1 死にかけの罪
――寒い。
下から突き上げてくる風が、淀んだ空から吹き下ろす風とあいまって、僕の体に容赦なく突き刺さる。なんて冷たい風だろうか。愛想のかけらもない、突き飛ばすような風。
コホン、と小さく咳をする。建物の屋上に立つ僕の視界には、ビル群がそびえたつばかりの殺風景な景色が広がっていた。僕の憂いの元凶であり、すべての原因である世界の姿がありありとそこにある。
恨み、妬み、怒り、苦しみ、怖れ――。そうした形容しがたい様々な感情が僕の中で渦を巻いて、腹の中にのみ込まれていく。
すべて。
「死ぬんだな……」
口に出してみる。
「これで終わりなんだな」
自分に言い聞かせるようにいう。それに応えるように、風がなびいて僕の髪を儚げに揺らす。僕はそれを合図にして、その先の空虚な空間にまた一歩近づいた。
自殺を決意したのは、いつだっただろうか。
あの時から持ち続けていた罪の意識を増幅させるばかりの日々。それに気づいたときには、もう僕の心にそういったものを許容する余裕はなかった。
「どうしてあんな子を産んだのよ」
暗い寝室の隙間から差し込む光が、ろうそくの炎のように揺らいだ。
「だからわたしはあれだけ反対したのに」
「仕方ないだろう。なってしまったんだから」
「あれをおろせばよかったのよ。そうすればこんなことには……」
「やめろ。もう手遅れだ」
小学生だった僕は、その意味をよく理解できぬまま、しかしなんとなく両親が自分を疎んでいることに気づき、暖かいはずの毛布にくるまったまま、別の寒さに震えていた。
「とにかく――あの子はここにいるんだ。たとえあの子が死んだとしても、もうあいつは戻ってこない」
風が舞っている。どこからかやってきた枯れ葉が、僕の頼りない体に強くあたって、落ちる。と同時に、朱色の葉の欠片が少しちぎれて飛び、一瞬で見えなくなる。
平たくて硬い地面の上で突っ立ったまま、僕はその様子を見ながら「あいつ」について考えた。
「あいつ」とはだれか。両親の会話の流れからして、それが僕ではないのは確かだ。
ではあいつはその時どこにいたのだろう。
――昔。両親の言い争いが絶えなかったことが影響したのか、ひどく人見知りの小学生であった僕にとって、昔の記憶などほとんどないに等しかった。
友達との楽しい思い出もなければ、両親との密な交流の思い出もない。ましてや人の生死にかかわる出来事など、そのときの僕には想像もつかなかった。でも今はわかる。小学生以前に起きた生死にかかわる出来事とはおそらく――出産だ。
また枯れ葉が舞って、今度は顔の近くに飛ばされてきた。そのときふっとよぎった木の香りに心当たりを感じて、僕はその景色のはるか向こうにある、植え込みに囲まれた建物を思い出す。
『双胎間輸血症候群』
図書館で必死の思いで見つけた病名だ。一卵性双生児についての病気を調べていたら「一方の児を死亡させる」という文字が目に入った。そしてその古臭い医療本に目を通すと、この病気がどうやら非常に厄介な病気であるらしいことを知ることになった。
一卵性双生児の片方の胎児が、もう片方の胎児と血や栄養を奪い合ってしまい、それによって、どちらかの胎児が多血、もう一方は貧血になって非常に危険な状態に陥ってしまう。
治療としては、両方の胎児を救う方法もあるが、それの成功確率を不安に感じて、確実にどちらか片方の胎児を救おうということで「一方の児を死亡させ」もう片方を救うという選択肢があるらしい。
これだ、と僕は思った。
両親はその選択を激しく後悔している。
僕を生かしたことを。
彼を殺したことを。
三度、冷たい風がこの屋上を襲う。僕は白いズボンのポケットに手を突っ込み、つい最近壊れてしまった、細めの万年筆を握りしめる。しかし学校でそれを持ったときの感触がよみがえって少し手を緩めた。