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闇底の白衣  作者: S.U.Y
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夜の闇に消えた少年

 三杯目の酒を、バルドレイクは舐めるように飲んだ。宵のとば口、といった時間だった。酒場の中には、ちらほらと客の姿があった。夕刻まで眠り続けたおかげで、眠気はほとんど失せていた。

「アニーが取った客について、知りたいってのかい」

 酒場のマスターが、カウンターのバルドレイクだけに聞こえる声を出した。

「そうだね。ここ数日で、変わったお客さんが来たかどうか、それを知りたいんだ」

 呟くような声音で、バルドレイクが答える。酒場の喧騒に容易くかき消されそうなほどだったが、マスターには届いているようだった。

「妙に羽振りのいい、学者みたいなやつなら来たな。ちょうど、あんたの後ろのテーブルだ」

 目を閉じて、グラスを磨きながらマスターが言った。指で示すような真似は、しない。バルドレイクも振り返らず、グラスに反射する像を見た。

「今日はアニーは休みだからな。やっこさん、それがわかってたみたいに別の娘を呼んだぜ」

 グラスに映る男が、肩を組んだ女に酒を飲ませていた。男の顔は学者然としていたが、遊び慣れた様子はあった。

「マスター、あの酒は、この店の物で間違いはないかな?」

「ああ。一等高い酒だ。テーブルのツマミは、自前だがな」

 男のいるテーブルには、いくつもの木の実を載せた皿がある。バルドレイクの眼が、丸メガネの奥で細くなった。

「マスター、あの男、捕まえられないかな」

 片肘をついて、なんでもないことのようにバルドレイクが言う。

「何があったんだ、あいつと。怨恨か?」

 グラスを磨く手を止めて、マスターが聞き返す。

「病気を、ばら撒こうとしているのかもしれない」

「確証は?」

「たぶん、ある」

「たぶんじゃ、ダメだ。あいつは、上客だぞ? 恨みつらみなら、自分の手でやりな、先生」

 バルドレイクの前に、空の酒瓶が置かれた。

「僕の腕じゃ、無理だよ。人を傷つけるようには、できちゃいないんだ」

「なら、諦めることだ。今は」

 酒瓶を回収し、マスターはバルドレイクの前からいなくなった。今日のところは、諦めるしかなさそうだった。杯に残った酒を飲み干して、バルドレイクはカウンターの上に金貨を二枚置いた。

 酒場を出て、裏通りを歩いた。自宅までは、それほどかからなかった。店と店の間にある、小さな家へ入る。灯りはなかったが、寝台に寝ころぶくらいなら暗いままでもできた。仰向けに寝て、天井を見上げる。石でできた天井に、模様のような染みがあった。しばらくそれを眺めてから、バルドレイクは目を閉じた。

 眠気が訪れかけたとき、戸がそっと叩かれた。音もなく、バルドレイクは身を起こす。入口の戸が滑らかに開き、灯りを持った少年が姿を見せた。

「こんばんは、竜にいさん。調子はどう?」

「やあ、こんばんは。まだまだ難航しそうだ。犯人の目星はついたけれど、動機がわからない、といったところかな」

 滑り込むように入ってきた少年が、後ろ手に戸を閉めた。手にした蝋燭を小さなテーブルに乗せる。それだけで、部屋の四隅まで明るくなった。

「動機? どうして、アニーを酷い目に遭わせたかってこと?」

「今日、たぶん犯人のその男は、別の子と飲んでいた。ジュリー、って言ったっけか、あの子は」

「アニーだけじゃなくって、無差別に仕掛けてるってこと?」

「今の段階だと、そうなるね。情報が、少なすぎる。おまけに、彼がやろうとしていることを理解できるのは、たぶん僕と彼自身くらいなものなんだ」

「そりゃそうだろうね。俺だって、竜にいさんが言わなきゃ、あの虫が人為的に作られたものだって言われても信じられないもの」

 少年は肩を落とし、床に座り込んだ。

「椅子に座ればいいのに」

「座り心地が最悪なんだよ、この部屋の椅子。それより、どうすんのさ」

「あの男の住居がわかれば、なんとか出来ると思う」

「家を調べるくらいならわけないけど、そのあとは? 暗殺でもすんの?」

 石の床にあぐらをかいたまま、少年が訊いた。

「彼の家には、おそらく虫を培養する設備があると思うんだ」

「そこを襲撃して、ぶち壊すんだね」

「いや、ちょっとした細工をするだけだよ。まあ、彼の計画がどういうものかは知らないけれど、ぶち壊しにするっていうのは確かだけどね」

 バルドレイクの眼に、穏やかではない光が宿っていた。少年は素早く立ち上がり、姿勢を正してうなずいた。

「わかった。俺に任せておいてよ。ちょちょいのちょい、で調べてくるからさ」

 出て行こうとする少年を引き留めて、バルドレイクは小さな薬包をひとつ手渡した。

「念のため、僕の薬を持っていきなさい。相手がどう出るかはわからない。油断は、禁物だよ?」

 薬を受け取った少年が、右の拳を左の掌に当てて一礼する。

「ありがとう、竜にいさん。心配しないで、結果を楽しみにしててよ」

 入口の戸が滑らかに動いて、少年の姿が消えた。少年の残していった蝋燭の火を、バルドレイクはしばらく見つめていた。

 翌朝になるまで、バルドレイクは少年を待っていた。だが、少年は姿を見せない。少年の暮らす薬草屋にも顔をだしてみたが、戻ってはいなかった。

 バルドレイクは、焦りを覚えた。

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