けたものではなく、それどころか映画の製作も行っていたとか。機材も本格的なものを使ったと聞いている。実写組とアニメ組に分かれ、夏の地区大会に向けて秋頃から一年間、鋭意制作にあたり、文化祭での発表で人気投票を実施、投票数の多かった映画を地区大会へ応募し、年末には学校で再上映もあったのだという。そしてこの学校は大会でも猛威を振るっていたと、俺に教えたのは、当時隣町の学校の映研に所属していた母だった。

 その頃と比べてしまえば、今の映研の状況を見れば、潰れても『仕方ない』ということは言うまでもない。


「そっ、か。そうかもね。そうだよね」

 寂しそうに、蓮は肩を(すぼ)めた。が、すぐに笑った。仕方なさそうに。

「暗くなったってしょうがないや!」

 俺は何も言わなかった。解決策を持たずに文句だけを言うのはしようのないことだ。

「そうだな。とりあえず、夏休みはうちで良いだろ」

 とりあえず、と自分で言っておいて、部屋に入り浸る二人を想像すると少し面倒になってくる。

 ひとまずは、一時的に、と一通り頭の中で言葉を巡らせつつ、言葉にするのはやめておくことにした。

「何でも良いか、異論は?」

「ねーぜ」、と大地。

 数秒の沈黙。

「とっ、取扱絵表示(とりあつかいえひょうじ)を見て使う……?」

 蓮、時間を食った上に苦し紛れで疑問形になるくらいなら、そんなに詰まらないボケはしないほうが良かった、が……、

「それはアイロンだ!!」

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