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闇底の白衣  作者: S.U.Y
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暗躍

 夜の闇の中、白い塀が行く手を遮っていた。辺りに人影はなく、塀の向こう側は静まり返っている。バルドレイクは周囲を見回してから、カバンに手を入れた。中から取り出したのは、縄である。バルドレイクは、縄の先端を塀の内部へ放り投げた。緩んだ縄を、手の中で一度引いた。すると、縄に変化が生じる。緩んでいた縄が、ぴんと張り詰めた。縄を伝い、バルドレイクは塀を乗り越え屋敷の庭へ潜入した。

 屋敷の間取りは、ヒューリックの協力を得て昼間に調べてあった。庭から、厨房へ通じる扉がある。音を立てぬよう、注意深く扉を開ける。内部は暗く、人の気配は感じられない。暗闇に身を滑り込ませて、後ろ手に扉を閉めた。

 ヒューリックの屋敷で晩餐会が行われ、多くの貴族が招かれている。それは、この屋敷の主も例外ではない。多くの使用人を引き連れて出発するのを、バルドレイクは自身の眼で確認していた。屋敷に残っている人間は、それほど多くはない。それでも、バルドレイクは慎重に歩を進める。今後のことを考えると、屋敷の人間に見つかるのは避けたいところだった。

 入り組んだ屋敷の、目的地は二階にあった。階段の前に、扉がある。人気のない暗い廊下を、バルドレイクは密かに歩く。壁に張り付いたりは、しない。万が一見つかったときに、言い訳のできない姿勢を取りたくはないからだ。

 扉の下の隙間から、光が漏れていた。中には、複数の人間の気配がある。住み込みの使用人たちの、部屋のようだった。足音を殺して、バルドレイクは扉の前をゆっくりと通り過ぎた。階段を、一段ずつ、踏みしめる。背にした扉が、開かれることはなかった。

 二階にたどり着いたバルドレイクは、左右に伸びる廊下を右へ進む。しばらく進むと突き当りで、廊下は左に折れている。その先が、バルドレイクの目指す場所だった。

 曲がり角の手前で、バルドレイクは足を止めた。角の先から、光が伸びていた。蝋燭の、燃える音もする。そして、見張りの気配が感じられた。

 バルドレイクは、カバンの中に手を入れた。取り出したのは、手のひらに収まるくらいの白く丸いもので、しっぽのような細い紐が付いている。バルドレイクは紐を引き抜き、二秒待ってから角の先へ球体を転がした。しゅっ、と音がして、角の先に薄い煙がたちこめる。少し後で、どさり、と重いものが倒れるような音がした。煙は、十秒ほどで晴れた。

 バルドレイクが角を曲がると、男が一人、倒れていた。黄色い服を着て、白い覆面で顔を覆っている。倒れた男を踏まないようにして、バルドレイクは先にある扉を開けて部屋に入った。

 部屋の中にあったのは、背丈ほどもある本棚と、ガラス器具の載った机、そして巨大なガラスの水槽だった。暗闇の中、たくさんの水を湛えた水槽の中で、ヒカリゴケが淡い光を放っている。ゆらゆらと揺れる水草が、幻想的ともいえる風景を描いていた。

 水の中に、漂うものがあった。一ミリほどの、紐のように細い何かが、水中のあちこちを漂っている。目を凝らしてみれば、それがうねうねと動く生物であると解るだろう。バルドレイクはカバンの中から薬の入った瓶を取り出して、水槽の中へ流し込んだ。

「何をしている」

 背後から、声がかかった。薬瓶の中身をすべて流し終えたバルドレイクは、素早く振り向いた。

「どうやら、薬には耐性があるみだいだね」

 扉に手をかけて身を起こす男に、バルドレイクは感心した声を出した。

「腹を空かせたヒグマでも、三日は目が覚めないくらいの薬なんだけど」

「何者だ、貴様……!」

 よろよろと、男がバルドレイクに向かって歩み寄ってくる。バルドレイクが、丸メガネを外して男を見据える。男が手を伸ばし、掴みかかる。バルドレイクは真後ろに身を引いて躱し、男の眼の前で手を打ち合わせた。

「君は、夢を見ている」

 動きを止めた男に、バルドレイクは静かに言った。男は焦点の合わない眼で、うなずいた。

「見張りの途中で、酒を呑んだ。だから眠って、夢を見た」

 男の身体を、バルドレイクは軽く押した。男はよたよたと後ろへさがり、部屋の外へ出る。

「壁にもたれて、座りなさい。君は、眠っているのだから」

 男は、扉の前で座り込み、目を閉じた。

「夢は、忘れるものだ。君も、例外じゃあない。それじゃ、おやすみ」

 男は、ほどなくいびきをかいて深い眠りに落ちた。扉を閉めて、男の側に空の酒瓶を転がしてから、バルドレイクはその場を後にした。

 屋敷からの脱出は、潜入よりも楽に済んだ。裏通りをぬって、バルドレイクは帰宅した。

「お疲れさま、竜にいさん。首尾は、どうだった?」

 家の中で待っていた少年が、訊いた。

「予想外のことはあったけど、何とかなったよ。虫も全滅しているはずだ」

 床に座る少年に言いながら、バルドレイクは寝台へと倒れ込んだ。

「大丈夫? 本当に疲れてるね」

「慣れないことは、するものじゃないね。君の治療も、やった後だし」

 目を閉じて、こめかみを強く押した。重い疲労感が、頭の奥に居座っている。

「竜にいさんには、本当に感謝してる。それで、どうするの? 虫を殺しただけじゃ、また厄介ごとになるんじゃないの?」

「大丈夫。あとは、ヒューリックに任せておけばいいさ」

「貴族のことは、貴族に?」

「そういうこと。それじゃあ、僕は寝るよ」

 半分夢の中へ意識を入り込ませながら、バルドレイクは言った。

「おやすみ、竜にいさん。……孤児院のお姉さんへの言い訳、ちゃんと考えておきなよ」

 少年の一言で、バルドレイクはびくりと身体を震わせた。

「……忘れていたよ」

「だと思った。まあ、俺には関係ないけどね。おやすみ」

 少年が姿を消して、ひとりになったバルドレイクはしばらく頭を抱え続けていた。

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