7 回顧
自分は間違っていただろうか。
十数年前の夜。体に違和感を感じ、死ぬ思いでたどりついた産婦人科の白いベットの上で聞いた「おめでとうございます」という言葉。好きだというその言葉を受け止めた結果、生まれた子どもを、少なくともその瞬間だけは、あたしはめいいっぱいの愛情をこめて抱きしめていた。しかし無事に退院したわたしの手に、そのぬくもりはなかった。
あいつとの子どもは堕ろして、お前との子どもをとる。だから親でいることはあきらめてくれ――。
今考えれば、異常な選択だったのかもしれない。しかしそれを聞いてあたしが感じたのは、この人は自分より愛人を選んだのだという屈辱よりも、この子は生きていられるのだ、という安堵だった。
だからあたしはそれ以上考えることをやめた。
幸いにも彼らの家への出入りは「我が子に会いに行く」という理由ならば、許された。あたしはその子に会うことができた日には、出来得る限りをつくして愛情を注いだ。そして自分が本当の母親なのだというプライドのようなものを隠し続けた――続けようと思っていた。しかし無理だった。その子の柔らかい手に触れるたび、天使のような笑顔を見るたび、きゃっきゃっという嬉しそうな嬌声を聞くたびあたしの心は締め付けられていった。
これでいいのだろうか。
このままでいいのだろうか。
やがてその思いは年々、どうにも抑えきれないくらいに増幅して、度が過ぎた行動へと結びついていった。
「これがあんたがあたしの子だって証拠だよ」
すっかり言葉が話せるくらいまで成長したその子に、あたしは母子手帳の写真を見せた。あのとき――まだ自分の手に温もりが残っていたあのとき。息子の小さくてでっぷりした体が、そこには写っていた。「0カ月」と自分の手によって書かれた頼りない文字が、その写真の隅に小さく載っていた。
「これがあんただよ。ほら、生意気な顔がそっくりだろう」
誇らしかった。この子にとって良くないことだ、と頭でわかっていても、おまえはあたしの子どもなんだよ、と言えたことが嬉しくて、そしてなにより何もできなかった情けない自分を少しでも払拭できた気がして、あたしは笑った。
目の前の我が子がその顔を複雑にひきつらせているのを見ながら、あたしは勝手な満足感を抱いていた。
それが良くなかったのか、あの人に「もうそろそろ勘弁してくれないか」と言われたときは、一種のあきらめみたいな感情が湧いていた。
やるべきことはやった。きっと何年か先、この子が本当のことを知る時が必ず来る。そのとき、あたしの母親としての本当の人生が戻って来る。そう確信していた。いつかまた会える日がくるまで――そう祈ってあたしはあの子のぬくもりを、今度はしっかりと手のひらに刻みつけて、去った。
それから9年後――転勤を命じられてやって来た中学校の教室に、あの子は心底つまらなさそうなそうな顔をして一人で座っていた。最後に見たときからそんなに変わらない痩せぎすな体。少し切れ込みの深い目に高く座わった鼻。その青白く、決して血色が良いとは言えない顔色を見て、あまり幸せとはいえない生活を送っているのは明らかだった。
会って話さなければ――。
しかしそれは叶わなかった、いやできなかった。今、あの子に本当のことを言って何になるのか。まだ話すべき時ではない――。
そうして様々な言い訳を並べたてて、結局は気持ちの整理ができていないだけだったのかもしれない。 そうしてあたしは数学教師として、授業以外であの子のクラスに近づくことはもう、二度となかった。
だから「これ先生のですか?」と言って、あたしの万年筆を持ったあの子が現れたときは、心臓の止まる思いだった。
やっと、自分の現実が戻って来る、そう確信した。