表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
闇底の白衣  作者: S.U.Y
35/36

暗闇と光

 小刀を持つバルドレイクの手が、小刻みに震えている。ベッドに横たわる夫人と、その背中のグロテスクな病魔の花を切り離す。そのためには、精密な動作が必要だった。

「先生、顔色が……」

 バルドレイクの顔には、尋常でない量の汗が浮かんでいた。布で汗を拭きとるシャルロッテは、右頬の色が赤紫に染まっていることに気付く。

「僕に、病原体が寄生したんだ。長くは、保たない」

 バルドレイクの右頬に、シャルロッテが指を這わせる。薄く盛り上がった頬肉が、ぴくり、ぴくりと別の生物のように脈動し始めていた。

「フラットの、言った通りだ。僕は、自身の頑健さに驕っていたんだ……」

 バルドレイクが、小刀の先に麻酔薬を塗布する。薬瓶を並べ終えたシャルロッテは、バルドレイクの顔をじっと診た。

「病原体に、抵抗力があるんですよね?」

 シャルロッテの問いかけに、バルドレイクは小さく首を横へ振る。

「僕の皮膚に、病原体の繁殖できる苗床を作ったのだろうね。何もかも、フラットの仕込み通りだったみたいだ」

「……症状は、わかりますか?」

「寄生した病原体は、今僕の右目の神経を通して脳へ手を伸ばしている。僕の体内の免疫細胞が働かないのは、病原体が僕の体組織と同化しているためなんだ。夫人の治療が終わり次第、そぎ落とすつもりだったけれど……」

 バルドレイクの手にした小刀が、夫人の背中の肉瘤を裂いた。菌糸のような根が、脊椎へと向かって伸びていた。バルドレイクは肉の切れ目を固定するために、鍼を打った。意思の力で、指の震えを止めているのだろうか。代わりに、バルドレイクの全身から汗が流れ続けている。

「……病原体の侵攻が早すぎて、間に合わないんですね、先生」

「うん。僕の強力な体組織を取り込んでいるからね。僕が生きている限り、寄生した病原体は養分を得て成長を続けるんだ。やがて、養分を吸いつくされ、僕は死ぬ。竜滅瘡とは、よく言ったものだよ。そして、僕とともに死ぬ際に、病原体は種子を飛ばす。僕の体組織を得た、強力な病原体を生む、最悪の種を」

 語る間にも、バルドレイクは手を動かしていた。太い根のような菌糸は、ゆっくりと切り離されていく。根付いた神経に傷をつけぬよう、バルドレイクの刃は慎重にならざるを得ない。根を一本切り落とされた花は、ゆらりと重そうに蕾を揺らした。

「僕が、自分で処置できればいいんだけれど、夫人のほうの処置には、もう時間がない。だから、僕は」

 シャルロッテは、バルドレイクの顔の汗を拭う。右頬は特に丁寧に、消毒薬を塗った。

「……シャルロッテ?」

 次の菌糸に刃を立てながら、バルドレイクが問いかけてくる。シャルロッテは手にした小刀の鞘を払い、ベッドの上に置いた。

「君が、僕を?」

「私も、医師です、先生。フラットの作った病原体の処置は、もう何度も見てきました」

「見るのと実行するのとでは、大違いだと思うけれど……ああ、麻酔は付けないでほしい。脳に回ったら、大変だからね」

「痛いですよ?」

「それくらいは、我慢するよ。まずは刃先を火で炙って、根を焼き切る感じで……できそうかい?」

「見様見真似ですけれど、大丈夫です」

 シャルロッテはカバンの中から取り出した蝋燭に火をつけて、小刀を炙る。刃に薬を塗ると、火は燃え移り刃が赤熱してゆく。

「熱くはないかい?」

「これくらいなら、何ともありません、先生」

 小刀を握るシャルロッテの指先には、わずかな熱だけが感じられる。火の中に手を入れても、恐らくは大丈夫になったのだろう。己の肉体の変異に、改めて驚きが生まれる。だが、それはすぐに頭の隅へやった。

「刃を、入れます」

「少し、大きめにね。裂いたら、鍼を使うんだ」

 はい、と答え、シャルロッテがバルドレイクの頬へ小刀を滑らせる。ジュウ、という音とともに、頬肉を刃が裂いていく。バルドレイクが押し殺した呻きをあげつつ、二本目の菌糸を切除する。

 切り裂いた肉を開くと、赤く丸い種子が見えた。薄い肉の苗床に、白い菌糸を目に向かい張り巡らせている。

「核と、菌糸を分断するんだ。菌糸だけなら、問題は無いから」

 三本目の菌糸の根にかかったバルドレイクから、指示が飛ぶ。シャルロッテは鍼で肉を固定して、じりじりと肉を焼きながら種子を覆う菌糸を切り始めた。

「ぐ、うぅ……結構、痛いね、これは。ああ、ちょっと刃先の熱が弱くなっているから、もう一度炙って」

「はい、先生」

 シャルロッテの手は機械的に動き、刃先を赤熱させると再び菌糸を焼き切ってゆく。菌糸をすべて切り落とすと、種子の周りには二本の血管だけが残った。

「先生、赤い血管と黒い血管の、二本が種子に繋がっています」

「どちらも切り落として大丈夫。別に、爆発したりはしないから。それから、切り離したらなるべく早く種子を切除してほしい。出来れば、五つ呼吸をする間には」

「やってみます、先生」

 血管に、刃先を当てる。どくん、と種子が大きく動きを見せた。バルドレイクが汗みずくになり、三本目の太い根を切り落とす。ぐらり、と夫人の背中の花が傾いだ。

「もう、一息だ……頑張って」

 夫人へ、バルドレイクが優しく言葉をかける。同時にそれは、シャルロッテへの言葉でもあった。

 シャルロッテの刃が、赤い血管を焼き切った。とたんに、血管からシャルロッテへ血が噴き出してくる。シャルロッテは目を大きく開き、飛んでくるものを凝視する。空中で、赤い玉のようなものが見える。それらはゆっくりと、シャルロッテに向かっている。顔を動かし、シャルロッテは飛来するものすべてを避けきった。

「悪あがき、なのかしら……」

「シャルロッテ?」

 シャルロッテの口から漏れた呟きに、バルドレイクが問いかけてくる。答えず、シャルロッテは黒い血管を切り裂いた。

「お生憎さまね、フラット……」

 黒い血管から、粒のようなものが飛ぶ。だが、それらはシャルロッテに触れることなく散っていく。

「これで、終わりよ……!」

 ぶるり、と種子が蠢いたように見えた。先ほど見た、フラットの瞳のようだ。シャルロッテは脳裏に訪れた感傷を、刃に乗せて種子を切り落とす。小刀の先端に種子を突き刺して、バルドレイクの頬から引き離す。種子を薬液の入った瓶へ入れて、蓋をすれば終わりだった。

「ありがとう、シャルロッテ。おかげで、ずいぶん楽になったよ」

 右頬から血を流したまま、バルドレイクが優しく言った。同時に、夫人の背から花が抜かれる。

「先生の、指示があったからです」

 微笑みながら、シャルロッテは言った。その間にも手は動き、薬品を手に振りかけて炎で焼いて消毒をしている。予測どおり、シャルロッテ自身が火傷を負うことはなかった。

「そんな豪快な消毒は、指示した覚えはないけれど」

 苦笑いを浮かべ、バルドレイクが言う。シャルロッテは手にこびりついたススを払い、顔をしかめた。

「……馬鹿なことを言ってないで、続きをしてください。まだ、終わってませんよ」

 傷薬をバルドレイクの頬の断面に塗り込んで、鍼を抜く。

「縫合は、必要ですか?」

「いいや、大丈夫だよ。それより、こっちを手伝ってくれないかい?」

 バルドレイクが夫人の背中を指して言った。うなずいて、シャルロッテは背中の断裂面に、それから内部の菌糸の切除痕へ傷薬を塗った。針と糸を手にしたバルドレイクが、夫人の背中を綺麗に縫い合わせる。

「……先生、お針子しても、生きていけそうですね」

 見事な縫い合わせに、シャルロッテは感嘆の声を上げる。

「君にも、冗談が言えるんだね」

 にっこりと、バルドレイクが笑う。シャルロッテも、笑みを返した。

「さて、後は夫人のために薬を調合しないとね。シャルロッテ、アルに貰った薬草を」

 バルドレイクの指示に、シャルロッテはカバンの中から多肉植物を取り出した。

「それを絞ると、薬液が出る。強壮効果のある薬を、さらに強めることができるんだ」

 薬鉢へ、バルドレイクに言われる通りに薬を投じていく。かき混ぜていると、やがてほのかな青い光が生まれた。

「先生、これは……」

「正しい手順、そして分量で調合すると、これが見られるんだ。薬には、何の問題も無いみたいだよ。腕を上げたね、シャルロッテ」

 薬鉢の中で混ざり合った薬液が放つ、青く美しい光。しばしの間、シャルロッテは光に魅了された。鉢の中を見つめ続けるシャルロッテを、バルドレイクが優しい顔で見守っている。

「そろそろ、薬を夫人に」

「は、はい、先生」

 バルドレイクの言葉で我に返ったシャルロッテが、薬瓶に移した薬を仰向けにした夫人の口へ注いだ。固く閉じられていた夫人の瞼が、ゆっくりと動き出す。

「う、うぅん……」

 眠っているままではあったが、夫人の顔からは苦悶のいろが消えていた。

「もう、大丈夫だね。お疲れ様、シャルロッテ」

「先生、まだ、ひとつ残ってます」

 シャルロッテは、床に打ち捨てられた肉の花を指して言う。ぼろぼろに枯れたような花は、もはや動くことは無い。シャルロッテは薬液をかけて、花に火を灯した。

「お疲れ様です、先生」

 顔を上げて、笑顔をバルドレイクに向ける。バルドレイクもシャルロッテを見返しているが、その表情は真面目なものだった。

「……綺麗、だ」

「え? 先生、何か言いましたか?」

 パチパチと肉の花が音立てて燃えている。バルドレイクの小さな呟きは、シャルロッテの耳には届いてはいない。聞き返すシャルロッテに、バルドレイクが困ったような笑顔を見せた。

「何でもないよ。それじゃあ、表のアルとヒューリックに知らせてこよう。シャルロッテ、君は夫人の様子を診ておいてほしい」

「はい、先生!」

 バルドレイクが白衣を翻し、倉庫の入口へと歩いていく。闇の中で、静かに輝きを見せる白衣。颯爽と歩いて見えるバルドレイクの姿に、シャルロッテの胸の奥には熱い何かがこみ上げてくるのであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ