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闇底の白衣  作者: S.U.Y
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忍び寄る毒

 夕刻になって、少年の容体は安定した。全身に、虫を植え付けられていた。アニーの一件で、作った薬が役立った、といったところだった。

 シャルロッテには、質問を挟む隙は与えなかった。少年の体内にいる虫の処置と、施した手術の後処理が余裕のあるものではなかった、ということもある。

 看護師である彼女には、話しておいたほうが良い。そうは思うものの、バルドレイクはなかなか踏み切れないでいた。虫のことを事細かに説明すれば、バルドレイク自身のことについても知られてしまうことになる。

 寝台の、少年を見た。熱も下がり、全身に包帯を巻いて静かな寝息を立てている。痛々しい、姿だった。もしもこれがシャルロッテやミルやメルだったら、そんな想像をしてしまう程度には、孤児院の子供たちとは親しくなっていた。

「シャルロッテ、今夜は、肉が必要なんだ」

 そう言って、金貨を渡し市場へと走らせた。その間に、何とか言い訳を考えるつもりだった。

「せんせい、今日は、いっしょにご飯食べてくれるの?」

「お泊りしてくの、せんせい?」

 食堂兼炊事場の一室に、双子のミルとメルが待っていた。楽しげな双子は、野草の入った鉢をぐるぐるとかき回している。

「うん。今日は、ご相伴に与ることにしたんだ。よろしくね、ミル、メル」

「はぁい」

 くすくすと笑いあって、双子は鉢をかき混ぜ続けた。食べることのできる、野草だった。塩漬けにしたそれを、叩いて柔らかくしているのだろう。懐かしさを覚えて、バルドレイクは眺めていた。

「ちょっと待ってて」

 双子に言って、バルドレイクは診療室へと戻った。眠る少年を起こさないように、ベランダの薬草干場からいくつか薬草を持ち出す。

「よかったら、これも一緒に入れてくれるかな?」

 バルドレイクの手にした草を、双子は首を同時にかしげて見た。

「なあに、これ?」

「隠し味だよ。綺麗に洗って日に干しておいたものだから、大丈夫。一緒に入れて、混ぜてごらん」

 おお、と歓声を上げながら、双子が鉢に草を追加する。混ぜていくと、爽やかな香りが漂ってきた。

「わあ、いいにおい」

「せんせい、これ、どこでとってきたの?」

「遠い遠い、東の山に生えているんだ。花には毒があるけれど、茎と根は食べられる」

「こっちの青いのは、せんせい」

「それは、このあたりにも生えてるよ。ほら、ミルとメルが採ってきてくれる、小さな花の付いた草があるよね」

 双子の手が、止まる。

「あのお花、すっごく苦かったんだけど……」

「せんせい……」

 懐疑のいろを湛えた双子の目が、バルドレイクに据えられる。バルドレイクは笑って、胸の前で手を振った。

「大丈夫。苦いのは花の中の花芯にある成分で、それは取り除いてあるから。普通に食べても平気だよ」

 鉢の中から草を取り出し、口に入れてみせる。難なく咀嚼して飲み込む様子を、双子は食い入るように見つめていた。

「ほらね、大丈夫」

「……せんせい、つまみ食い、ダメだよ」

「お行儀わるいの」

 めっ、と双子は声をそろえて言って、笑った。バルドレイクも笑顔で応じていると、玄関の戸が開いてシャルロッテが姿を見せた。

「おかえり、シャルロッテお姉ちゃん」

 双子が鉢を放り出して、シャルロッテのもとへ駆け寄った。かわりに、バルドレイクは鉢をかき混ぜ始める。

「ただいま、ミル、メル。先生、言われた通り、買ってきました。鶏の肉です」

 双子の頭を交互に撫でてから、シャルロッテが調理台に包みを置いた。肉の入ったものと、小さな包みが一緒にあった。

「それは?」

 小さな包みを見て、バルドレイクは訊いた。

「ええ、煮込んだ肉と一緒に食べると、風味が増すからって、もらったんです」

 言いながら、シャルロッテが包みを開ける。布に包まれていたのは、木の実だった。

「それは……」

 バルドレイクの頭の中に、昨日の酒場の光景が浮かび上がった。親指の爪ほどの、小さな木の実。

「それは、何ですか、先生?」

 シャルロッテの、険しい視線が飛んできた。バルドレイクは首を振り、なんでもない、と言った。

「その木の実は、炒って食べたほうが美味しいんだ。手間はかかるけど、頼めるかな、シャルロッテ?」

「それは、構いませんけど……」

「あと、ひとつだけ貰っていいかな。薬の材料になるから」

 バルドレイクは木の実をひとつつまみ上げて、白衣のポケットに入れた。

「せんせい、あとでひとりで食べるつもり?」

「シャルロッテお姉ちゃんが、もらってきたんだよ」

「……いいのよ、ふたりとも。先生の、お仕事に使うんだから」

 非難の声を上げる双子に、シャルロッテがなだめるように声をかけた。

「すまないね、シャルロッテ。それから、もうひとつ聞きたいんだけど」

「はい。私からも聞きたいことはたくさんありますから、それに答えてくれるなら、どうぞ」

 じっと見つめてくるシャルロッテの瞳に、バルドレイクは少したじろいだ。

「……この木の実をくれた人って、どんな人?」

「西の市場にいた、肉の行商人さんですけど」

「行商人……どんな格好をしてた?」

「白い布を頭からかぶってて、顔は見えませんでした。服は、黄色っぽかったような……それが、どうかしましたか?」

「その人は、市場にいつもいる人なのかな」

「さあ……ここのところ、市場でお肉なんて買えませんでしたからね、先生」

 にっこりと、シャルロッテが険のある笑顔を浮かべる。引きつった笑顔を返して、バルドレイクは玄関に向かって駆けだした。

「先生、どこへ行くんですか!」

「ちょっと、そこまで。ご飯ができるまでには、戻ってくるから」

 慌ただしく玄関口を出て、バルドレイクは西の市場へ向かう。夕方から夜に差し掛かる時間で、市場の中はすでに人影は無い。足を緩めて歩くバルドレイクの視界に、一枚の紙片が入ってきた。

「羊皮紙……」

 この町では、ほとんど使われていないものだった。そこに書かれているのは、直線を組み合わせた図形のようなものだ。

『探るな』

 短く書かれていた文字は、この町では読み取ることのできる者のいないものだった。

「なんだ、安売りはもう終わりか。落書きしか残ってない。出遅れたかな」

 わざと大きな声を出して、バルドレイクは羊皮紙を放り投げた。強い風に、羊皮紙が飛んで流れる。そのまま市場を出て、遠回りをして孤児院に戻った。尾行されている気配は、感じなかった。

「先生、遅いですよ」

「はやく、食べようよ、せんせい」

「はやくしないと冷めちゃうよ、せんせい」

 出迎える三人の視線に、バルドレイクは頭をかいて苦笑いをした。テーブルの上には、煮込まれた肉入りのソラマメスープと盛り付けられた塩漬けの野草、そして炒られた木の実が載っていた。

「おお、美味しそうだね」

「今日はごちそうだね」

「食べきれるかなあ」

「ミル、メル、それに先生。お食事の前に、お祈りを」

 手を合わせたシャルロッテが、ぴしゃりと言った。神妙な面持ちになって、バルドレイクは双子と一緒に手を合わせ、祈った。

 食事を終えてから、診察室へ行った。少年の分の食事を、シャルロッテが持って行った。

「に、にいさん……」

「ああ、目が覚めたかい? 食事を持ってきたから、食べるんだ」

 半身を起こそうとする少年を、バルドレイクは助け起こした。

「さて、先生」

 少年の手に煮込みの皿を渡して、シャルロッテがバルドレイクに向き直る。目には真剣ないろがあり、バルドレイクは唾を飲み込んだ。

「説明。そう、説明だったね」

 バルドレイクの背中に、冷や汗が流れる。胸元で拳を握りしめ、シャルロッテが身を乗り出した。

「僕の……故郷で流行った病なんだ。虫に身体を食い荒らされて、苦しんで死ぬ。僕は必死に、虫を……虫を殺す薬を研究した。流行り病は、薬のおかげで無くなった。無くなったはずの症状が、この子にあった。だから、僕は迅速に処置ができた。こんなところかな」

「……それだけ、ですか?」

 シャルロッテの目が、バルドレイクの奥底を覗き込んでくるように見つめてくる。

「それだけ、だよ」

 逡巡ののち、バルドレイクは言った。

「わかり、ました」

「食べ終わったよ、お姉さん。ご馳走様」

 うつむくシャルロッテの前に、空になった皿が突き出される。少年から受け取ったシャルロッテは、皿を持って黙って診察室を出て行った。

「……何、やってんの、竜にいさん」

「隠れ家以外で、そう呼ぶなって言っただろ。それに、今回は君の失態でもある。いや、危険を少なく見積もった、僕のミスか」

「そういうことじゃない。俺のヘマだよ、俺のことは。でも、もうちょっと何とか誤魔化せなかったの、虫のこと」

「彼女の手伝いが、必要だった。君の治療にはね。だけど、これ以上はもう、巻き込むことはない」

「そうであってほしいよ、まったく」

 少年は嘆息してみせ、それからバルドレイクに顔を向けた。

「にいさん、俺がやられたのは、帰り道なんだ」

 少年は、唇の動きだけで語り始めた。

「奴は堂々と、表通りの道を歩いて行った。にいさんの友達の、ヒューリックってやつの屋敷を通り過ぎて、二軒目。その屋敷の裏口から、入って行った。しばらく待っても出てこなかったから、そこが根城だよ」

 診察室の扉が、叩かれた。扉の前にいるシャルロッテに、今日は診察室で眠ると伝え、扉を閉める。シャルロッテの足音は玄関口へ行った。玄関に、つっかえ棒をする音が聞こえてくる。

「帰り道、俺は尾行されてた。撒くつもりで裏路地に入ったんだけど、首に何かが刺さって、そのまま倒れた。男が近づいてきて、俺の身体じゅうに何かを針で打ち込んでいった。黄色い服を着てたけど、顔は覆面みたいなのをしてたから、わからない」

「覆面は、白かった?」

「うん。白だった。心当たりでもあった、にいさん?」

 少年の問いかけに、バルドレイクは黙って腕を組み、考えた。

「……薬の、用意をしておかないとね」

 バルドレイクは、蝋燭の灯りを頼りに薬鉢へ薬草を投じていく。

「俺も、何か手伝うよ」

 身を起こそうとする少年を、右手で制した。

「今日は安静にしておくんだ。そのかわり、明日、ちょっと働いてもらうから」

「病人を使いだてするの? 人使いが荒いね」

「君のしぶとさは、僕がよく知ってるからね。大丈夫、本当にちょっとだから」

 不敵な笑みを交わしあい、少年は眠った。バルドレイクは薬鉢の中身を、空が白み始めるまで混ぜ続けていた。

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