8 悪夢
それがいつから行われていたかはわからない。
僕の家には二人の母親が出入りしていた。僕が忘れない程度の頻度で家に出入りする女性。もう一人は一週間のうちの大半をこの家で過ごしていた。僕としては無論、家に長く滞在しているたれ目の女性を母親だと認知したかったが、もう片方の切れ目の彼女がそうはさせなかった。
「これがあんたがあたしの子だって証拠だよ」
そう言ってある日突然、僕の前で冷たい笑みをたたえた彼女のかたわらには、目を瞑った幼子の写真と「0カ月」という文字やいくつかのチェックマークが書き込まれた手帳が握られていた。
「これがあんただよ。ほら、生意気な顔がそっくりだろう」
僕は混乱した。別にその写真の幼子が僕に似ていたからではない。ただ、いままでことあるごとに「あんたの本当の親はあたしなんだからね」と言うだけだった彼女が、自信を含んだ口調で、この手帳を提示したからだ。
どちらが本当の母親なのか――。その混乱に決着がついたのは、それからすぐのことだった。父が僕に真実を告げたのだ。いつも長く家にいる彼女こそお前の本当の母親なのだと。たまに来る女性は、自分の不始末でいまだにつきまとっている女なのだと。
僕はそれを素直に受け入れた。他ならぬ父親の言葉だ。しかも自分の恥をさらしてまで告げた言葉を、信じないわけにはいかなかった。
それから何年か、彼女――偽の母親は来なくなった。父が説得したのか、それとも自主的に来なくなったのかはわからない。しかし家族三人の平穏を崩したくなくて、僕はそのことを両親に言ったりはしなかった。
だからあの夜聞いた「どうしてあんな子を産んだのよ」という言葉は僕の疑念を再燃させるには十分だった。
ある日僕は隙を盗み、母の棚をあさった。
確信が欲しかった。自分がこの家族の、この両親の子どもだという証拠が。
それはすぐに見つかった。少し紙が破れ気味の母子手帳。これで安心だと思った。もう自分の現実が歪むことはないと思った。
しかし開いた瞬間、僕の時間は体とともに硬直してしまった。
『大山咲美』
数学教師の名前だった。