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闇底の白衣  作者: S.U.Y
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竜滅瘡

 バルドレイクがシャルロッテと共に倉庫の建ち並ぶ一角へ着いたのは、夕日も沈み町が夜の帳に包まれた頃合いだった。二人はそれぞれ、肩に大きなカバンを提げている。時間ぎりぎりまで調合を続けていた、薬が中には詰め込まれていた。

「やあ、バルドレイク。良い夜だ。シャルロッテも、元気そうで何より」

 一棟の倉庫の前には、人の輪が出来ていた。武装した衛兵で成り立つその輪の外側から、片手を上げてやってくるのはヒューリックだった。

「こんばんは、ヒューリック様」

 バルドレイクの隣で、シャルロッテが恭しく一礼する。

「君が直々に来てくれるとはね、ヒューリック。心強い限りだよ」

 バルドレイクも片手を上げて、駆け寄ってくるヒューリックと握手を交わした。

「クラッチレイ家の夫人の命が懸かっているとなれば、私も動かなければな。それで、バルドレイク、どういう手順で踏み込むんだ?」

「正面から、行くよ。僕とシャルロッテ、それから腕の立つ者を、三人ほど借りたい。フラットはかなりの使い手だからね」

 ふむ、とヒューリックは考えるそぶりを見せ、それから腰に佩いた剣をばんと叩いてみせた。

「それなら、私が行くか」

「ヒューリック様が?」

 シャルロッテが目をむいて聞き返す。バルドレイクは前に出した手を振って、拒否の意を示した。

「君は、外で包囲の指揮をしていてくれ、ヒューリック。君に大事があれば、包囲が崩れてしまうだろう?」

「そうか……私もたまには、前線に出て活躍したかったのだが」

「許可はできないよ。君の友人としてもね」

 肩を落とすヒューリックの背を、バルドレイクは優しく叩いた。

「そうそう。あんたは大人しく、後ろでふんぞり返っていればいいんだよ。にいさん、お待たせ」

 おどけた調子で言って、バルドレイクの隣に現れたのは少年だった。貴族であるヒューリックに対して無礼な物言いではあったが、ヒューリックは少年に笑顔を向けていた。

「言われなくとも、大人しくしているさ。お前が失敗しなければ、だがね」

 腰を落として少年に目を合わせ、ヒューリックが言い返す。二人の間には、外見の年齢差や身分を越えた友情のようなものがあった。

「万が一、があればしっかり働けよ、貴族様。それで、にいさん。頼まれていた薬草だけど」

 そう言って少年が差し出すのは、多肉植物の葉だった。肉厚で、断面は布で覆いをかけてあり、少年の腕ほどの長さがある。

「助かるよ。シャルロッテ、カバンにこれを」

「はい、先生」

 手渡した薬草を、シャルロッテが自分のカバンに入れた。薬草の先端がカバンからはみ出していたが、何とか収納はできたようだった。

「それじゃあ、行こうか」

 倉庫の扉の前に、三人の衛兵が立つ。バルドレイクとシャルロッテ、そして少年はその後ろだ。

「突入!」

 衛兵の掛け声とともに、倉庫の扉に木槌が振り下ろされた。がん、がんと打ち付けられる重さに耐えきれず、数発の打撃で扉は掛けられた閂ごと内部へ吹き飛んだ。

 倉庫の内部は暗く、衛兵たちは松明の灯りを頼りにゆっくりと歩いた。照らし出されるのは、積み上げられた建材の山である。あちこちに、素材や大きさによって切り分けられた、木材の山ができていた。

「夜分に、随分と騒がしい侵入者がいたものだな」

 倉庫の奥にある、切り出した石材の陰から一人の男が姿を見せた。黄色い服に、白の覆面をしている。男の両手には、ナイフが一本ずつ握られていた。

「やあ、フラット。君を、止めに来たよ」

 身構える衛兵の後ろから、バルドレイクが男に声を掛けた。

「……竜安、ここまで来たか」

 フラットの声は、落ち着いたものだった。

「何度言ってもわからないようだけれど、僕はバルドレイクだ。フラット、抵抗せず、武器を捨ててくれないかい? 僕にも君にも、そのほうが望ましい結果を生むんじゃあないかな」

 バルドレイクの提案に、返ってくるのは哄笑だった。

「フハハ、この国の衛兵に、私が止められるとでも思っているのか?」

 倉庫の闇を響かせるフラットの笑声に、衛兵たちが身を固くして槍を構えた。バルドレイクはシャルロッテを庇うようにして相対し、少年は腰を低く落としてフラットを睨みつける。

「君がどんな手段を持っていようと、僕が叩き潰す。自分の力を過信するのは、良くないことだよ、フラット?」

 バルドレイクは、静かに丸メガネを外した。その瞳は黄色く輝き、縦に割れた瞳孔がフラットを厳しく見据える。

「貴様こそ、驕りが身を滅ぼすということを教えてやる!」

 フラットの腕が、素早く動いた。一本のナイフが衛兵の間を抜けて、バルドレイクの眼前へと飛び込んでくる。避ける暇も、無かった。頬に、ナイフが突き立った。皮膚を食い破る金属の感触に、バルドレイクは不快を感じて眉をしかめる。同時に、衛兵たちが動き出した。槍を構えてフラットに詰め寄り、腹部を柄で強打する。左右から躍りかかった二人の衛兵が、さらに頭へ、そして足を払う一撃を見舞う。

 どさり、と重いものが倒れる音が、二か所で響いた。

「先生!」

「姉ちゃん、にいさんなら大丈夫だよ」

 悲鳴のようなシャルロッテの声と、なだめる少年の声。

「確保! 身柄を拘束します!」

 フラットを押さえつけた、衛兵の声。バルドレイクの耳に、それらが同時に届いてきた。

「まったく、最後まで油断ならない奴だったね」

 頬に刺さったナイフを抜いて、バルドレイクは身を起こした。傷口から血が少し噴き出したが、すぐに止まる。

「やった、やったぞ! ついに竜安を……!」

 縛られながら、フラットが上げるのは歓喜の声だった。

「現実、見えてないの、おっさん?」

 少年が冷たく言い放つ。その横ではバルドレイクが、シャルロッテの手を借りて立ち上がっている。

「先生、大丈夫なんですか?」

 心配そうに傷口を診るシャルロッテに、バルドレイクは微笑を返した。

「問題ないよ、シャルロッテ。僕も、君と同じだから」

 頬には、わずかな熱と痒みが残っていた。だが、問題の無い負傷だ。自身に診断を下して、バルドレイクは捕縛されたフラットへ近づいた。

「ふ、ふふふ……貴様の驕りが、貴様を滅ぼす……」

 うわごとのように、フラットが言葉を口にする。視線は焦点が合っておらず、殴打によって朦朧としているようにも見えた。

「僕は、滅んではいないよ。君の負けだ、フラット。クラッチレイ家の夫人をどこへやったか、教えてもらえるかい?」

 うつ伏せになったフラットを見下ろして、バルドレイクは問いかけた。目を上に向けて、フラットは薄笑いを浮かべる。

「あの女は、この奥だ。だが、もう遅い。貴様も女も、もう助からない」

 どういうことだ、と訊き返そうとして、バルドレイクは眩暈を覚えてふらついた。

「……毒、か」

 バルドレイクの口から、呆然と言葉が漏れた。視界がぼやけ、フラットの顔が幾重にも重なったものに見える。

「ふふふ……竜、滅瘡……わたしの、使命は、果たされた……」

 フラットは掠れた声で言うと、奥歯を噛みしめた。ごくり、とフラットの咽喉が大きく動き、そして顔が伏せられる。ぼやけた視界の中で、バルドレイクはそれを見つめているしかできなかった。頭を振って意識をはっきりとさせる。そのわずかな時間で、フラットは絶命していた。

「夫人を、助けないと……」

「先生!」

「竜にいさん!」

 ふらふらと奥へ歩き始めたバルドレイクの両腕に、少年とシャルロッテがすがりついてきた。

「そ、外では、にいさん、と呼べって、言っただろう……」

 苦しくなる呼吸を静め、バルドレイクは言いながらも歩く。

「か、肩を、貸してくれるかい、シャルロッテ……」

「先生……!」

 シャルロッテの細い身体が、脇を持ち上げて支えてくれる。今の彼女であれば、抱え上げて移動することもできるはずだが、衛兵の目のあるところでそれは避けたかった。

「にいさん、こっち!」

 少年が、大声を出した。ぼんやりとしてくる意識を、なんとか覚醒させる。体重のほとんどをシャルロッテに預け、重くなった足を引きずってバルドレイクは何とか少年のところまでたどり着いた。

「これは……」

 密着したシャルロッテが、息をのむ気配があった。バルドレイクは首を後ろへ向けて、衛兵に目を向ける。

「き、君たちは、すぐにここから出るんだ。急いで……アル、君もだ」

「は、はい!」

「にいさん、今のにいさんじゃ、無茶だよ!」

 衛兵たちは素直に言葉に従ったが、少年は退かなかった。

「アル……なるだけ、息を吸わないように。処置が、終わるまで誰も入れないように、外の皆に」

「にいさん、ダメだ!」

「大事な……ことなんだ。頼むよ」

 少年の肩に手を置いて、バルドレイクは懇願する。

「……わかった。姉ちゃん、竜にいさんを、頼むよ」

 少年はそう言って、倉庫の入口へと姿を消した。入口が木の板で封鎖されたのは、少年の指示によるものだろうか。頭の隅で考えながら、バルドレイクは目の前のものと対峙する。

 馬車を解体して造ったと思しき、ベッドがあった。柔らかなマットにかけられた白いシーツにうつ伏せで寝かされているのは、クラッチレイ家の夫人である。高価なシルクの夜着が裂かれ、白い背中が大きく露出している。その華奢な背中から、一本の花が生えていた。花の根元は盛り上がった肉の隆起で、そこから血色の茎が伸びている。肉を幾重にも重ねたような蕾が、今にも弾けそうな様相を見せていた。

「これから、病原体の切除と夫人の治療を行う。手伝いを、よろしく頼むよ、シャルロッテ」

 シャルロッテの身を離し、ふらつきながらバルドレイクは言った。あの蕾が弾ければ、恐らく種子が飛ぶ。それは疫病をもたらし、恐ろしい死病をばら撒く種となるだろう。そうなる前に夫人から切り離し、そして夫人も助けなければならない。体内で暴れる熱を、意思の力で抑え込む。

「はい、先生!」

 泣き出してしまいそうな顔をしていたシャルロッテが、決然とうなずいた。シャルロッテの瞳には、強い光があった。そんな顔ができるなら、もう君は一人前の医師だ。治療が終わったら、その言葉を贈ろう。バルドレイクはシャルロッテにうなずき返して、おぞましい病原体の花に向き合った。

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